宇田川榕菴





Yoan Udagawa(1798−1846)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 宇田川榕菴 ビフォーアフター

P.F.シーボルト編⑦
をお楽しみください

宇田川榕菴
イラストポートレート Syusuke Galleryより

P.F.シーボルト来日前後史

シューちゃん

この特集でお届けしているシーボルト編の方々だよ↓

ビフォーアフターP.F.シーボルト編

ツンベルク
1743-1828
2024年4月14日公開
1743-1828を生きた医学者であり博物学者。分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び、解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日。76年には江戸参府一行に加わり日本の医学者と交わったとされる。日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた。一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる。
小石元俊
1743-1809
2024年4月15日公開
1743-1809を生きた医学者。古医方であり蘭学を学んだ山脇東洋の流れを汲んだ漢蘭折衷派の一人。関西以西で医学を学んだ後に芝蘭堂で大槻玄沢に蘭学を学ぶ。その後京都に戻り究理堂を開校し蘭学を普及させた。京都における蘭学の礎を築いたとされる。
斎藤方策
1771-1849
2024年4月16日公開
1771-1849を生きた医学者。関西遊学時に小石元俊に蘭学を学び、その後元俊の薦めで芝蘭堂へ留学し、大槻玄沢、宇田川玄真に蘭学を学んだ。その後大阪に戻りクリニックを開業する。1822年に西日本で流行したコレラ(狐狼狸)の治療を積極的に行ったとされている。
華岡青洲
1760-1835
2024年4月17日公開
1760-1835を生きた医学者。漢蘭折衷医家は、外科分野で全身麻酔による世界初めての乳がん摘出手術(1804年)に成功し、その名を刻みこの部位では合計で143症例を行ったとされ、その他の手術も行っている。
シーボルト
1796-1866
2024年4月18日公開
1796-1866を生きた医学者であり博物学者。オランダ商館の医官として1823年に来日し、出島外での活動の許可を得て翌24年には鳴滝塾を開校。蘭学の中でも医学を中心に学ぶために各地・各藩から学者が集まり、シーボルトの門下は蘭方医の流派としてその後の日本の医学を発展させた。将軍謁見のため江戸旅行、日本の情報を持ち出し処分を受けたシーボルト事件。再来日を果たすなど、幕末日本に大きな影響を与えた。
楠本たき
1807-1869
2024年4月19日公開
1807-1869を生きた名付遊女でありP.F.シーボルトの妾。二人の間に生まれた楠本いねは後に医師となり日本初の女性医師(未資格)となった。シーボルトの命名したアジサイの学名「Hydrangea otaksa」は楠本たきを愛した想いに寄せたと伝わる。
宇田川榕菴
1798−1846
2024年4月20日公開
1798−1846を生きた医学者であり博物学者。宇田川玄真の養子となり、医学・薬学・植物学・化学などの分野を切り開いた。特に本草学から植物学を、そして化学分野では元素・酸化・還元・水素・酸素・炭素などの語彙をつくり、イギリス化学書であったElements of Experimental Chemistryの蘭語版を翻訳。増補し舎密開宗として1837年初版を完成させた。
多紀元簡
1755-1810
2024年4月21日公開
1755-1810を生きた医師。幕府の奥医師として徳川家斉の侍医は漢方を中心とした考証学派の中心人物となる。となり幕府官立の江戸漢方医学校であった躋寿館を父から受け継ぐ。
高野長英
1804-1850
2024年4月22日公開
1804-1850を生きた医学者であり博物学者。江戸遊学時に杉田玄白の流れを汲む杉田塾そして1825年鳴滝塾でシーボルトより蘭学、医学を学んだ。シーボルト事件の難を逃れ、江戸麹町にてクリニックを開業。オランダで出版された数々の生理学書を纂述した「西説医原枢要」を1832年に著し日本初の生理学書となる。このころ蘭学者であった渡辺崋山と出会い共同研究を進め、その後蛮社の獄で追われる身となった。その際、庇護された宇和島藩の西洋化に成功している。

ここまでの振り返り

シューちゃん

館長!この特集も後半戦だね…

館長

前回までを振り返ってみたいと思います

ツンベルク来日

シューちゃん

解体新書の登場の翌年に来日したツンベルクさんから始まって…

1743-1828を生きた医学者であり博物学者。分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び、解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日。76年には江戸参府一行に加わり日本の医学者と交わったとされる。日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた。一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる。
【医学の部屋|ツンベルク】ビフォーアフターP.F.シーボルト編①

シーボルト来日

館長

今回の特集に初めてお越しされた場合は、こちらにもまとめておりますので併せてご覧ください

1796-1866を生きた医学者であり博物学者。オランダ商館の医官として1823年に来日し、出島外での活動の許可を得て翌24年には鳴滝塾を開校。蘭学の中でも医学を中心に学ぶために各地・各藩から学者が集まり、シーボルトの門下は蘭方医の流派としてその後の日本の医学を発展させた。将軍謁見のため江戸旅行、日本の情報を持ち出し処分を受けたシーボルト事件。再来日を果たすなど、幕末日本に大きな影響を与えた。
【医学の部屋|シーボルト】ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤
シューちゃん

そして前回は、シーボルトさんのフィアンセとなった楠本たきさんだったよね

1807-1869を生きた名付遊女でありP.F.シーボルトの妾。二人の間に生まれた楠本いねは後に医師となり日本初の女性医師(未資格)となった。シーボルトの命名したアジサイの学名「Hydrangea otaksa」は楠本たきを愛した想いに寄せたと伝わる。
【医学の部屋|楠本たき】ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑥
館長

そして今回は宇田川榕菴さんです

シューちゃん

改めて宇田川榕菴さんって?

養父は宇田川玄真

館長

まず宇田川榕菴さんの養父は宇田川玄真さんでした

1770-1835を生きた医学者。江戸遊学時に杉田玄白や大槻玄沢から蘭学を学び、その才能を発揮した。本名は安岡であったが宇田川玄随の没後、宇田川家を継ぎ宇田川玄真となる。日本解剖学の流れを組む医範提綱には日本初の銅板解剖図52点を掲載し当時の最高峰の解剖学書となった。また和蘭薬鏡遠、西医方名物考を著し、西洋の薬物学を日本にもたらしたことで西洋薬物療法の父でもあった。
【医学の部屋|宇田川玄真】ビフォーアフター解体新書編⑥
館長

その宇田川玄真さんの養父は宇田川玄随さんでした

1756-1798を生きた医学者。津山藩医の家系に生まれ当初漢方医であったが、大槻玄沢の門下となり、蘭学を学ぶ。オランダの医学者Johannes de Gorter(1689-1762)の著した内科書を西説内科撰要として翻訳し、日本語として初の内科学問書となった。
【医学の部屋|宇田川玄随】ビフォーアフター解体新書編⑤
シューちゃん

つまり宇田川玄随さんの流れを汲んでるってこと?

館長

そうです!シューちゃん

宇田川家は代々の津山藩医

館長

その宇田川家は岡山にあった津山藩医の代々継ぎ…

館長

大槻玄沢さんが築いた芝蘭堂の流れを汲む江戸蘭学の筆頭にもなっていたのです

シューちゃん

この宇田川榕菴さんはどんなことをしたの?

日本に博物学をもたらした榕菴

館長

宇田川榕菴さんの大きな業績はヨーロッパで発展した博物学を日本に紹介したことです

館長

博物学とは自然界を科学する大きな枠組みで、植物学や化学の総称のような感じです

シューちゃん

具体的には?

1837年 舎密開宗

館長

1837年に著した舎密開宗は日本における化学の始まりを告げる書となりました
津山洋学資料館
早稲田大学図書館

シューちゃん

日本に化学をもたらしたのか…

館長

この舎密という当て字はオランダ後のchamieの発音から来ているそうです

シューちゃん

つまり化学を解き明かすといった意味だったんだろうか…

館長

この舎密開宗で現された言葉は、いまでも使われているいるのですよ!

