「いらすとすてーしょん」2022年6月


推し偉人

岡山が生んだ近代日本医学の祖こと緒方洪庵
江戸幕末に活躍した蘭方医であり大阪に1838年に「適塾」を開き蘭学の門を広げました。そしてその適塾は大阪医学校にかたちを変え、現在の大阪大学医学部と発展し今日も数々の医師を輩出しています
その緒方洪庵の生きた時代から今の日本を綴ります
※世界保健機関(WHO)は動物由来のウイルス感染症名称を「サル痘」から「M痘」と呼ぶよう推奨しています
2022年11月28日現在

緒方洪庵 Kohan Ogata

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【医学の部屋|緒方洪庵】


去る天然痘!来るサル痘? ワクチン大規模接種は


江戸時代から!?
をお楽しみください

緒方洪庵イラストポートレート(Syusuke Galleryより

さる天然痘!くるサル痘?


〜ワクチン大規模接種は江戸時代


から!?〜ものがたり

シーボルト登場

1796-1866を生きたドイツ出身医師、鳴滝塾を開設し西洋医学(蘭学)教育を行った

今回案内役は私が務めます!

本名はフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト…

長いので"シーボルト"と呼んでください。

1796年ドイツ貴族階級の出身で、父はヴュルツブルク大学医学部産婦人科教授で有名なお医者さんだったんだ

しーぼると

町医者だった私
実は名声が欲しくて考えた末にオランダへ
そして運良く?オランダ政府から派遣の機会を得て日本の地を踏みました

しーぼると

ドイツ人だったけど、オランダ人に扮してね…
それは、ここだけの話にして本題へ!
最近では入試問題にも「ワクチンの歴史」出題されるらしいね

戸塚静海登場

しーぼると

ところで静海。人類初のワクチンを開発した人を覚えてるかな??

1799-1876を生きた江戸三大蘭方医のひとり。徳川13代家定奥医師をつとめ、お玉ヶ池種痘所開設に尽力
【医学の部屋|戸塚静海 Seikai Totsuka】東大医学部の前身となる神田お玉ヶ池種痘所設立メンバーの一人

世界初のワクチンを作った男・ジェンナー

しーぼると

さすが愛弟子の戸塚静海(トツカ セイカイ)!
正解(せいかい)!

しーぼると

ジェンナーはイギリス人で、乳牛の間で牛の天然痘(牛痘)が流行
その時、牛痘に感染した牛の乳搾りをしている人は、天然痘にはかからないことに目をつけた!

しーぼると

この牛痘は天然痘に比べて毒性が弱いことから、天然痘ワクチンの元祖となった
そうしてジェンナーは1796年に論文発表したんだったよな

せいかい

シーボルト先生、お懐かしゅうございますらぁ
戸塚静海です

わたしは静岡県から25歳で長崎に出てきて、鳴滝塾開設1年目の1824年からシーボルト先生に医学を学ばせていただきました
そして蘭方医(西洋医学医師)に無事なれたらぁ

長崎県長崎市にあるシーボルト記念館
シーボルト記念館〒850-0011 長崎市鳴滝2-7-40
しーぼると

静海は優等生だったな
さてこの牛痘(これからはワクチンと記載するよ)が日本に届いたのは、私が鳴滝塾を開設する1年前の1823年だったから、ジェンナーが発見してから30年も後のことだったんだ

しーぼると

でも届いたワクチンは活性(効力)が無くなっていたから効果ゼロ
あの時は落胆したなぁ

せいかい

そうでしたらぁ
確かそれからかなり時が過ぎ、1849年にシーボルト先生と同じ職務(オランダ商館医)であった、オットー・モーニケ先生のもとで日本も活性(効力)のあるワクチンをやっと手に入れることができましたらぁ

しーぼると

最初に飛びついたのは佐賀藩だった?

