伊藤仁斎 Jinsai Itō





Ogyu Sorai (1627-1705)

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歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 伊藤仁斎

江戸の儒学と医学
をお楽しみください
※伊藤仁斎 江戸の儒学と医学④は医学の部屋よりお届けします

伊藤仁斎
イラストポートレート Syusuke Galleryより

江戸時代の儒学と医学

シューちゃん

この特集でお届けする儒学者であり医学の心得をもった人たち↓

江戸時代の医学を重んじた儒学者

中江藤樹
1608-1648
2024年4月4日公開
1608-1648を生きた儒学者は、王陽明全書を読破し、その思想に開化し「致良知説」に傾倒。そして自ら私塾を開き、その学問を極め日本陽明学の祖とされる。
荻生徂徠
1666-1728
2024年4月5日公開
1666-1728を生きた儒学者。
貝原益軒
1630-1714
2024年4月6日公開
1630-1714を生きた儒学者であり薬学者。
伊藤仁斎
1630-1714
2024年4月6日公開
1627-1705を生きた儒学者であり古学古義学(堀川学派)の祖。後の傷寒論などの古典に立ち返る医学となる古方派に影響を与えた。山脇東洋もその一人であり、日本初の人体解剖につながる。

江戸時代の儒学と医学

館長

今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全4回にわたって、この企画をお届けしています

シューちゃん

いよいよ今回が最終回

館長

では今回の企画のここまでをシューちゃん!お願いします

シューちゃん
館長

儒学を教える傍らで医術も門下に教授していた代表例でしたね

シューちゃん

前々回は荻生徂徠さん

1666-1728を生きた儒学者。山鹿素行の説いた古学聖学に、辞学的に研究を行なった古文辞学の一派を築く。その思想はその後国学を形成する本居宣長に影響を及ぼしたとされる。父、兄弟共に医者であり、医に多く触れる環境であり、自身も医学書として徂徠先生医言、素問評、鑒定傷寒論を著している。
【医学の部屋|荻生徂徠】江戸の儒学と医学②
館長

ご家族の多くが医者として活躍しているなか、儒学者としての医学感を示していました

シューちゃん

そして前回は貝原益軒さんだった

1630-1714を生きた儒学者であり薬学者。浪人の身となったことを機会に江戸や京都に遊学し儒学を学ぶ。そこで出会った江戸期の本草学を発展させたとされる向井元升(1609-1677)と医薬の研鑽を深めた。65歳で花譜、75歳で菜譜、そして80歳のときに大倭本草を著し、元升の本草学をさらに高め、日本における博物学の発展となった。84歳には養生訓を著し18世紀を生きる人々への健康法を記した。
【医学の部屋|貝原益軒】江戸の儒学と医学③
館長

儒学を学びながら本草学を極められ、そして日本の博物学の祖でもありました

シューちゃん

そして今回は伊藤仁斎さんだけど…

シューちゃん

儒学者が医者になることを非難していた儒学者なんだよね…

江戸時代の医療って

館長

では伊藤仁斎さんのご紹介の前に、恒例の江戸時代の医療の現状について確認しておきましょう

シューちゃん

忘れていた…では始めるよ!

シューちゃん

このあたりは「江戸時代の意外な医業者」でもお届けしている内容だよ

江戸時代に医業を行なった意外な人

本居宣長
1730-1801
2024年4月1日公開
1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
上田秋成
1734-1809
2024年4月2日公開
1734-1809を生きた(前期)読本の著者筆頭格。前期読本は当時の中国から俗文学として日本に輸入された白話小説を翻案したもので、その代表作となる短編の怪談奇談集「雨月物語」を和漢混淆文で発表。
平田篤胤
1776-1843
2024年4月3日公開
1776-1843を生きた秋田より脱藩し裸一貫で上京、江戸で最新の学問を苦学で身につけた国学4大大人の一人。
館長

では、繰り返しになりますが簡単に紹介させていただきます

館長

江戸時代の初期は漢方による医学が主流、というよりは漢方しかなかった時代とも言えます

漢方医学の祖・田代三喜

三喜

その漢方医学の発展に努めました

1465-1544を生きた日本における東洋医学(漢方医学)の祖
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
シューちゃん

江戸も後期になればオランダ医学なる西洋医学が入ってくるんだよね

館長

確かに後期にはね!

館長

今回はその前に焦点を当てています

医術は儒学の中に?

館長

それで今で言うところの医学は、江戸時代の学問である国学の朱子学(儒学)の中に含まれていたと考えられています

惺窩

徳川家康に儒学を説いたのはわたしです

1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
羅山

儒学から朱子学を説いたのはわたしです

1583-1657を生きた日本朱子学の祖は、儒学の祖藤原惺窩を師事しその才能を開化、師の薦めにより徳川家康より4代家綱まで将軍に仕え侍講(君主の学問教育)となる。
【儒学・朱子学|林 羅山 Razan Hayashi】日本朱子学の祖
館長

つまり儒学を学べは医術を理解する機会があったと理解できますね!

シューちゃん

いまみたいに医師国家試験のようなものも無いだろうしね…

館長

そうなのです、シューちゃん!

館長

それとね、医術は儒学の下にあるとう風潮があったんだって

シューちゃん

つまり儒学>医術っていう構図かぁ

シューちゃん

医術といっても対症療法、今でいう民間療法みたいな感じだろうからね

館長

だからね、儒学を修めたと言って、医業をはじめるヤブ医者のような方々も現れて…

シューちゃん

すごい世界だね…

館長

だからね、ヤブ医者は自らを「オレは儒者だぁ!」ってホラを吹いて医業を行なっていた輩も多かったんだって

儒と医は王道

館長

その折に、儒学と医術は同じことだ!と唱えるの儒学者が登場してくるのです

シューちゃん

つまり儒学無くして医術なし、医術無くして儒学なしといった感じかな?

館長

シューちゃん、うまいこと言いますね!

中江藤樹の医学への思い

シューちゃん

その儒学と医術共に大切だと説いたのが初回登場の中江藤樹さんだったよね

シューちゃん

でも今回登場の伊藤仁斎さんは儒学あっても医術なしと言っているように聞こえるけど…

館長

シューちゃん、指摘してくれてありがとうございます

伊藤仁斎の医学への思い

館長

儒学で生計を立てることが難しかった伊藤仁斎さんですが、自身が医者になることを心底拒絶していたと伝わっています

シューちゃん

どうして伊藤仁斎さんは医者になることを嫌ったの?

館長

そもそもなのですが…儒学者にとって医者をすることは副業のようなものだったと考えられています

シューちゃん

いま流行りの副業?

館長

そうなんで!つまり儒学を学んでも幕府や藩に雇われなければ生活できないからなのです

シューちゃん

そうか…学びを続けながら、生活をするために医者をするってことかぁ

館長

儒学者であれば医者を標榜できる時代でしたので…

館長

副業には医者は最適でした

シューちゃん

たしかに…儒学も極めていないのに儒学者だぁって嘯いて医者と名乗っている輩もいたらしいからね

館長

つまり伊藤仁斎さん副業として医者になることを良しとしなかったのだと思います

シューちゃん

そうなんだね…本当の学者肌って感じがする

古義学(堀川学派)を説く

館長

そうして、志高い大義をもった伊藤仁斎さんは古学の一派である古義学(堀川学派)を説きその学祖となります

シューちゃん

古義学といえば多くの門人が集まっていたよね

館長

約900人居られたと記録があるそうです

門下には医者多数

館長

その中で特筆すべきは門下にその時代に活躍していた多くな医者の名が連なっていたのです

シューちゃん

儒学者が医者になることを非難していたのに…門下生は医者をしていてもいいのかなぁ

館長

そこがポイントなのだと思います!

館長

先ほどシューちゃんは「儒学も極めていないのに儒学者だぁって嘯いて医者と名乗っている輩…」って言っていましたよね!

シューちゃん

うん…

館長

言い換えれば儒学をしっかり学んでいれば医者になりたければそれは認めると伊藤仁斎さん考えていたのではないでしょうか