貝原益軒





Kaibara Ekken (1630-1714)

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歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 貝原益軒

江戸の儒学と医学③
をお楽しみください
※貝原益軒 江戸の儒学と医学③は医学の部屋よりお届けします

貝原益軒
イラストポートレート Syusuke Galleryより

江戸時代の儒学と医学

シューちゃん

この特集でお届けする儒学者であり医学の心得をもった人たち↓

江戸時代の医学を重んじた儒学者

中江藤樹
1608-1648
2024年4月4日公開
1608-1648を生きた儒学者は、王陽明全書を読破し、その思想に開化し「致良知説」に傾倒。そして自ら私塾を開き、その学問を極め日本陽明学の祖とされる。
荻生徂徠
1666-1728
2024年4月5日公開
1666-1728を生きた儒学者。
貝原益軒
1630-1714
2024年4月6日公開
1630-1714を生きた儒学者であり薬学者。
伊藤仁斎
1630-1714
2024年4月6日公開
1627-1705を生きた儒学者であり古学古義学(堀川学派)の祖。後の傷寒論などの古典に立ち返る医学となる古方派に影響を与えた。山脇東洋もその一人であり、日本初の人体解剖につながる。

江戸時代の儒学と医学

館長

今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全4回にわたって、この企画をお届けしています

シューちゃん

前々回は中江藤樹さん

1608-1648を生きた儒学者。儒道と士道は同じ道と独学で学びを深めた。朱子学を当時の社会に適応させるべく、王陽明全書を読破し、その思想を開化し陽明医学の実践法の一つとする「致良知説」に傾倒した。そして自ら私塾を開き、その学問を極め日本陽明学の祖とされる。多くの医書も残し、その医術を学ぶために藤樹のもとに留学を希望するものは絶えなかったとされる。
【医学の部屋|中江藤樹】江戸の儒学と医学①
シューちゃん

前回は荻生徂徠さんだったよ

1666-1728を生きた儒学者。山鹿素行の説いた古学聖学に、辞学的に研究を行なった古文辞学の一派を築く。その思想はその後国学を形成する本居宣長に影響を及ぼしたとされる。父、兄弟共に医者であり、医に多く触れる環境であり、自身も医学書として徂徠先生医言、素問評、鑒定傷寒論を著している。
【医学の部屋|荻生徂徠】江戸の儒学と医学②

江戸時代の医療って

館長

では恒例の江戸時代の医療の現状について確認しておきましょう

シューちゃん

このあたりは「江戸時代の意外な医業者」でもお届けしている内容だよ

江戸時代に医業を行なった意外な人

本居宣長
1730-1801
2024年4月1日公開
1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
上田秋成
1734-1809
2024年4月2日公開
1734-1809を生きた(前期)読本の著者筆頭格。前期読本は当時の中国から俗文学として日本に輸入された白話小説を翻案したもので、その代表作となる短編の怪談奇談集「雨月物語」を和漢混淆文で発表。
平田篤胤
1776-1843
2024年4月3日公開
1776-1843を生きた秋田より脱藩し裸一貫で上京、江戸で最新の学問を苦学で身につけた国学4大大人の一人。
館長

では、繰り返しになりますが簡単に紹介させていただきます

館長

江戸時代の初期は漢方による医学が主流、というよりは漢方しかなかった時代とも言えます

漢方医学の祖・田代三喜

三喜

その漢方医学の発展に努めました

1465-1544を生きた日本における東洋医学(漢方医学)の祖
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
シューちゃん

江戸も後期になればオランダ医学なる西洋医学が入ってくるんだよね

館長

確かに後期にはね!

館長

今回はその前に焦点を当てています

医術は儒学の中に?

館長

それで今で言うところの医学は、江戸時代の学問である国学の朱子学(儒学)の中に含まれていたと考えられています

惺窩

徳川家康に儒学を説いたのはわたしです

1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
羅山

儒学から朱子学を説いたのはわたしです

1583-1657を生きた日本朱子学の祖は、儒学の祖藤原惺窩を師事しその才能を開化、師の薦めにより徳川家康より4代家綱まで将軍に仕え侍講(君主の学問教育)となる。
【儒学・朱子学|林 羅山 Razan Hayashi】日本朱子学の祖
館長

つまり儒学を学べは医術を理解する機会があったと理解できますね!

シューちゃん

いまみたいに医師国家試験のようなものも無いだろうしね…

館長

そうなのです、シューちゃん!

館長

それとね、医術は儒学の下にあるとう風潮があったんだって

シューちゃん

つまり儒学>医術っていう構図かぁ

シューちゃん

医術といっても対症療法、今でいう民間療法みたいな感じだろうからね

館長

だからね、儒学を修めたと言って、医業をはじめるヤブ医者のような方々も現れて…

シューちゃん

すごい世界だね…

館長

だからね、ヤブ医者は自らを「オレは儒者だぁ!」ってホラを吹いて医業を行なっていた輩も多かったんだって

儒と医は王道

館長

その折に、儒学と医術は同じことだ!と唱えるの儒学者が登場してくるのです

シューちゃん

つまり儒学無くして医術なし、医術無くして儒学なしといった感じかな?

館長

シューちゃん、うまいこと言いますね!

中江藤樹や荻生徂徠の医学への思い

シューちゃん

その儒学と医術共に大切だと説いたのが前々回の中江藤樹さんだったよね

館長

シューちゃん、よく覚えておられましたね!

館長

そして前回は荻生徂徠さんは医者一家に育った儒学者の視点から医学感を悟っていました

シューちゃん

そして今回の貝原益軒さんは?

もちろん貝原益軒は儒学者

館長

歴史の授業では貝原益軒さん本草学者として取り上げられていることが多いと思います

シューちゃん

でもこの特集に登場しているってことは儒学者なんだよね?

館長

その通りです!

館長

青年期にいろいろあったのですが、そのことが災いして江戸や京都に留学して…

館長

儒学を学ぶ機会を得て儒学者の道へ進みました

向井元升との出会い

館長

その京都での遊学中に…向井元升(1609-1677)さんと出会う機会で本草学の道にも進むことになりました

シューちゃん

これまでは儒学者が医学を説いていたけど、今度は本草学?

本草学って

館長

本草学は「本草書をひもとき、薬物の歴史を明らかにする学問」と日本大百科事典では解説されています

館長

本来は中国古来の植物を薬物として明らかにする学問でこの江戸時代に盛んになった学問です

シューちゃん

当時は薬剤師なんていう職業もなかっただろうからねぇ

シューちゃん

本草学は医学にも通じているってことか…

館長

医学や薬学にも確かに本草学は通じていますよね!

シューちゃん

その江戸時代の本草学を盛んにさせたのが向井元升さんなんだね

館長

はい!そしてその向井元升さんから本草学を学び、発展させたのが貝原益軒さんなのです

館長

この二人が出会った時、向井元升さんは43歳一方で貝原益軒さんは29歳だったのですって

シューちゃん

一回り以上離れているということは先生と弟子のような関係?

館長

それが師弟関係というよりは共同研究者のような感じだったと伝わっているのですよ

本草学から博物学へ

シューちゃん

この出会いで本草学が大成すると考えると興味深いよね

館長

そうして本草学を発展させた貝原益軒さんは3つの本草学書を著します

館長

65歳のとき花譜(かふ)
国立公文書館デジタルアーカイブ

館長

75歳のとき菜譜(さいふ)
※菜譜上:国立公文書館デジタルアーカイブ
※菜譜下:国立公文書館デジタルアーカイブ

館長

そして80歳のときにの大倭本草です
国立公文書館デジタルアーカイブ

館長

これらの偉業は本草学を新たなレベルに引き上げ日本の博物学を切り開きました

シューちゃん

つまり貝原益軒さんが日本博物学の祖っていうことだね

江戸の儒学と医学③まとめ

館長

さて、今回企画させていただきました「江戸時代の儒学と医学③」は、いかがでしたか?

シューちゃん

今回も新たな発見があって楽しかった!

シューちゃん

儒学を学ぶため国内を留学していたら本草学を極めてしまったってすごいよね

館長

確かにそうですね!そしてその貝原益軒さん日本博物学の祖になるというのも興味深いと感じました

館長

さて今回は江戸時代の儒学と医学の視点から貝原益軒を取り上げました

シューちゃん

次回はこの特集の最終回、伊藤仁斎さんの登場だよ!

1627-1705を生きた儒学者であり古学古義学(堀川学派)の祖。後の傷寒論などの古典に立ち返る医学となる古方派に影響を与えた。山脇東洋もその一人であり、日本初の人体解剖につながる。その生涯は親族から医者になることを勧められるもそれを拒み、加えて儒学者が医者になることを強く非難するも、医者として活躍する多くの門人を抱え慕われた。
【医学の部屋|伊藤仁斎】江戸の儒学と医学④
館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

今回もここまで付き合ってくれてありがとう!

館長

江戸時代の部屋もご用意して皆様のお越しをお待ちしております

イラストポートレートSyusukeGallery江戸時代の部屋Edo Period
江戸時代の部屋 Edo Period
館長

今回の江戸の儒学と医学③の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行を参考図書として用いております

医学・新着偉人(It's New)はこちらから

0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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イラストポートレートSyusukeGallery医学の部屋 Medical Scientist
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