柿本人麻呂





Kakinomoto no Hitomaro( 出没年不明)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは飛鳥時代に活躍した文学者

柿本人麻呂 をお楽しみください

柿本人麻呂
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんでは文学の部屋より飛鳥時代に活躍した文学者として柿本人麻呂イラストポートレートをお届けします

特集中の文学者たち
飛鳥時代から昭和時代をお届けしています

シューちゃん

飛鳥時代に活躍した文学者↓

室町・桃山時代に活躍した文学者↓

これまでの公開中の文学者はこちら↓

文学の部屋 Literature

柿本人麻呂って

館長

柿本人麻呂にまつわるWeb Siteを取り上げましたので、ご参考に!

シューちゃん

前回のページも参照してね

出没年不明 飛鳥時代を生きたと思われる文学家であり歌人。人物像は主に作品から推測され、皇子や皇女の死に際しての挽歌や、天皇の行幸に供奉して詠んだ歌が多いことから、宮廷に仕えた宮廷歌人であったと考えられている。柿本人麻呂と明記された歌は万葉集に長歌16首、短歌67首を数え、柿本人麻呂歌集では長短含めて約370首が収められている。皇室関係、自然、旅、死、恋愛などを題材にした雄渾な作風で知られ、のちに、山部赤人と共に歌聖と称されている。
【文学の部屋|柿本人麻呂】謎だらけの歌聖
館長

ではシューちゃん、柿本人麻呂の作品が寄せられている万葉集について簡単に教えていただけますか?

シューちゃん

万葉集だね!
万葉集は、日本で最も古い歌集と言われ、今から1300年以上前の人々からの時を超えたメッセージが集まっているとも言えるね!

万葉集ができたのは、奈良時代っていう時代。天皇や皇族、そして貴族だけじゃなくて、農民とか兵士とか、いろんな立場の人がそれぞれの想いで歌を詠んだんだ。

全部で20巻もあって、約4500首もの歌が収録されてるんだ。歌の種類もいろいろあって、恋の歌(相聞歌)、誰かの死を悲しむ歌(挽歌)、その他いろいろな歌(雑歌)があるんだって。

館長

「雑歌」「相聞」「挽歌」については、こちらのページで簡単に紹介しています

700年ごろ-785を生きた歌人であり貴族。三十六歌仙のひとり。大伴旅人の長男として生まれ、多くの官職を歴任。歌人としては、日本最古の歌集である『万葉集』の全歌数4516首のうち473首の約10%の歌が掲載されていることから編者の一人とされている。その全20巻のうち巻17~巻19に自身の歌日記を残した。内訳は27年間の歌歴のうち、越中時代5年間の歌数が223首であるのに対し、それ以前の14年間は158首、以後の8年間は92首となっている。政治的な波乱の時代であり、多くの事件や政治闘争に巻き込まれ、759(天平宝字3)年新年の宴の歌を最後に785年の没するまでの約25年間歌を詠まなかったのか、残されていないのか、いまでも不明となっている。
【文学の部屋|大伴家持】万葉集を完結させた編者
シューちゃん

特に有名なのは、万葉集独特の力強い歌い方、「万葉調」とか「ますらをぶり」って呼ばれるもの。これは、「古今和歌集」など、後の時代の歌にもすごく影響を与えたんだって。今の音楽でいうと、ロックンロールがその後の音楽シーンに大きな影響を与えた、みたいな感じかな。

万葉集の歌は、時代によってちょっとずつ変わっていったんだ。大きく分けると4つの時期に分けられるんだって。

第一期(~672年の壬申の乱): まだ歌が口伝えだった頃から、個人の歌が作られるようになった頃。感情がストレートに表現されてるのが特徴だよ。有名な歌人に額田王(ぬかたのおおきみ)っていう人がいるよ。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(夕焼けに染まる紫の野原を行き、禁猟地を行く。番人は見ていないだろうか、あなたが袖を振るのを)っていう歌は、夕焼けの美しい景色と恋心を重ねた、とってもロマンチックな歌だねぇ。

