「いらすとすてーしょん」6月推し偉人
2023年4月より放送開始の朝ドラ(NHK連続テレビ


小説)「らんまん」で植物に注目が集まっています
いらすとすてーしょんでは国内外の植物学に携われた偉人たちを特集してきました
今回は2023年5月推し偉人エラスムス・ダーウィンに続き、その孫で世界で最も影響を与えた進化論である「種の起源」を発表した「チャールズ・


ダーウィン」をイラストポートレートと共に、まつわる人々をお届けさせていただきます

チャールズ・ダーウィン Charles Darwin

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【植物学者の部屋|


チャールズ・ダーウィン】進化論といえば私



をお楽しみください
※チャールズ・ダーウィン 進化論といえば私は


植物学者の部屋よりお届けします

チャールズ・ダーウィン


イラストポートレート(Syusuke Galleryより

私の祖父、エラスムス・ダーウィン

祖父エラスムスは医師

ちゃーるず

わたしの祖父は医師でした

ちゃーるず

これはお祖父様

エラスムス

お主と会いたかったなぁ

ちゃーるず

私もです‼️
お祖父様は私が生まれる前にに亡くなられてしまったのですから…

チャールズ・ダーウィンの仲間たち

チャールズの師 ジョン・スティーブンス・ヘンズロー

ちゃーるず

まずは私の師を紹介しよう

へんずろー

ジョン・スティーブンス・ヘンズローです

1796-1861を生きた自然史をライフワークとした博物学者。植物学の分野では英国における植物標本館の創設に尽力。またケンブリッジ大学教授として、C.R.ダーウィンの師として名を残している。
【植物学者の部屋|ジョン・スティーブンス・ヘンズロー】C.R.ダーウィンの師

チャールズの親友 ジョセフ・ダルトン・フッカー

ちゃーるず

そして私の親友

ふっかー

チャールズの盟友 ルフレッド・ラッセル・ウォレスー

ちゃーるず

そして進化論の盟友

うぉれす

チャールズのブルドック? トーマス・ヘンリー・ハクスリー

ちゃーるず

最後は私のブルドッグ?

はくすりー

トーマス・ヘンリー・ハクスリーです
ブルドックじゃなくて、支持者ですよ!支持者!

1825-1895を生きた自然史をライフワークとした博物学者。生物学を主とし、C.ダーウィン進化論を最も支持。その姿から「Darwin's Bulldog」との異名がつくほどであった。またヒトも進化の過程を経て存在していると持論を展開し、世界へ進化論を広めた。
【生物学者の部屋|トーマス・ヘンリー・ハクスリー】C.ダーウィンのブルドッグ?
ちゃーるず

皆さんに支えられて幸せものでした

ちゃーるず

では、今回はこの辺りで

とみたろう

引き続き植物学者の部屋もお楽しみくださいませ

1862-1957を生きた「植物学の父」は生涯に収集した標本は約40万枚、蔵書は約4万5千冊を数え、新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名。日本植物分類学の基礎を築いた一人。「牧野日本植物図鑑」は現在も植物学のバイブルです。
【2023朝ドラは私|牧野富太郎】9月推し偉人 なんと生涯に収集した植物標本は40万枚!?
ちゃーるず

あれっ!
牧野富太郎だ!

植物学者・新着偉人(It's New)はこちらから

0033フランス共和国出身
1707-1788を生きた自然史をライフワークとした博物学者。1739年よりJardin des plantes(パリ植物園)のディレクターとなり、世界中の植物を収集、フランス植物学の礎を築いた。ビュフォンの編纂書Histoire Naturelleへ進化について言及し、進化論の先駆者として考えられている。
【植物学者の部屋|ビュフォン】Jardin des plantesの開拓者
0044英国出身
1817-1911を生きた医師であり探検家であり植物学者。極地探検家ロス隊の帯同医師として南極探検に参加。植物学者であった父の影響もあり南極地方の植物をまとめたFlora Antarcticaを発表。またC.ダーウィンの親友であり、妻はその師匠であるヘンスローの息女。
【植物学者の部屋|ジョセフ・ダルトン・フッカー】C.ダーウィンの親友
0044英国出身
1731-1802を生きた自然史に精通した医師であり植物分野ではリンネが提唱した分類植物学を「The Botanic Garden(植物の園)」をロマン主義文学として著し社会の注目を集めた。また進化論を著したチャールズ・ダーウィンの祖父としても名を残している。
【植物学者の部屋|エラスムス・ダーウィン】C.ダーウィンの偉大な祖父
0044英国出身
1796-1861を生きた自然史をライフワークとした博物学者。植物学の分野では英国における植物標本館の創設に尽力。またケンブリッジ大学教授として、C.R.ダーウィンの師として名を残している。
【植物学者の部屋|ジョン・スティーブンス・ヘンズロー】C.R.ダーウィンの師
0044英国出身
1627-1705を生きた自然史をライフワークとした博物学者。植物学の分野では種の分類学概念を提唱し種子(顕花)植物である単子葉植物、双子葉植物の分類、そして胞子(隠花)植物の同定を行う。そして約二万種の植物を掲載したHistoria plantarumを著しました。
【植物学者の部屋|ジョン・レイ】単・双子葉を分類しました
0041スイス連邦出身
1516-1565を生きた自然史をライフワークとした博物学者。中でも植物学大全(Opera botanica)は約1500点もの自ら描いた植物図を掲載。世界の植物学者に影響を与える。また世界文献目録を発表し書誌学の基礎を築いたことでも名を残している。
【植物学者の部屋|コンラート・ゲスナー】1500年代に1500点もの植物図
37香川県
1880-1971を生きた日本初の女性博士号(理学博士)を授与された植物学者。晩年にはこちらも日本初の女性紫綬褒章が贈られる。
【植物学者の部屋|保井コノ】日本人女性初の科学論文&博士授与
20長野県
1865-1939を生きた教育者であり、日本における高山植物研究の第一人者は高山植物を中心とした写真家でもあった。そして高山植物のロックガーデンを日本で初めて試みたとされている。
【植物学者の部屋|河野齢蔵】高山植物研究の第一人者は校長先生!?
39高知県
1862-1957を生きた「植物学の父」は生涯に収集した標本は約40万枚、蔵書は約4万5千冊を数え、新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名。日本植物分類学の基礎を築いた一人。「牧野日本植物図鑑」は現在も植物学のバイブルです。
【2023朝ドラは私|牧野富太郎】9月推し偉人 なんと生涯に収集した植物標本は40万枚!?
23愛知県
1803-1901を生きた愛知県出身の日本初の理学博士は幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者。日本初の理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。
【植物学者の部屋|伊藤圭介】雄しべ・雌しべ・花粉という言葉を創った男

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27大阪府
1923-1996を生きた小説家。大阪外国語学校(現、大阪大学)蒙古語部卒業。戦後復員し、産経新聞文化部記者として勤務。1956(昭和31)年に懸賞応募した「ペルシャの幻術師」で作家デビューし、伊賀を舞台に忍者を主題とした「梟のいる都城(梟の城:1959~60)」で直木賞を受賞。この契機に執筆活動に専念する。以後、「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」などを発表し、歴史小説に新風を吹き込む。史実に基づきながら、登場人物の生き様や心理を融合させた独自の歴史観は「司馬史観」と呼ばれ、広く読者の支持を集めた。1971年からは紀行随筆「街道をゆく」を連載し、日本各地の風土や文化をたどりながら、文明批評と風土論を展開した。1993(平成5)年に文化勲章を受章。本名は福田定一(ていいち)。
【文学の部屋|司馬遼太郎】昭和時代編.131New!!
13東京都
1923-1996を生きた小説家。幼少期を大連で過ごし帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受け、信仰と文学の融合を志す。慶應義塾大学文学部仏文科卒業後、1950(昭和25)年にフランス・リヨンへ戦後初となる国費留学。帰国後は評論活動を経て、1955(昭和30)年に「白い人」で芥川賞を受賞。その後「海と毒薬(1958)」など日本の精神風土とキリスト教の思想を併せ持った独自の作風で文壇を沸かせ、安岡章太郎や吉行淳之介らとともに「第三の新人」として注目を集める。またユーモアあふれる随筆「狐狸庵」シリーズでも人気を博し、幅広い読者層に支持された。1995(平成7)年、文化勲章を受章。
【文学の部屋|遠藤周作】昭和時代編.130
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