上田秋成
Akinari Ueda (1734-1809 )
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こちらのページでは 上田秋成
江戸時代の意外な医業者②をお楽しみください
上田秋成
イラストポートレート Syusuke Galleryより
この人も医者だったの?
この特集でお届けする意外な人たち↓
今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋よりこの企画をお届けします
江戸時代の意外な医業者って?
江戸時代の医療って
まずその前に江戸時代の医療の現状について確認しておきましょう
なんだか難しそうだなぁ…
簡単に紹介しますよ
江戸時代の初期は漢方による医学が主流、というよりは漢方しかなかった時代とも言えます
漢方医学の祖・田代三喜
その漢方医学の発展に努めました
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
江戸も後期になればオランダ医学なる西洋医学が入ってくるんだよね
確かに後期にはね!
今回はその前に焦点を当ててみましょう
医術は儒学の中に?
それで今で言うところの医学は、江戸時代の学問である国学の朱子学(儒学)の中に含まれていたと考えられています
徳川家康に儒学を説いたのはわたしです
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
つまり儒学を学べは医術を理解する機会があったと理解できます
いまみたいに医師国家試験のようなものも無いだろうしね…
そうなのです、シューちゃん!
だからね、儒学を修めたと言って、医業をはじめるヤブ医者のような方々も居られたんだって!
すごい世界だね…
もちろん儒学者みんながヤブ医者では無くて…
医術センスのある儒学者
その中でも医術のセンスのある儒学者が次々と誕生していたのです
センスのあるって??
当時の医療水準から考えれば検査などはもちろん無いから、観察することで診断を下すことになる
ということは、観察力や質問力の高い儒学者がセンスのある医業者ってこと?
そう考えられると思います、つまり診断ができるかどうかってことでしょうか
そのセンスのある儒学者の一人が前回登場した本居宣長さんだったよね
【医学の部屋|本居宣長】江戸時代の意外な医業者①
そうです!シューちゃん!
作家も医術を目指す
そして今回登場の上田秋成さんは作家だよね
上田秋成さんといえばやっぱり雨月物語かな
【江戸文学|(前期)読本】「上田秋成」上方の古典博士
この上田秋成さんも医師として活躍していたのですよ!
作家も医師になれたんだね
上田秋成さんが医師を目指したのは35歳のころ…
自宅が全焼して…
全ての財産を失ってしまったのです
医師は母のすゝめ
途方に暮れていた上田秋成さんは、お母様の勧めで医師を目指すようになったのです
前回の本居宣長さんも医術を目指したきっかけは母の勧めだったよね
この医師を目指したきっかけが同じという点はなかなか面白いつながりでよね
教科書と臨床観察
それで上田秋成さんの場合はどうやって医術を学んだの?
ほぼ独学だったと思われています
元来、勉強好きの上田秋成さんは医書を読み漁り…
患者さんのところに足を運んで臨床経験を積んだみたいなのです
医学部で言えば教科書で学んで、臨床実習で外来に立ち会って学ぶような感じだったのかもね
そんな感じで、それも独学だったと言うからすごい努力家?
ここでも本居宣長さんと共通点があるとすれば、多くの患者さんを診て学んでいたと考えられますね
医師の趣味は古学?
そして上田秋成さんは時間をみつけては古学にも励んでいたみたい
古学といえばこの人だね
【儒学・古学|山鹿素行 Soko Yamaga】古学の祖
儒教の教えに立ち戻って日本の古典を学ぶ古学に熱心だったそうです
本居宣長さんも源氏物語や古事記などの日本の古典から学び直しをしていましたからね
確かに!考え方が違ったのかもしれませんが、同じような生き方をしている点は興味ありますねぇ
1776年医業開始
そして1776年に大阪(当時は大坂でした)尼崎にて町医者を開業しました
とても親切なお医者さまという評判ものもと、医業は順調だったようです
記録によれば開業してから4年後には尼崎から50メートル程度離れた淡路切町というところに住まいを新たにしているので、かなり業績は良かったようです
1787年医業廃業
突然の出来事だったみたいでした
これは謎に包まれているのですが、一説によれば本居宣長氏との論争に負けたとか、大病を患ったとか…ありますが
もっとも有力な説は精神的に疲れてしまったみたいです