第二期(~710年の奈良遷都): 歌を作るプロみたいな人が出てきて、歌の表現がレベルアップした時期。力強い歌が多いんだって。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)っていう人が有名だよ。「ささなみの志賀の唐崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ」(さざなみの立つ志賀の唐崎は無事であるけれども、都の人を乗せた舟を待ちわびていることだ)っていう歌は、都からの船を待つ気持ちを詠んだ歌だ。

第三期(~733年の山上憶良が没したと思われる年): 個性的な歌を作る人がたくさん出てきた時期。いろんな表現方法が出てきて、歌の世界が広がったんだって。山上憶良(やまのうえのおくら)っていう人が有名だよ。「験なきものを思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」(どうにもならないことをくよくよ考えないで、一杯のにごり酒でも飲んでいるのがよさそうだ)っていう歌は、人生についてちょっと考えさせられる歌かも。

第四期(~759年の万葉集が成立): 歌の技術は高くなったんだけど、万葉集らしい力強さがちょっと薄れてきた時期。大伴家持(おおとものやかもち)っていう人が有名だよ。「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも」(春の野に霞がたなびいて、なんとなく寂しい。この夕暮れの景色の中で鶯が鳴いている)っていう歌は、春の夕暮れの物悲しさを表現した歌に感じるよ。

他にも、東国(今の関東地方あたり)の農民が歌った歌(東歌)とか、兵士として遠い場所に送られた農民が故郷を思って歌った歌(防人歌)もあるんだ。当時の人々の生活や気持ちが伝わってくるね。

万葉集は、全部漢字で書かれていて、漢字を音や意味で使って日本語を表す「万葉仮名」っていう方法が使われているんだ。昔の人がどうやって言葉を表現していたのかが分かって、面白いよ!

万葉集は、昔の人たちの気持ちや暮らしを知るための、大切な宝物なんだ。ちょっと難しいかもしれないけど、歌の意味を調べてみたり、歌が作られた背景を想像してみたりすると、すごく面白い発見があると思うよ!

館長

万葉集は壮大な歌集ということがわかりました!

シューちゃん

その万葉集は、全部漢字で書かれていて、漢字を音や意味で使って日本語を表す「万葉仮名」っていう方法が使われているんだ。昔の人がどうやって言葉を表現していたのかが分かって、面白い!

そして万葉集は、昔の人たちの気持ちや暮らしを知るための、大切な宝物なんだ。ちょっと難しいかもしれないけど、歌の意味を調べてみたり、歌が作られた背景を想像してみたりすると、すごく面白い発見があるかもね!

館長

現代版の万葉集ではありませんが、それぞれの方々が寄せるこの年初め恒例行事も見逃せませんね!

シューちゃん

それって、これ!?

歌会始(うたかいはじめ)へ詠進(応募)してみては?

歌会始について綴ってみましたのでぜひご参考ください

歌会始について

Information

令和8年歌会始のお題は「明」
9月30日(火)の消印まで有効です

歌会始って?

天皇皇后両陛下の御前で、一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人めしうどの歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌みうたと続き、最後に御製ぎょせい披講ひこうされます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され、文部科学大臣、日本芸術院会員、選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。(宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

POINT
1

令和7年の歌会始はいつだったの?

2025年1月22日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

令和6年の歌会始はいつだったの?

2024年1月19日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

令和5年の歌会始はいつだったの?

2023年1月18日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

POINT
2

令和7年のお題は?

令和7年のお題は「夢」

海外も含めて約1万6000首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届きました
※詠進歌…宮中に歌を奉るって意味が込められている

その中で10首が選ばれて、宮崎県延岡市の高校1年生・森山文結さん(16)が今回の最年少で選ばれたってニュースになっていました
入選歌 ペンだこに うすく墨汁 染み込ませ 掠れたと いふ字を見てる

そして、愛子さまが歌会始に初出席でも話題になりました

令和6年のお題は?

