マリー・フランソワ・グザヴィエ・ビシャ





Xavier Bichat(1771-1802)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは ビシャ 18世紀に活躍した

世界の医学者⑩
をお楽しみください

ビシャ
イラストポートレート Syusuke Galleryより

18世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より18世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)16世紀以前に活躍した世界の医学者たち

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)18世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)19世紀に活躍した世界の医学者たち

ビシャって?

館長

さて今回はビシャをお届けします

シューちゃん

ビシャはどんな医学者だったの?

病理学を進めたビシャ

館長

ビシャはフェルネル、モルガーニと続いた病理学の分野をさらに進めた一人でした

1497-1558を生きた天文学者であり医学者は人体の臓器機能をまとめて「Physiology」生理学と発表。
【医学の部屋|Jean Fernel ジャン・フェルネル】私が命名したのはPhysiology・生理学
1682-1771を生きた医学者。フェルネルの病理学、ヴェサリウスの解剖学をあわせた病理解剖学の分野を切り拓く。症状による解剖所見などの700症例にもおよぶ観察記録をDe Sedibus et Causis Morborum per Anatomen Indagatisとして1761年より刊行。これにより正常組織と病的組織の比較という視座が生まれた。
【医学の部屋|モルガーニ】18世紀に活躍した世界の医学者⑦
シューちゃん

病理学ということは解剖学に明るかった?

館長

シューちゃん、その通りです

館長

ビシャは自宅で解剖教室を開いて解剖学の研究に没頭していたとされています

館長

そしてビシャは、器官の構造単位が組織であることを発見します

シューちゃん

と、いうことはフェルネルが16世紀に病理学という分野を切り開いて、18世紀中頃にモルガーニが病気は器官で起こることを発見して…

館長

ちなみに、1554年フェルネルのUniversa medicinas 第2部は病理学について記述されています
※INTERNET ARCHIVEより

シューちゃん

その後、ビシャ病気は器官の構成単位の組織で起こることを発見したってこと??

館長

うまくまとめていただきました

館長

参考までですが、ビシャの組織に病理が宿るという視点から約半世紀後1858年 Rudolf Virchow(1821-1902)は自書Cellular Pathologyで病気は細胞の障害に基づいていると著しました

シューちゃん

すべての細胞は細胞より生ず…と言った医学者だよね
"die Zelle wirklich das letzte Formelement aller lebendigen Erscheinungen sowohl im Gesunden als im Kranken ist, von welchem alle Tätigkeit des Lebens ausgeht"

館長

そのビシャは1801年にAnatomie générale(一般解剖学) を著して人体の21種類の組織を記述します
※INTERNET ARCHIVEより

館長

これによってビシャは組織学の祖とも称されているのですね

生気論を支持したビシャ

館長

そしてドイツの哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論をビシャも支持していました

シューちゃん

機械論、生気論についてはラ・メトリーのページ で簡単に紹介しているよ

1709-1751を生きた医学者。オランダ・ライデン大学でブールハーフェに師事。師の提唱した古来の学説をもとにした生理学とデカルト発の機械論的な視座を併せ持つ機械論的生理学をフランスに持ち帰り、さらに発展させた人間機械論(1747年)を展開した。その主張はフランスでは受け入れられず、のちにベルリンに亡命しフリードリヒ大王の庇護を受けた。
【医学の部屋|ラ・メトリ】18世紀に活躍した世界の医学者②
シューちゃん

そして、確か前回のブルーメンバッハ生気論を支持していたよね?

館長

シューちゃんの仰る通り、フランスではこのビシャやピネルが、そしてドイツではブルーメンバッハが正気論の代表的な支持者でした

1745-1826を生きた医学者。19世紀新たな分野として脳医学を発展させる。それまでは精神病とされた人を鎖で繋ぐなど拘禁の時代に、同僚であったPussin(1745-1811)がその拘禁から解放し待遇改善を行なったのをヒントに医学者として、その行為の妥当性を提唱した。その環境下で精神病の特徴を昼夜観察し、精神医学分野を切り開くTraité médico-philosophique sur l'aliénation mentale(1801年)を著し、精神医学の祖と称されている。
【医学の部屋|ピネル】19世紀に活躍した世界の医学者①
1752-1840を生きた医学者。1789年に著したAnfangsgründe der Physiologie(生理学の基礎)は18世紀の生理学書としてこの分野をまとめ上げる。また前成説の否定派であり、生気論の支持者でもあった。人種という概念を打ち立てたことでもその名を馳せ、人類をコーカサス,モンゴル,エチオピア,アメリカ,マレーの5人種に分類した。
【医学の部屋|ブルーメンバッハ】18世紀に活躍した世界の医学者⑨

次回はシュタール

館長

さて、18世紀に活躍した世界の医学者⑩ビシャは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回はシュタールを取り上げるよ

1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
館長

今回の18世紀に活躍した世界の医学者⑩の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

18世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-220049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ

2024-05-090049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|ブルーメンバッハ】18世紀に活躍した世界の医学者⑨

2024-05-080039イタリア共和国出身

【医学の部屋|ガルヴァーニ】18世紀に活躍した世界の医学者⑧

2024-05-060049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|メスメル】18世紀に活躍した世界の医学者⑥

2024-05-050044英国出身

【医学の部屋|ジョン・ハンター】18世紀に活躍した世界の医学者⑤

2024-05-040041スイス連邦出身

【医学の部屋|ハラー】18世紀に活躍した世界の医学者④

2024-05-030031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|インヘンハウス】18世紀に活躍した世界の医学者③

2024-05-020033フランス共和国出身

【医学の部屋|ラ・メトリ】18世紀に活躍した世界の医学者②

2024-05-010031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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19山梨県
1885-1962を生きた俳人。早稲田大学英文科に進学し、早稲田吟社に参加し「国民新聞」へ投句を開始。また「ホトトギス」の句会に参加し高浜虚子に師事した。しかし師の俳壇引退を受け、学業を捨て郷里に帰郷。その後、虚子の俳壇復帰を知り、「ホトトギス」へ投句を再開し、代表俳人となる。1917(大正6)年には俳誌「雲母」を主宰し、生まれ故郷のの山村「山廬」を拠点に格調高い句風を築く。戦中・戦後も俳壇の流行におされることなく、創作を続け、句集「山廬集」「椿花集」などを刊行。自然と精神性を融合させた句の数々は、近代俳句の象徴として高く評価された。本名は飯田武治(たけはる)。
【文学の部屋|飯田蛇笏】大正時代編.46New!!
40福岡県
1884-1966を生きた独文学者であり文芸評論家。第一高等学校から東京帝国大学独文科に進み、在学中に夏目漱石の門下生となり、木曜会に参加。そこで、寺田寅彦、高浜虚子らと交流。卒業後は慶應義塾大学、東北帝国大学で教鞭を執り、漱石全集の編纂にも尽力する。戦後は東京音楽学校校長などを歴任。著書「夏目漱石」で1954(昭和29)年に日本芸術院賞を受賞。芭蕉や歌舞伎、能など日本の伝統芸術にも造詣が深く、評論・随筆・翻訳など多方面で活躍。漱石研究の第一人者として、近代文学の記録と批評に大きな足跡を残した。その漱石著「三四郎」のモデルともされている。
【文学の部屋|小宮豊隆】大正時代編.45
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

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