太宰 治 Osamu Dazai

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こちらのページでは【文壇発見|太宰 治】6月19日生誕日は桜桃忌 をお楽しみください

太宰 治
イラストポートレート Syusuke Galleryより

太宰 治の肖像画!?

2022年6月に流れたこのニュース
もうご覧になられましたか?

初公開
昭和の文壇を牽引された編集者の一人「石井 立(Tatsu Ishii)1923-1964」氏は筑摩書房で太宰治の担当であった。
その遺品から太宰が描いた肖像画が三鷹市に寄贈。
2022年6月4日より三鷹市美術ギャラリー 太宰治展示室此の小さな家で初公開。晩年の作品とされていますが、モデルは誰?
そして太宰の忌日桜桃忌6月19日は間も無くやってきます。
※上記内容は2022年6月2日日本経済新聞夕刊改してお届けしました。
東京都三鷹市に寄贈され三鷹市美術ギャラリー太宰治展示室三鷹の此の小さい家にて初公開

三鷹市美術ギャラリー 太宰治展示室此の小さな家

太宰治展示室は「合田佐和子展 帰る途もつもりもない」の開催に伴い、2023年1月17日(火)から4月7日(金)まで休室とのことです
詳しくは公式HPをご参照ください

三鷹市美術ギャラリーの一室に、自宅の一部再現を試みることによって“太宰治の自宅を訪れるかのような展示室”を令和2(2020)年12月8日に開設
三鷹市美術ギャラリーの一室に、自宅の一部再現を試みることによって“太宰治の自宅を訪れるかのような展示室”を令和2(2020)年12月8日に開設

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13東京都
1929-2011を生きた詩人であり童話作家。東京芸術大学油絵科卒業後、画家を志すも、夫となる谷川俊太郎の影響により、茨木のり子の主宰した詩誌「櫂」の同人となり詩作に転向し「忘れた秋(1955)」を発表した後に離婚。その後、芸大同級生の中谷千代子とのコンビで絵本にも関わり、「かばくん(1962)」を発表した。詩人の田村隆一と結婚離婚後に発表した「かえってきたきつね(1973)」も代表作の一つ。また「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「赤毛のアン」など、テレビアニメの主題歌作詞でも知られ、優しく詩情豊かなことばのリズムで子どもたちの心を捉えた。父は、劇作家岸田国士。
【文学の部屋|岸田衿子】昭和時代編.170New!!
36徳島県
1922-2021を生きた小説家であり僧侶。東京女子大学卒業後、出産、離婚を経て文学の道へ。1956年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞を受賞し、文壇に登場するも、その後著した「花芯(1957)」で物議を醸し暫し遠のく。その後、評伝「田村俊子(1960)」を文学者に連載し、翌年第一回田村俊子賞を授賞。1963(昭和38)年には自伝的要素の強い私小説「夏の終り」で第2回女流文学賞を受賞し独自の文学世界を築いた。1973年、岩手県中尊寺で得度し法名「寂聴」を授かる。出家後は瀬戸内寂聴の名で執筆を重ね「比叡(1979)」「手毬(1991)」など仏教思想と人間愛を融合させた作品で幅広い読者層を獲得。1992年より現代語訳を進めた「源氏物語(1996)」は、平易さと情感豊かな解釈で大きな反響を呼んだ。2006年に文化勲章を受章。晩年まで「書くことは生きること」と語り、法話や講演を通じて多くの人々に希望と癒しを届け続けた。本名は瀬戸内晴美。
【文学の部屋|瀬戸内寂聴】昭和時代編.169New!!
0082大韓民国出身
1916-2013を生きた作詞家であり翻訳家。日本統治下の京城府(現・ソウル)に生まれ、その後兵庫県西宮市に移る。神戸女学院英文科卒業後、宝塚歌劇団出版部に入社。タカラジェンヌ越路吹雪との出会いを機に、彼女のマネージャー兼作詞担当として支え続けた。1952(昭和27)年、越路の舞台で披露された「愛の讃歌」の訳詞を皮切りに、戦後初の女性作詞家としての道を歩み始め、「恋のバカンス(1963)」「君といつまでも(1965)」など、昭和歌謡の名曲を多数生み出した。また、「レ・ミゼラブル」などミュージカルの訳詩も多く手がけている。昭和・平成の音楽界に多大な足跡を残した。本名は岩谷トキ子。
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13東京都
1914-1989を生きた詩人。結婚・引揚を経て詩作を開始。1960(昭和35)年から3年間、朝日新聞家庭欄に日常生活に根ざした平易な作風で詩を連載し大きな反響となり「月曜日の詩集(1962)」としてまとめられた。その後詩誌「野火(1966)」を創刊・主宰し、全国800人以上の会員を擁する詩のネットワークを築いた。合唱曲の作詞も手がけている。
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