ラ・メトリ





Julien Offray de La Mettrie(1709-1751)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページではラ・メトリ18世紀に活躍した

世界の医学者②
をお楽しみください
※ラ・メトリ18世紀に活躍した世界の医学者②は医学の部屋よりお届けします

ラ・メトリ
イラストポートレート Syusuke Galleryより

18世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より18世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

館長

さて今回はラ・メトリをお届けします

前回はブールハーフェ

シューちゃん

前回はブールハーフェでした

館長

シューちゃん、ご案内ありがとうございます!よろしければこちらもご覧ください↓

1668-1738を生きた医学者であり教育者。牧師の子として生まれライデン大学で神学、哲学を、その後独学で医学を学び、Harderwijk大学で学位を取得。博物学なども研究し、母校のライデン大学で医学講義を開始。その授業はヨーロッパ最高峰のベストティーチングと評判となり各地から聴講生が押し寄せる。同大学でヨハネス・ヘルニウス(1543-1601)より行われていた臨床実習を確立したことから、大学病院設立と臨床教育の先駆者となった。Institutiones medicae(医学教程 1708年)は主に生理学分野に特化した医学理論書、Aphorismi de Cognoscendis et Curandis Morbis(箴言 1709年)は医学実地書として著している。植物学にも明るく、門下のリンネ(1707-1778)は分類学の父と称されている。
【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①
シューちゃん

ブールハーフェは18世紀の医学教育を確立や生理学を体系化したのだったよね

ラ・メトリって

シューちゃん

そして今回のラ・メトリはどんな医学者だったの?

館長

ラ・メトリは、その18世紀の医学教育を確立や生理学を体系化したブールハーフェに学びました

シューちゃん

ラ・メトリブールハーフェの門下だったんだね

館長

ラ・メトリは、師ブールハーフェの考えに大きく傾倒したそうです

人間機械論 1747年

館長

そして師の説いた機械論的生理学をL'homme-machine(人間機械論 1747年)として著しています

シューちゃん

機械論的生理学??

館長

ここには哲学的思想が含まれていますので、かいつまんでお話しします

館長

フランスの哲学者デカルト(1596-1650)に端を発した機械論と、ドイツの哲学者ライブニッツ(1646-1716)の生気論という相反する思想がありました

館長

ブールハーフェはデカルトの機械論を支持し、その思想から生理学を考えていたとされています

シューちゃん

そのブールハーフェの考えをラ・メトリは継承したんだね

館長

そうなのです!そして先ほどの人間機械論を著したのでした

シューちゃん

なんとなくタイトルからわかりそうだけど、どんな内容だったの??

医学者であり哲学者

館長

お察しの通り、人間は機械であり人間が考えるということは単なる脳の性質にすぎないといったような内容が書かれています

シューちゃん

理解できるような、できないような…

館長

ちなみにこの人間機械論を著したことで、ラ・メトリは身の危険を感じて亡命にまで発展したそうです

シューちゃん

そう考えたら、ラ・メトリは医学者でもあり、哲学の世界にもその名を刻んだってことだね

次回はインヘンハウス

館長

さて、18世紀に活躍した世界の医学者②ラ・メトリは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回はインヘンハウスを取り上げるよ

1730-1799を生きた医学者。天然痘の予防方法を学ぶために渡英、そこで天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種する人痘法を学ぶ。マリア・テレジアの要請により英国王室より派遣され人痘法を行い成功させる。このことからオーストリア宮廷の侍医となる。また植物と光の関係を明らかにした研究(Experiments upon vegetables 1779年)は、その後の光合成の発見につながっている。
【医学の部屋|インヘンハウス】18世紀に活躍した世界の医学者③
館長

今回の18世紀に活躍した世界の医学者②の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

18世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-220049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ

2024-05-100033フランス共和国出身

【医学の部屋|ビシャ】18世紀に活躍した世界の医学者⑩

2024-05-090049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|ブルーメンバッハ】18世紀に活躍した世界の医学者⑨

2024-05-080039イタリア共和国出身

【医学の部屋|ガルヴァーニ】18世紀に活躍した世界の医学者⑧

2024-05-060049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|メスメル】18世紀に活躍した世界の医学者⑥

2024-05-050044英国出身

【医学の部屋|ジョン・ハンター】18世紀に活躍した世界の医学者⑤

2024-05-040041スイス連邦出身

【医学の部屋|ハラー】18世紀に活躍した世界の医学者④

2024-05-030031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|インヘンハウス】18世紀に活躍した世界の医学者③

2024-05-010031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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26京都府
1295?- 没年不明を生きた公卿。後醍醐天皇の側近「後の三房」の一人と称され、建武の新政において政策立案や文書行政を担った実務の中枢である。必ずしも高い家格に恵まれた人物ではなかったが、その卓越した実務能力を見抜かれ、天皇の掲げる理想を「制度」として具体化する重責を任された。しかし、天皇親政という高潔な理念を法令や人事に落とし込む過程で、武士たちの現実的な要求や恩賞問題との深刻な乖離に直面する。理想と現実、王権と武力。その狭間で調整に奔走するも、両者を真に結びつけることは叶わなかった。藤房は、建武の新政が直面した「文治による統治」の限界を、現場で最初に引き受けた公家であった。その存在は、醍醐天皇の理想が決して空論ではなく、国家のあり方を本気で変えようとした試みであったことを証明している。だが、恩賞の不公平や政務の混乱を諫める自らの訴えが天皇に届かないと悟ったとき、藤房は官位を捨て、突如として出家し、歴史の表舞台から姿を消す。これは、建武の新政がもはや立ち行かなくなることを予告する、象徴的な出来事となった。
【政治の部屋|万里小路藤房】南北朝時代編.4New!!
25滋賀県
1296-1373を生きた武士。近江国(現在の滋賀県)を本拠とする名門・佐々木氏に生まれ、出家して「道誉」と号した。既存の権威や形式にとらわれず、派手な振る舞いや贅沢を好む姿から、「婆娑羅」と呼ばれた異色の武将である。倒幕期には足利尊氏と行動を共にし、後醍醐天皇のもとで戦ったが、特定の理念や忠誠に身を捧げることはなかった。建武の新政が始まると、公家主導の政治が武士の現実とかけ離れていることを早くから見抜き、尊氏の離反に際しては、ためらうことなく武家政権の側に立つ。以後は尊氏の側近として、いわゆる「知恵袋」の役割を担い、室町幕府の政治と文化の基礎づくりに深く関わった。その生き方は、天皇の理想にも、公家の秩序にも縛られない「第三の立場」を貫いたものであった。戦場では勇猛に戦い、政治の場では冷静に情勢を読み、同時に茶の湯や連歌を愛好して新しい文化を育てた。その姿は、理想に殉じて散った護良親王や、利害を基準に動いた赤松則村とは異なる。動乱そのものを楽しむかのように生き抜いた佐々木道誉は、南北朝という不安定な時代が生み出した、最も現実的で柔軟な武士像を体現した人物であった。
【政治の部屋|佐々木道誉】南北朝時代編.3
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

「いらすとすてーしょん」は5年目を迎えました。今年も、皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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