アルブレヒト・フォン・ハラー





Albrecht von Haller(1708-1777)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは ハラー 18世紀に活躍した

世界の医学者④
をお楽しみください

ハラー
イラストポートレート Syusuke Galleryより

18世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より18世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)18世紀に活躍した世界の医学者たち

ハラーって?

館長

さて今回はハラーをお届けします

シューちゃん

ハラーはどんな医学者だったの?

生理学を確立した医学者

館長

ハラーはフェルネルより開花した生理学をブールハーフェから学び、体系化した医学者と考えられています

1497-1558を生きた天文学者であり医学者は人体の臓器機能をまとめて「Physiology」生理学と発表。
【医学の部屋|Jean Fernel ジャン・フェルネル】私が命名したのはPhysiology・生理学
1668-1738を生きた医学者であり教育者。牧師の子として生まれライデン大学で神学、哲学を、その後独学で医学を学び、Harderwijk大学で学位を取得。博物学なども研究し、母校のライデン大学で医学講義を開始。その授業はヨーロッパ最高峰のベストティーチングと評判となり各地から聴講生が押し寄せる。同大学でヨハネス・ヘルニウス(1543-1601)より行われていた臨床実習を確立したことから、大学病院設立と臨床教育の先駆者となった。Institutiones medicae(医学教程 1708年)は主に生理学分野に特化した医学理論書、Aphorismi de Cognoscendis et Curandis Morbis(箴言 1709年)は医学実地書として著している。植物学にも明るく、門下のリンネ(1707-1778)は分類学の父と称されている。
【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①
シューちゃん

つまり生理学を確立した一人ってことかなぁ

館長

そのように考えられると思います

館長

まず1747年に生理学に関する概論となるPrimae lineae physiologiae を著します
※Internet Achiveより

館長

そして集大成は1757~66年にかけて著した
Elementa physiologiae corporis humani. 8 Bände は、生理学一つの学問レベルに押し上げました

※Internet Achiveより

シューちゃん

ハラーこれらの研究成果で生理学が確立したのだね

館長

もう一つ、ハラーはDe partibus corporis humani sensilibus et irritabilibus(v1. 1752、v2. 1753)で新たな知見を発表します
※Internet Achiveより

筋肉の刺激感応性と神経の感応性

シューちゃん

何が書いてあるの?

館長

ハラーは筋肉だけが刺激によって収縮することを発見したのです

シューちゃん

それは大きな発見だったの?

館長

それまで筋肉の存在はもちろんわかっていたのですが、どうして収縮するのかわかっていませんでした

シューちゃん

謎だったんだね

館長

筋肉の動きを物理的に考えることが一般てきだったようですが、ハラーは筋肉の中に、刺激によって反応するメカニズムがあると考えたのだと思います

館長

そして新たなこの理論はヨーロッパの知識人に大きなインパクトを与えたそうです

シューちゃん

つまり刺激によって筋肉が反応するってことだよね

館長

その通りです!シューちゃん

館長

それを筋肉の刺激感応性(irritabiity)と呼びました

館長

それと同時に、その刺激のもととなる神経が感応性(sensitivity)を引き起こすと考えたのです

シューちゃん

筋肉の刺激感応性(irritabiity)と神経の感応性(sensitivity)かぁ

館長

今ですと、これは末梢神経の感覚神経と運動神経の2つに分けられるのですが…

シューちゃん

まだハラーはそこまで気づいていなかったってことなんだね

館長

そうですが、このハラーの偉大な研究は当時のヨーロッパ中を駆け巡ったそうです

シューちゃん

すごい医学者だったんだね!

前成説を支持したハラー

シューちゃん

あと、ハラーは前成説、後成説論争で前成説を提唱したって書いてあったけど…

シューちゃん

成説、後成説って何?

館長

18世紀前成説、後成説という発生メカニズムの議論が盛んに行われました

館長

成説は生き物が発生した段階ですべての形(雛形)がそこにあるという考え方です

シューちゃん

う~ん、つまりニワトリで言えば、卵の黄身の中に目に見えないぐらいのニワトリの原型が存在しているって感じ?

館長

シューちゃん!まさにその通りです

シューちゃん

と、いうことは後成説は、成長段階で形が作られていくってこと?

館長

シューちゃん!100点満点です

館長

この議論で言えば、後成説が発展し現在に至っていますが、同時の主流は成説が占めていたそうです

シューちゃん

その発生メカニズムとしてハラーは前成説であると考えていたのだね

館長

ハラーはかなり迷っていたようなのですが、最終的な結論は前成説だったそうですよ

シューちゃん

そうやって科学は進歩していくのだね

次回はハンター

館長

さて、18世紀に活躍した世界の医学者④ハラーは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん
館長

今回の18世紀に活躍した世界の医学者④の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

18世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-220049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ

2024-05-100033フランス共和国出身

【医学の部屋|ビシャ】18世紀に活躍した世界の医学者⑩

2024-05-090049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|ブルーメンバッハ】18世紀に活躍した世界の医学者⑨

2024-05-080039イタリア共和国出身

【医学の部屋|ガルヴァーニ】18世紀に活躍した世界の医学者⑧

2024-05-060049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|メスメル】18世紀に活躍した世界の医学者⑥

2024-05-050044英国出身

【医学の部屋|ジョン・ハンター】18世紀に活躍した世界の医学者⑤

2024-05-030031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|インヘンハウス】18世紀に活躍した世界の医学者③

2024-05-020033フランス共和国出身

【医学の部屋|ラ・メトリ】18世紀に活躍した世界の医学者②

2024-05-010031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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20長野県
1877-1967を生きた歌人であり国文学者。東京専門学校(現、早稲田大学)に学び、「文庫」撰者であった与謝野鉄幹の目に留まり新詩社社友となる。大学卒業後1905(明治38)年に第一詩歌集「まひる野」を刊行し、内省的な心情を詠む作風で注目を集める。自然主義文学の影響を受け、短編小説「炉辺(1911)」なども手がけるが、次第に短歌に傾倒する。1914(大正3)年に一般文芸誌「国民文学」を創刊し境涯詠の確立していく。1926(大正15)年より早稲田大学で教鞭を執り、教授として後進の育成にも尽力。戦後は、シベリア抑留で亡くなった次男を悼む長歌「捕虜の死」は歌集「冬木原(1951)」に掲載するなど、深い人生観を湛えた作品を手がけ、日本の近代歌壇における巨星であった。本名は窪田通治。
【文学の部屋|窪田空穂】明治時代編.40New!!
33岡山県
1876-1944を生きた小説家。東京専門学校(現、早稲田大学)在学中に、島村抱月のもとで「読売新聞」の小説月評などに携わる。その後、正宗白鳥編集の読売文芸欄に「文壇無駄話」に寄稿し批評家として認めらるようになる。その後、1910(明治43)年に発表した「別れたる妻に送る手紙」で注目を集め、続編「疑惑(1913)」「黒髪(1922)」など、露骨な愛欲生活を描いた私小説で注目を浴びる。その筆名は近松門左衛門への敬慕から「近松」、秋の絵を好んだことから「秋江」とした。大正期に女児を得てからは「子の愛の為に」など家庭的情愛を描く作品も手がけ、昭和期には「水野越前守」などの歴史小説も執筆する。私小説の一つの頂点を築いた作家として、近代文学史にその名を刻む。本名は徳田浩司。
【文学の部屋|近松秋江】明治時代編.39
シューちゃん

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館長

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