河東碧梧桐





Kawahigashi Hekigoto(1873-1937)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは文学の部屋より河東碧梧桐をお楽しみください

河東碧梧桐
イラストポートレート(Syusuke Galleryより

わたしの師は正岡子規

河東碧梧桐、本名河東乗五郎です

わたしの父は河東静溪

へいごろう

わたし乗五郎(へいごろう)の父は


松山藩校の先生

へいごろう

子規さんもその藩校で学んでいたんだ

正岡子規登場

しき

乗五郎のお父上、河東静溪先生には


漢詩文などを学ばせていだきました

へいごろう

その父のおかげで、子規さんと


親しくさせていただいていました

しき

乗五郎は男前だったなぁ
いまで言うイケメンかぁ

へいごろう

恥ずかしいですよ

へいごろう

そんな子規さんが上京されて

へいごろう

1889(明治22年)に松山へ帰郷


されるって聞いて…

しき

帰郷したら直ぐわたしのところに


駆けつけてくれたね

へいごろう

子規さんがハマっているベースボール


の話を聞くのが楽しくて

へいごろう

それでわたしの親友の高浜清(きよし)


も誘って、子規さんにいろいろ


お話しを伺っているうちに…

高浜虚子登場

きよし

わたしも誘ってくれてありがとう!

1874-1959を生きた俳人の師は同級生の河東碧梧桐に紹介された正岡子規。子規の同級生であった柳原極堂が創刊した俳句雑誌ほとゝぎす(後のホトトギス)の編集長を引き継ぎ師子規の目指した写生論を継承。
【文学の部屋|高浜虚子】師は正岡子規
しき

ベースボールだけでなく、文学の


話もしたんだよな

へいごろう

わたしも清も文学にのめり込んで


しまいました

へいごろう

もう子規さんではなく、


子規師匠です!

きよし

そして二人で正岡子規師匠に


弟子入りしました

しき

そういえば2023年は河東碧梧桐に


とって生誕150年か

きよし

おめでとう

歌会始(うたかいはじめ)へ詠進(応募)してみては?

歌会始について綴ってみましたのでぜひご参考ください

歌会始について

Information

令和7年歌会始は1月22日 皇居宮殿で催されます

Warning

令和7年歌会始のお題「夢」9月30日(月)をもって締め切られました

令和7年歌会始のお題は「夢」9月30日(月)の消印まで有効です

歌会始って?

天皇皇后両陛下の御前で、一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人めしうどの歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌みうたと続き、最後に御製ぎょせい披講ひこうされます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され、文部科学大臣、日本芸術院会員、選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。(宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

POINT
1

令和6年の歌会始はいつだったの?

2024年1月19日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

令和5年の歌会始はいつだったの?

2023年1月18日午前中に皇居宮殿「松の間」で開催されました

POINT
2

令和6年のお題は?

令和5年のお題は「和」

海外も含めて1万5270首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届いたんだって
※詠進歌…宮中に歌を奉るって意味が込められている

その中で10首が選ばれて、新潟県新潟市の 東京学館新潟高校2年生・神田日陽里さん(17)が今回の最年少で選ばれたってニュースになっていました
入選歌 「それいいね」付雷同の私でもこの恋だけは自己主張する

令和5年のお題は?

令和5年のお題は「友」

海外も含めて約1万5000首もの一般の方々の短歌(詠進歌)が宮内庁に届いたんだって
※詠進歌…宮中に歌を奉るって意味が込められている

その中で10首が選ばれて、山梨県北杜市の甲陵中学校2年生・小宮山碧生さん(14)が最年少で選ばれたってニュースになっていましたよ
入選歌 の呼ぶ僕のあだ名はわるくない他のやつには呼ばせないけど

POINT
3

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和6年)

天皇陛下 をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心みぬ

皇后陛下 広島をはじめて訪ひて平への深き念ひを吾子は綴れり

秋篠宮さま 早朝の十田の湖面に映りゐし色づき初めし樹々の紅葉

秋篠宮紀子さま 鹿児島に集ふ選手へ子らの送る熱きエールに場はみたり

愛子さま 幾年の難き時代を乗り越えて歌のことばは我に響きぬ

佳子さま 待ちわびし木々の色づき赤も黄も小春日の風にゆらるる

皇族の方々はどんな歌を詠まれたの?(令和5年)

天皇陛下 コロナ禍にと楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み

皇后陛下 皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき

秋篠宮さま 彼方此方(をちこち)をらと共に行巡(ゆきめぐ)り聞き初(そ)めしことに喜びありぬ

秋篠宮紀子さま 春楡(はるにれ)の卓の木目を囲みつつらと語る旅の思ひ出

愛子さま もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔との家路

佳子さま 卒業式にと撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に

POINT
4

歌会始で出てくる召人って?

