「いらすとすてーしょん」
2022年6月推し偉人
岡山が生んだ近代日本医学の祖こと緒方洪庵
江戸幕末に活躍した蘭方医であり大阪に1838年に「適塾」を開き蘭学の門を広げました。そしてその適塾は大阪医学校にかたちを変え、現在の大阪大学医学部に発展、今日も数々の医師を輩出しています
その緒方洪庵の生きた時代から今の日本を綴ります
※世界保健機関(WHO)は動物由来のウイルス感染症名称を「サル痘」から「M痘」と呼ぶよう推奨しています
2022年11月28日現在
緒方洪庵
Kohan Ogata(1810-1863)
ようこそ!フリーイラストポートレートと
歴史の停車場いらすとすてーしょんへ
こちらのページでは緒方洪庵 去る天然痘!来るサル痘?ワクチン大規模接種は江戸時代から!?をお楽しみください
緒方洪庵
イラストポートレート Syusuke Galleryより
さる天然痘!くるサル痘?
〜ワクチン大規模接種は江戸時代
から!?〜ものがたり
シーボルト登場
今回案内役は私が務めます!
本名はフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト…
長いので"シーボルト"と呼んでください。
1796年ドイツ貴族階級の出身で、父はヴュルツブルク大学医学部産婦人科教授で有名なお医者さんだったんだ
町医者だった私
実は名声が欲しくて考えた末にオランダへ
そして運良く?オランダ政府から派遣の機会を得て日本の地を踏みました
【医学の部屋|シーボルト】ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤
ドイツ人だったけど、オランダ人に扮してね…
それは、ここだけの話にして本題へ!
最近では入試問題にも「ワクチンの歴史」出題されるらしいね
戸塚静海登場
ところで静海。人類初のワクチンを開発した人を覚えてるかな??
世界初のワクチンを作った男・ジェンナー
エドワード・ジェンナーらぁ
【医学の部屋|エドワード・ジェンナー】ワクチンを世界で初めて作った男
さすが愛弟子の戸塚静海(トツカ セイカイ)!
正解(せいかい)!
ジェンナーはイギリス人で、乳牛の間で牛の天然痘(牛痘)が流行
その時、牛痘に感染した牛の乳搾りをしている人は、天然痘にはかからないことに目をつけた!
この牛痘は天然痘に比べて毒性が弱いことから、天然痘ワクチンの元祖となった
そうしてジェンナーは1796年に論文発表したんだったよな
静海は優等生だったな
さてこの牛痘(これからはワクチンと記載するよ)が日本に届いたのは、私が鳴滝塾を開設する1年前の1823年だったから、ジェンナーが発見してから30年も後のことだったんだ
でも届いたワクチンは活性(効力)が無くなっていたから効果ゼロ
あの時は落胆したなぁ
そうでしたらぁ
確かそれからかなり時が過ぎ、1849年にシーボルト先生と同じ職務(オランダ商館医)であった、オットー・モーニケ先生のもとで日本も活性(効力)のあるワクチンをやっと手に入れることができましたらぁ
最初に飛びついたのは佐賀藩だった?
そうでしたらぁ
私と共にシーボルト先生から学んだ楢林宋建がリードしましたらぁ
そうして先生の弟子たち蘭方医ネットワークで、西から東へと広めていきました
また大阪で適塾(大阪大学医学部の前身)と、クリニックを開業していた緒方洪庵が1849年種痘所を開き、翌1850年に「除痘館」を開いてワクチンの確保と分配の中心的役割を担うことになったらぁ
江戸末期に天然痘(疱瘡)予防の普及活動の拠点となったのが、緒方洪庵を核とする大阪の「除痘館」です
緒方ビルはその跡地にあたります。当資料室は、「除痘館」の活動と足跡を記念して、資料の展示、公開をしております
緒方洪庵登場
今回の推し偉人を仰せつかりました「緒方洪庵」です
生まれは岡山県、そして大阪で中天游先生の私塾「思々斎塾」で学び、江戸、長崎にも留学し西洋医学を学びましたんねん
そして日本が手に入れたこのワクチンを運良く同じ年の1849年にわたしも京都で手に入れることができたのが幸いでしたわぁ
その縁あって種痘所、除痘館につながったんよ
と、いうことは洪庵が日本で初めてのワクチン接種会場を作ったってことか!?
世間的にはそのようですわぁ。
当時は、この治療をすると「牛」になるという迷信や、紛い物の天然痘治療法まで現れたりと、いろいろ大変で
ちなみに同1850年には私の生まれ故郷岡山の足守藩からも声が掛りましてな
足守除痘館をつくって集まる医師たちにワクチンを分与し接種方法などを指導させていただきましたんねん
洪庵はワクチンの普及に尽力したんだな
さぞかし足守藩も助かったんだろうな
ところで、静海!? 首都江戸(東京)はどうなっていたのか?
私らもワクチン普及したくて頑張っていたのですが、何より当時の江戸は漢方医の天下でしたから、私たちの蘭方(西洋)医学は蚊帳の外の状況でして
ぐっっ
いつの時代も同じだなぁ…
言い訳がましいですが、洪庵氏が「除痘館」を開いた同じころに、漢方医が結成する「医学館」が当時の幕府老中首座阿部正弘に謀って出された「蘭書翻訳取締令」が痛かったらぁ…
当時老中首座を務めた阿部正弘です
あの時はそうするしかなかったんだ
洋学はある程度許容したけど蘭方(西洋)医学は、私自身も受け入れられない個人的な思いがあった(のかも…)??
なんだかややこしくなってきたぞ
それで江戸はどうなった?
個人的に振り返ると「ペルリ」が一変させましたらぁ
ペーリー来航でどうなった?
1年がかりだったけどさ
再来した1854年日米和親条約が締結。これで鎖国政策は終わりを告げることになって、この開国の波で蘭方医学を認める役人も現れて、蘭方医であるわたしも奥医師(将軍とその家族の診療に従事)に任命されましたらぁ
その結果、漢方医が作る医師会「医学館」は衰退の一途を…
そうなると江戸でもワクチンが普及するん?
お玉ヶ池種痘所
おかげさまで洪庵から遅れること9年歳月が経ってしまいましたが、わたしも含め大槻俊斎氏や伊東玄朴氏ら総勢83名の蘭方医を結集して江戸にお玉ヶ池種痘所を建てましたらぁ
これで大手を振ってワクチン投与を江戸で開始!
よく頑張りましたなぁ
この種痘所は最初、私営だったけどその後、幕府直轄となって、ゆくゆくは今の東京大学医学部となるんやなぁ
そうです!
あなた様が初代頭取の大槻俊斎氏亡き後「2代目頭取」として1962年種痘所改め「西洋医学所」の指揮をとってくださいまして、さらに基礎を固めていただけたお陰ですらぁ
そう言ってくれるとありがたい!
少し健康上に不安もあって江戸には出ることは考えられなかったがぁ、再三の幕府の要請とあらば断る理由もなかったんよぅ
翌年1963年数え54年の生涯を閉じられますが、天然痘と戦った人生だったのですね
いま振り返ると近代医学をスタートできた一旦に担えたことは誇りさかい
その後も後輩が受け継いでくれたことが嬉しいんよ
そうしてこのワクチンは人工的に弱毒化して、ついには無毒化できて、今のワクチンになったんよねぇ
おかげさまでワクチンの普及の甲斐あり、天然痘はついに1980年WHOによって根絶宣言にいたった
でも最近、サル痘の話題が世界で広がっているようらぁ
心配!でもサル痘にはこの天然痘ワクチンが85%程度有効との報告も。ただ世界で感染数が増加しているので予断できない状況だ
いつの時代も、そしてこれからの時代もウイルスとの戦いだ
そういえば、ここ数年世界は新型コロナウィルスで大変だったんだよねぇ?
2019年末に発見された新型コロナウィルス(COVID -19)は2020年パンデミックとなり世界は震撼
一方で医学は大きく進歩しているから新型コロナワクチンは脅威的なスピードで開発できた
それをなによりも、製造や輸送技術も支えて、世界へ一気に届くのだからすごいことだよね
そういえば、わたしのつくった「除痘館」のような接種会場が、今もあると聞いたんやけど
今の大規模接種会場
国が会場を作って連日ワクチン接種を促進しているんらぁ
これはその一つの自衛隊が運営する大規模接種会場らぁ
ちなみに私らの「お玉ヶ池種痘所」から現在の自衛隊東京大規模接種会場までは約1.5キロメートルぐらいの近距離みたいらぁ
170年の時を経て、同じような場所でワクチンを広めているのは感慨深い
そして江戸の頃もワクチン接種を広めることが難しいことだったけど、今もなお…なんだろうな
これからも新たなウイルスが出てくると思うけど、人類に乗り越えられない壁はないと思って立ち向かっていかないとだな
「緒方洪庵」と長崎、関西、江戸(東京)を舞台に天然痘に挑んだ偉人たち…
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました
天然痘
天然痘の正確な起源は不明であるが、最も古い天然痘の記録は紀元前1350年にあり、天然痘で死亡したとされている最古の記録は紀元前1100年代エジプト王朝ラムセス5世とされ、彼のミイラから天然痘の痘痕が認めらています。 渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミック(地域を越えた大規模伝染)が見られたと考えられています。まさにこのころ新羅(朝鮮半島)から弥勒菩薩像と共に仏教伝来の時期と重なり、当時天然痘に罹るということは、日本古来の神が怒った「神罰」との迷信がが広がり、仏教を支持していた当時の権力者「蘇我一族」の実効支配が低下したと考えられています。 日本書紀の中には「瘡かさ発いでて死みまかる者――身焼かれ、打たれ、摧くだかるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うとと意味する記載あり、日本で初めての天然痘の記録とされています。 古い記録をもう一つ、8世紀平城京の政権を率いていた藤原四兄弟(南家、北家、式家、京家)が相次いで死去。遣唐使船によって持ち込まれたとされる天平の疫病大流行でした。当時はまだ怨霊の仕業とされていた天然痘、ここで聖武天皇は仏教に救いを求め奈良の大仏を象徴とする一大国家プロジェクトを遂行します。 時代は進み時は戦国時代。独眼竜の異名で知られる奥州戦国大名「伊達政宗」が幼少期に右目を失明したのも天然痘所以であり、失明の原因で最も高かったのは天然痘によるものとされています。 そうして世界はこの天然痘との戦いが3000年続きましたが、医療の進歩と共に1980年WHOは根絶宣言を発します。しかし類似ウイルスとしてサル痘に代表されるように現在感染の拡大が危惧されています。
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