カール・ツンベルク
Carl Peter Thunberg(1743-1828)
ようこそ!フリーイラストポートレートと
歴史の停車場いらすとすてーしょんへ
こちらのページでは ツンベルク ビフォーアフター
P.F.シーボルト編①をお楽しみください
- 1. ツンベルクイラストポートレート Syusuke Galleryより
- 2. P.F.シーボルト来日前後史
- 2.1. 江戸時代に来日した外国人は何人ぐらい!?
- 2.2. その中で医師の割合は?
- 2.3. 享保の改革
- 2.4. 1774年解体新書登場
- 2.5. 解体新書の前後史はこちら
- 2.6. 1775年ツンベルク来日
- 2.7. リンネの弟子であったツンベルク
- 2.8. 日本にもたらした医学とは?
- 2.9. 日本から得た知識とは?
- 2.10. 牧野富太郎登場
- 2.11. 帰国後のツンベルク
- 2.12. ビフォーアフターP.F.シーボルト編①まとめ
- 2.13. 次回は小石元俊
- 3. 医学・新着偉人(It's New)はこちらから
- 4. 医学の部屋へようこそ
- 5. いらすとすてーしょん検索コーナー
ツンベルク
イラストポートレート Syusuke Galleryより

出身 1743-1828
分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び
解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日
1776年には江戸参府一行に加わり
日本の医学者と交わったとされる
日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した
水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた
一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる
P.F.シーボルト来日前後史

この特集でお届けしているシーボルト編の方々だよ↓
ビフォーアフターP.F.シーボルト編
江戸時代に来日した外国人は何人ぐらい!?

今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全9回にわたって、この企画をお届けします

今回のビフォーアフターは、シーボルト編かぁ

ところでシューちゃん、江戸時代に来日した外国人の数ってどれくらいだと思いますか?

鎖国していのだから…数人程度かな?

江戸時代来日外国人人名辞典※によると東洋・西洋人併せて500人以上が来日していたそうです
※岩下哲典編 東京堂出版(2011)

結構な数の外国人が来日していたのだね
その中で医師の割合は?

実はその中でオランダ人医師として来日されたのは百数十名と約1/4を占めていたのです

医師の割合が高かったのだね!
享保の改革

その来日するオランダ医師の活動が活発化するのは徳川吉宗八代将軍以降でした

諸外国の文化の発展が目覚ましいことに気づいたのです
【探究ネタ】「徳川吉宗」江戸幕府第八代征夷大将軍

吉宗将軍は西洋の文化発展を注視していたそうです

その中でも西洋の医学にとても興味を示していたみたいでした

確か吉宗将軍は、蘭(オランダ)語の習得を青木昆陽さんらに指示していたんだったけ?

吉宗将軍の命により蘭語の習得と諸外国の情勢を調査しました

これは青木昆陽さん!まだイラストポートレートページが未完成で申し訳ございません

いえいえ…気が向いた時に作ってくださいな

さて話を戻して、それまで蘭語で書かれた西洋の書物は日本に入ってきていましたが、いかんせん言葉がわからないので通詞※を通さないとチンプンカンプンでした…
※通詞:江戸時代の通訳者のこと

そもそも洋書の輸入は禁制でもありました

それでは日本は遅れてしまう…という危惧してがあったので改革を行うことにしたのです

それって、享保の改革と呼ばれているよね!宗教以外の洋書の輸入を緩和したりして…

その通りです!そのためには幕府として蘭語をしっかり読める人財が確保したかった…

それで青木昆陽さんらに蘭語の習得を命じたのだね

そして次々に出島のオランダ商館にやってくる医師たちから多くの医学情報を得る機会が増えていったのです
1774年解体新書登場

その甲斐も功を奏して、1774年に解体新書が登場したのですね

この解体新書の前後史はこちらの特集でご紹介しています
【医学の部屋|山脇東洋】ビフォーアフター解体新書編①
解体新書の前後史はこちら
ビフォーアフター解体新書編
1775年ツンベルク来日

その解体新書登場の翌年1775年に来日したのが、本日の主人公ツンベルクさんです

これまでに来日した外国人とどう違うの?

3つほど挙げてみましょう

一つは解体新書の登場の翌年であり、西洋医学がとても新鮮に映ったこと

そして通詞を介せず、蘭語を理解できる医学者が増えていたこと
リンネの弟子であったツンベルク

加えてツンベルクさんは分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)さんのお弟子さんであり、ツンベルクさんは来日した外国人の中でもとびっきりの科学者※であったことが影響していると考えています

私の愛弟子ツンベルクがお世話になりました

これはリンネさん!青木昆陽さんと同じくイラストポートレートページが未完成で申し訳ございません

いずれは博物学の特集も頼みますよ!

要は来日した時期が良かったんだね

特にこの解体新書の登場で西洋医学は凄い!という風潮だったと思います
日本にもたらした医学とは?

そしてこのツンベルクさんは来日して何をしたの?

約1年の滞在期間中、ツンベルクさんは刺絡療法や消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を蘭学を学んでいた若手の医学者らに紹介したと記録が残っています
日本から得た知識とは?

この来日でその医学者からは鍼灸療法を学びました

そしてわたしは、目的もであった約800種程度の植物を採集したり…
牧野富太郎登場

当時の日本には植物学という分野がなかったから…物好きな外国人が植物採集をしているなぁ…程度の認識だったのだと思います

これは日本の植物学の父でもある牧野先生!
帰国後のツンベルク

約1年の滞在でしたが実りある時間を過ごし、長旅を経て母国スウェーデンに1779年に帰国できました

帰国されたツンベルクさんは北欧最古の大学であるウプサラ大学の学長まで上り詰めました

おかげさまで1784年にはFlora Japonica(日本植物誌) ※ を著すことができたのは日本の皆さんのおかげです
※Google Booksより
ビフォーアフターP.F.シーボルト編①まとめ

では館長…そろそろまとめに…

日本では解体新書の登場で西洋文化に対する潮目に変化を及ぼし、そのタイミングでツンベルクさんが来日されました

このあたりは1780年前後の話しだね…

ということは…まだシーボルトさんはこの時は生まれていなかったのか!

その通りです!シーボルトさんは1796年生まれで、初来日は1823年ですから…

そうなんだね…シーボルトさんが来られる約半世紀前はこんな感じだったのだね

ビフォーアフターP.F.シーボルト編①は今回、ここまでとしましょう
次回は小石元俊

ところで次回の登場の小石元俊さんって?
【医学の部屋|小石元俊】ビフォーアフターP.F.シーボルト編②

今回ご登場いただきましたツンベルクさんと同い年の小石元俊さん

その小石元俊さんは漢蘭折衷派の一人であって、関西で活躍した医学者でした

そこで次回は漢蘭折衷派とこの当時の関西の医学の流れについて綴っていきたいと思います

さて、ビフォーアフターP.F.シーボルト編①はいかがでしたか?

シーボルトさんの登場も待ち遠しいけど…もう少し先だね

そうですね!もう少しシーボルトさんの来日前の時代をお楽しみください!

さて、今回はシーボルトが初来日した1823年を起点として、そのビフォー&アフターの視点からツンベルクを取り上げました

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

これからもご紹介していきます

どうぞお楽しみに!

江戸時代の部屋もご用意して皆様のお越しをお待ちしております
江戸時代の部屋 Edo Period

今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編①の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行、「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております
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