2023 WORLD BASEBALL CLASSIC 開催記念

日本の野球のゆかりの人物を通じて侍ジャパンの活躍を応援しています

Congratulations on SAMURAI JAPAN
決勝進出決定
 3月22日(火) 8:00 JAPAN 3-2 AMERICA
準決勝進出決定
 3月21日(火) 8:00 JAPAN 6-5 MEXICO
準々決勝進出決定
 3月16日(木) 19:00 ITALY 3-9 JAPAN
POOL B (日本代表プール) 東京ドーム
 3月9日(木) 19:00 CHINA 1-8 JAPAN
 3月10日(金) 19:00 KOREA 4 vs 13 JAPAN
 3月11日(土) 19:00 CZECH REPUBLIC 2 vs 10 JAPAN
 3月12日(日) 19:00 JAPAN 7 vs 1 AUSTRALIA
※いずれも日本時間

「いらすとすてーしょん」2月推し偉人
SNSで広がる"バズる"俳句短歌
その現代の俳句短歌につながる文学革新を写生論を


通じて運動を展開した「正岡子規」をピックアップ
近代文学に革新をもたらした文豪をイラストポートレートでお楽しみください

正岡子規 Shiki Masaoka

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【文学の部屋|正岡子規】


俳句・短歌の革新に取り組みました


をお楽しみください

正岡子規イラストポートレート(Syusuke Galleryより

子規と陸羯南

1892年子規日本新聞社入社

しき

帝国大学(現:東京大学)在学中だった


1892(明治25)年に日本新聞社って


ところでお世話になり始めました

陸羯南登場

かつなん
しき

わたしの本名を呼んでいただけるのは


陸羯南(くが かつなん)社長


じゃないですか

かつなん

よくぞぉ、わ(私)の創設じた


日本新聞社の門を叩いてぐれたぁ!

しき

何をおっしゃられるのですが…
わたしが雇って欲しいと懇願して…

かつなん

そなだの叔父、加藤拓川(たくせん)と


わ(私)は親友だったきゃ、常規の


こどは〜よく聞いていだんだ〜な

叔父、加藤拓川に育てていただきました

しき

父、常尚はわたしが5歳のとき


他界してしまったので…

しき

叔父、加藤拓川は育ての親でして

かつなん

加藤拓川がら〜常規の文才を嫌ど


いうほど聞かされていだから〜な

しき

叔父はそんなことを言っていたの


ですかぁ

かつなん

わ(私)も常規の才能を認めていだから


入社してけだんずな

しき

これをきっかけに、わたしが描いた


近代文学への道が開くことに


なったんです

子規落第?

かつなん

はんで帝国大学さ学年末試験にな


落第したごとも功を奏してんぞ

しき

羯南社長…それをここでお話に


ならないでください…はずかしい…

かつなん

親友の漱石ぐんがら〜中退ば引き留め


されたって聞いだけんど…

きんのすけ

あいつは強情っ張りだからな…

かつなん

落第ばことをきっがけに中退じて、


文学革新に挑めたんじゃ〜はんで


良がったんだ〜な

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子規と日本新聞社

 日本新聞社って

わ(私)陸羯南よりお答えします

かつなん

陸羯南が日本新聞社を興し


主筆兼社長となる
1889(明治22年)年2月11日に


新聞「日本」を刊行

かつなん

明治25年12月1日の誌面

日本新聞は陸羯南により発行。明治25年12月1日付けの紙面。
子規記念博物館@愛媛県松山市


子規博ガイドシートNo.7より抜粋

 子規はそこで何をしたの?

ここは子規よりお答えします

しき

日本新聞社にお世話になリ


始めた1892(明治25)年に新聞


「日本」へかけはしの記を発表
この内容は前年明治24年に


松山への帰省時に寄り道した


木曽路の紀行を表したもの

獺祭書屋俳話発表

しき

それと同じ年に獺祭書屋俳話


いう俳句批評を載せました

しき

この獺祭書屋俳話は俳聖と


謳われた松尾芭蕉をターゲットに


したもの

松尾芭蕉登場

ばしょう

ご批判いただきありがとう

1644-1694を生きた俳諧の連歌師は松永貞徳門下、北村季吟の門より松永貞徳を祖とする俳諧流派であった貞門派、西山宗因らの俳諧流派、談林派をあゆみ、幽玄・閑寂といった趣の匂付に重きをおいた蕉風(正風)を確立、俳諧の連歌(現在の俳句)を芸術文学へと導く。
【江戸文学|俳諧の連歌】「松尾芭蕉」俳句を芸術へ
しき

こちらこそ失礼しました
でもこれがスタートになって


現代の俳句に繋がっているん


ですよ

ばしょう

それはわたしのコーナーで


少し学んだんだが…

しき

明治に入って俳諧は高尚な]古典


文化に押し上げられていました

ばしょう

俳諧は江戸のころ、浮き沈みが


結構あったのだが…

神となった芭蕉

しき

松尾芭蕉どのは神と崇められて


いたんですよ

ばしょう

なんとわたしが神?

しき

そうなんです

しき

芭蕉どのが神だとすると


庶民には手が届かないところに


俳諧があって…

しき

なので獺祭書屋俳話を発表する


必要があったんです

しき

とにかく当時の文学重鎮の


方々からの圧はすごいものが


ありましたけど…

文学革新への第一歩

しき

そして文学革新へ歩み出します

ばしょう

文学革新?

俳句は文学!

しき

まずは俳句を文学としました

ばしょう

なるほど

しき

そして後に気が付くのですが


写生を大事にしました

写生って?

ばしょう

写生って?
簡単にいうとどうなるの?

しき

俳句を作る人が見たものや


出来事を読む側が想像しやすく


するってことです

ばしょう

つまり雲の上の人ではなくて、


庶民にも手がとどくって感じか?

しき

そういう感じです

ばしょう

でもお主が一人で騒いでも


どうなるものかなぁ…

俳諧を研究する子規

しき

それでも諦めず…まずは


徹底的に俳諧を学びました

ばしょう

どうやって?

しき

鎌倉時代から遡り、残されて


いる数万首を分析してみました

ばしょう

ITもない時代に手作業だろうに…

しき

発句だけでもいいのでは…

俳句誕生

ばしょう

そうして発句を俳句と


したんじゃな

俳句の文学革新運動開始

しき

この発句だけの俳句の普及に


日本新聞社の誌面を活用しました

ばしょう

そういうことか!

しき

1894(明治27)年には日本新聞社


家庭向け新聞「小日本」が


発行されることになって…

ばしょう

その誌面を活用したんじゃな

しき

それに、その家庭向けの新聞


「小日本」の編集長にして


いただいていたので…

ばしょう

お主が編集長となれば


やりたい放題?

しき

誌面で募集した俳句や短歌を


取り上げたり


紀行文を載せて…

しき

わたしの描く文学革新の発表の


拠点としました

小日本は日本新聞社の家庭向けの新聞。編集長正岡子規が務めた。
子規記念博物館@愛媛県松山市


子規博ガイドシートNo.7より抜粋

 俳句だけでなく、短歌にも革新?

ここも子規よりお答えします