前野良沢
Ryotaku Maeno (1723-1803)
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こちらのページでは 前野良沢 ビフォーアフター
解体新書編②をお楽しみください
前野良沢
イラストポートレート Syusuke Galleryより
解体新書前後史
この特集でお届けしている解体新書編の医学者たちだよ↓
ビフォーアフター解体新書編
日本初の人体解剖は解体新書の20年前
今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全6回にわたって、この企画をお届けします
今回はその2回目!
前回は山脇東洋さん!
【医学の部屋|山脇東洋】ビフォーアフター解体新書編①
日本初の人体解剖を公式に行った山脇東洋さんでした
解体新書が出来上がる20年前の1754年の出来事だった
つまり日本初の人体解剖から20年後に解体新書が翻訳されて登場するのですよね!
日本初の解剖学書は解体新書?
この解体新書は西洋の医学書"Ontleedkundige Tafelen"を杉田玄白さん、前沢良沢さんらによって日本語に翻訳された、日本初の解剖学書でした
でも前回、館長は解体新書以前にも西洋の医学書が翻訳されていたって言っていたよね
そうなのです!
1697年より前(1682年ごろ)に、アムステルダムで出版された解剖学書が本木良意(庄太夫 1628-1697)さんによって日本語に訳されていたのですよね
もう一度ご覧になられたい方は山脇東洋さんのページに戻ってね
その解剖学書とはJohann Remmelin(1583-1632)の著したCatoptrum microcosmicum(1619)※でした
※INTERNET ARCHIVEより
しかし本木さんの生前には世に出ることはなかったんだったよね?
その通りです!シューちゃん
1772年 和蘭全躯内外分合圖
その本木さんが亡くなってから75年も経った1772年に鈴木宗云(しゅううん)さんによって"和蘭全躯内外分合圖"として出版されたのです
解体新書の2年前というところがミソだねぇ…
1706年 紅夷外科宗伝
実はさらに調べてみるとアンブロワーズ・パレの著「A collection of Paré's works」という外科全集を記した書を1706年に楢林鎮山(1649-1711)さんが訳した「紅夷外科宗伝」も出版されていました
この楢林さんも本木さんと同じく通詞※なんだね
※通詞:江戸時代の通訳者のこと
こうやってみると通詞※が西洋医学書を訳しているんだなぁ
※通詞:江戸時代の通訳者のこと
でもなぜ、解体新書が注目されるのかな?
そこが歴史の面白いところだと思います
1720年 享保の改革
いずれの本木さん(鈴木さんによって出版される和蘭全躯内外分合圖の原本)や楢林さんの紅夷外科宗伝も享保の改革による洋書の輸入緩和以前でした
私の主導した享保の改革で蘭学や国学が発展したんだよなぁ
【探究ネタ】「徳川吉宗」江戸幕府第八代征夷大将軍
つまり幕府は認めていなかった
そう考えられると思います
なるほどねぇ…だからそれらを認めてしまうと矛盾が生じてしまうのかぁ…
後付けなのでなんとも言えませんが、日本の歴史としては筋を通したいと思う方も多いのではないでしょうか
そこに解体新書の意味があるってことなのかもね!
秀才 前野良沢
ところで、今回の主人公の前野良沢さんについて話を戻してよ!
ごめんなさい!シューちゃん
今回も前置きが長くなりました…
その前野良沢さんは山脇東洋さんと同様に古方派の流れを汲む藩医でした
引きこもりで学びを深めるほどの秀才
なんと前野良沢さんは40歳を過ぎてからオランダ語を学び、すぐさまその語学を取得します
だから解体新書の基となるオランダ語で書かれた医学書"Ontleedkundige Tafelen"を訳せたのだね
完璧主義 前野良沢
でも前野良沢さんは完璧主義
自身の翻訳に自身が持てない箇所が多々あったみたいで難航する場面も…あったそうです
医学書だから専門用語も多いと思うしね…
一方でパートナーの杉田玄白さんはオランダ学は未知数だったけど推進力は抜群でした
この二人のタッグはお互いの最強だったってことかぁ…
1774年に解体新書完成も…
そうしてなんとか1774年に解体新書は完成
でもその当時、この解体新書の著者に前野良沢さんの名前が無かったんだよね?
そうなのです!
実は以前も前野良沢さんのイラストポートレートページでお聞きしたのですが、コメントを濁されてしまって…
【医学の部屋|前野良沢】蘭学の化け物
つまり出来上がった「解体新書」の完成度が低かったから、そこに自身の名前を載せたくないって感じだったんだよねぇ?
いろいろな調査があるようですが…
どうなのですか?前野良沢さん!
どちらにしても…この解体新書の改訂は弟子の玄沢が引き継いでくれたので…
大槻玄沢さんは第4回目に登場予定だから、そこで聞いてみたいねぇ
【医学の部屋|大槻玄沢】ビフォーアフター解体新書編④
わたしからのコメントは控えさせていただきます…
次回はその杉田玄白さんか…
では今回はこのあたりで閉じましょうか…
次回ビフォーアフター解体新書編③では、この解体新書を杉田玄白さんの視点から探ってみたいと思います
大槻玄沢さんとは真逆の性格って言われているみたいだけど…実際はどうだったのだろう…
ビフォーアフター解体新書編②まとめ
さて、ビフォーアフター解体新書編②はいかがでしたか?
解体新書が歴史に名を刻んでいるのは享保の改革と関係している可能性があるってことがなんとなくわかったような気がしてきた!
解体新書が登場する75年以上前には西洋解剖学書が翻訳されていて、実際解剖も行われていたのにも関わらずですよね…
享保の改革でキリスト教関係以外の書物の(漢訳洋書)輸入制限の緩和は1720年だったよね!
物語りたい、残したい歴史がここにあるって感じで、それが歴史の面白いところなのでしょうね
でも味方を変えた知識も面白いと感じたよ!
では次回、その解体新書を前野良沢さんに共同作成を依頼したこのお方に迫ります
【医学の部屋|杉田玄白】ビフォーアフター解体新書編③
今回は江戸時代の解体新書がもたらしたビフォー&アフターの視点から前野良沢を取り上げました
いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…
これからもご紹介していきます
どうぞお楽しみに!