紀 貫之





Ki no Tsurayuki(870年ごろ-945)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは平安時代に活躍した文学者

紀 貫之 をお楽しみください

紀 貫之
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんでは文学の部屋より平安時代に活躍した文学者として紀 貫之イラストポートレートをお届けします

特集中の文学者たち
飛鳥時代から昭和時代をお届けしています

シューちゃん

飛鳥時代に活躍した文学者↓

室町・桃山時代に活躍した文学者↓

これまでの公開中の文学者はこちら↓

文学の部屋 Literature

紀 貫之って

館長

紀 貫之にまつわるWeb Siteを取り上げましたので、ご参考に!

シューちゃん

前回のページも参照してね

870年ごろ-945を生きた文学家であり歌人、そして貴族。自身が土佐守の任期を終え、934(承平4)年12月に高知県土佐の官舎を出て、翌年2月に平安京の自邸へ帰り着くまでの旅を、和歌まじりにつづった旅日記を土佐日記として綴る。また自身を女性に見立て、仮名散文で個人的心情を吐露し仮名日記の最初の作品として日本文学史上に大きな足跡を残した。そして最大の偉業は、伝統的な和歌を自覚的な言語芸術として定立し、公的な文芸である漢詩と対等な地位に押し上げた古今集の撰進であり、国風文化の推進・確立を果たした。三十六歌仙のひとり。
【文学の部屋|紀 貫之】日記文学の祖
館長

前回公開のページで和歌混じりで綴った土佐日記について簡単にご紹介していますので、ぜひお立ち寄りください

館長

そして、現代で和歌といえば新年の恒例行事の「歌会始」ですね

シューちゃん

毎年、楽しみにしている人も多いよね!

館長

では、簡単に「歌会始」のご紹介です

歌会始(うたかいはじめ)へ詠進(応募)してみては?

歌会始について綴ってみましたのでぜひご参考ください

歌会始について

Information

令和8年歌会始のお題は「明」
9月30日(火)の消印まで有効です

歌会始って?

天皇皇后両陛下の御前で、一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人めしうどの歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌みうたと続き、最後に御製ぎょせい披講ひこうされます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され、文部科学大臣、日本芸術院会員、選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。(宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

POINT
1

令和7年の歌会始はいつだったの?

2025年1月22日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

令和6年の歌会始はいつだったの?

2024年1月19日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

令和5年の歌会始はいつだったの?

2023年1月18日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

POINT
2

令和7年のお題は?

令和7年のお題は「夢」

海外も含めて約1万6000首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届きました
※詠進歌…宮中に歌を奉るって意味が込められている

その中で10首が選ばれて、宮崎県延岡市の高校1年生・森山文結さん(16)が今回の最年少で選ばれたってニュースになっていました
入選歌 ペンだこに うすく墨汁 染み込ませ 掠れたと いふ字を見てる

そして、愛子さまが歌会始に初出席でも話題になりました

令和6年のお題は?

令和6年のお題は「和」

海外も含めて1万5270首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届きました

その中で10首が選ばれて、新潟県新潟市の 東京学館新潟高校2年生・神田日陽里さん(17)が今回の最年少で選ばれたとニュースになっていました
入選歌 「それいいね」付雷同の私でもこの恋だけは自己主張する

令和5年のお題は?

令和5年のお題は「友」

海外も含めて約1万5000首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届きました

その中で10首が選ばれて、山梨県北杜市の甲陵中学校2年生・小宮山碧生さん(14)が最年少で選ばれたとニュースになっていました
入選歌 の呼ぶ僕のあだ名はわるくない他のやつには呼ばせないけど

POINT
3

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和7年)

天皇陛下 旅先に出会ひし子らは語りたる 目見(まみ) 輝かせ未来の

皇后陛下 三十年(みそとせ)へて 君と訪(と)ひたる 英国の 学び舎に思ふ かの日々の

秋篠宮さま 初に何を見たのか思ひ出でむ幼き頃の記憶おぼろ

秋篠宮紀子さま 絲と針中にオヤを編む先に二つ三つと野の花が咲く

愛子さま 我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの

佳子さま キャンバスに中になりて描きゐしかの日のことはなほあざやかににゆらるる

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和6年)

天皇陛下 をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心みぬ

皇后陛下 広島をはじめて訪ひて平への深き念ひを吾子は綴れり

秋篠宮さま 早朝の十田の湖面に映りゐし色づき初めし樹々の紅葉

秋篠宮紀子さま 鹿児島に集ふ選手へ子らの送る熱きエールに場はみたり

愛子さま 幾年の難き時代を乗り越えて歌のことばは我に響きぬ

佳子さま 待ちわびし木々の色づき赤も黄も小春日の風にゆらるる

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和5年)

天皇陛下 コロナ禍にと楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み

皇后陛下 皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき

秋篠宮さま 彼方此方(をちこち)をらと共に行巡(ゆきめぐ)り聞き初(そ)めしことに喜びありぬ

秋篠宮紀子さま 春楡(はるにれ)の卓の木目を囲みつつらと語る旅の思ひ出

愛子さま もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔との家路

佳子さま 卒業式にと撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に

POINT
4

歌会始で出てくる召人って?

天皇陛下から特別に選ばれ、歌会始に招かれて和歌を披露される方を指す

2023年は歌人の小島ゆかりさんが召人に選ばれています
 召人 旧友のごとくなつかしあかねさす夕陽の丘に犬とゐる人

2024年は歴史学者の栄原永遠男さんが召人に選ばれています
 召人 歌木簡かかげ三十一文字をよむ温き響きに座はみたり

2025年は国文学者の三田村雅子さんが召人に選ばれています
 召人 一人寝の夜の寝覚のさびしさにみじかきのかけらを拾ふ

POINT
5

令和8年の詠進要領が宮内庁から発表されました

※令和9年度のお題は次回の「歌会始」で発表されます

歌会始に来年のお題が発表されるんだ

そのお題は「明」

宮内庁の歌会始の詠進要領(令和8年)によると…お題は「めい」ですが、歌に詠む場合は「明」の文字が詠み込まれていればよく、「鮮明」、「文明」、「明星」のような熟語にしても、また、「明るい」のように訓読しても差し支えありません。とのこと。(宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

そして何より、詠進(応募)方法が古風なところが凄い!

POINT
6

どんな方法で詠進(応募)するの?

宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

半紙を用意

半紙は横長に置きます
※海外から詠進する場合は、用紙は随意(但、半紙サイズ24㎝ × 33㎝の横長)とし、毛筆でなくても差し支えありません。

STEP
1

半紙の右半分にお題と短歌を

左半分は郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがな)、生年月日、性別、職業を縦書きで書く
※無職の場合は、「無職」と書いてください(以前に職業に就いたことがある場合には、なるべく元の職業を書いてください)。なお、主婦の場合は、単に「主婦」と書いても差し支えありません。

STEP
2

いずれも毛筆自筆で書く

病気又は身体障害のため毛筆にて自書することができない場合は下記によることができます。

  1. 代筆(墨書)による。代筆の理由、代筆者の住所及び氏名を別紙に書いて詠進歌に添えてください。
  2. 本人がワープロやパソコンなどを使用して印字する。この場合、これらの機器を使用した理由を別紙に書いて詠進歌に添えてください。
  3. 視覚障害の方は、点字で詠進しても差し支えありません。
STEP
3

郵送は

封筒に郵便番号100-8111、宮内庁と下記、「詠進歌」と書き添えてください。
※詠進歌は、小さく折って封入して差し支えありません。

STEP
4

注意事項もあります

次の場合には、詠進歌は失格となります。

  1. お題を詠み込んでいない場合・短歌の定型でないもの又用紙が縦長の場合
  2. 一人で二首以上詠進した場合や毛筆でない場合
  3. 詠進歌が既に発表された短歌と同一又は著しく類似した短歌である場合
  4. 詠進歌を歌会始の行われる以前に、新聞、雑誌その他の出版物、年賀状等により発表した場合
  5. 詠進歌の詠進要領4に記した代筆の理由書を添えた場合を除き、同筆と認められるすべての詠進歌
  6. 住所、電話番号、氏名、生年月日、性別、職業を書いていないものその他この詠進要領によらない場合
STEP
5
POINT
7

詠進(応募)期間は?

お題発表の日(2025年1月22日)から9月30日(火)まで
※消印が9月30日までのものを有効です

POINT
8
ばしょう

わしも詠進してみたかった…

1644-1694を生きた俳諧の連歌師は松永貞徳門下、北村季吟の門より松永貞徳を祖とする俳諧流派であった貞門派、西山宗因らの俳諧流派、談林派をあゆみ、幽玄・閑寂といった趣の匂付に重きをおいた蕉風(正風)を確立、俳諧の連歌(現在の俳句)を芸術文学へと導く。
【江戸文学|俳諧の連歌】「松尾芭蕉」俳句を芸術へ

