山脇東洋





Toyo Yamawaki (1706-1762)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 山脇東洋 ビフォーアフター

解体新書編①
をお楽しみください

山脇東洋
イラストポートレート Syusuke Galleryより

解体新書前後史

シューちゃん

この特集でお届けする解体新書編の医学者たちだよ↓

ビフォーアフター解体新書編

山脇東洋
1706-1762
2024年4月8日公開
1706-1762を生きた医学者。
前野良沢
1723-1803
2024年4月9日公開
1723-1803を生きた医学者。
杉田玄白
1733-1817
2024年4月10日公開
1733-1817を生きた蘭方医は若狭国小浜藩医。手に入れたオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を前野良沢らと共に翻訳し日本初の解剖学書である「解体新書」を著した。
大槻玄沢
1757-1827
2024年4月11日公開
1757-1827を生きた蘭方医は杉田玄白に学び、江戸時代末期の医術を広め解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させた。
宇田川玄随
1756-1798
2024年4月12日公開
1756-1798を生きた津山藩医、漢方学から蘭学へ変更し日本初の内科書『西説内科撰要』を発刊
宇田川玄真
1770-1835
2024年4月13日公開
1770-1835を生きた蘭方医で津山藩医をつとめた。江戸時代のベストセラー医学書「医範提綱」を出版

1774年、翻訳された医学書「解体新書」

館長

今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全6回にわたって、この企画をお届けします

シューちゃん

解体新書が出来上がったのは1774(安永3)年だったよね

館長

西洋の医学書"Ontleedkundige Tafelen"を杉田玄白さん、前沢良沢さんらによって日本語に翻訳された、日本初の解剖学書でしたよね…

シューちゃん

そうやって歴史の授業で習ったような…

館長

実はこれ以前にも西洋の医学書が翻訳されていたことをご存知でしたか?

シューちゃん

えっ?

館長

それも75年以上も前のことだったようです

館長

このことについては、このコーナーの後半でご紹介しますね

館長

さて、この解体新書ですが…

館長

その登場によって日本の新たな医学がスタートしたって考えることができるのです

館長

そのことについて今回触れてみようと企画しました

シューちゃん

まさに解体新書がもたらしたビフォー&アフターかぁ

解体新書以前の時代って

館長

ということで、今回はこの解体新書が登場した前後に焦点を当ててご紹介しようと思います

シューちゃん

なんだか難しそうだなぁ

館長

簡単にご紹介しますから、お気軽にご覧くださいね

日本初の公式人体解剖

シューちゃん

気楽にね…それでトップバッターに山脇東洋さんをどうして選んだの?

館長

日本初の人体解剖を公式に行った方として取り上げてました

シューちゃん

人体解剖を公式にね…

館長

では解剖学について簡単に振り返ってみましょう

館長

今回着目した解体新書といえば西洋の解剖学書ですよね

16世紀のヨーロッパ

館長

その西洋における人体の構造は、16世紀には理解されていたのです

シューちゃん

それはこのイラストポートレートで知ったような…

1514-1564を生きた医師であり解剖学者は近代医学の発展のために最も大切なラテン語による全7巻で構成された解剖学・生理学書「ファブリカ」の著者。古代医学の絶対的権力ガレノスやヒポクラテスの色濃く残る時代においてまさにルネサンスとなった。
【医学の部屋|Andreas Vesalius アンドレアス・ヴェサリウス】医学界ルネサンスの扉を開く
館長

ただ当時の日本は人体の構造についてはあまりというよりは、ほとんど興味を持っていなかったと考えられています

実は幕府禁制ではなかった人体解剖

シューちゃん

江戸幕府が人体解剖を禁止していたからなの

館長

シューちゃん、それは定説になっているようなのですが、現在そのような規制はなかったと研究が進められているようです

石出猛史. 江戸幕府による腑分の禁制. 千葉医学雑誌= Chiba medical journal, 2008, 84.5: 221-224.

シューちゃん

では、本当に体の構造に興味がなかったんだ…

館長

基本的に漢方医学の世界でしたから、骨の構造には興味を示さなかったのかもしれません

シューちゃん

それに五臓六腑も信じられていたから、疑う余地もなかったんだろう…

館長

そんな折に人体に興味を持つ医者が現れます

日本初?の骨格調査

館長

根来東叔(1698-1755)さんは眼科医なのですが、1732年には火刑後の亡骸2体を自ら骨格を調査していたのですって

ヴォルフガング・ミヒェル. 日本における屍体解剖の黎明期について. 日本医史学雑誌, 2019, 65.3: 392-393.

シューちゃん

自身の目で確かめたいって思っていた科学者がここにいたっていう証だね

日本初解剖学の始まり

館長

さて前置きが長くなりましたが、江戸時代の解剖学の始まりについて触れていきましょう

館長

そこで登場するのが山脇東洋さんです

古方派

館長

山脇東洋さんは古方派という中国金元時代の後に後世方派と呼ばれた医学からの脱却を目指したグループのトップで活躍されていました

館長

そして研究を重ねていると…

館長

この五臓六腑って間違えているのでは?と疑問を常に持っていたようです

シューちゃん

きっと五臓六腑だけでは説明できないことを感じていたんだろうね

館長

そこで師匠の後藤艮山(1659~1733)さんに相談したところ

シューちゃん

それは聞いたことがある!カワウソを解剖してみては?って言われたのだよね

館長

それでも山脇東洋さんの疑問は解決できなかった

シューちゃん

それはそうだよね…

1754年許可下る

館長

そして1754年、ついに刑死体の解剖の許可を取り付けます

シューちゃん

やっぱり許可は必要だったんだね

館長

役場の許可をもって正式に解剖を行えたということです

シューちゃん

そして結果はどうだったの?