文学





Literature

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは、Syusuke Gallery

に展示しております文学者イラストポートレートをご覧いただけます
どうぞ文学の部屋をお楽しみください

It's New 文学の部屋

2026-01-0242長崎県

【文学の部屋|半井桃水】明治時代編.46New!!

2026-01-0113東京都

【文学の部屋|成島柳北】明治時代編.45New!!

2025-12-3113東京都

【文学の部屋|加藤楸邨】昭和時代編.193New!!

2025-12-3013東京都

【文学の部屋|サトウハチロー】昭和時代編.192New!!

文学者
イラストポートレート Syusuke Galleryより

出身国別、都道府県でお届けしています

世界の文学家

ドイツ連邦共和国
Federal Republic of Germany

該当の投稿はありません。

日本の文学家

東京都
Tokyo

1837-1884を生きた詩人、随筆家でありジャーナリスト。幕末には奥儒者として将軍家定・家茂に経学を講じ、「徳川実紀」の編纂にも携わったが、狂詩で幕府重鎮の反感を浴び失職。その後、柳河春三らから洋学を学ぶ。維新後は隠棲を経て、明治五年から六年にかけて欧米を歴訪し、その見聞を「航西日乗(1881)」に記した。また、柳橋の花街を描いた漢文随筆集「柳橋新誌(1874~)」も著している。1874年からは「朝野新聞」の主筆に迎えられ言論界を牽引、政府の言論弾圧に抗して新聞界草創期に大きな足跡を残した。その筆で、文明開化の風潮に鋭い批評を加え、伝統の美意識を守り続け、永井荷風らに大きな影響を与えた。
【文学の部屋|成島柳北】明治時代編.45
Read more
1905-1993を生きた俳人。中学時代より短歌に触れ、小中学教諭などを経て水原秋桜子に師事。「馬酔木」関連の仕事をしながら、第1句集「寒雷(1939)」を皮切りに句集を重ねる。その作風から中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれた。その間に東京文理科大学(後の東京教育大学)を卒業し、その後も教育現場で活躍する。戦後は病と闘いながら句集を重ね、松尾芭蕉研究をライフワークとする。1940(昭和15)年に刊行、主宰した俳誌「寒雷」は、2018(平成30)年に通巻900号をもって終刊するまで、多くの俳人を育成し、俳壇の大きな役割を担った。本名は加藤健雄。
【文学の部屋|加藤楸邨】昭和時代編.193
Read more
1903-1973を生きた詩人。真山青果に育てられ、その後、西条八十に師事し童謡を学ぶ。1921(大正10)年 に金の船に「笹の舟」が掲載され、その後、「少年俱楽部」「コドモノクニ」など数々の雑誌に童話を発表。1926 (大正15)年には、詩集「爪色の雨」で詩壇の注目を浴びた。戦後直後に「りんごの唄(1945)」を作詞し大ヒットし、復興と希望の象徴的な歌となる。その後、児童文芸雑誌「赤とんぼ」を中心に童謡を発表。誰もが口ずさむ「小さい秋見つけた」や「うれしいひなまつり」など、やさしく親しみやすい言葉で子どもから大人まで愛される作品を多数生み出し、時代を超えて人々の心に寄り添う、叙情性豊かな言葉を紡いだ文学者であった。本名は佐藤八郎。
【文学の部屋|サトウハチロー】昭和時代編.192
Read more
1902-1991を生きた文芸評論家。東京外国語大学露語科卒業後、ソ連に留学。帰国後マルクス主義に傾倒し、プロレタリア文学運動の理論的、組織的な指導者として、文学がプロレタリアート(労働者階級)の解放闘争に貢献できると主張。中野重治らと共産党支持の芸術組織ナップ結成や、小林多喜二らに影響を与えた。戦後は、中野重治や宮本百合子らと新日本文学会の結成。また日本共産党の文化運動を率いた。文学が社会変革につながると主張し続けた文学家であった。
【文学の部屋|蔵原惟人】昭和時代編.191
Read more
1887-1964を生きた小説家。早稲田大学在学中に、執筆活動を行い、また東北、北海道を流浪する。このときの体験を「澪 (1911-12)」「零落(1912)」を中央公論に発表し文壇に登場。大学卒業後、京阪地区に赴いた経験から「祇園 (1913)」「鴨川情話(1915)」など祇園物とよばれる作品群を執筆し、情話文学で人気を博したが、通俗作家へと傾斜する。1925(大正14)年ラジオ放送開始に伴って、東京中央放送局の文芸顧問となりラジオドラマ、日本ビクター蓄音機株式会社の顧問(1929)となり「祇園小唄」「島の娘」など多数のヒット歌謡曲の作詞も手がけた。戦後は、心霊学の関心から「私の心霊術(1955)」なども著した。