天皇陛下から特別に選ばれ、歌会始に招かれて和歌を披露される方を指す

2023年は歌人の小島ゆかりさんが召人に選ばれています
 召人 旧友のごとくなつかしあかねさす夕陽の丘に犬とゐる人
2024年は歴史学者の栄原永遠男さんが召人に選ばれています
 召人 歌木簡かかげ三十一文字をよむ温き響きに座はみたり

2025年は国文学者の三田村雅子さんが召人に選ばれています

POINT
5

令和7年の詠進要領が宮内庁から発表されました

※令和8年度のお題は1月22日の「歌会始」で発表されます

歌会始に来年のお題が発表されるんだ

そのお題は「夢」

宮内庁の歌会始の詠進要領(令和6年)によると…お題は「ゆめ」ですが、歌に詠む場合は「夢」の文字が詠み込まれていればよく、「夢幻」、「夢中」、「夢路」のような熟語にしても、また、「夢見る」のように訓読しても差し支えありません。とのこと。(宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

そして何より、詠進(応募)方法が古風なところが凄い!

POINT
6

どんな方法で詠進(応募)するの?

宮内庁・皇室に伝わる文化・歌会始より

半紙を用意

半紙は横長に置きます
※海外から詠進する場合は、用紙は随意(但、半紙サイズ24㎝ × 33㎝の横長)とし、毛筆でなくても差し支えありません。

STEP
1

半紙の右半分にお題と短歌を

左半分は郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがな)、生年月日、性別、職業を縦書きで書く
※無職の場合は、「無職」と書いてください(以前に職業に就いたことがある場合には、なるべく元の職業を書いてください)。なお、主婦の場合は、単に「主婦」と書いても差し支えありません。

STEP
2

いずれも毛筆自筆で書く

病気又は身体障害のため毛筆にて自書することができない場合は下記によることができます。

  1. 代筆(墨書)による。代筆の理由、代筆者の住所及び氏名を別紙に書いて詠進歌に添えてください。
  2. 本人がワープロやパソコンなどを使用して印字する。この場合、これらの機器を使用した理由を別紙に書いて詠進歌に添えてください。
  3. 視覚障害の方は、点字で詠進しても差し支えありません。
STEP
3

郵送は

封筒に郵便番号100-8111、宮内庁と下記、「詠進歌」と書き添えてください。
※詠進歌は、小さく折って封入して差し支えありません。

STEP
4

注意事項もあります

次の場合には、詠進歌は失格となります。

  1. お題を詠み込んでいない場合・短歌の定型でないもの又用紙が縦長の場合
  2. 一人で二首以上詠進した場合や毛筆でない場合
  3. 詠進歌が既に発表された短歌と同一又は著しく類似した短歌である場合
  4. 詠進歌を歌会始の行われる以前に、新聞、雑誌その他の出版物、年賀状等により発表した場合
  5. 詠進歌の詠進要領4に記した代筆の理由書を添えた場合を除き、同筆と認められるすべての詠進歌
  6. 住所、電話番号、氏名、生年月日、性別、職業を書いていないものその他この詠進要領によらない場合
STEP
5
POINT
7

詠進(応募)期間は?

お題発表の日(2024年1月19日)から9月30日(月)まで
※消印が9月30日までのものを有効です

現在、締め切られていますので、ご注意ください

POINT
8
ばしょう

わしも詠進してみたかった…

1644-1694を生きた俳諧の連歌師は松永貞徳門下、北村季吟の門より松永貞徳を祖とする俳諧流派であった貞門派、西山宗因らの俳諧流派、談林派をあゆみ、幽玄・閑寂といった趣の匂付に重きをおいた蕉風(正風)を確立、俳諧の連歌(現在の俳句)を芸術文学へと導く。
【江戸文学|俳諧の連歌】「松尾芭蕉」俳句を芸術へ

新聞「日本」俳句欄を担当しました

子規没後から碧梧桐が旅立つまで

正岡子規師匠が亡くなって

へいごろう

子規師匠が亡くなった1902(明治35年)

へいごろう

師匠の担当されていた新聞「日本」の


俳句欄「日本俳句」をわたしが


担当させていだくことになりました

陸羯南登場

へいごろう

これは陸 羯南(くが かつなん)社長

かつなん

よくぞぉ、わ(私)の新聞さぁ


手伝っでぐれたぁ!

温泉百句論争勃発

へいごろう

最初のころは、しっかり子規師匠の


教えを世襲していたのですが…

へいごろう

1903(明治36年)「温泉百句」を


発表したところ…

きよし

それはないだろうってわたしが反論

きよし

温泉や湯なんぞを入れまくって百句


揃えたところで何の意味がある


のか(怒)ってね

へいごろう

無二の親友に批判されたら


引くに引けない

へいごろう

あの頃から歯車が噛み合わなくなって


きたのかもなぁ…

へいごろう

それから暫く経って…

碧梧桐新俳句界の新傾向へ傾倒

かつなん

んだじゃぁ…新俳句界の


新傾向てやらに、したはんで…

へいごろう

1905(明治38年)ごろから


5・7・5の形式に拘らない自由な


俳句がいいのではと思い始めして…

かつなん

それがぁ新俳句界の新傾向


なんびょん?

へいごろう

そうなると、もう正統派の高浜虚子と


俳句談義は出来なくなって


しまいました

かつなん

んだぁ…

碧梧桐引退宣言

へいごろう

そしてわたしごとですが1933


(昭和8年)俳句の世界から身を引く


ことにしました

へいごろう

その4年後…1937(昭和12)年に


患った病が悪化して…

へいごろう

最期に高浜虚子が駆けつけてくれた


ときは嬉しかった

きよし

ぶつかり合ったけど、ずぅっと親友は


親友だったからな

へいごろう

ありがとう

碧梧桐逝く

きよし

きみに捧げたよ

きよし

たとふれば
独楽のはぢける
如くなり

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出没年不明 奈良時代を生きたと思われる文学家であり歌人。人物像は主に作品から推測され、下級官人として聖武天皇に仕え、宮廷歌人として活躍したと推察されている。また各地を旅し、その土地の歌を残した。自然の美しさを詠んだ叙景歌で知られ、対句や比喩を多用した緻密な表現が特徴。万葉集は長歌13首,短歌37首が収められている。のちに、柿本人麻呂と共に歌聖と称され、三十六歌仙のひとりでもある。
【文学の部屋|山部赤人】謎だらけの歌聖
802-853を生きた文学家であり漢詩人、歌人、そして貴族。稀代の漢学者として名を馳せ、詩文は「経国集」「和漢朗詠集」「扶桑集」に、和歌は「古今和歌集」などに数多く収められている。また政治の舞台でも活躍し、律令国家を規制した基本法典「養老律令」の官撰の注釈書を清原夏野らと共に文人として編纂に携わる。その仕事ぶりから、昼は朝廷で官吏として働き、夜は冥府で閻魔大王の裁判を補佐するという伝説を残し、「野相公」とも称された。また、小野妹子の子孫とされ、小野小町、小野道風の祖父ともされている。 ※いらすとすてーしょんでは小野篁の出生地を広島県とさせていただきました。
【文学の部屋|小野 篁】閻魔庁にも仕えた文才
825-880を生きた825-880を生きた文学家であり歌人、貴族。阿保親王の五男として生まれ、官位を持ち、宮廷に仕える。歌才を発揮し、その情熱的な歌風は「古今集」から「新古今集」まで、多くの勅撰集に多く収められている。また歌物語「伊勢物語」の主人公と知られているが、その多くは謎に包まれている。六歌仙、三十六歌仙のひとり。※いらすとすてーしょんでは奈良県出身とさせていただきます
【文学の部屋|在原業平】伊勢物語で伝説化!?
出没年不明 飛鳥時代を生きたと思われる文学家であり歌人。人物像は主に作品から推測され、皇子や皇女の死に際しての挽歌や、天皇の行幸に供奉して詠んだ歌が多いことから、宮廷に仕えた宮廷歌人であったと考えられている。柿本人麻呂と明記された歌は万葉集に長歌16首、短歌67首を数え、柿本人麻呂歌集では長短含めて約370首が収められている。皇室関係、自然、旅、死、恋愛などを題材にした雄渾な作風で知られ、のちに、山部赤人と共に歌聖と称されている。
【文学の部屋|柿本人麻呂】謎だらけの歌聖

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39高知県
1866-1944を生きた経営者であり実業家。1886(明治19)年、神戸にあった鈴木商店に入社しキャリアをスタートさせる。1894(明治27)年、当主の鈴木岩治郎が亡くなると、未亡人の鈴木よねを支え番頭として活躍する。その後、台湾樟脳油の販売権を獲得など業績を伸ばした。1905(明治38)年、神戸製鋼所の前身である小林製鋼所を買収。1915(大正4)年、米沢の織物工場(のちの帝人)を買収して人造絹糸の事業を開始。第一次世界大戦中には、鉄や物資の大量買い付けを行い、三井・三菱に匹敵する商社に発展させた。しかし、昭和2年の金融恐慌で同店は破綻。
【経営者の部屋|金子直吉】明治時代編.76New!!
30和歌山県
1820-1885を生きた経営者であり実業家。ヤマサ醤油7代目として活躍し、1854年の南海大地震では「稲むらの火」として伝えられるエピソードにより、多くの村民を救った。また津波被害を軽減するための堤防設置や、神田お玉ヶ池種痘所の再建に多額の寄付を行い、社会事業に積極的に貢献している。
【経営者の部屋|濱口梧陵】江戸時代編.23
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