福永武彦





Takehiko Fukunaga(1918-1979)

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福永武彦
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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シューちゃん

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福永武彦って

館長

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シューちゃん

哲学的な作品にとどまらず、推理小説やSF小説まで手がけた文学家だったのだね

館長

この方々と、言葉の持つ美しさや論理性を追求した詩「マチネ・ポエティク」を結成しました

1918-1997を生きた小説家。東京帝国大学文学部最終学年で堀辰雄に師事。その後、加藤周一らと共に押韻定型詩の文学運動「マチネ・ポエティク」を起こす。戦時下から描き始めた「死の影の下に」を戦後1946(昭和21)年から発表し文壇に登場。第1次戦後派の旗手として注目を集める。 西洋文学と日本古典文学への深い造詣を持ち、プルーストや源氏物語などを独自の視点で読み解き、その後、漢文学や古典への関心を深め、詩・評論・評伝・随筆など多彩なジャンルで活躍した。
【文学の部屋|中村真一郎】昭和時代編.77
1919-2008を生きた評論家であり小説家。東京帝国大学医学部在学中より、中村真一郎らと共に押韻定型詩の文学運動「マチネ・ポエティク」を起こす。卒業後、血液学を専門とする医師として活動の傍ら、戦後は日米原爆影響合同調査団の一員として広島に赴き、被爆の実態を調査した経験をもつ。その後フランス留学を経て、医学から文化の見識を深める。帰国後、「日本文化の雑種性(1950)」などで日本文化の多様性を論じ、知識人として注目を集める。 1958(昭和33)年に医業を廃し、以後は執筆活動に専念する。国内外の大学で教鞭をとるなど日本文化と世界をつなぐ知の架け橋として、戦後日本の思想界に大きな足跡を残した。晩年は「九条の会」の呼びかけ人として平和憲法擁護の活動にも尽力。
【文学の部屋|加藤周一】昭和時代編.78
シューちゃん

「発光妖精とモスラ」は、中村真一郎に加えて、この人とも共著したんだよな

1918-1998を生きた小説家。慶應義塾大学文学部仏文科卒業後、戦時中の中国上海に渡り、武田泰淳らと交わる。敗戦後も現地に留用され、中国国民党宣伝部で徴用された経験を持つ。帰国後、作家活動を開始し、1951(昭和26)年に「広場の孤独」「漢奸」で第26回芥川賞を受賞。第2次戦後派作家と称される。戦後日本の歴史と国際社会を鋭く見つめる視点を持ち、南京事件を中国人の視点から歴史と人間存在の本質を問う戦後文学「時間(1953)」や、画家ゴヤの生涯を描いた「ゴヤ(1973~76)」、古典を現代に読み解く長編エッセイとなる「方丈記私記(1970)」など、歴史・思想・文化を横断する作品を多数発表した。
【文学の部屋|堀田善衛】昭和時代編.76
館長

小説家への道はこの方の勧めでした

1904-1953を生きた小説家。 東京帝国大学文学部国文科を卒業後、芥川龍之介や室生犀星に師事し、文学活動を展開。1926(大正15)年中野重治らと同人誌「驢馬」を創刊する。代表作には「聖家族(1930年)」などがあり、特に「風立ちぬ(1937)」は婚約者の死に触れた描いた作品として知られる。戦後は戦争末期に租界した軽井沢で、持病であった肺結核と闘病生活を送った。
【文学の部屋|堀 辰雄】昭和時代編.44

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19山梨県
1893-1968を生きた翻訳家・児童文学者。東洋英和女学校在学中に、学友の柳原白蓮とともに佐佐木信綱に文学を学ぶ。卒業後、英語教師を経て銀座の教文館で翻訳や編集に携わり、1919(大正8)年に村岡儆三と結婚後、出版社を創業。その後、長男を病で失ったことを契機に、英米児童文学の翻訳に専心し、1927(昭和2)年に、マーク・トウェイン作「王子と乞食」を翻訳し刊行される。以後、数々の翻訳を手掛け、戦火にも負けず翻訳を行なったモンゴメリ作「赤毛のアン」を1952(昭和27)年に出版。日本における青春文学の先駆的な作品となる。また、戦前はNHKラジオ「子供の新聞」でラジオのおばさんとして親しまれ、また戦後は婦人参政権運動や教育活動にも関与し、多方面で活躍した。本名は村岡はな。
【文学の部屋|村岡花子】昭和時代編.146New!!
44大分県
1885-1985を生きた小説家。明治女学校卒業後、夏目漱石門下であった英文学者、野上豊一郎と結婚。これを機に、漱石の指導を受け、1907(明治40)年に「ホトトギス」に発表した短編「縁」などで文壇デビュー。以後、写実と理知を基調に、女性の生き方や知識人の苦悩を描く作品を発表。代表作に、海難実話を基にした「海神丸(1922)」、女性の自立を描いた「真知子(1928-30)」や、戦前戦後にわたり綴った戦時下の知識層を重層的に描いた大河小説「迷路(1936-56)」は20年もの歳月をかけて完成させた。また歴史小説「秀吉と利休(1962-63)」は、政治家と芸術家との対立に、独自の視点を加えた大作。1971(昭和46)年文化勲章を受章。本名は野上ヤヱ。
【文学の部屋|野上弥生子】昭和時代編.145New!!
01北海道
1884-1962を生きた歌人でありキリスト教伝道者。北海道伊達のアイヌ名族に生まれ、幼名はフチ。7歳で英国人宣教師ジョン・バチェラーから洗礼を受け、実父の死去後、1906(明治39)年に養女となる。1908(明治41)年、養父母と渡英し、アイヌの現状について講演して注目を集め、カンタベリー大主教から伝道師に任命される。帰国後は北海道や樺太で布教活動を行い、アイヌの生活改善に尽力するも、同族の悲惨な状態を嘆き、それを短歌に託す。その作品が金田一京助に伝わり、1931(昭和6)年に歌集「若きウタリに」が刊行された。その人生は、アイヌ語・日本語・英語に通じ、文化の橋渡し役を果たし、晩年はジョン・バチェラーの遺品を守りつつ、民族の誇りを伝え続けた。
【文学の部屋|バチェラー八重子】昭和時代編.144New!!
35山口県
1903-1930を生きた童謡詩人。高等女学校卒業後、兄弟で文芸サロンを始め、1923(大正12)年、「みすゞ」名で「童話」「婦人倶楽部」などの雑誌に投稿し掲載され、西條八十に認められる。「お魚」など、自然や小さな命に寄り添う作品は、優しさとわかりやすさが特徴の詩風で人気を博したが、夫の束縛や病苦により断筆を余儀なくされ、娘の親権をめぐる絶望の末、1930(昭和5)年、26歳で自死。没後半世紀を経て約500編の遺稿が整理され、1984(昭和59)年に「金子みすゞ全集」として刊行を機に改めて評価され、今では教科書や合唱曲にも取り上げられるなど、日本を代表する童謡詩人として広く親しまれている。本名は金子テル。
【文学の部屋|金子みすゞ】大正時代編.53New!!

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19山梨県
1893-1968を生きた翻訳家・児童文学者。東洋英和女学校在学中に、学友の柳原白蓮とともに佐佐木信綱に文学を学ぶ。卒業後、英語教師を経て銀座の教文館で翻訳や編集に携わり、1919(大正8)年に村岡儆三と結婚後、出版社を創業。その後、長男を病で失ったことを契機に、英米児童文学の翻訳に専心し、1927(昭和2)年に、マーク・トウェイン作「王子と乞食」を翻訳し刊行される。以後、数々の翻訳を手掛け、戦火にも負けず翻訳を行なったモンゴメリ作「赤毛のアン」を1952(昭和27)年に出版。日本における青春文学の先駆的な作品となる。また、戦前はNHKラジオ「子供の新聞」でラジオのおばさんとして親しまれ、また戦後は婦人参政権運動や教育活動にも関与し、多方面で活躍した。本名は村岡はな。
【文学の部屋|村岡花子】昭和時代編.146New!!
44大分県
1885-1985を生きた小説家。明治女学校卒業後、夏目漱石門下であった英文学者、野上豊一郎と結婚。これを機に、漱石の指導を受け、1907(明治40)年に「ホトトギス」に発表した短編「縁」などで文壇デビュー。以後、写実と理知を基調に、女性の生き方や知識人の苦悩を描く作品を発表。代表作に、海難実話を基にした「海神丸(1922)」、女性の自立を描いた「真知子(1928-30)」や、戦前戦後にわたり綴った戦時下の知識層を重層的に描いた大河小説「迷路(1936-56)」は20年もの歳月をかけて完成させた。また歴史小説「秀吉と利休(1962-63)」は、政治家と芸術家との対立に、独自の視点を加えた大作。1971(昭和46)年文化勲章を受章。本名は野上ヤヱ。
【文学の部屋|野上弥生子】昭和時代編.145
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