【文学の部屋|長田幹彦】大正時代編.55
Read more
1932-1999を生きた文芸評論家、英文学者。慶應義塾大学在学中に三田文学へ「夏目漱石論(1955)」「続・夏目漱石論(1956)」を発表。これらが「夏目漱石(1956)」として刊行され、文芸評論家としての歩み出す。その後「小林秀雄(1961)」など批評家として活躍する。1962(昭和37)年には、ロックフェラー財団研究員となり日本文学を講じるなどし、「アメリカと私(1965)」を著し、戦後日本とアメリカとの問題を正した。その後、東京工業大学、慶応義塾大学、そして大正大学の教授として後進の育成に尽力した。本名は江頭淳夫(あつお)。
【文学の部屋|江藤 淳】昭和時代編.185
Read more
1931-2011を生きた美術評論家。中央大学在学中より花田清輝や岡本太郎らの主宰する前衛芸術運動「夜の会」に参加。大学中退後、雑誌「美術批評」へ1953年に批評、評論を寄稿して本格的に評論活動を開始。その後、葛飾北斎、東洲斎写楽など浮世絵作家研究を行いながら、西洋画家の研究も深め、ピカソやシャガールなどの日本での大規模な展覧会企画を手がける。1977(昭和52)年に総合美術研究所を設立し美術市場を研究拠点を設け、多摩美術大学や慶應義塾大学で講師も務めた。「二〇世紀の芸術(1957)」「サインとシンボル(1963)」「創造の美学(1965)」「浮世絵師 写楽(1970)」などを残し、日本の美術文化に大きな足跡を残した。
【文学の部屋|瀬木慎一】昭和時代編.183
Read more
1929-2013を生きた小説家、評論家であり精神科医。慶應大学医学部卒業後、精神科医として臨床に携わる傍ら、1959(昭和34)年に文学界に「帽子を…」を発表し、その後「パパの贈り物(1965)」など、思想や社会問題に関する文筆活動を展開した。そして「お医者さん 医者と医療のあいだ(1970)」など、医療現場の内側から人間と社会を考察した作品を手がける。また、医師としては日本におけるアルコール依存症治療の先駆者でもあり、「アルコール中毒」専門施設を立ち上げたことでもその名を刻んでいる。ペンネームの「なだ いなだ」はスペイン語で「無と無(Nada y Nada)」の意味。本名は堀内秀(しげる)。
【文学の部屋|なだ いなだ】昭和時代編.178
Read more
1929-1989を生きた小説家。新聞社勤務や職業作家としての下積みを経て、戦後の混乱期に博打やアウトローを渡り歩き、独自の人生哲学と人間感を養う生活を送る。1961(昭和36)年、父との葛藤を描いた自伝的小説「黒い布」で、中央公論新人賞に輝き文壇にデビュー。その後、それまでの経験をもとに、庶民の哀歓やアウトローの世界を描いた作品を発表する。1969年に、阿佐田哲也のペンネームで麻雀小説「麻雀放浪記」を刊行以降、娯楽文学の新境地を開拓。特に配牌図を入れた「麻雀小説」のジャンルを確立した。色川名義では、「離婚(1978」や「生家へ(1979)」など、夫婦や家族を題材に、孤独や狂気といった人間の深層を繊細に、時にユーモアと哀愁を交えて描いた作品を多く残した。これまでの小説の枠にとらわれない、異彩を放つ文学家であった。
【文学の部屋|色川武大】昭和時代編.177
Read more
1932-2002を生きた詩人。東京大学文学部仏文科卒業後、劇団四季に入団し舞台女優として活動するも退団。後に詩作へ転向。1964(昭和39)年、第一詩集「幼年連禱」を刊行し文壇に登場する。以後「夏の墓(1964)」「オンディーヌ(1972)」「昼顔(1973)」など、女性の愛・孤独・死・夢をテーマに、知的で鋭い感性で数多くの作品を発表する。その後、1983(昭和58)年に、女性による、女性のための詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊。数々の女性詩人を世に送り出した。現代詩における女性の感情と表現の可能性を切り拓いた先駆者として、その詩は今も読み継がれている。
【文学の部屋|吉原幸子】昭和時代編.176
Read more