文学者・新着偉人(It's New)はこちらから

17石川県
1873-1941を生きた評論家でありジャーナリスト。東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、博文館や大阪毎日新聞、大阪朝日新聞などを経て、1910(明治43)年に「信濃毎日新聞」主筆に就任。1912(大正元)年、乃木希典の殉死を批判した社説「陋習打破論」で注目を集める。昭和期には軍国主義の台頭に抗し、1933(昭和8)年に発表した「関東防空大演習を嗤ふ」は、東京空襲の惨状を予見した鋭い論説であったが、軍部の圧力により退社に追い込まれた。その後、名古屋で個人雑誌「他山の石(1934-41)」を発行し、検閲と発禁処分に抗しながら反軍・反権力の言論を貫いた。死の直前まで「言わねばならないこと」を書き続け、太平洋戦争開戦の3か月前、喉頭癌により68歳で逝去。その不屈の姿勢は「抵抗の新聞人」として語り継がれている。本名は桐生政次。
【文学の部屋|桐生悠々】大正時代編.57New!!
23愛知県
1863-1927を生きた地理学者、政治家であり評論家。札幌農学校卒業後の1886(明治21)年、ダーウィンに倣って海軍練習船に便乗。太平洋やオセアニア各地を歴訪。この経験をまとめた「南洋時事(1887)」が注目を集める。その後、1894(明治27)年に著した「日本風景論」は、日本の自然美を科学と美学の両面から論じ、国民に風景の価値を啓発した文学的地景論であり、同年(1894)に内村鑑三によって著された「地理学考」とともに明治の二大地理書として歴史に名を残している。その後も、世界各地に足を運び、新聞や雑誌での評論活動を行うかたわら、国政でも活躍した。
【文学の部屋|志賀重昂】明治時代編.47New!!
42長崎県
1861-1926を生きた小説家でありジャーナリスト。若くして東京に出たのち、新聞社をわたりあるき、1888(明治21)年に東京朝日新聞記者となり、その後新聞小説を担当し、明治期の日本と朝鮮を舞台にした「胡沙吹く風(1891)」などで人気を博した。また、日露戦争にも記者として従軍している。そして、樋口一葉の師として、影響を与えた。またその関係は文学史にその名を刻んでいる。本名は半井 冽(きよし)。
【文学の部屋|半井桃水】明治時代編.46New!!
13東京都
1837-1884を生きた詩人、随筆家でありジャーナリスト。幕末には奥儒者として将軍家定・家茂に経学を講じ、「徳川実紀」の編纂にも携わったが、狂詩で幕府重鎮の反感を浴び失職。その後、柳河春三らから洋学を学ぶ。維新後は隠棲を経て、明治五年から六年にかけて欧米を歴訪し、その見聞を「航西日乗(1881)」に記した。また、柳橋の花街を描いた漢文随筆集「柳橋新誌(1874~)」も著している。1874年からは「朝野新聞」の主筆に迎えられ言論界を牽引、政府の言論弾圧に抗して新聞界草創期に大きな足跡を残した。その筆で、文明開化の風潮に鋭い批評を加え、伝統の美意識を守り続け、永井荷風らに大きな影響を与えた。
【文学の部屋|成島柳北】明治時代編.45New!!

文学の部屋へようこそ

出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery文学の部屋literature
文学の部屋 Literature

文学の部屋Literatureへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

17石川県
1873-1941を生きた評論家でありジャーナリスト。東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、博文館や大阪毎日新聞、大阪朝日新聞などを経て、1910(明治43)年に「信濃毎日新聞」主筆に就任。1912(大正元)年、乃木希典の殉死を批判した社説「陋習打破論」で注目を集める。昭和期には軍国主義の台頭に抗し、1933(昭和8)年に発表した「関東防空大演習を嗤ふ」は、東京空襲の惨状を予見した鋭い論説であったが、軍部の圧力により退社に追い込まれた。その後、名古屋で個人雑誌「他山の石(1934-41)」を発行し、検閲と発禁処分に抗しながら反軍・反権力の言論を貫いた。死の直前まで「言わねばならないこと」を書き続け、太平洋戦争開戦の3か月前、喉頭癌により68歳で逝去。その不屈の姿勢は「抵抗の新聞人」として語り継がれている。本名は桐生政次。
【文学の部屋|桐生悠々】大正時代編.57New!!
23愛知県
1863-1927を生きた地理学者、政治家であり評論家。札幌農学校卒業後の1886(明治21)年、ダーウィンに倣って海軍練習船に便乗。太平洋やオセアニア各地を歴訪。この経験をまとめた「南洋時事(1887)」が注目を集める。その後、1894(明治27)年に著した「日本風景論」は、日本の自然美を科学と美学の両面から論じ、国民に風景の価値を啓発した文学的地景論であり、同年(1894)に内村鑑三によって著された「地理学考」とともに明治の二大地理書として歴史に名を残している。その後も、世界各地に足を運び、新聞や雑誌での評論活動を行うかたわら、国政でも活躍した。
【文学の部屋|志賀重昂】明治時代編.47
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery