多紀元簡





Motoyasu Taki(1755-1810)

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歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは 多紀元簡 ビフォーアフター

P.F.シーボルト編⑧
をお楽しみください

多紀元簡
イラストポートレート Syusuke Galleryより

P.F.シーボルト来日前後史

シューちゃん

この特集でお届けしているシーボルト編の方々だよ↓

ビフォーアフターP.F.シーボルト編

ツンベルク
1743-1828
2024年4月14日公開
1743-1828を生きた医学者であり博物学者。分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び、解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日。76年には江戸参府一行に加わり日本の医学者と交わったとされる。日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた。一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる。
小石元俊
1743-1809
2024年4月15日公開
1743-1809を生きた医学者。古医方であり蘭学を学んだ山脇東洋の流れを汲んだ漢蘭折衷派の一人。関西以西で医学を学んだ後に芝蘭堂で大槻玄沢に蘭学を学ぶ。その後京都に戻り究理堂を開校し蘭学を普及させた。京都における蘭学の礎を築いたとされる。
斎藤方策
1771-1849
2024年4月16日公開
1771-1849を生きた医学者。関西遊学時に小石元俊に蘭学を学び、その後元俊の薦めで芝蘭堂へ留学し、大槻玄沢、宇田川玄真に蘭学を学んだ。その後大阪に戻りクリニックを開業する。1822年に西日本で流行したコレラ(狐狼狸)の治療を積極的に行ったとされている。
華岡青洲
1760-1835
2024年4月17日公開
1760-1835を生きた医学者。漢蘭折衷医家は、外科分野で全身麻酔による世界初めての乳がん摘出手術(1804年)に成功し、その名を刻みこの部位では合計で143症例を行ったとされ、その他の手術も行っている。
シーボルト
1796-1866
2024年4月18日公開
1796-1866を生きた医学者であり博物学者。オランダ商館の医官として1823年に来日し、出島外での活動の許可を得て翌24年には鳴滝塾を開校。蘭学の中でも医学を中心に学ぶために各地・各藩から学者が集まり、シーボルトの門下は蘭方医の流派としてその後の日本の医学を発展させた。将軍謁見のため江戸旅行、日本の情報を持ち出し処分を受けたシーボルト事件。再来日を果たすなど、幕末日本に大きな影響を与えた。
楠本たき
1807-1869
2024年4月19日公開
1807-1869を生きた名付遊女でありP.F.シーボルトの妾。二人の間に生まれた楠本いねは後に医師となり日本初の女性医師(未資格)となった。シーボルトの命名したアジサイの学名「Hydrangea otaksa」は楠本たきを愛した想いに寄せたと伝わる。
宇田川榕菴
1798−1846
2024年4月20日公開
1798−1846を生きた医学者であり博物学者。宇田川玄真の養子となり、医学・薬学・植物学・化学などの分野を切り開いた。特に本草学から植物学を、そして化学分野では元素・酸化・還元・水素・酸素・炭素などの語彙をつくり、イギリス化学書であったElements of Experimental Chemistryの蘭語版を翻訳。増補し舎密開宗として1837年初版を完成させた。
多紀元簡
1755-1810
2024年4月21日公開
1755-1810を生きた医師。幕府の奥医師として徳川家斉の侍医は漢方を中心とした考証学派の中心人物となる。となり幕府官立の江戸漢方医学校であった躋寿館を父から受け継ぐ。
高野長英
1804-1850
2024年4月22日公開
1804-1850を生きた医学者であり博物学者。江戸遊学時に杉田玄白の流れを汲む杉田塾そして1825年鳴滝塾でシーボルトより蘭学、医学を学んだ。シーボルト事件の難を逃れ、江戸麹町にてクリニックを開業。オランダで出版された数々の生理学書を纂述した「西説医原枢要」を1832年に著し日本初の生理学書となる。このころ蘭学者であった渡辺崋山と出会い共同研究を進め、その後蛮社の獄で追われる身となった。その際、庇護された宇和島藩の西洋化に成功している。

江戸と漢方医学

シューちゃん

館長!この特集、全9回も今回が8回目…

シューちゃん

解体新書の登場の翌年に来日したツンベルクさんから始まって…

1743-1828を生きた医学者であり博物学者。分類学の父と称されたリンネ(1707-1778)に学び、解体新書が登場した翌年1775年に出島に来日。76年には江戸参府一行に加わり日本の医学者と交わったとされる。日本へ刺絡療法のほか、消毒・殺菌効果を利用した水銀水(マーキュロクロム液)療法を広めた。一方、鍼灸療法をヨーロッパに持ち帰ったとされる。
【医学の部屋|ツンベルク】ビフォーアフターP.F.シーボルト編①
館長

シーボルトさんとその影響を受けた方々を取り上げました

1796-1866を生きた医学者であり博物学者。オランダ商館の医官として1823年に来日し、出島外での活動の許可を得て翌24年には鳴滝塾を開校。蘭学の中でも医学を中心に学ぶために各地・各藩から学者が集まり、シーボルトの門下は蘭方医の流派としてその後の日本の医学を発展させた。将軍謁見のため江戸旅行、日本の情報を持ち出し処分を受けたシーボルト事件。再来日を果たすなど、幕末日本に大きな影響を与えた。
【医学の部屋|シーボルト】ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤
シューちゃん

そして今回の主人公の多紀元簡さんだけど、確か漢方医学の中枢にいた人だよね?

館長

ここまで蘭学に影響を受けた方々をご紹介してきましたので、この江戸時代の漢方医学を振り返ってみたいと思い、多紀元簡さんに登場いただくことにしました

シューちゃん

漢方医学ねぇ…、とりあえず紹介してもらおうかな

館長

では簡単に…

館長

江戸時代の医学の中心はなんといっても漢方医学でした

シューちゃん

確かにこの特集登場する蘭学が台頭してくるのは江戸時代も後半だからね…

江戸漢方医学の歴史

館長

その江戸時代の漢方医学は次のような学派によって支えられました

館長
  • 後世派
  • 古(医)方派
  • 折衷派
  • 漢蘭折衷派
  • 考証学派

変遷順

シューちゃん

後世派と古(医)方派については小石元俊さんのページ で紹介していたよね

館長

その後世派と古(医)方派の良いところ取りをしたのが折衷派でした

漢蘭折衷派の誕生

シューちゃん

このあたりまでが1750年前後、つまり山脇東洋さんの公式人体解剖が行われた1754年前というところだね

館長

そうです!シューちゃん

館長

そして、折衷派でも説明がつかない医学を究明したい、そんな思いから山脇東洋さんが漢蘭折衷派の祖となったのでしたよね

1706-1762を生きた医学者。中国金元時代の医学からの脱却を目指した古方派筆頭の後藤艮山(1659~1733)に師事し、その後同派の大家となる。五臓六腑説に疑問を抱き、ついに1754年幕府の許可を得て日本初の人体解剖を行った。その記録は1759年「蔵志」にて著した。
【医学の部屋|山脇東洋】ビフォーアフター解体新書編①

考証学派の誕生

館長

そして今回の主人公、多紀元簡さんが中心人物となった考証学派が次に誕生しました

シューちゃん

この考証学派について、もう少し教えて!

館長

では時代を大きく遡りますよ!

時は平安時代

館長

時は平安時代、丹波康頼(912-995)さんという貴族が日本初の医学書「医心法」を著したとされています

シューちゃん

つまり、この「医心法」が日本の医学の原点と考えられているってことか!

丹波康頼の末裔

館長

その「医心法」を著した丹波康頼さんの末裔に当たるのが多紀元簡さんの家系だったそうです

館長

そして多紀元簡さんの祖父にあたる多紀元孝(1695-1766)さんが漢方医学教育施設「躋寿館」を時の将軍吉宗公の後押しもあり私塾として開校します
※奥医師

1891年 医学館誕生

館長

その多紀元孝さんから代替わりしたの多紀元簡さんの父元悳さんにバトンタッチされてから、幕府直轄の官設として「医学館」が1791年誕生しました
※奥医師

シューちゃん

私塾は官設になるってすごいよね!

シューちゃん

多紀家は代々の奥医師だったみたいだから、幕府とはツーツーだったのかも…

館長

シューちゃん!ここで思い出して

館長

大槻玄沢さんが蘭学塾芝蘭堂を開校したのはいつでしたっけ?

1757-1827を生きた医学者。杉田玄白の門下となり、その後前野良沢より蘭学を学び蘭学塾として芝蘭堂を開校。江戸蘭学の基盤を築いた。解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させている。玄沢の名は師であった玄白、良沢の名をとったものであった。蘭語の指導書として青木昆陽、前野良沢の流れを汲み「蘭学階梯」を1788年に著しており、外国語教育を発展させた一人でもある。
【医学の部屋|大槻玄沢】ビフォーアフター解体新書編④
シューちゃん

1786年だったよね!

シューちゃん

そうか!蘭学に対抗する意味もあったのかもしれないね

漢方医学の中心となった考証学派

館長

当時の幕府の中には漢方医学こそ医学だと思っておられたお役人さんも多かったのでは仮説がたちますよね

シューちゃん

と、言うことはこの「医学館」はその後かなりの影響力を持ったのだろうなぁ

館長

少し話が脱線してしまいましたが、先ほどの「医心法」をはじめとする古典医学の復元、復刻を目指したのが考証学派なのです

シューちゃん

だから考証学派は多紀家がメインなんだね

館長

私塾だった躋寿館が官設の医学館となり、その中心は考証学派の多紀家だったということですね

シューちゃん

その多紀元簡さんはやっぱり父元悳さんから医学館を受け継ぐんだよね

館長

家督を受け継いだのち、考証学派の中心人物として活躍された多紀元簡さんですが身の回りに数々の問題が起き大変だったそうです

シューちゃん

いろいろねぇ…それは、それは、大変だったのだろう

館長

そして56歳でこの世を去られました

シューちゃん

その後はどうなったの?

館長

多紀元簡さん亡き後も、漢方医学の中心であった医学館は…

館長

その後、蘭学を中心とする西洋医学と対峙することになるのです

館長

この続きはいずれ、別の特集を企画したいと考えています

館長

さぁどんな展開になるのか、ぜひ楽しみにしていてくださいね!

ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑧まとめ

シューちゃん

では今回のまとめだね

館長

江戸時代の医学の中心であった漢方の流れがありました

シューちゃん

その江戸時代の最後に興きたのが考証学派だったんだ

館長

そこには多紀家の影響があり、多紀元簡さんが中心人物として活躍されました

シューちゃん

そしてこの考証学派はいずれ蘭学を中心とした西洋医学派(蘭方医)と対峙するのだよね

館長

では今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編⑧はここまでとしましょう

次回(最終回)は高野長英

シューちゃん

ところで次回最終回の高野長英さんって?

館長

シーボルト鳴滝塾で学んだ医学者であり蘭学の雄

館長

そしてシーボルト事件によって波乱万丈の人生となった高野長英さんに迫ります

館長

さてビフォーアフターP.F.シーボルト編⑧はいかがでしたか?

館長

今回はシーボルトが初来日した1823年を起点として、そのビフォー&アフターの視点から多紀元簡を取り上げました

館長

いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回も見てね!

館長

江戸時代の部屋もご用意して皆様のお越しをお待ちしております

イラストポートレートSyusukeGallery江戸時代の部屋Edo Period
江戸時代の部屋 Edo Period
館長

今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編⑧の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行、「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております

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0032ベルギー王国出身
1579-1644を生きた医学者であり化学者。パレケルススの化学に基づいた理論で人体の機能を解き明かす医療化学の分野を進めた。四元素や体液説など古代医学を論駁し、また空気とは異なる気体の存在を見出し、この気体をガスと命名し、その概念を明らかにした。
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0049ドイツ連邦共和国出身
1659-1734を生きた医学者であり化学者。 1708年生理学と病理学からなる医学理論書Theoria medica veraを著し、生物にはアニマという非物質が存在し、生命活動を営むとしたアニミズムを提唱した。そしてその理論は、ドイツ哲学者ライブニッツ(1646-1716)が提唱した生気論を牽引した。また化学の分野では、特にZymotechnia Fundamentalis(科学の基礎・1697年)にて、燃焼について酸化の考えにつながるフロギストンという物質をアリストテレスにより広く支持された四元素説に加え唱えた。
【医学の部屋|シュタール】18世紀に活躍した世界の医学者Ⅺ
0098イラン・イスラム共和国出身
865-925を生きた医学者。9~10世紀のイスラム王朝(アッバース朝)に医学、哲学など幅広い分野でその名を刻んだ。天然痘と麻疹の臨床所見の違いを示すなど、特に医学分野でその名を馳せている。
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0033フランス共和国出身
1298-1368を生きた医学者。ヴェサリウス以前の中世ヨーロッパにおいて、ガレノスによる解剖学を学び、外科医としてその名を刻んだ。1363年には外科指南書となったChirurgia magnaを著し、8章からなるラテン語で描かれたこの書は外科医のバイブルとなった。黒死病(ペスト)に立ち向かった医師としても記憶されている。
【医学の部屋|ショーリアック】16世紀以前に活躍した世界の医学者⑤

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