小石元俊
Genshun Koishi(1743-1809)
ようこそ!フリーイラストポートレートと
歴史の停車場いらすとすてーしょんへ
こちらのページでは 小石元俊 ビフォーアフター
P.F.シーボルト編②をお楽しみください
- 1. 小石元俊イラストポートレート Syusuke Galleryより
- 2. P.F.シーボルト来日前後史
- 2.1. 前回はツンベルク
- 2.2. 解体新書の前後史はこちら
- 2.3. 解体新書登場のきっかけとなった日本初(公式)人体解剖
- 2.4. 18世紀後半の上方医学
- 2.5. 江戸医学の成り立ち
- 2.6. 後世派と古医方派
- 2.7. 古医方派・山脇東洋
- 2.8. 漢蘭折衷派の祖
- 2.9. 漢蘭折衷派の流れを汲む小石元俊
- 2.10. 大槻玄沢に学ぶ
- 2.11. 衛生堂、究理堂を開校
- 2.12. ビフォーアフターP.F.シーボルト編②まとめ
- 2.13. 次回は斎藤方策
- 3. 医学・新着偉人(It's New)はこちらから
- 4. 医学の部屋へようこそ
- 5. いらすとすてーしょん検索コーナー
小石元俊
イラストポートレート Syusuke Galleryより
P.F.シーボルト来日前後史
この特集でお届けしているシーボルト編のの方々だよ↓
ビフォーアフターP.F.シーボルト編
前回はツンベルク
今回いらすとすてーしょんでは医学の部屋より全9回にわたって、この企画をお届けします
前回はツンベルクさんだったよね
【医学の部屋|ツンベルク】ビフォーアフターP.F.シーボルト編①
シーボルトさんが初来日(1823年)する約半世紀前を取り上げてみました
江戸医学は18世紀後半の1774年に登場した解体新書が転機となっていたんだったよね
解体新書の前後史はこちら
ビフォーアフター解体新書編
解体新書登場のきっかけとなった日本初(公式)人体解剖
その解体新書登場のきっかけとなった日本初、公式に人体解剖を行ったとされるのが…
この人だよね
【医学の部屋|山脇東洋】ビフォーアフター解体新書編①
1754年京都で行われた
京都市中京区六角通神泉苑西入南側
こんな石碑があったとは…
18世紀後半の上方医学
さて今回はその解体新書登場のきっかけとなった日本初の人体解剖
その後の上方(関西)における医学について綴ってみたいと思います
江戸医学の成り立ち
そのためには江戸医学の成り立ちからお話した方がよさそうですな
聞いてみたい!
そもそも江戸の医学といえば漢方医学であったのです
後世派と古医方派
時は戦国の世、医師であった曲直瀬道三(1507-1594)の流れを汲む一派を後世派※と称していまいた
※金元医学を元としていたところ、古医方が現れたことで後世派と呼ばれるようになりました
曲直瀬道三を指導したのはわたしでした
【医学の部屋|田代三喜 Sanki Tashiro】日本漢方医学の祖
一方で中国に古来(後漢時代)から伝わる傷寒論こそ真の医学であるという主張を名古屋玄医(1628-1696)が唱え始める
その一派を古医方派と呼んだのですね
館長の言う通り!
その後、中には後世派と古医方派の良いところ取りをした折衷派なども生まれていましたが…
古医方派・山脇東洋
それで東洋さんは古医方派だったんだよね
まさしく!名古屋玄医先生から後藤艮山(1659~1733)先生に受け継がれた古医方派の流れをわたしが引き継いだのです
わたしは何より実証することが大事だと常日頃念頭に医学を学んでいたところ…
蘭学の情報と古典医学を重ねると、ところどころ違和感を感じるようになったのです
このあたりは山脇東洋さんのページ をご参照ください
そして人体解剖を行い蘭学の情報は正しかったと、新たな知見を得ることができたのです
つまり古医方派に蘭学が融合していくといった感じでしょうか
そう考えていただいてもよろしいかと思います
漢蘭折衷派の祖
このことから山脇東洋さんは漢蘭折衷派の祖と呼ばれるようになったのですね
そしてここからが今回の本題です
漢蘭折衷派の流れを汲む小石元俊
山脇東洋さんの漢蘭折衷派は門下に受け継がれ、その孫弟子となったのが小石元俊さんでした
そのころ、解体新書を著して杉田玄白さんが京に来られた、二人は出会います
杉田玄白先生に触発され江戸遊学を決めました
それで小石元俊さんは芝蘭堂に留学したんだね
大槻玄沢に学ぶ
わたしも元俊先生から多くを学びました
【医学の部屋|大槻玄沢】ビフォーアフター解体新書編④
なにを仰られますか!大槻玄沢先生のお宅に居候までさせていただきありがとうございました
そして小石元俊さんは京都に戻ります
山脇東洋さんの築いた漢蘭折衷派の一人であった小石元俊さん
その小石元俊さんが山脇東洋さんに影響を受けた杉田玄白さんの流れを汲む大槻玄沢さんに蘭学を学んでいたのだね
その後、小石元俊さんは本格的に蘭学を…
衛生堂、究理堂を開校
大阪(坂)の塾を衛生堂、京都の塾を究理堂として芝蘭堂の流れを汲む蘭学塾を開校したのです
そしてね…調べてみると…
その京都の究理堂は、その後も代々その地で多くの患者さんの診療にあたられているみたい
現在も続いているって凄いですね!
※小石医院HP
ビフォーアフターP.F.シーボルト編②まとめ
では館長…そろそろまとめに…
解体新書の登場のきっかけとなった古医方派山脇東洋さん
その古医方派山脇東洋さんは漢蘭折衷派の祖となりました
そしてその流れを汲んだのが今回の主人公、小石元俊さん
その小石元俊さんは大槻玄沢さんの芝蘭堂で蘭学を極めて京都に戻り…
京都蘭学の発展に尽力されたのだね
ではビフォーアフターP.F.シーボルト編②は今回、ここまでとしましょう
次回は斎藤方策
ところで次回の登場の斎藤方策さんって?
【医学の部屋|斎藤方策】ビフォーアフターP.F.シーボルト編③
今回ご登場いただきました小石元俊さんのお弟子さんにあたられる医学者です
その斎藤方策さんの活躍をお届けしたいと思います
さて、ビフォーアフターP.F.シーボルト編②はいかがでしたか?
シーボルトさんの来日(1823年)はそろそろだね…
さて、今回はシーボルトが初来日した1823年を起点として、そのビフォー&アフターの視点から斎藤方策を取り上げました
いらすとすてーしょんでは医学の歴史を彩ってきた偉人たちを…
これからもご紹介していきます
どうぞお楽しみに!
江戸時代の部屋もご用意して皆様のお越しをお待ちしております
江戸時代の部屋 Edo Period
今回のビフォーアフターP.F.シーボルト編②の制作には「江戸時代医学史の研究(1978)」吉川弘文館発行、「医学の歴史(1964)」中公尾新書発行を参考図書として用いております
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シュー(Syu)です
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