1930-を生きるノンフィクション作家。幼少期に満洲へ移住。敗戦後の引き揚げ体験が後の作品に深く影響を与える。早稲田大学卒業後、中央公論社編集者を経て、1972(昭和47)年「妻たちの二・二六事件」で作家デビュー。以後「火はわが胸中にあり(1978)」「滄海よ眠れ(1986)」など、昭和史・戦争・女性の生き方をテーマに綿密な取材と史実に基づく作品を多数発表。菊池寛賞、日本ノンフィクション賞、朝日賞など受賞歴多数。社会的発言にも積極的で、「九条の会」呼びかけ人など戦争の悲劇と平和の尊さを訴え、現在も活動を続ける。
【文学の部屋|澤地久枝】昭和時代編.173
Read more
1930-2007を生きた小説家。戦前は海軍軍医の父の転勤に伴い各地を転々とする。津田塾大学英文学科卒業後、夫の赴任先アラスカで執筆を開始。1968(昭和43)年、アラスカの風土に生きる男女を描いた「三匹の蟹」で芥川賞を受賞し文壇に登場。その後、女学生時代に広島で原爆投下後の救援活動に従事し、その惨状体験を生かした「浦島草(1977)」などの神話的な世界観や、超越した人間描写で、数々の作品を手がけた。1987年から約10年間、芥川賞初の女性選考委員を務めた。本名は美奈子。
【文学の部屋|大庭みな子】昭和時代編.172
Read more
1929-1981を生きた脚本家、小説家でありエッセイスト。父の転勤に伴い全国を転々とする中で、鹿児島での生活を「文学の原点」と語る。実践女子専門学校卒業後、映画雑誌編集者を経て、1958(昭和33)年に、シナリオライター集団Zプロに参加後、ラジオ・テレビの脚本執筆に携わる。「寺内貫太郎一家(1974)」「阿修羅のごとく(1979)」など、庶民の生活を温かく、時に鋭く描いたホームドラマで一世を風靡し、倉本聰、山田太一と並び「シナリオライター御三家」と称された。エッセイ「父の詫び状(1978)」や短編小説集「思い出トランプ(1980)」で文筆家としても高く評価される。翌年、台湾取材中の航空機事故により急逝。享年51。日常の陰影を繊細に描き、昭和の家庭と人間模様を刻んだ文学家であった。
【文学の部屋|向田邦子】昭和時代編.171
Read more
1929-2011を生きた詩人であり童話作家。東京芸術大学油絵科卒業後、画家を志すも、夫となる谷川俊太郎の影響により、茨木のり子の主宰した詩誌「櫂」の同人となり詩作に転向し「忘れた秋(1955)」を発表した後に離婚。その後、芸大同級生の中谷千代子とのコンビで絵本にも関わり、「かばくん(1962)」を発表した。詩人の田村隆一と結婚離婚後に発表した「かえってきたきつね(1973)」も代表作の一つ。また「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「赤毛のアン」など、テレビアニメの主題歌作詞でも知られ、優しく詩情豊かなことばのリズムで子どもたちの心を捉えた。父は、劇作家岸田国士。
【文学の部屋|岸田衿子】昭和時代編.170
Read more
1914-1989を生きた詩人。結婚・引揚を経て詩作を開始。1960(昭和35)年から3年間、朝日新聞家庭欄に日常生活に根ざした平易な作風で詩を連載し大きな反響となり「月曜日の詩集(1962)」としてまとめられた。その後詩誌「野火(1966)」を創刊・主宰し、全国800人以上の会員を擁する詩のネットワークを築いた。合唱曲の作詞も手がけている。
【文学の部屋|高田敏子】昭和時代編.167
Read more
1910-1998を生きた随筆家。幼少期から能や古典芸能に親しみ、アメリカ留学を経て、白洲次郎と結婚。戦前は、志賀直哉、柳宗悦に勧められ「お能(1943)」で随筆家の道を歩み始める。戦後、小林秀雄の影響受けながら、日本の伝統文化の深層を探る著作として「栂尾高山寺明恵上人(1967)」や「かくれ里(1971)」などを発表。古典文学・仏教美術・民俗文化を独自の視点で数多く手がけた。日本文化の深層を現代に伝える語り部として、今もその言葉は読み継がれている。また、当時は女人禁制とされていた能舞台に女性演者として初めて立ったことでも、名を刻んでいる。夫は、白洲次郎。
【文学の部屋|白洲正子】昭和時代編.166
Read more
1909-2002を生きた歌人。佐佐木信綱に師事した父に影響を受け、若山牧水の勧めにより「心の花」に短歌を発表。その後モダニズムに向かうも、父などが影響を受けた1936(昭和11)年の二・二六事件後は、この事件を題材にした。これらの作品は、第一歌集「魚歌(1940)」に収められている。戦後は、疎開先での暮らしなどを綴った「歌のゆくへ(1953)」、夫と母の介護を綴った「ひたくれなゐ(1976)」などを発表し、現代短歌に大きな足跡を残す。1997(平成9)年には、宮中御歌会始の召人をつとめた。