佐賀藩家紋
佐賀藩は肥前国佐賀郡にあった外様藩で肥前藩(ひぜんはん)ともいう。
せいかい

そうでしたらぁ
私と共にシーボルト先生から学んだ楢林宋建がリードしましたらぁ

せいかい

そうして先生の弟子たち蘭方医ネットワークで、西から東へと広めていきました

せいかい

また大阪で適塾(大阪大学医学部の前身)と、クリニックを開業していた緒方洪庵が1849年種痘所を開き、翌1850年に「除痘館」を開いてワクチンの確保と分配の中心的役割を担うことになったらぁ

除痘館記念資料館は大阪市中央区今橋3-2-17緒方ビル4Fにあります
緒方ビルクリニックセンターHPより
江戸末期に天然痘(疱瘡)予防の普及活動の拠点となったのが、緒方洪庵を核とする大阪の「除痘館」です
緒方ビルはその跡地にあたります。当資料室は、「除痘館」の活動と足跡を記念して、資料の展示、公開をしております

緒方洪庵登場

こうあん

今回の推し偉人を仰せつかりました「緒方洪庵」です
生まれは岡山県、そして大阪で中天游先生の私塾「思々斎塾」で学び、江戸、長崎にも留学し西洋医学を学びましたんねん

こうあん

そして日本が手に入れたこのワクチンを運良く同じ年の1849年にわたしも京都で手に入れることができたのが幸いでしたわぁ
その縁あって種痘所、除痘館につながったんよ

しーぼると

と、いうことは洪庵が日本で初めてのワクチン接種会場を作ったってことか!?

こうあん

世間的にはそのようですわぁ。
当時は、この治療をすると「牛」になるという迷信や、紛い物の天然痘治療法まで現れたりと、いろいろ大変で

こうあん

ちなみに同1850年には私の生まれ故郷岡山の足守藩からも声が掛りましてな
足守除痘館をつくって集まる医師たちにワクチンを分与し接種方法などを指導させていただきましたんねん

しーぼると

洪庵はワクチンの普及に尽力したんだな
さぞかし足守藩も助かったんだろうな
ところで、静海!? 首都江戸(東京)はどうなっていたのか?

せいかい

私らもワクチン普及したくて頑張っていたのですが、何より当時の江戸は漢方医の天下でしたから、私たちの蘭方(西洋)医学は蚊帳の外の状況でして
ぐっっ

しーぼると

いつの時代も同じだなぁ…

せいかい

言い訳がましいですが、洪庵氏が「除痘館」を開いた同じころに、漢方医が結成する「医学館」が当時の幕府老中首座阿部正弘に謀って出された「蘭書翻訳取締令」が痛かったらぁ…

まさひろ

当時老中首座を務めた阿部正弘です
あの時はそうするしかなかったんだ
洋学はある程度許容したけど蘭方(西洋)医学は、私自身も受け入れられない個人的な思いがあった(のかも…)??

しーぼると

なんだかややこしくなってきたぞ
それで江戸はどうなった?

せいかい

個人的に振り返ると「ペルリ」が一変させましたらぁ

ペーリー来航でどうなった?

しーぼると

1853年のペリー来航か!

ぺりー

1年がかりだったけどさ

せいかい

再来した1854年日米和親条約が締結。これで鎖国政策は終わりを告げることになって、この開国の波で蘭方医学を認める役人も現れて、蘭方医であるわたしも奥医師(将軍とその家族の診療に従事)に任命されましたらぁ
その結果、漢方医が作る医師会「医学館」は衰退の一途を…

こうあん

そうなると江戸でもワクチンが普及するん?

お玉ヶ池種痘所

せいかい

おかげさまで洪庵から遅れること9年歳月が経ってしまいましたが、わたしも含め大槻俊斎氏や伊東玄朴氏ら総勢83名の蘭方医を結集して江戸にお玉ヶ池種痘所を建てましたらぁ

これで大手を振ってワクチン投与を江戸で開始!

こうあん

よく頑張りましたなぁ
この種痘所は最初、私営だったけどその後、幕府直轄となって、ゆくゆくは今の東京大学医学部となるんやなぁ

せいかい

そうです!
あなた様が初代頭取の大槻俊斎氏亡き後「2代目頭取」として1962年種痘所改め「西洋医学所」の指揮をとってくださいまして、さらに基礎を固めていただけたお陰ですらぁ

こうあん

そう言ってくれるとありがたい!
少し健康上に不安もあって江戸には出ることは考えられなかったがぁ、再三の幕府の要請とあらば断る理由もなかったんよぅ

しーぼると

翌年1963年数え54年の生涯を閉じられますが、天然痘と戦った人生だったのですね

こうあん

いま振り返ると近代医学をスタートできた一旦に担えたことは誇りさかい
その後も後輩が受け継いでくれたことが嬉しいんよ
そうしてこのワクチンは人工的に弱毒化して、ついには無毒化できて、今のワクチンになったんよねぇ

しーぼると

おかげさまでワクチンの普及の甲斐あり、天然痘はついに1980年WHOによって根絶宣言にいたった

せいかい

でも最近、サル痘の話題が世界で広がっているようらぁ

しーぼると

心配!でもサル痘にはこの天然痘ワクチンが85%程度有効との報告も。ただ世界で感染数が増加しているので予断できない状況だ
いつの時代も、そしてこれからの時代もウイルスとの戦いだ

こうあん

そういえば、ここ数年世界は新型コロナウィルスで大変だったんだよねぇ?

しーぼると

2019年末に発見された新型コロナウィルス(COVID -19)は2020年パンデミックとなり世界は震撼
一方で医学は大きく進歩しているから新型コロナワクチンは脅威的なスピードで開発できた
それをなによりも、製造や輸送技術も支えて、世界へ一気に届くのだからすごいことだよね

こうあん

そういえば、わたしのつくった「除痘館」のような接種会場が、今もあると聞いたんやけど

今の大規模接種会場

せいかい

国が会場を作って連日ワクチン接種を促進しているんらぁ
これはその一つの自衛隊が運営する大規模接種会場らぁ

大手町合同庁舎3号館(大手町1-3-3)に設置した自衛隊東京大規模新型コロナワクチン接種会場
大手町合同庁舎3号館(大手町1-3-3)に設置した自衛隊東京大規模新型コロナワクチン接種会場
せいかい

ちなみに私らの「お玉ヶ池種痘所」から現在の自衛隊東京大規模接種会場までは約1.5キロメートルぐらいの近距離みたいらぁ

お玉ヶ池種痘所から大手町大規模接種会場まで赤線を辿ると約1.5キロメートルの道のり
しーぼると

170年の時を経て、同じような場所でワクチンを広めているのは感慨深い
そして江戸の頃もワクチン接種を広めることが難しいことだったけど、今もなお…なんだろうな
これからも新たなウイルスが出てくると思うけど、人類に乗り越えられない壁はないと思って立ち向かっていかないとだな

こうあん

「緒方洪庵」と長崎、関西、江戸(東京)を舞台に天然痘に挑んだ偉人たち…
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました

天然痘

天然痘の正確な起源は不明であるが、最も古い天然痘の記録は紀元前1350年にあり、天然痘で死亡したとされている最古の記録は紀元前1100年代エジプト王朝ラムセス5世とされ、彼のミイラから天然痘の痘痕が認めらています。

渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミック(地域を越えた大規模伝染)が見られたと考えられています。まさにこのころ新羅(朝鮮半島)から弥勒菩薩像と共に仏教伝来の時期と重なり、当時天然痘に罹るということは、日本古来の神が怒った「神罰」との迷信がが広がり、仏教を支持していた当時の権力者「蘇我一族」の実効支配が低下したと考えられています。

日本書紀の中には「瘡かさ発いでて死みまかる者――身焼かれ、打たれ、摧くだかるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うとと意味する記載あり、日本で初めての天然痘の記録とされています。

古い記録をもう一つ、8世紀平城京の政権を率いていた藤原四兄弟(南家、北家、式家、京家)が相次いで死去。遣唐使船によって持ち込まれたとされる天平の疫病大流行でした。当時はまだ怨霊の仕業とされていた天然痘、ここで聖武天皇は仏教に救いを求め奈良の大仏を象徴とする一大国家プロジェクトを遂行します。

時代は進み時は戦国時代。独眼竜の異名で知られる奥州戦国大名「伊達政宗」が幼少期に右目を失明したのも天然痘所以であり、失明の原因で最も高かったのは天然痘によるものとされています。

そうして世界はこの天然痘との戦いが3000年続きましたが、医療の進歩と共に1980年WHOは根絶宣言を発します。しかし類似ウイルスとしてサル痘に代表されるように現在感染の拡大が危惧されています。

医学の部屋(世界)・新着偉人(It's New)はこちらから

0043オーストリア共和国出身
1857-1940を生きた医師であり神経学者。精神病患者に対する療法としてマラリア原虫を感染させることで高熱を引き起こし、神経症状を改善する効果を狙いマラリア療法を開発。精神医学の分野における治療法の革新という大きな影響を与え、その功績が認められ1927年にノーベル生理学・医学賞を受賞。
【医学の部屋|ヤウレック】マラリア療法でノーベル賞!?
0041スイス連邦出身
1875-1961を生きた医師であり心理学者。精神医学を学び、人間の心の深層に存在する無意識の重要性に焦点を当て研究を行う。分析心理学の創設者の一人。
【医学の部屋|ユング】無意識の重要性
0001アメリカ合衆国出身
1903-1998を生きた医師。専門は小児科であり執筆した育児書「The Common Sense Book of Baby and Child Care」にてより親子の絆や子供の個別性を重視、5000万部の売り上げを誇るベストセラー。平和運動家としても活動。
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0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1730-1799を生きた医師であり博学者。1796年エドワード・ジェンナーの牛痘を用いた種痘法の約30年前、イングランドで数百人規模の天然痘の膿疱からから採取した物質を傷口に付ける臨床試験を行い成功を収める。その後植物分野の偉大な発見「光合成」を提唱し、革新的な科学の発展に影響を与えた。
【医学の部屋|インゲンホウス】ワクチン研究の第一人者は光合成を発見
0049ドイツ連邦共和国出身
1864-1915を生きた医師。脳組織の検査により、異常なタンパク質の蓄積と神経細胞の変性が明らかになる神経変性疾患を初めて報告し、アルツハイマー病を発見した。
【医学の部屋|アルツハイマー】神経変性疾患の第一人者
0033フランス共和国出身
1771-1802を生きた医師であり解剖学者。現代医学においては組織学の父と称されている。さまざまな組織の構造と機能を詳細に研究し、それぞれの組織が独自の役割を果たしていることを示し組織学の概念を提唱。
【医学の部屋|ビシャ】組織学の父
0044英国出身
1578-1657を生きた医師。著書De Motu Cordisで心臓はポンプとして機能し、血液は循環系を通じて体内を循環すると血液循環の理論を提唱。心臓は拡張期と収縮期を繰り返すことで血液を体内に押し出し、動脈から静脈経由で心臓に戻り、その血管は一方通行であり弁がその役割を果たしていることを解いた。
【医学の部屋|ハーベー】血液循環の証明者
0041スイス連邦出身
1493-1541を生きた医師であり錬金術の分野で活躍。伝統的な錬金術の要素を取り入れ、物質の三元素(三大原質)である硫黄、水銀、塩のバランスを調整することによって、病気や不均衡な状態を修復することができると主張し、また病気の原因を突き止め、似た物質で治療する類似療法を新しい医療方法を提案した。
【医学の部屋|パラケルスス】錬金術を医学に応用
0001アメリカ合衆国出身
1913-1994を生きた医学者は、脳における右脳と左脳の役割を解明し、1891年ノーベル生理学・医学賞を受賞
【医学の部屋|Roger Wolcott Sperry ロジャー・ウォルコット・スペリー】1981年ノーベル生理学・医学賞~右脳と左脳~
0001アメリカ合衆国出身
1879-1970を生きた医学者は、それまで癌は遺伝子やホルモンの変化で引き起こされるものとされた定説に加え、ウイルスがそれらを惹起すること突き止め、1981年ノーベル生理学・医学賞を受賞。
【医学の部屋|Francis Peyton Rous フランシス・ペイトン・ラウス】1966年ノーベル生理学・医学賞~癌とウイルス~
0061オーストラリア連邦出身
1898-1968を生きた医学者はフレミングによるペニシリンの発見から、活性物質の抽出によって治療薬となり大量生産技術開発により多くの感染症患者を救い、1945年ノーベル生理学・医学賞を受賞。
【医学の部屋|Howard Florey ハワード・フローリー】1945年ノーベル生理学・医学賞~ペニシリン臨床応用~
0044英国出身
1876-1935を生きた医学者は、カナダ・トロント大学教授として若手研究者であったバンティングとベストによるインスリン発見の指導教官として1923年ノーベル生理学・医学賞を受賞。
【医学の部屋|John James Richard Macleod ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド】1923年ノーベル生理学・医学賞~インスリン~
0034スペイン王国出身
1852-1934を生きた医学者はニューロンという独立した神経細胞が互いに接触することで神経が成り立っているという説を提唱し1906年ノーベル生理学・医学賞を受書
【医学の部屋|Santiago Ramón y Cajal サンティアゴ・ラモン・イ・カハール】1906年ノーベル生理学・医学賞~ニューロンを提唱~
0001カナダ出身
1891-1941を生きた医学者はインスリンの発見を行いマクラウドと共にノーベル医学賞を1923年、32歳の最年少で受賞。
【医学の部屋|バンティング】11月14日は何の日?World Diabetes Day!
0049ドイツ連邦共和国出身
1734-1815を生きた催眠術Mesmerise(メスメライズ)を提唱した医師。ルイ16生やマリー・アントワネットなども興味を示したこの催眠療法はオカルト?、ペテン師とも揶揄されるが、現在の催眠療法や精神分析学に受け継がれている。
【医学の部屋|Franz Mesmer フランツ・メスマー】催眠術生みの親はアルモニカと共に…
0033フランス共和国出身
1787-1872を生きた臨床疫学の父は、ベッドサイドでの患者観察と剖検所見の照合を行い、現代で言うところのEBM(Evidence Based Medicine)の道を切り開く。1800年代半ばまで標準治療であった瀉血治療の臨床研究を通じてその効果の疑いを発表し医学の発展に名を響かす。
【医学の部屋|Pierre-Charles Alexandre Louis ピエール=シャルル・ルイ】EBMの考え方を示した男
0033フランス共和国出身
1745-1826を生きた当時、精神病患者「狂気」と扱われ鎖で拘束する時代に精神病患者を「病気」と捉え鎖から解放し、その治療の必要性を説いた精神医学の父、そして近代精神医学の祖と称される。
【医学の部屋|Philippe Pinel フィリップ・ピネル】フランス革命と同じくらいの革命を起こした精神障害治療
0044英国出身
1827-1912を生きたルイ・パスツールの研究からヒントを得て消毒を初めて外科手術に用いた医師。ゴミの腐敗臭を軽減する石炭酸(フェノール)に着目して術中・術後の感染を激減させた消毒法の父。
【医学の部屋|Joseph Lister ジョセフ・リスター】消毒はわたしが考えました
0044英国出身
1749-1823を生きた世界で初めてワクチンを作った医師。天然痘ワクチンの発明、予防接種を行い全世界に影響力を及ぼし、免疫学の父とも称される。
【医学の部屋|エドワード・ジェンナー】ワクチンを世界で初めて作った男
0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1668-1738を生きた18世紀ヨーロッパ科学界の最高権威者は医学教育の父とも称され、ベッドサイドトレーニング(BST)を初めたことで知られ、今もなお医学生、研修医生のスキルアップに用いられるトレーニングである。
【医学の部屋|Herman Boerhaave ヘルマン・ブールハーフェ】BSLをスタートさせた医学教育の父
0033フランス共和国出身
1709-1751を生きた医師であり哲学者は心霊現象は脳の中に起こっている生理学的プロセスと解き科学心理・認知科学の先駆者として現在評価されています。
【医学の部屋|La Mettrie ラ・メットリー】18世紀にアバターなるものを考えていた!?彼がいま生きていたら
0032ベルギー王国出身
1514-1564を生きた医師であり解剖学者は近代医学の発展のために最も大切なラテン語による全7巻で構成された解剖学・生理学書「ファブリカ」の著者。古代医学の絶対的権力ガレノスやヒポクラテスの色濃く残る時代においてまさにルネサンスとなった。
【医学の部屋|Andreas Vesalius アンドレアス・ヴェサリウス】医学界ルネサンスの扉を開く
0033フランス共和国出身
1510-1590を生きた床屋から宮廷外科医となった近代外科学の父。ルネサンス時代、四代のフランス国王の侍医を務めたパレは当時の常識を覆す治療法をあみ出し、近代外科学の基礎を築いた。
【医学の部屋|Ambroise Paré アンブロワーズ・パレ 】我は処置す、神が癒し給う
0033フランス共和国出身
1497-1558を生きた天文学者であり医学者は人体の臓器機能をまとめて「Physiology」生理学と発表。
【医学の部屋|Jean Fernel ジャン・フェルネル】私が命名したのはPhysiology・生理学
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きたローマ教皇侍医はペストと戦い、そして14世紀最大の外科学書となる「大外科書」を完成させた。
【医学の部屋|Guy de Chauliac ショーリアック】14世紀ペストと戦った外科医
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医師の中の医師と称される生物・化学・医学者はデーターサイエンティストの巨人。910年出版「天然痘と麻疹に関する書物」で天然痘と麻疹の違いを医学知見。
【医学の部屋|Abu Bakr al-Razi アル・ラーズィー】データーサイエンティストの巨人

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医学の部屋(日本出身)・新着偉人(It's New)はこちらから

07福島県
1828-1897を生きた日本社会福祉の基礎を築いた社会慈善家は女性初の藍綬褒章を受賞、日本におけるナイチンゲールと称される。
【医学の部屋|瓜生岩子】初代!?日本のナイチンゲール
13東京都
1733-1817を生きた蘭方医は若狭国小浜藩医。手に入れたオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を前野良沢らと共に翻訳し日本初の解剖学書である「解体新書」を著した。
【医学の部屋|杉田玄白】日本初の解剖学書を著しました
03岩手県
1757-1827を生きた蘭方医は杉田玄白に学び、江戸時代末期の医術を広め解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させた。
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28兵庫県
1889-1971を生きた女性医師でありワクチン研究で博士号取得、初の女性国会議員39名の一人。
【医学の部屋|中山たま】医師であり、初の女性衆議院議員
20長野県
1881-1975を生きた東京女子医科大学1期生の女性医師、初の女性国会議員39名の一人でもある。
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22静岡県
1855-1931を生きた日本における法医学の祖であり、医学を通じた国際貢献の一環として同仁会設立し副会長の職務を全う(会長は大隈重信)。
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32島根県
1862-1922を生きた陸軍軍医は留学先のドイツにて医学はもちろんのこと文学をも学ぶ。帰国後陸軍医総監まで登りつめた一方、号を鴎外とした文壇としての地位も確立し医学文学の世界で活躍した。
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43熊本県
1853-1931を生きた医師であり伝染病予防や細菌学の発展に尽力され国民衛生向上につながり、また慶應大学医学部をはじめ数々の研究機関創設を通じて医学者の育成にも大きな功績を残された。
【医学の部屋|北里柴三郎】恩人福沢諭吉先生へ捧げる人生
41佐賀県
1822-1902を生きた日本赤十字社創始者。佐賀の七賢人とも称えられる
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13東京都
1844-1882を生きた蘭方医であり陸軍軍医総監、有栖川宮熾仁親王に従ってロシアへ向けて出立するも途中のフランスで39歳で早世。
【医学の部屋|林 研海 Kenkai Hayashi】私の妹は榎本武揚に嫁ぎました
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1835-1901を生きた蘭方医であり徳川慶喜奥医師、戸塚静海は養父。高木兼寛と共に慈善病院(現東京慈恵会医科大学)を創立。日本海軍医。
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17石川県
1805-1880を生きた蘭方医であり徳川家茂奥医師、大槻俊斎・伊東玄朴らとお玉が池種痘所設立
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41佐賀県
1801-1871を生きた近代医学の祖と評さる蘭方医は徳川13代将軍家定奥医師を戸塚静海と共につとめ、お玉が池種痘所の開設もおこなった。
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1799-1876を生きた江戸三大蘭方医のひとり。徳川13代家定奥医師をつとめ、お玉ヶ池種痘所開設に尽力
【医学の部屋|戸塚静海 Seikai Totsuka】東大医学部の前身となる神田お玉ヶ池種痘所設立メンバーの一人
23愛知県
1779-1848を生きた漢方医(古医方)でありインド医学(仏教医学)の影響を受けたとされ「古訓医伝」を著書
【医学の部屋|宇津木昆台 Kondai Utsugi】江戸時代における傷寒論研究の第一人者
35山口県
1771-1849を生きた蘭方医で1822年コレラ流行時には臨床方針を考案。山口県生まれで長州藩医をつとめた。
【医学の部屋|斎藤方策 Housaku Saito】漢蘭折衷医学のスペシャリスト
24三重県
1770-1835を生きた蘭方医で津山藩医をつとめた。江戸時代のベストセラー医学書「医範提綱」を出版
【医学の部屋|宇田川玄真 Genshin Utagawa】芝蘭堂四天王筆頭
34広島県
1762-1848を生きた日本西洋医学における眼科医の祖、眼球の解剖から白内障手術の成功
【医学の部屋|土生玄碩 Genseki Habu】日本眼科医の祖
13東京都
1756-1798を生きた津山藩医、漢方学から蘭学へ変更し日本初の内科書『西説内科撰要』を発刊
【医学の部屋|宇田川玄随 Genzui Utagawa】日本初の内科書「西説内科撰要」刊行
14神奈川県
1751-1822を生きた江戸時代の医師は産科学のスーパードクターは江戸時代に産科を切り開いた医師は産科発蒙を発表、その中で英国産科医スメリーによる鉗子分娩を広める。当時の鉗子は竹製であったそう。また鼻茸(ポリープ)離断を係蹄法を用いた術式は世界初とされている。
【医学の部屋|片倉鶴陵】江戸時代のスーパードクターは名産科医
13東京都
1723-1803を生きた中津藩医であり蘭学者、杉田玄白と共に解体新書を発刊
【医学の部屋|前野良沢】蘭学の化け物
26京都府
1706-1762を生きた日本における解剖学の祖、日本において人体解剖を幕府の許可を得て実施
【医学の部屋|山脇東洋】日本解剖学の祖
11埼玉県
1465-1544を生きた日本における東洋医学(漢方医学)の祖
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
45宮崎県
1849-1920を生きた宮崎県出身の海軍軍医、東京慈恵医科大学創設者は麦飯男爵の異名には、江戸時代より「江戸わずらい・大阪腫れ」と恐れられていた風土病「脚気」を、明治に入り留学から帰国した医学界のエリート兼寛氏が、軍医として麦飯に着目(加えてタンパク質も)し、日本初ともいわれる疫学調査を2軍艦を用いて食事由来であることを証明。この功績から男爵位を授けられ、広く国民から賛辞のまととなる。
【医学の部屋|高木兼寛】海軍カレー創始者?麦飯男爵?東京慈恵会医科大学創始者
20長野県
1901-1992を生きた長野県出身の医学者であり皮膚科医は日本医科大学卒、1947年には同校皮膚科学教室第8代教授就任。病院長等の要職もつとめ1972年には日本医科大学付属ワクチン療法研究施設を創設、所長に就任。生涯丸山ワクチンによるがん治療研究・臨床に力を注いだ。
【医学の部屋|丸山千里】30年経った丸山ワクチンはいま
11埼玉県
1851-1913を生きた埼玉県出身の日本初女性医師は18歳のとき、不慮の病に罹り婦人科治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意。しかし、当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、制度改正に奔走。こうして吟子女史は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日本で最初の公認女性医師となる。
【医学の部屋|荻野吟子】注目のDoodle登場は日本初の女性医師
23愛知県
1852-1927を生きた愛知県出身の日本人女性3人目の公許女医(医師)は済生学舎に女子入学を許可させ、産科での貧窮者の無償施療、乳児院での無償の種痘治療などの慈善活動を生涯にわたり展開した。
【医学の部屋|高橋瑞子 Mizuko Takahashi】 日本女性医師3人目

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0039イタリア共和国出身
1880-1968を生きた作曲家であり音楽指導者。母校であるパルマ音楽院、フィレンツェ音楽院、ミラノ音楽院、ローマのサンタ・チェチリア音楽院などの指導者を歴任した。主な活動は、19世紀のイタリアオペラが目指したベルカント様式からの離脱を試み、新しい音楽の方向性を模索した。その集大成としてAssassinio nella cattedraleなどがある。
【音楽の部屋|ピツェッティ】19c.伊オペラ番外編⑤New!!
0039イタリア共和国出身
1867-1957を生きた指揮者。1886年南米ツアーにチェリストとして帯同したとき、ヴェルディのオペラAidaを指揮するう機会を得て見事に成功を収め、わずか19歳で指揮者としてキャリアをスタートさせた。その後1892年にはヴェリズモ・オペラの作曲家レオンカヴァッロの作品Pagliacciの初演を指揮している。祖国イタリアで交響楽団の指揮も高い評価を得て、その名は国際的に広く知られるようになると、活動拠点をニューヨークに移しメトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・フィルハーモニックなどで精力的に活動を展開した。その指揮は、時に荒々しく、繊細で完璧を求める姿はその映像記憶力にあり、その後の多くの指揮者に影響を与えた。
【音楽の部屋|トスカニーニ】19c.伊オペラ番外編④

いらすとすてーしょん新キャラクター

館長

2022年より"いらすとすてーしょん"にお立ち寄りいただきありがとうございます

館長

さて本年いらすとすてーしょんの新キャラクターが誕生しました

館長

シューちゃんです

シューちゃんはいらすとすてーしょんのキャラクターです
シューちゃん

シュー(Syu)です
よろしくね

館長

3年目を迎えた2024年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

いらすとすてーしょんからのお知らせ

創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
創業78年を迎える栄光社HP新企画「イチオシ」と


いらすとすてーしょん「Syusuke Gallery」


コラボレーション
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