ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ





Johann Friedrich Blumenbach(1752-1840)

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歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは ブルーメンバッハ 18世紀に

活躍した世界の医学者⑨
をお楽しみください

ブルーメンバッハ
イラストポートレート Syusuke Galleryより

18世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より18世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)18世紀に活躍した世界の医学者たち

ブルーメンバッハって?

館長

さて今回はブルーメンバッハをお届けします

シューちゃん

ブルーメンバッハはどんな医学者だったの?

生理学者ブルーメンバッハ

館長

ブルーメンバッハはフェルネル、ブールハーフェ、ハラーと発展した生理学をさらに進めた医学者と考えられています

1497-1558を生きた天文学者であり医学者は人体の臓器機能をまとめて「Physiology」生理学と発表。
【医学の部屋|Jean Fernel ジャン・フェルネル】私が命名したのはPhysiology・生理学
1668-1738を生きた医学者であり教育者。牧師の子として生まれライデン大学で神学、哲学を、その後独学で医学を学び、Harderwijk大学で学位を取得。博物学なども研究し、母校のライデン大学で医学講義を開始。その授業はヨーロッパ最高峰のベストティーチングと評判となり各地から聴講生が押し寄せる。同大学でヨハネス・ヘルニウス(1543-1601)より行われていた臨床実習を確立したことから、大学病院設立と臨床教育の先駆者となった。Institutiones medicae(医学教程 1708年)は主に生理学分野に特化した医学理論書、Aphorismi de Cognoscendis et Curandis Morbis(箴言 1709年)は医学実地書として著している。植物学にも明るく、門下のリンネ(1707-1778)は分類学の父と称されている。
【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①
1708-1777を生きた医学者。ライデン大学でブールハーフェに師事し、その後1736年ゲッチンゲン大学の解剖学などの初代教授となる。1747年に生理学に関する概論Primae lineae physiologiae、そして1757~66年にかけて著したElementa physiologiae corporis humani. 8 Bändeで生理学を大家となる。その中でも筋繊維の収縮は物理学的でなく筋肉内に存在する物質による作用であることを見出した。また18世紀におきた論争、前・後成説で、ハラーは前成説の立場をとったことでも知られている。
【医学の部屋|ハラー】18世紀に活躍した世界の医学者④
館長

Universa medicinas は1554年に、生理学、病理学、治療法の3部構成からなるフェルネルによって著された近代医学の扉を拓く医学書でした
※INTERNET ARCHIVEより

館長

そしてブルーメンバッハの生理学書は1789年に著したAnfangsgründe der Physiologie です
※INTERNET ARCHIVEより

シューちゃん

生理学の分野はこれらの医学者によって発展したんだね

館長

ちなみに、その生理学の分野で活躍したハラーは前成説、後成説論争で前成説を支持していたのですが…

館長

ブルーメンバッハは前成説を支持していなかったそうです

シューちゃん

前成説、後成説論争についてはハラーのページ で紹介しているから覗いてね!

生気論を支持したブルーメンバッハ

館長

そしてドイツの哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論をブルーメンバッハは支持しています

シューちゃん

機械論、生気論についてはラ・メトリーのページ で簡単に紹介しているよ

館長

ちなみにフランスで生気論を支持していたのは、次回公開のビシャでした

1771-1802を生きた医学者。解剖学では構造の単位としての組織を発見、物理・化学的性状や反応の特異性に基づいて21種の組織を分類した。またその疾患の中心は器官から組織にあると着目し、生理学、病理解剖学の分野で活躍した。代用的な書としてAnatomie descriptive(一般解剖学 1801年)などを著している。
【医学の部屋|ビシャ】18世紀に活躍した世界の医学者⑩

人類学の祖

館長

加えてブルーメンバッハは人種という概念を打ち立てたことでもその名を馳せているのです

シューちゃん

コーカサスという言葉を作ったって聞いたことがある
De Generis Humanis varietate Nativa (1775年)INTERNET ARCHIVEより

館長

頭蓋骨の比較研究から導いたそうで、コーカサス、モンゴル、エチオピア、アメリカ、マレーの5人種に分類したことから、人類学の祖とも称されています

シューちゃん

解剖学から得られた知見から生理学、そして人類学を発展させたのだね

次回はビシャ

館長

さて、18世紀に活躍した世界の医学者⑨ブルーメンバッハは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回はビシャを取り上げるよ

1771-1802を生きた医学者。解剖学では構造の単位としての組織を発見、物理・化学的性状や反応の特異性に基づいて21種の組織を分類した。またその疾患の中心は器官から組織にあると着目し、生理学、病理解剖学の分野で活躍した。代用的な書としてAnatomie descriptive(一般解剖学 1801年)などを著している。
【医学の部屋|ビシャ】18世紀に活躍した世界の医学者⑩
館長

今回の18世紀に活躍した世界の医学者⑨の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

18世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-220049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ

2024-05-100033フランス共和国出身

【医学の部屋|ビシャ】18世紀に活躍した世界の医学者⑩

2024-05-080039イタリア共和国出身

【医学の部屋|ガルヴァーニ】18世紀に活躍した世界の医学者⑧

2024-05-060049ドイツ連邦共和国出身

【医学の部屋|メスメル】18世紀に活躍した世界の医学者⑥

2024-05-050044英国出身

【医学の部屋|ジョン・ハンター】18世紀に活躍した世界の医学者⑤

2024-05-040041スイス連邦出身

【医学の部屋|ハラー】18世紀に活躍した世界の医学者④

2024-05-030031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|インヘンハウス】18世紀に活躍した世界の医学者③

2024-05-020033フランス共和国出身

【医学の部屋|ラ・メトリ】18世紀に活躍した世界の医学者②

2024-05-010031ネーデルランド(オランダ)王国出身

【医学の部屋|ブールハーフェ】18世紀に活躍した世界の医学者①

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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34広島県
1920-2015を生きた小説家。東京帝国大学文学部国文科卒業後、海軍に入り通信諜報の仕事に携わり復員する。その後、志賀直哉に師事し、1946(昭和21)年に中国から復員してきたときの体験を著した「年年歳歳」で文壇に登場。その後、1952(昭和27)年に初めての長編小説「春の城」で読売文学賞を受賞し、作家としての地位を確立。また、戦時下の軍隊生活での青春を描いた「雲の墓標(1956)」などは、第1・2次戦後派の作家とは異なった高い評価を受け、遠藤周作や近藤啓太郎らとともに「第三の新人」とも称される。また、汽車をはじめ乗り物好きで知られ、それを題材とした絵本「きかんしゃやえもん(1959)」の作者でもある。伝記物、戦記物としては、海軍提督三部作となる「山本五十六」、「米内光政」「井上成美」などを著した。1999(平成11)年に文化勲章を受章。
【文学の部屋|阿川弘之】昭和時代編.81New!!
02青森県
1909-1948を生きた小説家。幼少期より文学に親しみ、芥川龍之介に傾倒も左翼思想に接する。東京帝国大学文学部仏文科に進み、井伏鱒二に師事する。非合法運動に関係するも離脱し、大学も中退。そして、 戦前・戦後を通じて、自己破壊的な生き方と鋭い人間観察をもとに作品を発表。第二次大戦中に「富嶽百景(1939)」「走れメロス(1940)」など、戦後は「斜陽(1947)」「人間失格(1948)」など、時代と個人の葛藤を描いた。 無頼派として、坂口安吾・織田作之助らと並び称され、戦後の文学潮流に大きな影響を与えた。私生活では度重なる自殺未遂、薬物依存、心中事件など波乱に満ちた人生を送り、1948(昭和23)年、愛人と玉川上水で入水自殺。遺体が発見された6月19日は「桜桃忌」として命日を偲ぶ日となっている。本名は津島修治。
【文学の部屋|太宰 治】昭和時代編.80
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

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