Ambroise Paré アンブロワーズ・パレ

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Ambroise Paréイラストポートレート(Syusuke Galleryより

アンブロワーズ・パレを知る一冊

「近代外科の父・パレ」森岡恭彦著1990

著者の森岡恭彦氏は消化器外科が専門で昭和62年9月だから崩御される約1年半前に昭和天皇の執刀医でもあった人物。

ご自身のフランス政府給費生として留学経験からフランスの外科学や医の倫理を日本に紹介するようになったんだって。

その活動の中で近代外科学の父と呼ばれるアンブロワズ・パレの業績を日本に紹介のために執筆した1冊。

残念ながらいま絶版になっています。

日本放送出版協会
1990年11月発売
ISBN-10 ‏ : ‎ 4140016094
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4140016091

「外科全書」パレ著1575年

楢林鎮山が「紅夷外科宗伝(写真上段)」としてパレ著の外科全集(写真下段)等を翻訳したのが1706年でした。

パレが1575年に記した外科全書を日本では1706年に公開されたのだから、実に百数十年が経っていたことになるんだね。

当時の蘭方医は最先端の医学に目から鱗だったはず!

長崎大学附属図書館医学分館近代医学資料展示室所蔵

今回は世界史の中から「外科」についてみてみました
病院に行って内科と外科がありますが、外科に行くというとなんだか少し身構えてしまうのは私だけかな
でも今は器具や麻酔、もちろん技術の進歩もあって、パレの頃から比べたら比べものにならないくらい
いまなんらかの治療を受けられているすべての方々が快方に向かわれることを「いらすとすてーしょん」では祈ってます
がんばって!

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0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
【医学の部屋|ヘルモント】17世紀に活躍した世界の医学者⑨
0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
【医学の部屋|ラーズィー】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑥
0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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13東京都
1918-1980を生きた小説家。早稲田第一高等学院在学中に短編集「崩壊(1937)」を刊行し、文学活動を開始するも中退。戦下の満州に従軍し、帰国後は同盟通信社記者となる。戦後は貧困生活の中で創作を続け、1954(昭和29)年に短編集「終身未決囚」で第31回直木賞を受賞。以後、「四万人の目撃者(1958)」などを発表し、松本清張とともに、戦後の推理小説ブームを牽引する。1970(昭和45)年「早稲田文学」の第7次編集長に就任し、若手作家の育成にも尽力。晩年は東京空襲の記録活動にも関わり、文学を通じて戦争体験と社会の矛盾を鋭く追求する作品を手がけた。
【文学の部屋|有馬頼義】昭和時代編.123New!!
40福岡県
1918-1979を生きた小説家でありフランス文学者。東京帝国大学文学部仏文科卒業後、加藤周一や中村真一郎らと文学グループ「マチネ・ポエティク」を結成する。戦後、堀辰雄の勧めで短編集「塔(1948)」を発表する。1954(昭和29)年の長編「草の花」で作家としての地位を確立し、以後「廃市(1950)」「死の島(1966~1972)」など、死と愛、記憶と孤独を主題とする詩的かつ哲学的な作品を多く手がけた。推理小説やSFの分野でも才能を発揮し、推理小説は加田伶太郎の名で執筆、また船田学の名でSF映画「モスラ」の原作となった「発光妖精とモスラ(1961)」を中村真一郎、堀田善衛と共著した。
【文学の部屋|福永武彦】昭和時代編.122
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