館長

例えば…元素、試薬酸化還元水素酸素炭素などです

シューちゃん

これらの言葉は江戸時代にあったのだねぇ…

館長

宇田川榕菴さんはWilliam Henry(1774-1836)著のElements of Experimental Chemistryをはじめとして数々の洋書をまとめ、加えて自身で実験もしたのですって

シューちゃん

自ら実験もしたのか…

館長

その実験器具でいまも残っているものが早稲田大学 保存されているようですよ

シューちゃん

この顕微鏡って、もしかすると…

シーボルトからの贈り物

館長

お察しの通り、シーボルトさんから贈られたもののようですよ

シューちゃん

宇田川榕菴さんシーボルトさんは江戸で意気投合していたって言うからな…

1835年 植学啓原

館長

その他に宇田川榕菴さんは1835年植学啓原という植物学の本も著しています
早稲田大学図書館

シューちゃん

宇田川榕菴さんはもちろん医学にも精通していたわけだから、そこから植物学や化学などの博物学まで学問を広げられたってことだね

館長

きっと蘭学を学ぶ過程で、シーボルトさんとの出会いによって、さらに宇田川榕菴さんの興味を広げたのかもしれませんね

ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑦まとめ

シューちゃん

では今回のまとめだね

館長

江戸蘭学の中心人物となっていた宇田川家の養子となった宇田川榕菴さん

シューちゃん

医学のみならず博物学を次々に日本に届けた先駆者だった

館長

その実験器具などはシーボルトさんから贈呈されていたのです

シューちゃん

改めてシーボルトさんは日本に大きな影響を与えていたことが垣間見れたよ

館長

では今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編⑦はここまでとしましょう

次回は多紀元簡

シューちゃん

さて次回の多紀元簡さんって?

館長

ここまで漢蘭折衷派や蘭学を中心とした方々を紹介してきました

館長

一方で江戸時代の漢方医学の流れについて次回は取り上げたいと思います

館長

その漢方医学の学派の一つ、考証学派に属していたのが多紀元簡さんです

シューちゃん

そうなると、次回は江戸時代の漢方医学についてということか…

館長

さてビフォーアフターP.F.シーボルト編⑦はいかがでしたか?

館長

今回はシーボルトが初来日した1823年を起点として、そのビフォー&アフターの視点から宇田川榕菴を取り上げました

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回も見てね!

館長

江戸時代の部屋もご用意して皆様のお越しをお待ちしております

イラストポートレートSyusukeGallery江戸時代の部屋Edo Period
江戸時代の部屋 Edo Period
館長

今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編⑦の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行、「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

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1709-1751を生きた医学者。オランダ・ライデン大学でブールハーフェに師事。師の提唱した古来の学説をもとにした生理学とデカルト発の機械論的な視座を併せ持つ機械論的生理学をフランスに持ち帰り、さらに発展させた人間機械論(1747年)を展開した。その主張はフランスでは受け入れられず、のちにベルリンに亡命しフリードリヒ大王の庇護を受けた。
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1668-1738を生きた医学者であり教育者。牧師の子として生まれライデン大学で神学、哲学を、その後独学で医学を学び、Harderwijk大学で学位を取得。博物学なども研究し、母校のライデン大学で医学講義を開始。その授業はヨーロッパ最高峰のベストティーチングと評判となり各地から聴講生が押し寄せる。同大学でヨハネス・ヘルニウス(1543-1601)より行われていた臨床実習を確立したことから、大学病院設立と臨床教育の先駆者となった。Institutiones medicae(医学教程 1708年)は主に生理学分野に特化した医学理論書、Aphorismi de Cognoscendis et Curandis Morbis(箴言 1709年)は医学実地書として著している。植物学にも明るく、門下のリンネ(1707-1778)は分類学の父と称されている。
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シューちゃんはいらすとすてーしょんのキャラクターです
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3年目を迎えた2024年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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創業78年を迎える栄光社HP新企画「イチオシ」と


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