フィリップ・ピネル





Philippe Pinel(1745-1826)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは ピネル 19世紀に活躍した

世界の医学者①
をお楽しみください

ピネル
イラストポートレート Syusuke Galleryより

19世紀の西洋医学

館長

いらすとすてーしょんでは医学の部屋より19世紀に活躍した世界の医学者と題してイラストポートレートをお届けしています

(参考)17世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)18世紀に活躍した世界の医学者たち

(参考)19世紀に活躍した世界の医学者たち

ピネルって?

館長

さて今回はピネルをお届けします

シューちゃん

ピネルはどんな医学者だったの?

精神医学の祖

館長

18世紀までは精神に障害をもつ人は鎖に繋がれることがほとんどだったそうです

シューちゃん

なんとも…非人道的だったんだ

館長

ピネルはその精神に障害をもつ人の鎖を解いた初の医学者とされています

シューちゃん

ここのところは、よく捏造?と言われているみたいだけど…

館長

調べを進めると、その鎖を解いたのは同僚のJean-Baptiste Pussin(1745-1811)だったそうです

館長

このプッサン(Pussin)はビセートルの病院警備員兼看護師のような仕事をしていました

館長

プッサンは、その病院で精神に障害をもつ人に、とても親切に、そして時に鎖を解いて接していたそうです

館長

そしてビセートルの病院にピネルが赴任し、そのことを目の当たりにしました

シューちゃん

この行為に驚いたのだね

館長

このプッサンの行為を注意深く観察し、あるヒントを得ます

館長

そしてピネルがビセートルからサルペトリエールの病院長として赴任がきまり、本格的にプッサンの行為を推奨し実践しました

シューちゃん

だからサルペトリエールの病院が注目されていたのだね

館長

そしてピネルはもちろん、プッサンをこのサルペトリエールの病院に招聘し、プッサンは生涯この病院で尽力されたそうです

シューちゃん

そのことで、精神医学の祖と言われているのだね

館長

そのピネルは1801年にTraité médico-philosophique sur l'aliénation mentale で精神病について著し、これが精神医学の扉を開いたとされています
※INTERNET ARCHIVEより

生気論を支持したピネル

シューちゃん

そして確か、ピネルも生気論を支持していたよね

館長

シューちゃん、よく覚えていましたね!
ドイツの哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論をビシャも支持していました

シューちゃん

機械論、生気論についてはラ・メトリーのページ で簡単に紹介しているよ

1709-1751を生きた医学者。オランダ・ライデン大学でブールハーフェに師事。師の提唱した古来の学説をもとにした生理学とデカルト発の機械論的な視座を併せ持つ機械論的生理学をフランスに持ち帰り、さらに発展させた人間機械論(1747年)を展開した。その主張はフランスでは受け入れられず、のちにベルリンに亡命しフリードリヒ大王の庇護を受けた。
【医学の部屋|ラ・メトリ】18世紀に活躍した世界の医学者②
館長

フランスでは今回のピネルやビシャが、そしてドイツではブルーメンバッハが正気論の代表的な支持者でした

1771-1802を生きた医学者。解剖学では構造の単位としての組織を発見、物理・化学的性状や反応の特異性に基づいて21種の組織を分類した。またその疾患の中心は器官から組織にあると着目し、生理学、病理解剖学の分野で活躍した。代用的な書としてAnatomie descriptive(一般解剖学 1801年)などを著している。
【医学の部屋|ビシャ】18世紀に活躍した世界の医学者⑩
1752-1840を生きた医学者。1789年に著したAnfangsgründe der Physiologie(生理学の基礎)は18世紀の生理学書としてこの分野をまとめ上げる。また前成説の否定派であり、生気論の支持者でもあった。人種という概念を打ち立てたことでもその名を馳せ、人類をコーカサス,モンゴル,エチオピア,アメリカ,マレーの5人種に分類した。
【医学の部屋|ブルーメンバッハ】18世紀に活躍した世界の医学者⑨

次回はジェンナー

館長

さて、19世紀に活躍した世界の医学者①ピネルは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回はジェンナーを取り上げるよ

1749-1823を生きた医学者。ジョン・ハンター(1728-1793)に医学を学び、牛痘に一度罹った人は天然痘に感染しないことを実証(牛痘接種法)し、それまでの人痘接種法を上回る免疫を獲得することに成功。1798年Inquiry into the Variolae vaccinae known as the Cow Poxを著し、その後のワクチン誕生への礎となった。
【医学の部屋|ジェンナー】19世紀に活躍した世界の医学者②
館長

今回の19世紀に活躍した世界の医学者①の制作には「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

19世紀に活躍した世界の医学者たち

2024-05-150033フランス共和国出身

【医学の部屋|ルイ】19世紀に活躍した世界の医学者⑤

2024-05-140033フランス共和国出身

【医学の部屋|ラエンネック】19世紀に活躍した世界の医学者④

2024-05-130033フランス共和国出身

【医学の部屋|コルヴィザール】19世紀に活躍した世界の医学者③

2024-05-120044英国出身

【医学の部屋|ジェンナー】19世紀に活躍した世界の医学者②

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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13東京都
1925-1970を生きた小説家。東京大学法学部在学中、川端康成の推薦で「煙草(1946)」を「人間」に発表し文壇デビュー。卒業後は大蔵省に勤務するも、作家活動に専念するため退職。1949(昭和24)年に自身の内面を赤裸々に描いた「仮面の告白」で戦後文学の旗手として注目を集める。以後、「潮騒(1954)」「金閣寺(1956)」などを発表し、耽美、悲劇や死生観を主題にした作品群で独自の文学世界を築いた。また戯曲「サド侯爵夫人(1965)」「朱雀家の滅亡(1967)」なども高い評価があり、国際的に翻訳上演される。その文才に川端康成は「日本人で最初にノーベル文学賞を受けるなら三島由紀夫君だ」と語るほどであった。しかし、1968年川端のノーベル賞を受賞した後、両者の間に文学的、思想的な立場の違いが鮮明になり距離が生じる。晩年は自衛隊体験入隊を経て民兵組織「楯の会」を結成。1970(昭和45)年、同会員とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地にてクーデターを促す演説後、割腹自殺を遂げる。享年45歳。本名は平岡公威(きみたけ)。
【文学の部屋|三島由紀夫】昭和時代編.135New!!
14神奈川県
1924-2011を生きた児童文学作家。戦後復員し、雑誌「童話」を手に取ったことをきっかけに、1946(昭和21)年に日本童話会に入会。翌年に地元の小学校教諭と「やまびこ子供会」を結成し、佐藤さとると出会う。1950(昭和25)年には佐藤さとる、いぬいとみこ、神戸淳吉らと同人誌「豆の木」を創刊。1956(昭和31)年に「チャコベエ」「トコトンヤレ」などで児童文学者協会新人賞、「ヒョコタンの山羊(1967)」などで児童文学者協会賞を受賞し、地元横浜を舞台に、鉄道や戦争、庶民の暮らしを題材に、子どもたちの視点から平和の尊さを描いた。自宅を開放した「豆の木文庫」など地域活動に尽力し、いまもなおその功績は高く支持されている。
【文学の部屋|長崎源之助】昭和時代編.134
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

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