上田秋成





Akinari Ueda (1734-1809 )

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歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 上田秋成

江戸時代の意外な医業者②
をお楽しみください

上田秋成
イラストポートレート Syusuke Galleryより

この人も医者だったの?

シューちゃん

この特集でお届けする意外な人たち↓

江戸時代に医業を行なった意外な人

本居宣長
1730-1801
2024年4月1日公開
1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
上田秋成
1734-1809
2024年4月2日公開
1734-1809を生きた(前期)読本の著者筆頭格。前期読本は当時の中国から俗文学として日本に輸入された白話小説を翻案したもので、その代表作となる短編の怪談奇談集「雨月物語」を和漢混淆文で発表。
平田篤胤
1776-1843
2024年4月3日公開
1776-1843を生きた秋田より脱藩し裸一貫で上京、江戸で最新の学問を苦学で身につけた国学4大大人の一人。
館長

今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋よりこの企画をお届けします

シューちゃん

江戸時代の意外な医業者って?

江戸時代の医療って

館長

まずその前に江戸時代の医療の現状について確認しておきましょう

シューちゃん

なんだか難しそうだなぁ…

館長

簡単に紹介しますよ

館長

江戸時代の初期は漢方による医学が主流、というよりは漢方しかなかった時代とも言えます

漢方医学の祖・田代三喜

三喜

その漢方医学の発展に努めました

1465-1544を生きた日本における東洋医学(漢方医学)の祖
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
シューちゃん

江戸も後期になればオランダ医学なる西洋医学が入ってくるんだよね

館長

確かに後期にはね!

館長

今回はその前に焦点を当ててみましょう

医術は儒学の中に?

館長

それで今で言うところの医学は、江戸時代の学問である国学の朱子学(儒学)の中に含まれていたと考えられています

惺窩

徳川家康に儒学を説いたのはわたしです

1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
館長

つまり儒学を学べは医術を理解する機会があったと理解できます

シューちゃん

いまみたいに医師国家試験のようなものも無いだろうしね…

館長

そうなのです、シューちゃん!

館長

だからね、儒学を修めたと言って、医業をはじめるヤブ医者のような方々も居られたんだって!

シューちゃん

すごい世界だね…

館長

もちろん儒学者みんながヤブ医者では無くて

医術センスのある儒学者

館長

その中でも医術のセンスのある儒学者が次々と誕生していたのです

シューちゃん

センスのあるって??

館長

当時の医療水準から考えれば検査などはもちろん無いから、観察することで診断を下すことになる

シューちゃん

ということは、観察力や質問力の高い儒学者がセンスのある医業者ってこと?

館長

そう考えられると思います、つまり診断ができるかどうかってことでしょうか

シューちゃん

そのセンスのある儒学者の一人が前回登場した本居宣長さんだったよね

1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
【医学の部屋|本居宣長】江戸時代の意外な医業者①
館長

そうです!シューちゃん!

作家も医術を目指す

シューちゃん

そして今回登場の上田秋成さんは作家だよね

シューちゃん

上田秋成さんといえばやっぱり雨月物語かな

1734-1809を生きた(前期)読本の著者筆頭格の作家であり医師。当時中国から俗文学として日本に輸入された白話小説を翻案した前期読本の自身代表作となる短編の怪談奇談集「雨月物語」を和漢混淆文で著した。1771年に火災に伴い全財産を失ったことをきっかけに医師を志し、その2年後に大阪加島で医書を読み漁り、多くの患者と接しながら医術の体得後、1776年大阪尼崎にて開業し1788年には廃業。大阪淡路に隠居の身となり執筆活動を復活させた。
【江戸文学|(前期)読本】「上田秋成」上方の古典博士
館長

この上田秋成さんも医師として活躍していたのですよ!

シューちゃん

作家も医師になれたんだね

館長

上田秋成さんが医師を目指したのは35歳のころ…

館長

自宅が全焼して…

館長

全ての財産を失ってしまったのです

医師は母のすゝめ

館長

途方に暮れていた上田秋成さんは、お母様の勧めで医師を目指すようになったのです

シューちゃん

前回の本居宣長さんも医術を目指したきっかけは母の勧めだったよね

館長

この医師を目指したきっかけが同じという点はなかなか面白いつながりでよね

教科書と臨床観察

シューちゃん

それで上田秋成さんの場合はどうやって医術を学んだの?

館長

ほぼ独学だったと思われています

館長

元来、勉強好きの上田秋成さんは医書を読み漁り…

館長

患者さんのところに足を運んで臨床経験を積んだみたいなのです

シューちゃん

医学部で言えば教科書で学んで、臨床実習で外来に立ち会って学ぶような感じだったのかもね

館長

そんな感じで、それも独学だったと言うからすごい努力家?

館長

ここでも本居宣長さんと共通点があるとすれば、多くの患者さんを診て学んでいたと考えられますね

医師の趣味は古学?

館長

そして上田秋成さんは時間をみつけては古学にも励んでいたみたい

シューちゃん

古学といえばこの人だね

1622-1685を生きた儒学者は、江戸時代における武士の生き様(ふるまい・在り方)を追求し士道を示す。その後、徳川幕府の官学である朱子学に疑問を持ち、儒教そのものの教えに立ち返るとした古学を提唱。このことから古学の祖とされる。
【儒学・古学|山鹿素行 Soko Yamaga】古学の祖
館長

儒教の教えに立ち戻って日本の古典を学ぶ古学に熱心だったそうです

シューちゃん

この点も本居宣長さんと似ているよね

館長

居宣長さん源氏物語や古事記などの日本の古典から学び直しをしていましたからね

シューちゃん

たしか、この二人は古学の考え方で論争をしているよね

館長

確かに!考え方が違ったのかもしれませんが、同じような生き方をしている点は興味ありますねぇ

1776年医業開始

館長

そして1776年に大阪(当時は大坂でした)尼崎にて町医者を開業しました

館長

とても親切なお医者さまという評判ものもと、医業は順調だったようです

シューちゃん

繁盛していたんだね

館長

記録によれば開業してから4年後には尼崎から50メートル程度離れた淡路切町というところに住まいを新たにしているので、かなり業績は良かったようです

1787年医業廃業

シューちゃん

そんな上田秋成さんは1787年に54歳(自称は55歳みたい)で医師を辞めちゃった

館長

突然の出来事だったみたいでした

シューちゃん

なんで辞めちゃったのかな??

館長

これは謎に包まれているのですが、一説によれば本居宣長氏との論争に負けたとか、大病を患ったとか…ありますが

館長

もっとも有力な説は精神的に疲れてしまったみたいです

シューちゃん

上田秋成さん医業より芸術肌だったのかもね?

館長

医業は気を使いますからね…そんなことが影響していたのかもしれません

江戸時代の意外な医業者②まとめ

シューちゃん

今回も新たな発見があって楽しかった!

館長

さて、いかがでしたか?

館長

前回ご紹介した本居宣長さん上田秋成さんともに、もともと他業種から医業に携わっていることが今回もわかりました

シューちゃん

現在でもサラリーマンから医学部へ!なんて…たまにニュースになるけど

シューちゃん

江戸時代にも同じようなことがあったとはね!

館長

今回は江戸時代の医業者の視点から上田秋成を取り上げさせていただきました

シューちゃん

次回は本居宣長さんと同じく国学四大人の一人で医師でもあった平田篤胤さんが登場するよ

1776-1843を生きた国学者であり医師。秋田藩を脱藩し裸一貫で江戸に出て、最新の学問を苦学で身につけた。1805年本居宣長の嫡子春庭の門下となり1807年に現在の東京京橋にて玄瑞医院を開設。その約2年後には医院を閉鎖。この間に傷寒雑病論解、医道大意(志都能石屋)を著し、医術に深く関わっていたと考えられている。医業を辞めたあとも診察を望む患者は絶えなかったとされる。 国学四大人の一人。
【医学の部屋|平田篤胤】江戸時代の意外な医業者③
館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた医学者を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

館長

今回の江戸時代の意外な医業者②の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行を参考図書として用いております

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

13東京都
1756-1798を生きた医学者。津山藩医の家系に生まれ当初漢方医であったが、大槻玄沢の門下となり、蘭学を学ぶ。オランダの医学者Johannes de Gorter(1689-1762)の著した内科書を西説内科撰要として翻訳し、日本語として初の内科学問書となった。
【医学の部屋|宇田川玄随】ビフォーアフター解体新書編⑤New!!
03岩手県
1757-1827を生きた医学者。杉田玄白の門下となり、その後前野良沢より蘭学を学び蘭学塾として芝蘭堂を開校。江戸蘭学の基盤を築いた。解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させている。玄沢の名は師であった玄白、良沢の名をとったものであった。蘭語の指導書として青木昆陽、前野良沢の流れを汲み「蘭学階梯」を1788年に著しており、外国語教育を発展させた一人でもある。
【医学の部屋|大槻玄沢】ビフォーアフター解体新書編④New!!
13東京都
1733-1817を生きた医学者。古方派大家であった山脇東洋の影響を受け医院を開業。蘭学者と交わりながらオランダ語に訳された医学書ターヘル・アナトミア(Ontleedkundige Tafelen)』入手し、前野良沢らを誘い翻訳に取り組み日本初の解剖学書である「解体新書」を著した。門下であった大槻玄沢や宇田川玄真らはその後江戸蘭学を発展させている。
【医学の部屋|杉田玄白】ビフォーアフター解体新書編③New!!
13東京都
1723-1803を生きた医学者。40歳を過ぎてから習得したオランダ語力を発揮し解体新書の翻訳を杉田玄白の申し出に同意し尽力した。人と交わることを好まない性格であった。数少ない弟子に解体新書の改訂を行った大槻玄沢がいる。
【医学の部屋|前野良沢】ビフォーアフター解体新書編②New!!

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