【文学の部屋|斎藤 史】昭和時代編.165
Read more
1908-2000を生きた 劇作家であり小説家。東京女子高等師範学校(現、お茶の水女子大学)在学中に岡本綺堂主宰の演劇雑誌「舞台」に戯曲を投稿。卒業後、聖心女子学院で教職を経て、菊池寛主宰の戯曲研究会に入る。戦後、一幕の対話劇「京都の虹(1950)」「鋏(1955)」など男女の愛憎や人生の機微を描いた作品を手がけた。カトリックの洗礼を受けたのちも、映画シナリオや小説などを数多く著した。登山愛好家としても知られ随筆集「花の百名山」を綴っている。夫は、同じく劇作家の田中千禾夫。
【文学の部屋|田中澄江】昭和時代編.164
Read more
1905-1986を生きた 小説家であり劇作家。幼少期から家族の影響で古典文学や歌舞伎に親しむ。その後、演劇雑誌歌舞伎に戯曲「ふるさと(1926)」を投稿。「晩春騒夜(1928)」を女人芸術に発表し、築地小劇場で初演を飾った。のちに小説に転じ、戦後「ひもじい月日(1953)」など、抑圧された女性の自我と官能美を描く作品を次々に発表。正宗白鳥 などの賞賛にあう。以後、「朱を奪うもの(1955~56)」「なまみこ物語(1959~61)」など、観念性が強い作風で知られた。古典への造詣も深く、1972-73年に現代語訳「源氏物語」を完成させ古典と現代文学の架け橋を築いた。1985(昭和60)年に文化勲章受章。本名は圓地富美。
【文学の部屋|円地文子】昭和時代編.161
Read more
1903-1987を生きた小説家でありエッセイスト。文豪森鷗外の長女として、父の溺愛を受けて育つ。仏英和高等女学校卒業後、フランス文学者山田珠樹と結婚し渡仏、滞欧中に父の死を知る。二度の離婚を経て、戦後は世田谷で独居生活を送りながら室生犀星に師事し文筆に専心。1957(昭和32)年、父森鴎外を回想したエッセイ集「父の帽子」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。その後、同性愛をテーマとした「恋人たちの森(1961)」、父への想いをテーマとした「甘い蜜の部屋(1965~75)」など幻想的で耽美な世界を描く作品を発表。独特の文体と世界観から放つ作風は、昭和文学に色濃く刻まれている。
【文学の部屋|森 茉莉】昭和時代編.155
Read more
1899-1951を生きた小説家。東京女子師範附属高女から日本女子大学英文科に進みんだ1916(大正5)年、17歳で「貧しき人々の群」を坪内逍遥の推薦で中央公論に発表し天才少女と注目される。これを契機に大学を中退し作家生活に入り、代表作の一つ、米国留学後、結婚・離婚の体験を「伸子(1928)」を綴った。1927年からソ連に渡り、共産主義思想に傾倒し帰国後、日本プロレタリア文学運動に参加し、共産党員の宮本顕治と結婚後、弾圧下で検挙・執筆禁止を繰り返しながら創作を続ける。戦後は「歌声よ、おこれ(1946)」などで民主主義文学運動の先頭に立った。女性の自立と社会変革を描き続け、その生涯は日本の近代文学史にその名を刻む文学家であった。本名は宮本ユリ。
【文学の部屋|宮本百合子】昭和時代編.151
Read more
1885-1967を生きた歌人であり教育者。華族の家系に生まれ、波瀾万丈の青年期を送る。成年期に入り、佐佐木信綱に短歌を学び、1915(大正4)年に第一歌集「踏絵」を自らの手で世に送り出した。その後、社会の諸相を鋭く捉えた情熱的な歌風で人々の注目を集めた。戦後も歌集の刊行を続け、平和への願いを込めた活動にも力を注ぐ。波乱の生涯を通じて近代短歌と女性解放運動に大きな足跡をいまも残している。本名は、宮崎燁子(あきこ)。
【文学の部屋|柳原白蓮】大正時代編.51
Read more
1884-1945を生きた小説家。日本女子大学校国文科を中退後、幸田露伴に師事し、1903(明治36)年に「露分衣」を発表。女優として舞台に立つ時期もあったが、夫の勧めで1911(明治44)年に大阪朝日新聞懸賞小説「あきらめ」で一等当選し文壇に登場。以後、「木乃伊の口紅(1913)」「炮烙の刑(1914)」など、鋭敏で豊かな官能感覚と、複雑な女性心理を描く作品は人気を博した。破天荒な生活、そしてスキャンダラスな恋愛や海外生活を送るも、女性の自立や愛の相克をテーマにした作品で、近代文学に新風を吹き込んだ。その人生を瀬戸内晴美(のちの寂照)が描いた「田村俊子(1961)」は第一回田村俊子賞を受賞している。本名は佐藤とし。
【文学の部屋|田村俊子】大正時代編.51
Read more
1879-1941を生きた劇作家であり小説家。寺小屋教育を受けた後、佐佐木信綱に師事、その後文筆生活に入り、1901(明治34)年に短編小説「うづみ火」を「女学世界」に投稿し文壇に登場。1905(明治38)年、狂女の悲恋を描いた戯曲「海潮音」が読売新聞懸賞で坪内逍遙に認められ特選となり、新富座で上演される。以後「覇王丸」「操(さくら吹雪)」など舞踊劇で女流劇作家として地位を確立。大正期には女性評伝「美人伝」を執筆。また1928(昭和3)年には雑誌「女人芸術」を復刊し、林芙美子や円地文子ら多くの女性作家を世に送り出し、近代日本における女性の文筆活動の礎を築いた。本名は長谷川ヤス。
【文学の部屋|長谷川時雨】明治時代編.44
Read more
1872-1896を生きた小説家。東京府の下級官吏の家に生まれ、幼少期から読書好きで才気に富む。1886(明治19)年14歳で中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、和歌や古典文学を学ぶ。父と兄の相次ぐ死により家督を継ぎ、生活苦の中で母と妹を養うため筆を取る。半井桃水に師事し、1892(明治25)年に処女作「闇桜」を「武蔵野」に発表。その後、波乱に満ちた道を歩みながら「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」「たけくらべ」などを、1894(明治27)年から1年強の月日で秀作5作品を発表し、森鴎外や幸田露伴らに絶賛される。女性作家として初めて文壇の中心に立ち、近代文学に新風を吹き込むも、肺結核により24歳で早世。没後公開された「一葉日記」も高く評価され、近年では五千円札の肖像にも選ばれている。本名は樋口奈津。
【文学の部屋|樋口一葉】明治時代編.43
Read more
1927-2011を生きた小説家であり精神科医。父は歌人で精神科医の斎藤茂吉。東北大学医学部卒業。精神科医として勤務する傍ら、1954(昭和29)年に「幽霊」を自費出版し文壇デビュー。1960(昭和35)年、水産庁調査船の船医体験をもとにした「どくとるマンボウ航海記」で人気を博し、このシリーズはエッセイ文学の金字塔とされ、精神疾患や躁うつ病との向き合いも作品に反映された。同年「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。その後、斎藤家3代を綴った「楡家の人びと(1964)」などを発表し、ユーモアと哀愁を織り交ぜた作風で幅広い読者に親しまれた。 父・茂吉の評伝四部作「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」で大佛次郎賞を受賞。文学と精神医療の架け橋としても注目された。本名は斎藤宗吉。
【文学の部屋|北 杜夫】昭和時代編.140
Read more
1926-2011を生きた小説家であり評論家。東京帝国大学法学部卒業後、日本銀行に入行するも、結核を患い退職。療養中に日本共産党、その後新左翼陣営に転じて共産主義労働者党を結成。ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)や思想の科学研究会などで活動を行う。文学家として、戦後に同人誌「世代」の創刊に参加。1961年、太平洋戦争下を背景にした長編小説「斥候よ、夜はなお長きや」を発表。以後、思想・文化・政治を横断する評論活動を展開し、「アメリカの英雄(1965)』などを刊行。また、東大で机を並べた三島由紀夫の自決一ヶ月後、「三島由紀夫(1970)」を刊行し話題をさらった。本名は飯田桃。
【文学の部屋|いいだ もも】昭和時代編.138
Read more
1926-1997を生きたSF作家。東京大学農学部卒。大学院在学中に父の急逝により星製薬の社長に就任するも、経営難から退任。その後、1957(昭和32)年に短編「セキストラ」で作家デビュー。以後、「ボッコちゃん(1971)」など、奇抜な発想と意外な結末をもつショートショートを多数発表し、SF文学の第一人者として不動の地位を築いた。1968(昭和43)年には「妄想銀行(1967)」で日本推理作家協会賞を受賞。1983年10月には目標としていたショートショート1001編を達成し、以後は若手作家の育成やエッセイ執筆に注力。没後2013(平成25)年、日本経済新聞主催「星新一賞」が創設され、その精神はいまもなお受け継がれている。本名は星 親一。
【文学の部屋|星 新一】昭和時代編.137
Read more

沖縄県
Okinawa

該当の投稿はありません。

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

42長崎県
1861-1926を生きた小説家でありジャーナリスト。若くして東京に出たのち、新聞社をわたりあるき、1888(明治21)年に東京朝日新聞記者となり、その後新聞小説を担当し、明治期の日本と朝鮮を舞台にした「胡沙吹く風(1891)」などで人気を博した。また、日露戦争にも記者として従軍している。そして、樋口一葉の師として、影響を与えた。またその関係は文学史にその名を刻んでいる。本名は半井 冽(きよし)。
【文学の部屋|半井桃水】明治時代編.46New!!
13東京都
1837-1884を生きた詩人、随筆家でありジャーナリスト。幕末には奥儒者として将軍家定・家茂に経学を講じ、「徳川実紀」の編纂にも携わったが、狂詩で幕府重鎮の反感を浴び失職。その後、柳河春三らから洋学を学ぶ。維新後は隠棲を経て、明治五年から六年にかけて欧米を歴訪し、その見聞を「航西日乗(1881)」に記した。また、柳橋の花街を描いた漢文随筆集「柳橋新誌(1874~)」も著している。1874年からは「朝野新聞」の主筆に迎えられ言論界を牽引、政府の言論弾圧に抗して新聞界草創期に大きな足跡を残した。その筆で、文明開化の風潮に鋭い批評を加え、伝統の美意識を守り続け、永井荷風らに大きな影響を与えた。
【文学の部屋|成島柳北】明治時代編.45
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery