平田篤胤





Atsutane Hirata (1776-1843)

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歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 平田篤胤

江戸時代の意外な医業者③
をお楽しみください

平田篤胤
イラストポートレート Syusuke Galleryより

この人も医者だったの?

シューちゃん

この特集でお届けする意外な人たち↓

江戸時代に医業を行なった意外な人

本居宣長
1730-1801
2024年4月1日公開
1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
上田秋成
1734-1809
2024年4月2日公開
1734-1809を生きた(前期)読本の著者筆頭格。前期読本は当時の中国から俗文学として日本に輸入された白話小説を翻案したもので、その代表作となる短編の怪談奇談集「雨月物語」を和漢混淆文で発表。
平田篤胤
1776-1843
2024年4月3日公開
1776-1843を生きた秋田より脱藩し裸一貫で上京、江戸で最新の学問を苦学で身につけた国学4大大人の一人。
館長

今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋よりこの企画をお届けします

シューちゃん

江戸時代の意外な医業者って?

江戸時代の医療って

館長

まずその前に江戸時代の医療の現状について確認しておきましょう

シューちゃん

なんだか難しそうだなぁ…

館長

簡単に紹介しますよ

館長

江戸時代の初期は漢方による医学が主流、というよりは漢方しかなかった時代とも言えます

漢方医学の祖・田代三喜

三喜

その漢方医学の発展に努めました

1465-1544を生きた日本における東洋医学(漢方医学)の祖
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
シューちゃん

江戸も後期になればオランダ医学なる西洋医学が入ってくるんだよね

館長

確かに後期にはね!

館長

今回はその前に焦点を当ててみましょう

医術は儒学の中に?

館長

それで今で言うところの医学は、江戸時代の学問である国学の朱子学(儒学)の中に含まれていたと考えられています

惺窩

徳川家康に儒学を説いたのはわたしです

1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
館長

つまり儒学を学べは医術を理解する機会があったと理解できます

シューちゃん

いまみたいに医師国家試験のようなものも無いだろうしね…

館長

そうなのです、シューちゃん!

館長

だからね、儒学を修めたと言って、医業をはじめるヤブ医者のような方々も居られたんだって!

シューちゃん

すごい世界だね…

館長

もちろん儒学者みんながヤブ医者では無くて

医術センスのある儒学者

館長

その中でも医術のセンスのある儒学者が次々と誕生していたのです

シューちゃん

センスのあるって??

館長

当時の医療水準から考えれば検査などはもちろん無いから、観察することで診断を下すことになる

シューちゃん

ということは、観察力や質問力の高い儒学者がセンスのある医業者ってこと?

館長

そう考えられると思います、つまり診断ができるかどうかってことでしょうか

センスのある儒学者・本居宣長

シューちゃん

そのセンスのある儒学者の一人が前回登場した本居宣長さんだったよね

1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
【医学の部屋|本居宣長】江戸時代の意外な医業者①
館長

そうです!シューちゃん!

館長

本居宣長さんは、国学の大成を成し遂げたとされ国学四大人のひとり

もう一人の国学四大人も医術を目指す

シューちゃん

そして本居宣長さんと同じく国学四大人のひとりであった平田篤胤さんも医業を行なっていたんだ

1776-1843を生きた国学者であり医師。秋田藩を脱藩し裸一貫で江戸に出て、最新の学問を苦学で身につけた。1805年本居宣長の嫡子春庭の門下となり1807年に現在の東京京橋にて玄瑞医院を開設。その約2年後には医院を閉鎖。この間に傷寒雑病論解、医道大意(志都能石屋)を著し、医術に深く関わっていたと考えられている。医業を辞めたあとも診察を望む患者は絶えなかったとされる。 国学四大人の一人。
【国学者|平田篤胤 Atsutane Hirata】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
シューちゃん

国学者が医者って、改めて考えても意外だよね!

館長

平田篤胤さんが実際に医師として名乗っていたのは約2年ほどだったみたいですけどね

館長

調べを進めてみると、かなり医術に長けていたみたい

シューちゃん

具体的には?

医道大意に記載されているのは…

館長

では、著述の一つに医道大意(志都能石屋)の一節を現代文で引用してみますね

館長

"腹痛に悩むものに垢(アカ)を丸めて「エンリンのアンカン仁という尊い薬じゃ」と与えると、その病人はこれを信じてのむので腹痛が止まる"

シューちゃん

これって詐欺じゃないの??

館長

確かに詐欺のようにも聞こえるけど、れっきとしたプラセボ効果を示していると考えられます

シューちゃん

なるほどね…

館長

加えてこんなことも説いておられます

館長

"わが国の医学は大穴牟遅神・少彦名命の二神によってはじまったけど、西洋の医学も排除することなくその長けをとり、わが国の医学の短を補い医療の完璧を目指すことが医師の本分でる"

シューちゃん

きっと先見の目があったのだろうね

館長

このころ長崎より蘭学が盛んに入ってきて、西洋医学も当然入ってきていましたから…

シューちゃん

新旧対決のように国を二分する医学論争が起こっていたのだったよね?

館長

このあたりは今後特集を組んてみたいと思います

本居春庭に学ぶ

館長

そんな平田篤胤さんは本居宣長さんの嫡子であった春庭さんに医術を学んだとされています

シューちゃん

きっと一を聞いて十を知るってかんじだったんだろうね

館長

開業は2年ぐらいだったと考えられていますが、廃業後も平田篤胤さんを頼って診察に訪れる患者さんが後を絶えなかったみたいです

シューちゃん

その後、医師を名乗らなくても生まれ故郷の秋田では名医と謳われていたみたいだね

館長

秋田藩では神と崇められるほどだったと伝わっています

江戸時代の意外な医業者③まとめ

シューちゃん

今回も新たな発見があって楽しかった!

館長

さて、今回企画させていただきました「江戸時代の意外な医業者」は、いかがでしたか?

シューちゃん

国学者が医者だったり、作家が医者だったり…不思議な感じだった

館長

いまから数百年前ですが、知れば知るほど江戸時代って魅力的な時代ですよね

シューちゃん

そう考えると、科学は全くいまと比べ物にならないけど、何か繋がっている感じはするよね

館長

現在の医学には到底及ばない江戸時代だったと思いますが、当時は当時で最先端の施術を行う知識人が医師としても奮闘していたのだと感じました

館長

今回は江戸時代の医業者の視点から平田篤胤を取り上げ、全3回の「江戸時代の意外な医業者」を閉じさせていただきます

シューちゃん
館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた医学者を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

ここまで付き合ってくれてありがとう!

館長

今回の江戸時代の意外な医業者③の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行を参考図書として用いております

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0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
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0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
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1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
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