令和6年のお題は「和」

海外も含めて1万5270首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届きました

その中で10首が選ばれて、新潟県新潟市の 東京学館新潟高校2年生・神田日陽里さん(17)が今回の最年少で選ばれたとニュースになっていました
入選歌 「それいいね」付雷同の私でもこの恋だけは自己主張する

令和5年のお題は?

令和5年のお題は「友」

海外も含めて約1万5000首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届きました

その中で10首が選ばれて、山梨県北杜市の甲陵中学校2年生・小宮山碧生さん(14)が最年少で選ばれたとニュースになっていました
入選歌 の呼ぶ僕のあだ名はわるくない他のやつには呼ばせないけど

POINT
3

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和7年)

天皇陛下 旅先に出会ひし子らは語りたる 目見(まみ) 輝かせ未来の

皇后陛下 三十年(みそとせ)へて 君と訪(と)ひたる 英国の 学び舎に思ふ かの日々の

秋篠宮さま 初に何を見たのか思ひ出でむ幼き頃の記憶おぼろ

秋篠宮紀子さま 絲と針中にオヤを編む先に二つ三つと野の花が咲く

愛子さま 我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの

佳子さま キャンバスに中になりて描きゐしかの日のことはなほあざやかににゆらるる

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和6年)

天皇陛下 をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心みぬ

皇后陛下 広島をはじめて訪ひて平への深き念ひを吾子は綴れり

秋篠宮さま 早朝の十田の湖面に映りゐし色づき初めし樹々の紅葉

秋篠宮紀子さま 鹿児島に集ふ選手へ子らの送る熱きエールに場はみたり

愛子さま 幾年の難き時代を乗り越えて歌のことばは我に響きぬ

佳子さま 待ちわびし木々の色づき赤も黄も小春日の風にゆらるる

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和5年)

天皇陛下 コロナ禍にと楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み

皇后陛下 皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき

秋篠宮さま 彼方此方(をちこち)をらと共に行巡(ゆきめぐ)り聞き初(そ)めしことに喜びありぬ

秋篠宮紀子さま 春楡(はるにれ)の卓の木目を囲みつつらと語る旅の思ひ出

愛子さま もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔との家路

佳子さま 卒業式にと撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に

POINT
4

歌会始で出てくる召人って?

天皇陛下から特別に選ばれ、歌会始に招かれて和歌を披露される方を指す

2023年は歌人の小島ゆかりさんが召人に選ばれています
 召人 旧友のごとくなつかしあかねさす夕陽の丘に犬とゐる人

2024年は歴史学者の栄原永遠男さんが召人に選ばれています
 召人 歌木簡かかげ三十一文字をよむ温き響きに座はみたり

2025年は国文学者の三田村雅子さんが召人に選ばれています
 召人 一人寝の夜の寝覚のさびしさにみじかきのかけらを拾ふ

POINT
5

令和8年の詠進要領が宮内庁から発表されました

※令和9年度のお題は次回の「歌会始」で発表されます

歌会始に来年のお題が発表されるんだ

そのお題は「明」

宮内庁の歌会始の詠進要領(令和8年)によると…お題は「めい」ですが、歌に詠む場合は「明」の文字が詠み込まれていればよく、「鮮明」、「文明」、「明星」のような熟語にしても、また、「明るい」のように訓読しても差し支えありません。とのこと。(宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

そして何より、詠進(応募)方法が古風なところが凄い!

POINT
6

どんな方法で詠進(応募)するの?

宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

半紙を用意

半紙は横長に置きます
※海外から詠進する場合は、用紙は随意(但、半紙サイズ24㎝ × 33㎝の横長)とし、毛筆でなくても差し支えありません。

STEP
1

半紙の右半分にお題と短歌を

左半分は郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがな)、生年月日、性別、職業を縦書きで書く
※無職の場合は、「無職」と書いてください(以前に職業に就いたことがある場合には、なるべく元の職業を書いてください)。なお、主婦の場合は、単に「主婦」と書いても差し支えありません。

STEP
2

いずれも毛筆自筆で書く

病気又は身体障害のため毛筆にて自書することができない場合は下記によることができます。

  1. 代筆(墨書)による。代筆の理由、代筆者の住所及び氏名を別紙に書いて詠進歌に添えてください。
  2. 本人がワープロやパソコンなどを使用して印字する。この場合、これらの機器を使用した理由を別紙に書いて詠進歌に添えてください。
  3. 視覚障害の方は、点字で詠進しても差し支えありません。
STEP
3

郵送は

封筒に郵便番号100-8111、宮内庁と下記、「詠進歌」と書き添えてください。
※詠進歌は、小さく折って封入して差し支えありません。

STEP
4

注意事項もあります

次の場合には、詠進歌は失格となります。

  1. お題を詠み込んでいない場合・短歌の定型でないもの又用紙が縦長の場合
  2. 一人で二首以上詠進した場合や毛筆でない場合
  3. 詠進歌が既に発表された短歌と同一又は著しく類似した短歌である場合
  4. 詠進歌を歌会始の行われる以前に、新聞、雑誌その他の出版物、年賀状等により発表した場合
  5. 詠進歌の詠進要領4に記した代筆の理由書を添えた場合を除き、同筆と認められるすべての詠進歌
  6. 住所、電話番号、氏名、生年月日、性別、職業を書いていないものその他この詠進要領によらない場合
STEP
5
POINT
7

詠進(応募)期間は?

お題発表の日(2025年1月22日)から9月30日(火)まで
※消印が9月30日までのものを有効です

POINT
8
ばしょう

わしも詠進してみたかった…

1644-1694を生きた俳諧の連歌師は松永貞徳門下、北村季吟の門より松永貞徳を祖とする俳諧流派であった貞門派、西山宗因らの俳諧流派、談林派をあゆみ、幽玄・閑寂といった趣の匂付に重きをおいた蕉風(正風)を確立、俳諧の連歌(現在の俳句)を芸術文学へと導く。
【江戸文学|俳諧の連歌】「松尾芭蕉」俳句を芸術へ

文学者・新着偉人(It's New)はこちらから

44大分県
1881-1945を生きた評論家、ジャーナリストであり中国研究者。早稲田大学中退後、1905(明治38)年北海タイムスの記者となり、翌年中国にわたり、「遼東新報」の記者などを行い、1913(大正2)年には「日華公論」主筆など、ジャーナリストとして当時の中国社会に強い関心を持ち、独自の視点から発信し続けた。1931(昭和6)年の満洲事変直後、関東軍が主導する支配の行方に対して懐疑的な立場をとり、「満州評論」を創刊し日本の大陸政策の問題点を鋭く指摘し続ける。敗戦直後の1945(昭和20)年10月、奉天(現、瀋陽)で病没。理想と現実の狭間で揺れた思想家として、戦前日本の言論史に特異な足跡を残した。代表的著作に「支那思想研究」「支那社会研究」などは、のちの中国研究に大きな布石となっている。
【文学の部屋|橘 樸】昭和時代編.194New!!
17石川県
1873-1941を生きた評論家でありジャーナリスト。東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、博文館や大阪毎日新聞、大阪朝日新聞などを経て、1910(明治43)年に「信濃毎日新聞」主筆に就任。1912(大正元)年、乃木希典の殉死を批判した社説「陋習打破論」で注目を集める。昭和期には軍国主義の台頭に抗し、1933(昭和8)年に発表した「関東防空大演習を嗤ふ」は、東京空襲の惨状を予見した鋭い論説であったが、軍部の圧力により退社に追い込まれた。その後、名古屋で個人雑誌「他山の石(1934-41)」を発行し、検閲と発禁処分に抗しながら反軍・反権力の言論を貫いた。死の直前まで「言わねばならないこと」を書き続け、太平洋戦争開戦の3か月前、喉頭癌により68歳で逝去。その不屈の姿勢は「抵抗の新聞人」として語り継がれている。本名は桐生政次。
【文学の部屋|桐生悠々】大正時代編.57New!!
23愛知県
1863-1927を生きた地理学者、政治家であり評論家。札幌農学校卒業後の1886(明治21)年、ダーウィンに倣って海軍練習船に便乗。太平洋やオセアニア各地を歴訪。この経験をまとめた「南洋時事(1887)」が注目を集める。その後、1894(明治27)年に著した「日本風景論」は、日本の自然美を科学と美学の両面から論じ、国民に風景の価値を啓発した文学的地景論であり、同年(1894)に内村鑑三によって著された「地理学考」とともに明治の二大地理書として歴史に名を残している。その後も、世界各地に足を運び、新聞や雑誌での評論活動を行うかたわら、国政でも活躍した。
【文学の部屋|志賀重昂】明治時代編.47New!!
42長崎県
1861-1926を生きた小説家でありジャーナリスト。若くして東京に出たのち、新聞社をわたりあるき、1888(明治21)年に東京朝日新聞記者となり、その後新聞小説を担当し、明治期の日本と朝鮮を舞台にした「胡沙吹く風(1891)」などで人気を博した。また、日露戦争にも記者として従軍している。そして、樋口一葉の師として、影響を与えた。またその関係は文学史にその名を刻んでいる。本名は半井 冽(きよし)。
【文学の部屋|半井桃水】明治時代編.46New!!

文学の部屋へようこそ

出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery文学の部屋literature
文学の部屋 Literature

文学の部屋Literatureへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

44大分県
1881-1945を生きた評論家、ジャーナリストであり中国研究者。早稲田大学中退後、1905(明治38)年北海タイムスの記者となり、翌年中国にわたり、「遼東新報」の記者などを行い、1913(大正2)年には「日華公論」主筆など、ジャーナリストとして当時の中国社会に強い関心を持ち、独自の視点から発信し続けた。1931(昭和6)年の満洲事変直後、関東軍が主導する支配の行方に対して懐疑的な立場をとり、「満州評論」を創刊し日本の大陸政策の問題点を鋭く指摘し続ける。敗戦直後の1945(昭和20)年10月、奉天(現、瀋陽)で病没。理想と現実の狭間で揺れた思想家として、戦前日本の言論史に特異な足跡を残した。代表的著作に「支那思想研究」「支那社会研究」などは、のちの中国研究に大きな布石となっている。
【文学の部屋|橘 樸】昭和時代編.194New!!
17石川県
1873-1941を生きた評論家でありジャーナリスト。東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、博文館や大阪毎日新聞、大阪朝日新聞などを経て、1910(明治43)年に「信濃毎日新聞」主筆に就任。1912(大正元)年、乃木希典の殉死を批判した社説「陋習打破論」で注目を集める。昭和期には軍国主義の台頭に抗し、1933(昭和8)年に発表した「関東防空大演習を嗤ふ」は、東京空襲の惨状を予見した鋭い論説であったが、軍部の圧力により退社に追い込まれた。その後、名古屋で個人雑誌「他山の石(1934-41)」を発行し、検閲と発禁処分に抗しながら反軍・反権力の言論を貫いた。死の直前まで「言わねばならないこと」を書き続け、太平洋戦争開戦の3か月前、喉頭癌により68歳で逝去。その不屈の姿勢は「抵抗の新聞人」として語り継がれている。本名は桐生政次。
【文学の部屋|桐生悠々】大正時代編.57
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

「いらすとすてーしょん」は5年目を迎えました。今年も、皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery