「いらすとすてーしょん」10月推し偉人
フランスが生んだFIFAワールドカップの父こと
「ジュール リメ 」氏をピックアップします!
訃報
2022年12月29日 ブラジルが生んだ
The King of football・サッカーの王様こと「ペレ」
氏の突然の訃報に際し、ご冥福を心より祈念
申し上げます
Congratulations!
36年ぶり3度目優勝おめでとう!アルゼンチン代表!!
感動をありがとう!
日本代表森保ジャパン!!
Congratulations!
2大会連続の決勝トーナメント進出!!
Jules Rimet ジュール リメ
ようこそ 10月推し偉人のコーナーへ
※フリーイラストポートレートと歴史の停車場
「いらすとすてーしょん」では毎月「推し偉人」
を特集しています
【2022W杯開催記念|ジュール リメ】10月推し
偉人 FIFAワールドカップの父 をお楽しみください
※いらすとすてーしょんでは、FIFAワールドカップの父を
アスリートの部屋よりお届けさせていただきます
- 1. #つながるからこそ超えて
いける〜新しい景色を2022〜 - 1.1. FIFAワールドカップカタール2022(2022年11月20日〜12月18日)
- 1.2. FIFAワールドカップカタール2022 グループE結果
- 2. FIFAワールドカップの父・
ご登場の前に… - 3. Jules Rimet イラストポートレート(Syusuke Galleryより )
- 4. ジュール リメの挑戦!
オリンピックではなくW杯を! - 4.1. 1900年第2回オリンピックでサッカー競技
始まる!? - 4.2. いざFAFAワールドカップへ
- 4.3. FAFAの特権
- 4.4. オリンピック・サッカー競技の成功から見出すリメ
- 4.5. ついにリメの夢FIFAワールドカップ開催へ
- 5. 1930年第1回ワールドカップ・
ウルグアイ大会開催 - 5.1. 第1回大会はウルグアイで開催
- 6. 日本はいつから
ワールドカップに参加? - 6.1. まずはサッカー日本代表の歴史について
- 6.2. 初めてのFIFAワールドカップアジア予選にエントリーも…
- 6.3. FIFA再加入
- 6.4. ついにううFIFAワールドカップ本大会出場へ
- 7. リメ、その後…
- 7.1. FIFAワールドカップを開催させた戦後のリメ
- 7.2. 舞台はカタールへ
- 8. では今回もそろそろこのコーナー「行こうフランス」
- 9. いらすとすてーしょん検索コーナー
#つながるからこそ超えて
いける〜新しい景色を2022〜
まずはこの話題から
FIFAワールドカップカタール2022
(2022年11月20日〜12月18日)
グループE
11月23日22:00 日本 2-1 ドイツ @Khalifa International Stadium
11月27日19:00 日本 0-1 コスタリカ @Ahmad Bin Ali Stadium
12月2日4:00 日本 2-1 スペイン@Khalifa International Stadium
いずれも日本時間
決勝トーナメント
12月6日0:00 日本 (1) 1-2 (3) クロアチア@Al Janoub Stadium
結果 日本代表ベスト16
詳細はJFA公式HPへ
FIFAワールドカップカタール2022 グループE結果
順位 | チーム名 | 勝点 | 勝 | 引 | 負 | 得点 | 失点 | 得失点 |
1 | 日本 | 6 | 2 | 0 | 1 | 4 | 3 | +1 |
2 | スペイン | 4 | 1 | 1 | 1 | 9 | 3 | +6 |
3 | ドイツ | 3 | 1 | 1 | 1 | 6 | 5 | +1 |
4 | コスタリカ | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 11 | -8 |
FIFAワールドカップの父・
ご登場の前に…
講談館柔道創始者の加納治五郎です
【発見アスリート|嘉納治五郎】柔道の父は日本オリンピックの祖
そしてIOC(世界オリンピック
委員会)日本初代委員も務めました
今回、いらすとすてーしょんより
「FIFAワールドカップの父」を
お届けするってことで、私が
ナビゲートします
懐かしいの!
IOCを創ったクーベルタンじゃ!
Coubertin クーベルタン フランス出身 1863-1937
フランス愛国主義者であり教育者はスポーツを通じて国力の増大、そして国際交流、世界平和のため近代オリンピック開催を提唱
IOC(国際オリンピック委員会)創設に尽力
クーベルタン男爵お久しぶりです
でも、今回はFIFAワールドカップの
話題なんですけど…
そうFIFAワールドカップじゃ
FIFAワールドカップ開催には
オリンピックがとっても関わっていたん
じゃ
そうでした!
ではFIFAワールドカップの父に
ご登場いただきましょう
わたしと同じフランス出身!
Jules Rimet イラストポートレート(Syusuke Galleryより )
ジュール リメの挑戦!
オリンピックではなくW杯を!
1900年第2回オリンピックでサッカー競技
始まる!?
-
FIFA(国際サッカー連盟)設立当初は、
オリンピックにおけるサッカー競技運営? -
FIFA(国際サッカー連盟)設立は
1904年最初はヨーロッパ7ヵ国(フランス、
オランダ、スイス、デンマーク、
ベルギー、スウェーデン、スペイン)
でスタートちなみに近代オリンピックは1896年
に第一回アテネ大会がスタートして
いて、1900年の第二回パリ大会で
サッカー競技がスタートしたって記録
が残ってるんだでもサッカーチーム編成は国別では
なくて、いろんな国籍が入り乱れて
いたみたいそうした背景もあったのか、IOC
(世界オリンピック委員会)は
オリンピックにおけるサッカー競技の
運営をFIFAにお願いする
ことに…そうしてようやくいまのような国別
対抗の格好になったのが1908年の
第4回ロンドン大会(優勝は開催国
イギリス)だったIOCはオリンピックにおけるサッカー
競技のスタートは1900年としている
けど、FIFAは1908年としているのは
このことが絡んでいたんだね話は少しそれてしまったけど、FIFAは
オリンピックという舞台を通じて、
その組織力を上げていったんだなぁオリンピックでサッカー世界一を決めれば
よかった!?-
国別戦になったんだから、
オリンピックでサッカー世界一を
決めるトーナメントで良かったん
では? -
ここで登場するのが今回の
主人公「ジュール リメ」オリンピックはアマチュアの
大会1921年にFIFA第三代目の
会長に就任したリメには
野望があったその野望とはアマ・プロ
問わず、真の王者を決める
国別サッカートーナメント
を開催すること
※ちなみにこのジュール リメは、
差別のない人権平等を信念に持ち
法律家を目指していたから、
もともとスポーツ(もちろん
サッカー)には興味が
なかったんだなぜリメはサッカーに!?
-
なぜ法律家を目指していた
リメはサッカーに目を
つけたのか? -
そもそもリメは
スポーツに興味は
なかった一方で差別のない
人権平等を信念に
持ち法律家を目指して
いたそんなある日、日常
のある光景がリメに
火をつけるオリンピックの影響
か、フランスでも
イギリス式スポーツ
熱が増してきていたサッカーも例外では
なく、フランス国内
で人気急上昇して
いることに気が
ついたそこにリメは目を
付けたサッカークラブを
経営して、地元に
根付かせることが
できれば地域社会の
安定につながるの
では!と考えたリメ24歳(1897年)
にして、いまの
「レッドスターFC」
サッカークラブを
創設
LE RED STAR FÊTE SES 125 ANS
Le 12 mars 1897, des visionnaires créaient le Red Star Club. 125 ans plus tard le Red Star, qui a traversé l’Histoire et les histoires, continue de garder son âme, de repousser l’horizon, et de porter haut l’étendard de son identité.
De son emblème à son stade, en passant par son histoire, ses exploits, ses chutes et ses renaissances, son public, ses joueurs et son fondateur, le Red Star est un club à part dans le football français, à tous les égards.
Un club qui a toujours su se démarquer afin de continuer à emmener son étoile toujours plus loin. Une Étoile qui scintille depuis 125 ans et qui continue d’illuminer le ciel de Paname avec toujours la même intensité. Que ce soit à Bauer, Marville, ou à travers la jeunesse triomphante de son territoire, cette étoile continue sa course.
クラブ経営からFIFA会長へ
そこからサッカークラブ経営
が始まったそうして、いよいよフランス
のサッカー熱が最高潮と
なった1910年フランスでサッカー国内
リーグがスタートリメは初代プレジデント
(FFA・フランスサッカー連盟
の前身)となった第一次世界大戦の影響で時は
少し止まったけど、1919年に
FFA(フランスサッカー
連盟)を立ち上がるもちろんリメはFFA初代会長
※そもそもリメは1904年にFIFA
設立にも手伝っていたから、FFAはFIFAと当初から同調関係に
あったんだそして1921年リメはFIFA
第三代会長に就任立ちはだかるIOC
FIFAの会長に就任したリメ、
その野望「アマ・プロ
問わず、真の王者を
決める国別サッカートー
ナメント」をオリンピックで
開催したいそれを立ちはだかったのは
IOCだったんだつまり冒頭にも綴ったけど、
IOCは「オリンピック=アマ
チュア」を当時貫いていただからリメは、オリンピック
ではなく、真の世界の王者を
決定するトーナメントの開催
を模索することになったんだ -
-
リメとクーベルタン、スポーツを
通じて目指す方向は一緒だったと
思うけど、参加資格で意見が対立
していたんだね
スポーツは教育の位置づけと考えて
いたから、スポーツを仕事としている
プロを入れるのはどうしてもなぁ…と
考えてしまっていたんだ
いざFAFAワールドカップへ
1920年代のサッカーを取り巻く
環境に目を向けると…
わたしがFIFA会長に就任した1920年
代は、サッカーが誕生したUK
(イギリス)国内にFA(Football
Association)が4団体あって
南米にもCONMEBOLというFAが
あって、その対立みたいなものが
絶えずあったんだ
FAが乱立してそれぞれの主張が激しい
から、なかなかまとまらないんだね
FAFAの特権
でも、FIFAには特権があった
特権というと、もしや…これか!
わたしがオリンピックにおける
サッカー競技の運営をFIFAにお願いして
いたから…だね
この特権は大きかった
当時南米で最強を誇っていた
ウルグアイはFIFAの存在に否定的
だったんだけど、1924年の
オリンピック・パリ大会に参加
するためにようやくFIFAに加盟
してくれた
1924オリンピック・パリ大会
サッカー競技ではみごとウルグアイは
優勝を掴んだから凄い
それに加えて、1928オリンピック・
アムステルダム大会でもウルグアイは
アルゼンチンを破って2連覇と
最強国でした
1920年代、サッカー人気は
ヨーロッパ、南米を中心にとても盛り
上がっていたようですね
1924オリンピック・パリ大会はどの
競技よりもサッカーが最も集客が
よくて観戦収入があったから
オリンピック運営は本当に助かった
オリンピック・サッカー競技の成功から見出すリメ
そこに私は目をつけた!
サッカーだけでも資金運営できる!
資金の目処がつけば、真の世界の王者
を決定するトーナメントの開催は必ず
できる!と決意を新たにしました
よく見ていましたな
そして、サッカー人気世界でさらに
上昇して
各FAでプロ化が一気に加速したんだ
そうなると…プロの選手は
オリンピックに出れないから…
ちなみに…プロサッカー選手と
言えども、サッカーだけで生計を立てる
のは当時難しくて、多くは副業を
持っていた選手も多かったんだけどね
Jリーグの誕生のころを思い出します
【発見アスリート|長沼 健 】元祖!サムライブルーを創った男
これはFIFAワールドカップ初のアジア
日本開催を導いた長沼健じゃないか!
わたしも顔を出させていただきました
さてさて、話を戻すと…
人気が上がるサッカー!
でもプロは参加できない…
そこはオリンピックとしては
譲れないなぁ
ついにリメの夢FIFAワールドカップ開催へ
そこを論点にアマ主体のオリンピック
にもFIFAは協力することを条件にて、
プロアマ問わない真の世界の王者を
決定するトーナメントの開催を1928年
FIFA総会で提唱しました
この条件下となれば、IOCとしては
拒むことは控えさえていただこう
そうして1930年に念願の第1回大会
開催決定にようやく漕ぎ着けることが
できた
1930年第1回ワールドカップ・
ウルグアイ大会開催
第1回大会はウルグアイで開催
-
どうして南米のウルグアイで開催したの?
-
ウルグアイは1924年オリンピック・
パリ大会、1928年オリンピック・
アムステルダム大会で優勝していた
から、世界一を決める大会には最も
外せない国だったそして何より、ワールドカップ開催
には膨大な運営資金が必要そんな中、ウルグアイサッカー協会
(AUF)が資金提供を申し出てくれたこんなところからウルグアイでの
開催となったんだ-
ヨーロッパからの参加は
少なかったんだよね? -
そう、ヨーロッパからの参加
はフランス、ベルギー、
ルーマニア、ユーゴスラビア
の4ヵ国だった当時、ヨーロッパから南米
ウルグアイまでは約2週間
の船旅と陸移動その頃、ヨーロッパ各国では
プロリーグが開催されていた
から、数ヶ月国内のリーグ
停止が問題に発展でもリメ会長の想いに賛同
した4ヵ国が第1回大会に
ヨーロッパより参加したちなみに、第1回大会の
出場国は全部で13ヵ国南米を中心に開催国の
ウルグアイはもちろんのこと、
ペルー、チリ、ボリビア、
パラグアイ、アルゼンチン、
ブラジル、そして北米の
アメリカ、中米のメキシコの
9ヵ国にヨーロッパ4ヵ国
という内訳
-
開催結果はどうだったの?
-
開催国のウルグアイが同じく
南米のアルゼンチンを4−2で
破って初代王者観客動員数は約60万人と
めちゃくちゃ盛り上がったそして収入もお釣りがくる
ほどの大幅黒字を計上これでリメはワールドカップ
開催の手応えを確実に掴んだちなみに当時から
優勝トロフィーはあったよ今回の主人公、ワールド
カップ創始者のリメが私財を
叩いて純金1.8キロの
優勝トロフィーを作っていたこれがまさに「ジュール・
リメ・トロフィー」※このトロフィーには数々のエピソード
があるから、いつかこのコーナーで
綴ってみたいと、いうことで大成功の
第1回ワールドカップ・
ウルグアイ大会だった
-
日本はいつから
ワールドカップに参加?
まずはサッカー日本代表の歴史について
その前に、サッカー日本代表と
オリンピックについて語ろう
日本サッカーのオリンピック初参加は
1936年ベルリン大会
FIFAに加入しないとオリンピックに
参加できなかったからなぁ
はい!
なので日本サッカー協会(当時は日本
蹴球協会と言っていたけど)がFIFAに
初めて加入したのは1929年でした
このベルリン大会サッカー1回戦で
なんと、優勝候補のスウェーデンを
2−2から3−2の逆転で勝利をつかみ
「ベルリンの奇跡」とも呼ばれた
あの時はヨーロッパ中が
ざわめいたなぁ
初めてのFIFAワールドカップアジア予選にエントリーも…
その2年後の第3回ワールドカップ・
フランス大会のアジア予選に初めて
日本はエントリーしたんだよね?
エントリーはしたのですが…
戦争の色濃くなってきて、予選直前で
このフランス大会アジア予選を棄権
してしまいます
戦争がなければ、初のワールドカップ
本大会出場!?を1938年に叶って、日本
サッカーの歴史が大きく変わった
かも…
ちなみに私の亡き後、1940年
オリンピック・東京大会も
幻になりました…
【発見アスリート|嘉納治五郎】柔道の父は日本オリンピックの祖
わたしも、じごろうも、東京開催応援
しておったんじゃがなぁ
FIFA再加入
そして先の戦争を理由にFIFAは
日本を除名
再加入できたのは戦後5年経った
1950年
それからワールドカップ予選に出場
するも、なかなか本大会出場の切符
には手が届かず…
1993年の通称「ドーハの悲劇」で
あと一歩ってこともあったよね
ついにううFIFAワールドカップ本大会出場へ
チャンスが巡ってきたのが1997年の
通称「ジョホールバルの歓喜」
これで1998年ワールドカップ・
フランス大会の切符をつかむ
個人的にも岡野選手懐かしいなぁ
そしてワールドカップ初出場で
日本中が歓喜に沸いた
結果は、予選3戦全敗も初の夢舞台を掴んだ
1998年6月だった
リメ、その後…
FIFAワールドカップを開催させた戦後のリメ
さてさて、リメの話に戻しましょう
1938年第3回ワールドカップ・
フランス大会を最後に戦争の影響で
その後中止に…
再開は1950年ブラジル大会
ワールドカップ再開後の優勝は第1回
大会からトロフィーが遠のいていた
ウルグアイが3大会ぶりの優勝
開催国ブラジルを決勝戦で破ったわけ
だから、ブラジル国内は大騒動だった
よなぁ
私はその4年後、スイス大会で33年間
のFIFA会長を勇退することにしたんだ
思い起こせば、差別のない人権平等・
人権尊重をサッカーを通じて世界に
広げる信念を持ち続けた結果がここに
あると確信した
その想いは世界に理解され、その証と
して1956年ノーベル平和賞に
ノミネートいただきました
しかし、その年83歳のお誕生日を
迎えた翌々日にその生涯を
閉じることに…
サッカー選手ではなかったけど、
サッカーに対する想いは誰よりも
強かった
舞台はカタールへ
2022年カタール大会の数々のドラマを楽しみに!
そしていまこそ、差別のない人権
平等・人権尊重、そして何より
世界平和を!
「FIFAワールドカップの父」いかがでしたか?
2022年11月どんなドラマが
待っているのか!?
そして優勝トロフィーを掲げるのは
どの国か!?
広告コーナー
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皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます
いらすとすてーしょん検索コーナー
では今回もそろそろこのコーナー「行こうフランス」
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【文学の部屋|西行】平安時代編.10New!!
【文学の部屋|能因】平安時代編.9
1月16日より、文学の部屋から飛鳥時代〜の文学者をお届けしています↓
1月15日まで、経営者の部屋より明治・大正・昭和時代に活躍した経営者をお届けしました↓
シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね
4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします