フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト





Philipp Franz von Siebold(1796-1866)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは シーボルト ビフォーアフター

P.F.シーボルト編⑤
をお楽しみください

P.F.シーボルト
イラストポートレート Syusuke Galleryより

P.F.シーボルト来日前後史

シューちゃん

この特集でお届けしているシーボルト編の方々だよ↓

ビフォーアフターP.F.シーボルト編

ツンベルク
1743-1828
2024年4月14日公開
1743-1828を生きた医学者であり博物学者。分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び、解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日。76年には江戸参府一行に加わり日本の医学者と交わったとされる。日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた。一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる。
小石元俊
1743-1809
2024年4月15日公開
1743-1809を生きた医学者。古医方であり蘭学を学んだ山脇東洋の流れを汲んだ漢蘭折衷派の一人。関西以西で医学を学んだ後に芝蘭堂で大槻玄沢に蘭学を学ぶ。その後京都に戻り究理堂を開校し蘭学を普及させた。京都における蘭学の礎を築いたとされる。
斎藤方策
1771-1849
2024年4月16日公開
1771-1849を生きた医学者。関西遊学時に小石元俊に蘭学を学び、その後元俊の薦めで芝蘭堂へ留学し、大槻玄沢、宇田川玄真に蘭学を学んだ。その後大阪に戻りクリニックを開業する。1822年に西日本で流行したコレラ(狐狼狸)の治療を積極的に行ったとされている。
華岡青洲
1760-1835
2024年4月17日公開
1760-1835を生きた医学者。漢蘭折衷医家は、外科分野で全身麻酔による世界初めての乳がん摘出手術(1804年)に成功し、その名を刻みこの部位では合計で143症例を行ったとされ、その他の手術も行っている。
シーボルト
1796-1866
2024年4月18日公開
1796-1866を生きた医学者であり博物学者。オランダ商館の医官として1823年に来日し、出島外での活動の許可を得て翌24年には鳴滝塾を開校。蘭学の中でも医学を中心に学ぶために各地・各藩から学者が集まり、シーボルトの門下は蘭方医の流派としてその後の日本の医学を発展させた。将軍謁見のため江戸旅行、日本の情報を持ち出し処分を受けたシーボルト事件。再来日を果たすなど、幕末日本に大きな影響を与えた。
楠本たき
1807-1869
2024年4月19日公開
1807-1869を生きた名付遊女でありP.F.シーボルトの妾。二人の間に生まれた楠本いねは後に医師となり日本初の女性医師(未資格)となった。シーボルトの命名したアジサイの学名「Hydrangea otaksa」は楠本たきを愛した想いに寄せたと伝わる。
宇田川榕菴
1798−1846
2024年4月20日公開
1798−1846を生きた医学者であり博物学者。宇田川玄真の養子となり、医学・薬学・植物学・化学などの分野を切り開いた。特に本草学から植物学を、そして化学分野では元素・酸化・還元・水素・酸素・炭素などの語彙をつくり、イギリス化学書であったElements of Experimental Chemistryの蘭語版を翻訳。増補し舎密開宗として1837年初版を完成させた。
多紀元簡
1755-1810
2024年4月21日公開
1755-1810を生きた医師。幕府の奥医師として徳川家斉の侍医は漢方を中心とした考証学派の中心人物となる。となり幕府官立の江戸漢方医学校であった躋寿館を父から受け継ぐ。
高野長英
1804-1850
2024年4月22日公開
1804-1850を生きた医学者であり博物学者。江戸遊学時に杉田玄白の流れを汲む杉田塾そして1825年鳴滝塾でシーボルトより蘭学、医学を学んだ。シーボルト事件の難を逃れ、江戸麹町にてクリニックを開業。オランダで出版された数々の生理学書を纂述した「西説医原枢要」を1832年に著し日本初の生理学書となる。このころ蘭学者であった渡辺崋山と出会い共同研究を進め、その後蛮社の獄で追われる身となった。その際、庇護された宇和島藩の西洋化に成功している。

1823年シーボルト初来日

シューちゃん

館長!いよいよ今回はシーボルトさんの登場だね

館長

1823年に初来日を果たされたシーボルトさんですが、その来日前の日本の様子をおさらいしておきましょう

江戸医学の成り立ち

シューちゃん

まずは江戸医学の成り立ちについては小石元俊さんのページで確認できるよ

1743-1809を生きた医学者。古医方であり蘭学を学んだ山脇東洋の流れを汲んだ漢蘭折衷派の一人。関西以西で医学を学んだ後に芝蘭堂で大槻玄沢に蘭学を学ぶ。その後京都に戻り究理堂を開校し蘭学を普及させた。京都における蘭学の礎を築いたとされる。
【医学の部屋|小石元俊】ビフォーアフターP.F.シーボルト編②

漢蘭折衷派からシーボルト初来日まで

館長

そしてこの古医方派に蘭学を融合させた漢蘭折衷派が山脇東洋さんによって生まれました

1706-1762を生きた医学者。中国金元時代の医学からの脱却を目指した古方派筆頭の後藤艮山(1659~1733)に師事し、その後同派の大家となる。五臓六腑説に疑問を抱き、ついに1754年幕府の許可を得て日本初の人体解剖を行った。その記録は1759年「蔵志」にて著した。
【医学の部屋|山脇東洋】ビフォーアフター解体新書編①
シューちゃん

この山脇東洋さんのお仕事は日本初の公式の人体解剖の実施(1754年)だったよね

解体新書の前後史はこちら

ビフォーアフター解体新書編

山脇東洋
1706-1762
2024年4月8日公開
1706-1762を生きた医学者。
前野良沢
1723-1803
2024年4月9日公開
1723-1803を生きた医学者。
杉田玄白
1733-1817
2024年4月10日公開
1733-1817を生きた蘭方医は若狭国小浜藩医。手に入れたオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を前野良沢らと共に翻訳し日本初の解剖学書である「解体新書」を著した。
大槻玄沢
1757-1827
2024年4月11日公開
1757-1827を生きた蘭方医は杉田玄白に学び、江戸時代末期の医術を広め解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させた。
宇田川玄随
1756-1798
2024年4月12日公開
1756-1798を生きた津山藩医、漢方学から蘭学へ変更し日本初の内科書『西説内科撰要』を発刊
宇田川玄真
1770-1835
2024年4月13日公開
1770-1835を生きた蘭方医で津山藩医をつとめた。江戸時代のベストセラー医学書「医範提綱」を出版
館長

この出来事がきっかけとなり、前野良沢さん、杉田玄白さんによる解体新書の登場(1774年)につながりました

1723-1803を生きた医学者。40歳を過ぎてから習得したオランダ語力を発揮し解体新書の翻訳を杉田玄白の申し出に同意し尽力した。人と交わることを好まない性格であった。数少ない弟子に解体新書の改訂を行った大槻玄沢がいる。
【医学の部屋|前野良沢】ビフォーアフター解体新書編②
1733-1817を生きた医学者。古方派大家であった山脇東洋の影響を受け医院を開業。蘭学者と交わりながらオランダ語に訳された医学書ターヘル・アナトミア(Ontleedkundige Tafelen)』入手し、前野良沢らを誘い翻訳に取り組み日本初の解剖学書である「解体新書」を著した。門下であった大槻玄沢や宇田川玄真らはその後江戸蘭学を発展させている。
【医学の部屋|杉田玄白】ビフォーアフター解体新書編③
シューちゃん

解体新書の登場で一気に日本は蘭学ブームがやってきたのだったよね

館長

解体新書の登場の翌(1775)年にはこのお方の来日もありました

1743-1828を生きた医学者であり博物学者。分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び、解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日。76年には江戸参府一行に加わり日本の医学者と交わったとされる。日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた。一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる。
【医学の部屋|ツンベルク】ビフォーアフターP.F.シーボルト編①
シューちゃん

江戸では芝蘭堂という蘭学の専門学校が大槻玄沢さんによって開校(1788年ごろ)

1757-1827を生きた医学者。杉田玄白の門下となり、その後前野良沢より蘭学を学び蘭学塾として芝蘭堂を開校。江戸蘭学の基盤を築いた。解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させている。玄沢の名は師であった玄白、良沢の名をとったものであった。蘭語の指導書として青木昆陽、前野良沢の流れを汲み「蘭学階梯」を1788年に著しており、外国語教育を発展させた一人でもある。
【医学の部屋|大槻玄沢】ビフォーアフター解体新書編④
館長

そして世界初の全身麻酔下での手術の成功(1804年)がありました

1760-1835を生きた医学者。漢蘭折衷医家は、外科分野で全身麻酔による世界初めての乳がん摘出手術(1804年)に成功し、その名を刻みこの部位では合計で143症例を行ったとされ、その他の手術も行っている。
【医学の部屋|華岡青洲】ビフォーアフターP.F.シーボルト編④

1823年8月シーボルト初来日

シューちゃん

いよいよ1823年8月シーボルトさんは出島の地を踏んだ

館長

このシーボルトさんの来日は、オランダ政府より日本研究の強い命を受けていたとされていますよね

シューちゃん

いずれにしてもウィン・ウィンだったんのではないかな!?

館長

ではシーボルトさんの日本滞在中の出来事に目を向けてみましょう

ジェンナーのワクチンを試す

シーボルト

まずはワクチンの効果があるのか試してみたのです

シューちゃん

ワクチン!?

シーボルト

日本の皆さんも困っていたはずの天然痘

シーボルト

実はジェンナーという医学者が牛痘という天然痘ワクチンを見つけてヨーロッパでは成功していたのです
2024年5月12日公開予定

1749-1823を生きた医学者。ジョン・ハンター(1728-1793)に医学を学び、牛痘に一度罹った人は天然痘に感染しないことを実証(牛痘接種法)し、それまでの人痘接種法を上回る免疫を獲得することに成功。1798年Inquiry into the Variolae vaccinae known as the Cow Poxを著し、その後のワクチン誕生への礎となった。
【医学の部屋|ジェンナー】19世紀に活躍した世界の医学者②
シーボルト

大きな声では言えませんが、もしこれが成功すれば、大儲けできる筈だったのですが…

シーボルト

失敗してしまいました

シーボルト

それはそうですよね…長旅でワクチンは効力を失ってしまっていたのですから…

館長

実は日本でも古来より天然痘が何度も流行して、多くの方々が命を落としていたのです

洪庵

天然痘との戦いについてはわたしのページで紹介しているのでお立ち寄りくだしさいな

1810-1863を生きた近代医学の祖は天然痘と闘い、大阪に適塾(大阪大学医学部の前身)を開き人財育成を行う。
【医学の部屋|緒方洪庵】去る天然痘!来るサル痘? ワクチン大規模接種は江戸時代から!?
館長

これは緒方洪庵さん!またいずれ江戸時代におけるワクチン特集を企画したいと思いますので、その時はよろしくお願いします

1824年鳴滝塾開校

シーボルト

次に長崎奉行に掛け合って、出島の外での活動を認めてもらうようにお願いしました

館長

それまで外国人の方は基本的には出島の外には出られないことになっていたのですから、特例ですよね

シーボルト

最新医学の提供という名目も功を奏したのだと思います

シーボルト

そして来日翌年の1824年には鳴滝塾を開校し、主に臨床実習を主とした医学教育を開始しました

館長

全国から医学者をはじめ日本の学者たちが集った鳴滝塾は総勢50名以上がシーボルトさんの門下になったとされています

1826年江戸へ

シーボルト

そして1826年、ついに江戸に出向くチャンスを掴みました

館長

オランダ商館長の将軍謁見のために参府が許され、時の商館長ウィルレムにシーボルトさん随行されました

シーボルト

その道中で多くの学者の方々と交わることができ、日本の学術レベルを確認することができたのです

方策

わたしもシーボルト先生に大阪(坂)でお会いしたのですが…もしや情報を抜かれていたのかも…しれません

1771-1849を生きた医学者。関西遊学時に小石元俊に蘭学を学び、その後元俊の薦めで芝蘭堂へ留学し、大槻玄沢、宇田川玄真に蘭学を学んだ。その後大阪に戻りクリニックを開業する。1822年に西日本で流行したコレラ(狐狼狸)の治療を積極的に行ったとされている。
【医学の部屋|斎藤方策】ビフォーアフターP.F.シーボルト編③
圭介

わたしは植物学者、実は名古屋でシーボルト先生にお会いして、その後鳴滝塾で学ばせていただいた一人なのです

1803-1901を生きた愛知県出身の日本初の理学博士は幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者。日本初の理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。
【植物学者の部屋|伊藤圭介】雄しべ・雌しべ・花粉という言葉を創った男
シーボルト

そしてひと月あまりの江戸滞在中には多くの方々とディスカションし意見交換をすることができました

館長

名前を挙げればキリがありませんが、大槻玄沢さんをはじめ錚々たる面々と親交を深めたそうです

館長

宇田川榕菴さんはこの特集の後半で登場されますが、医学だけでなく植物学、化学など日本の博物学の分野を切り開かれました

シューちゃん

シーボルトさんとの出会いが大きく影響していたのかもね

玄碩

実はわたしもシーボルト先生大きな影響を受けました

1762-1848を生きた日本西洋医学における眼科医の祖、眼球の解剖から白内障手術の成功
【医学の部屋|土生玄碩 Genseki Habu】日本眼科医の祖
館長

土生玄碩さんシーボルトさんの持参した散瞳薬に感嘆し弟子入りを志願、その熱意あふれるあまり、将軍より賜った紋服をシーボルトさんにプレゼントしてしまうほどだったそうです

1828年帰国?

シューちゃん

確か、その紋服が1828年にシーボルトさん帰国する際、座所した船から見つかって…土生玄碩さんシーボルト事件に連座するんだよね

館長

そうなのです!

館長

江戸参府を終えたシーボルトさんは出島に戻り、これまで通り鳴滝塾を中心と日本の学者たちに教育と親交を深めていきますが…

館長

幕府の目をかい潜り、幕府禁制の品々を入手していたのです

シーボルト

そして1828年、様々な経路で入手した品々をオランダに送ろうと準備をしていたのですが…

シーボルト

運悪く、幕府に見つかってしまったのです

シューちゃん

その中に幕府禁制の地図をはじめ、さっきの土生玄碩さんの紋服なども見つかってしまったんだよね

シューちゃん

いわゆるシーボルト事件だぁ

次回は楠本たき

館長

今回は少し長くなりましたね…

シューちゃん

今回はこのあたりで閉じようかぁ…

館長

そうですね!次回はあのお方にご登壇いただきますので、この続きもお伝えできそうですから!

シューちゃん

あのお方って…

館長

シーボルトさんのフィアンセの楠本たきさんです

1807-1869を生きた名付遊女でありP.F.シーボルトの妾。二人の間に生まれた楠本いねは後に医師となり日本初の女性医師(未資格)となった。シーボルトの命名したアジサイの学名「Hydrangea otaksa」は楠本たきを愛した想いに寄せたと伝わる。
【医学の部屋|楠本たき】ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑥
シューちゃん

なるほど!

ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤まとめ

シューちゃん

では今回のまとめだね

館長

まずはシーボルトさんの来日前の日本の様子を振り返りました

シューちゃん

江戸時代の医学の夜明けは人体解剖から始まった漢蘭折衷派の登場だったね

館長

そして、それは解体新書の登場につながります

シューちゃん

その解体新書の登場で一気に日本は蘭学ブーム

館長

その蘭学が大きく発展した1823年にシーボルトさんが初来日されます

シューちゃん

日本に来たシーボルトさんは医学をはじめ多くの学問をもたらしたのだねぇ

館長

では今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤はここまでとしましょう

シューちゃん

次回の登場の楠本たきさんも楽しみだぁ

館長

ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤はいかがでしたか?

館長

今回はシーボルトが初来日した1823年を起点として、そのビフォー&アフターの視点からP.F.シーボルトを取り上げました

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回も見てね!

館長

江戸時代の部屋もご用意して皆様のお越しをお待ちしております

イラストポートレートSyusukeGallery江戸時代の部屋Edo Period
江戸時代の部屋 Edo Period
館長

今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行、「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥New!!
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤New!!
0032ベルギー王国出身
1514-1564を生きた医学者。2世紀ガレノスによって興った解剖を、De Humani Corporis Fabrica Libri Septem(1543年)によって解剖を学問レベルに引き上げた。その詳細な解剖図はガレノスの学説からの転換期となる。その後カール5世の侍医などの要職をつとめた。その解剖学の先鋭眼は当時の医学界に大きな衝撃を与え、風当たりも強かったとされる。 それらの背景には16世紀に発展した印刷技術によりガレノスの著作物に触れる機会が多くなったことが挙げられる。またこの当時の解剖学の先駆者としてはレオナルド・ダ・ヴィンチが挙げられ、その解剖図は数百とも言われ臓器図も描かれている。
【医学の部屋|ヴェサリウス】16世紀以前に活躍した世界の医学者④New!!
0033フランス共和国出身
1510-1590を生きた医学者。これまで主流が内科であった医学に、外科を内科レベルまで引き上げた一人であり、外科学の父と称されている。軍医の経験からそれまで銃創は焼き鏝などで治療を行なうことを止め、独自に調合した軟膏などを用いて治療を行った。また四肢の切断等、血管にも用いられていた烙鉄を動脈結紮による止血法を考案した。これらはヴェサリウスによる解剖学の理解から得られたとされている。著書にA collection of Paré's works(初版1575年)があり、楢林鎮山により紅夷外科宗伝として1706年に翻訳されている。
【医学の部屋|パレ】16世紀以前に活躍した世界の医学者③New!!

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