ジャン ニコラ・コルヴィザール





Jean-Nicolas Corvisart(1755-1821)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは コルヴィザール 19世紀に

活躍した世界の医学者③
をお楽しみください

コルヴィザール
イラストポートレート Syusuke Galleryより

19世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より19世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)18世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)19世紀に活躍した世界の医学者たち

コルヴィザールって?

館長

さて今回はコルヴィザールをお届けします

シューちゃん

コルヴィザールはどんな医学者だったの?

ナポレオンの主治医

館長

コルヴィザールは当時の皇帝ナポレオンの主治医でその名を馳せています

館長

そしてコルヴィザールのこちらの名声も響いています

アウエンブルッガーの胸部打診を再考

館長

1761年にLeopold Auenbrugger(1722-1809)によって提唱されて胸部打診を再考し、その重要性を広く普及させたことです
Inventum novum ex percussione thoracis humani utsigno abstrusos interni pectoris morbos detegendi
INTERNET ARCHIVEより

シューちゃん

なんだかよくわからないなぁ…

館長

もう少し噛み砕きますよ

館長

18世紀中頃にアウエンブルッガーは心臓や肺の病気の有無によって胸の音に違いがあることを提唱したのです

シューちゃん

なるほど!

館長

しかし、当時のこのアウエンブルッガーの発見は見向きもされなかったのです

シューちゃん

よくある話だねぇ

館長

その見向きもされなかったアウエンブルッガーの発見に着目したのがコルヴィザールでした

館長

そのアウエンブルッガーの先ほどの著書を翻訳し、胸部打診法を普及させます

館長

その結果、当時コレージュ・ド・フランスの医学部長と言う要職を務めていたコルヴィザールの示した胸部打診は一気に支持されます

シューちゃん

やっぱりアウエンブルッガーの発見は本物だったのだね

心臓病に関する世界初の記述

館長

このコルヴィザールは、心臓にとても関心を寄せていたのも功を奏したのかもしれません

館長

1806年にはEssai sur les maladies et les lésions organiques du cœur et des gros vaisseaux, extrait des leçons cliniques を著し、これは心臓病に関する世界初の記述のひとつ、とされています
※INTERNET ARCHIVEより

館長

そしてこの出来事は、その後コルヴィザールの門下であったラエンネックによって、聴診器の発見につながっているのです

次回はラエンネック

館長

さて、19世紀に活躍した世界の医学者③コルヴィザールは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回はそのラエンネックを取り上げるよ

1781-1826を生きた医学者。J.N. Corvisart(1755-1821)の門下となり、この師の唱えた胸部音など医学を学んだ。その後臨床下で直接よりも間接聴診が適する症例に出会い聴診器を発明、その後De l'auscultation médiate Colophon(1819年)に著し、現在の医療現場でも欠かせない器具となっている。また肝硬変やメラノーマなどを発見し、病理解剖学者としてもその名を刻んでいる。
【医学の部屋|ラエンネック】19世紀に活躍した世界の医学者④
館長

今回の19世紀に活躍した世界の医学者③の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

19世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-150033フランス共和国出身

【医学の部屋|ルイ】19世紀に活躍した世界の医学者⑤

2024-05-140033フランス共和国出身

【医学の部屋|ラエンネック】19世紀に活躍した世界の医学者④

2024-05-120044英国出身

【医学の部屋|ジェンナー】19世紀に活躍した世界の医学者②

2024-05-110033フランス共和国出身

【医学の部屋|ピネル】19世紀に活躍した世界の医学者①

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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02青森県
1909-1948を生きた小説家。幼少期より文学に親しみ、芥川龍之介に傾倒も左翼思想に接する。東京帝国大学文学部仏文科に進み、井伏鱒二に師事する。非合法運動に関係するも離脱し、大学も中退。そして、 戦前・戦後を通じて、自己破壊的な生き方と鋭い人間観察をもとに作品を発表。第二次大戦中に「富嶽百景(1939)」「走れメロス(1940)」など、戦後は「斜陽(1947)」「人間失格(1948)」など、時代と個人の葛藤を描いた。 無頼派として、坂口安吾・織田作之助らと並び称され、戦後の文学潮流に大きな影響を与えた。私生活では度重なる自殺未遂、薬物依存、心中事件など波乱に満ちた人生を送り、1948(昭和23)年、愛人と玉川上水で入水自殺。遺体が発見された6月19日は「桜桃忌」として命日を偲ぶ日となっている。本名は津島修治。
【文学の部屋|太宰 治】昭和時代編.80New!!
18福井県
1919-2008を生きた小説家。幼少期に貧困のため臨済宗寺院にて徒弟生活に入るも、旧制中学卒業を機に出奔。その後、様々な職業を遍歴しながら文学への志を育み、戦後は宇野浩二に師事。1959(昭和34)年に、実際の詐欺事件を題材にした社会派推理小説「霧と影」を発表し、本格的に作家活動を開始する。 1961(昭和36)年「雁の寺」で第44回直木賞を受賞。以後、「飢餓海峡」、「越前竹人形」など禅寺での体験や女性の宿命的な悲しみを描いた作品で多くの読者を魅了した。
【文学の部屋|水上 勉】昭和時代編.79
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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