ピエール シャルル・ルイ





Pierre Charles Alexandre Louis(1787-1872)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは ルイ 19世紀に活躍した

世界の医学者⑤
をお楽しみください

ルイ
イラストポートレート Syusuke Galleryより

19世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より19世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)18世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)19世紀に活躍した世界の医学者たち

ルイって?

館長

さて今回はルイをお届けします

シューちゃん

ルイはどんな医学者だったの?

統計的手法を用いた医学者

館長

一言で申しますと、観察に統計的手法を用いた医学者でした

シューちゃん

統計的手法ね… ??

館長

その一つ、古来より発熱には瀉血という治療が有効だと考えれていました

シューちゃん

瀉血??

館長

当時の発熱の原理は臓器が炎症して起こると考えられていたのです

館長

そして炎症を抑えるためには、体内に溜まった毒(有害物のようなものでしょうか)を血液と共に排出を外に出すことで発熱が治ると考えられていたのです

シューちゃん

それが瀉血なんだね
※現在の医療でこの瀉血治療が有効な病気(国立長寿医療研究センターWeb pageより )などがありますが、ここでは古典の瀉血を取り上げています

館長

生理学・病理学の権威ブルセ(Broussais 1772-1838)のころ、つまり19世紀はじめがこの瀉血の最も支持された時期でした

館長

その頃、ルイは患者の観察記録と病理解剖に勤しんでいました

シューちゃん

約2000症例の観察記録、そして約400症例の病理解剖所見って書いてあったね

館長

症例を集めているうちルイは、この瀉血の効果に疑問を持ちはじめます

シューちゃん

瀉血という治療の効果に何か引っ掛かるものがあったのだろうね

館長

そしてルイはそのデータを数値化して分析、時に治療を受けたグループと受けなかったグループの効果の違いの検証にも乗り出していたそうです

シューちゃん

だからルイを疫学の始まりとする人もいるのだね

館長

その結果を1828年Médecine Générale(医学年報)という医学雑誌にResearch on the effects of bloodletting in some inflammatory diseasesとして著しました

館長

その後、1834年にはAn essay on clinical instructionとしてmerican Journal of the Medical Sciencesに著しています
※INTERNET ARCHIVEより

シューちゃん

それでどうなったの?

館長

当初は、先に紹介したブルセなど、多くの医学者の賛同を得られることはなかったそうです

館長

しかし、その後ルイの研究は支持を集め、その後この古典的な瀉血はその姿を薄めていきました

シューちゃん

この凄い研究も日々の臨床力があってこそだったのだろうな

館長

今回取り上げましたルイの瀉血に関する内容は、古典的治療としての瀉血を取り上げており、現在治療法として適応されている瀉血でないことを、改めてお伝えさせていただきます

次回は16世紀以前に活躍した世界の医学者

館長

さて、19世紀に活躍した世界の医学者⑤ルイは如何でしたか?

シューちゃん

今回の19世紀に活躍した世界の医学者はここまでだね

館長

みなさんにとって印象に残っている19世紀の医学者はどなたですか?

シューちゃん

みんな印象的だったからな…

館長

次回、活躍した世界の医学者シリーズは16世紀までの医学者を取り上げます

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

また会おうね!

館長

今回の19世紀に活躍した世界の医学者⑤の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

19世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-140033フランス共和国出身

【医学の部屋|ラエンネック】19世紀に活躍した世界の医学者④

2024-05-130033フランス共和国出身

【医学の部屋|コルヴィザール】19世紀に活躍した世界の医学者③

2024-05-120044英国出身

【医学の部屋|ジェンナー】19世紀に活躍した世界の医学者②

2024-05-110033フランス共和国出身

【医学の部屋|ピネル】19世紀に活躍した世界の医学者①

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

医学の部屋へようこそ

出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery医学の部屋 Medical Scientist
医学の部屋 Medical Scientist

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

27大阪府
1921-1980を生きた小説家。戦時中は学徒出陣で中国戦線に従軍し終戦後に復員。保田與重郎に師事し、1952(昭和27)年に短編「喪神」を発表、翌年芥川賞を受賞する。以後、ユニークな剣豪を題材とした「柳生連也斎(1955~58)」などを次々に発表し、剣豪小説ブームの口火をきり、時代小説作家として活躍。「五味の柳生か、柳生の五味か」と称されるほどの人気を博す。文体は格調高く、精神性と幻想性を融合させた独自の世界観を築いた。プロ野球、麻雀、クラシック音楽と幅広い趣味を持ち、この分野の作品も数多く手がけている。
【文学の部屋|五味康祐】昭和時代編.126New!!
25滋賀県
1920-2005を生きた歌人。神崎商業学校(現、滋賀県立八日市南高)卒業後、商社勤務の傍ら作歌を開始。戦後は短歌結社「日本歌人」に入会し、前川佐美雄に師事。1951(昭和26)年に第一歌集「水葬物語」を刊行、三島由紀夫や中井英夫らの知遇を得て、反写実的・幻想的な語彙と鋭利な批評性を備えた短歌で昭和30年代以降の短歌界に革新をもたらす。1986(昭和61)年には選歌誌「玲瓏」を創刊や近畿大学文芸学部教授(1989~1999)などを歴任し、後進の育成に尽力。晩年まで旺盛な創作を続け、現代短歌の金字塔を打ち立て、その名を文学史に刻んだ。
【文学の部屋|塚本邦雄】昭和時代編.125
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery