山脇東洋
Toyo Yamawaki (1706-1762)
ようこそ!フリーイラストポートレートと
歴史の停車場いらすとすてーしょんへ
こちらのページでは 山脇東洋 ビフォーアフター
解体新書編①をお楽しみください
- 1. 山脇東洋イラストポートレート Syusuke Galleryより
- 2. 解体新書前後史
- 2.1. 1774年、翻訳された医学書「解体新書」
- 2.2. 解体新書以前の時代って
- 2.3. 日本初の公式人体解剖
- 2.4. 16世紀のヨーロッパ
- 2.5. 実は幕府禁制ではなかった人体解剖
- 2.6. 日本初?の骨格調査
- 2.7. 日本初解剖学の始まり
- 2.8. 古方派
- 2.9. 1754年許可下る
- 2.10. もう一つの始まりって??
- 2.11. 1759年「蔵志」発表
- 2.12. 解体新書以前にも翻訳されていた西洋医学書
- 2.13. ビフォーアフター解体新書編①まとめ
- 3. 医学・新着偉人(It's New)はこちらから
- 4. 医学の部屋へようこそ
- 5. いらすとすてーしょん検索コーナー
山脇東洋
イラストポートレート Syusuke Galleryより
解体新書前後史
この特集でお届けする解体新書編の医学者たちだよ↓
ビフォーアフター解体新書編
1774年、翻訳された医学書「解体新書」
今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全6回にわたって、この企画をお届けします
解体新書が出来上がったのは1774(安永3)年だったよね
西洋の医学書"Ontleedkundige Tafelen"を杉田玄白さん、前沢良沢さんらによって日本語に翻訳された、日本初の解剖学書でしたよね…
そうやって歴史の授業で習ったような…
実はこれ以前にも西洋の医学書が翻訳されていたことをご存知でしたか?
えっ?
それも75年以上も前のことだったようです
このことについては、このコーナーの後半でご紹介しますね
さて、この解体新書ですが…
その登場によって日本の新たな医学がスタートしたって考えることができるのです
そのことについて今回触れてみようと企画しました
まさに解体新書がもたらしたビフォー&アフターかぁ
解体新書以前の時代って
ということで、今回はこの解体新書が登場した前後に焦点を当ててご紹介しようと思います
なんだか難しそうだなぁ
簡単にご紹介しますから、お気軽にご覧くださいね
日本初の公式人体解剖
気楽にね…それでトップバッターに山脇東洋さんをどうして選んだの?
日本初の人体解剖を公式に行った方として取り上げてました
人体解剖を公式にね…
では解剖学について簡単に振り返ってみましょう
今回着目した解体新書といえば西洋の解剖学書ですよね
16世紀のヨーロッパ
その西洋における人体の構造は、16世紀には理解されていたのです
それはこのイラストポートレートで知ったような…
ただ当時の日本は人体の構造についてはあまりというよりは、ほとんど興味を持っていなかったと考えられています
実は幕府禁制ではなかった人体解剖
江戸幕府が人体解剖を禁止していたからなの?
シューちゃん、それは定説になっているようなのですが、現在そのような規制はなかったと研究が進められているようです
石出猛史. 江戸幕府による腑分の禁制. 千葉医学雑誌= Chiba medical journal, 2008, 84.5: 221-224.
では、本当に体の構造に興味がなかったんだ…
基本的に漢方医学の世界でしたから、骨の構造には興味を示さなかったのかもしれません
それに五臓六腑も信じられていたから、疑う余地もなかったんだろう…
そんな折に人体に興味を持つ医者が現れます
日本初?の骨格調査
根来東叔(1698-1755)さんは眼科医なのですが、1732年には火刑後の亡骸2体を自ら骨格を調査していたのですって
ヴォルフガング・ミヒェル. 日本における屍体解剖の黎明期について. 日本医史学雑誌, 2019, 65.3: 392-393.
自身の目で確かめたいって思っていた科学者がここにいたっていう証だね
日本初解剖学の始まり
さて前置きが長くなりましたが、江戸時代の解剖学の始まりについて触れていきましょう
そこで登場するのが山脇東洋さんです
古方派
山脇東洋さんは古方派という、中国金元時代の後に後世方派と呼ばれた医学からの脱却を目指したグループのトップで活躍されていました
そして研究を重ねていると…
この五臓六腑って間違えているのでは?と疑問を常に持っていたようです
きっと五臓六腑だけでは説明できないことを感じていたんだろうね
そこで師匠の後藤艮山(1659~1733)さんに相談したところ…
それは聞いたことがある!カワウソを解剖してみては?って言われたのだよね
それでも山脇東洋さんの疑問は解決できなかった
それはそうだよね…
1754年許可下る
そして1754年、ついに刑死体の解剖の許可を取り付けます
やっぱり許可は必要だったんだね