日本画家の巨匠「東山魁夷 Kaii Higasiyama」氏をピックアップし、栄光社×Syusuke Galleryコラボレーション記念として「鑑真和上からの挑戦状『緑響く』にかけた想い」をいらすとすてーしょんの視点からお届けします。

東山魁夷 Kaii Higashiyama

ようこそ7月推し偉人のコーナーへ
フリーイラストポートレートと歴史の停車場いらすとすてーしょん」では毎月「推し偉人」を特集しています
【コラボ記念|東山魁夷 Kaii Higashiyama】7月推し偉人 栄光社×Syusuke Gallery をお楽しみください

…と、その前に「栄光社×Syusuke Galleryコラボレーション」のご案内です

2022年7月1日より創業77年を迎える栄光社「イチオシ」と、いらすとすてーしょん「Syusuke Gallery」のコラボレーション展開中
「イチオシ」で取り上げられた美術を、その作者のイラストポートレートで贈ります

こんにちは、栄光社です

おかげさまで当社は創業77周年をむかえました。

こちらは、わたしたちがあげた「イチオシ」です。
様々に変化し続ける社会の中で、いつの時代も「変わらない価値」で日々を彩ってくれるような
そんな「イチオシ」をあげていきたいと思っています。

日常が、少しでも豊かになる“きっかけ”になっていただけることを願っております。

EIKOSHAのHPはこちら

今回、EIKOSHA「イチオシ」の長野県立美術館所蔵の東山魁夷「緑響く」

この作品に少し迫ってみたいと思います

創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
EIKOSHAイチオシ「緑響く」東山魁夷1982年@長野県立美術館

東山魁夷 イラストポートレート(Syusuke Galleryより

鑑真和上からの挑戦状『緑響く』にかけた想い

時は1972年にタイムスリップ!

1973年からおおよそ10年の歳月をかけて鑑真和上に捧げた大作「唐招提寺御影堂障壁画」

この大作に挑む1年前のこと

東山魁夷画伯の脳裏に、緑一色の風景に突然白い馬が姿が浮かんだそう

その脳裏に焼き付いたものを次々に表現していく

そうして出来上がった作品の数々を「白い馬の見える風景」として発表したのが1972年

その中の1作品に『緑響く』があった

ところがこの『緑響く』のオリジナルが紛失しちゃうんだなぁ

なぜ1972年なの?

東山魁夷画伯は1969年(昭和44年度)文化勲章を受賞

その翌年には唐招提寺から御影堂の障壁画作成依頼がすでに届いていた

約1年の歳月をかけて、この障壁画作成を受けようか、受けまいか、悩んでいたんじゃないかな

熟慮のすえ、1971年にこの障壁画作成を受諾した

その翌年にはその製作準備取り掛かったとされているんだ

そんな忙しい1972年にどうして…

だから1972年だったのか

唐招提寺御影堂の障壁画作成準備に取り掛かった東山魁夷画伯

ここで少し唐招提寺について

唐招提寺は幾重の困難にも負けずに来日した鑑真が修行の道場として開いた私寺

その鑑真

来日した時は、もうすでに目が見えなくなっていたんだ

つまり、日本をご自身の目で見ることはできなかった

日本の美しい風景を

そんなことを東山魁夷画伯は想い続けていたんでは?

そうしたら緑一色の風景に突然白い馬が姿が現れた

幾重の困難を乗り越えて来日した鑑真が見ることのできなかった美しい日本の風景と重なった

まさに作成準備は鑑真からの挑戦状

わたしにどんな日本の風景を観せてくれるのかい?と…

そうして「白い馬の見える風景」を発表した

時は過ぎて1982年

約10年の歳月をかけた1981年にすべての障壁画を唐招提寺に奉納した東山画伯

きっと鑑真からの挑戦状を果たした達成感を味わっておられたのでは

でも気がかりなことがあった

そう鑑真からの挑戦状を受諾する決心をつけた、あの「白い馬の見える風景」

その中で「緑響く」が紛失していた

唐招提寺の仕事に没頭した10年は水墨技法

そしてそのブランクを感じさせない「緑響く」を1982年に完成させた

約10年の時を経た白馬がいた

上下相対の風景に白馬がいる

この白馬の目も達成感に満ち溢れていた

「鑑真」イラストポートレートもお楽しみください

0089中華人民共和国出身
688-763日本における律宗の開祖。遣唐使より来日を要請されて6度目の渡航にて成就。唐招提寺は当時鑑真の私寺としていまも伽藍となっています。
【探究ネタ】「鑑真」日本の宗教に携われた人々

原田マハ作品に「白馬の森」登場!

いかがでしたか

いらすとすてーしょん独自の視点から東山魁夷作「緑響く」を取り上げさせていただきました

またゆっくり「白い馬の見える風景」を鑑賞したいなぁと心に留めました

と、考えていたら…

この本を思い出しました

<あの絵>の前で

「白い馬の見える風景」を連想していたら、「白馬の森」を題材にした原田マハ氏の短編小説<あの絵>の前で『聖夜』…

「緑響く」と対照的に幻想性に満ちた作品「白馬の森」
東山魁夷画伯の心の動きを感じます
<あの絵>のまえで 幻冬舎 2020年3月発売 原田マハ著

あの絵のまで原田マハ著2020年発売の短編集。「聖夜」の絵画は長野県立美術館東山魁夷館所蔵の「白馬の森」

そのほかにも数々のエピソードが詰まった1冊です
ぜひお手に取られてはいかがですか!

これまでの「いらすとすてーしょん」推し偉人2022〜2023

0032ベルギー王国出身
c.1490-1562を生きたヴェネツィア楽派の作曲家。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長となり終生この職を務めた.宗教曲を中心に,器楽曲など多くの曲を残す。その代表モテット作品は「O magnum mysterium」でテクスチュアルな豊かさを放っている。
【音楽の部屋|ウィラート】ヴェネツィア楽派の祖
13東京都
1760-1849を生きた浮世絵師。幼い頃より絵描きを好み、役者絵の大家勝川春章に浮世絵を学び、その破門と相なる。その後美人画も手がけ、読本の挿絵を手掛け、その中でも曲亭馬琴の挿絵は人々を魅了した。その後70代で描き始めた風景版画「富嶽三十六景」が大ヒット、歌川広重と競い合い、富嶽百景を残す。
【画家の部屋|葛飾北斎】波絵の知名度は世界一
26京都府
1583-1638を生きた絵師。父(もしくは師)光吉とともに現、大阪ぬて土佐派画系の継承につとめ、土佐派を光吉より嗣ぐ。その後、息子の光起を伴い京都に移り土佐派復興につとめる。54帖総ての段を表した源氏物語画帖の絵は土佐光則の作と伝えられているが、その弟子たちによって完成されたとされている。 ※いらすとすてーしょんでは出生地を京都府とさせていただきます
【画家の部屋|土佐光則】土佐派再興に捧げた人生
0089中華人民共和国出身
1021-1086を生きた政治家であり、思想家、詩人、文学者。儒教における「経世致用」の教えを基盤とし、政治は民衆の幸福のためにあるという考えに従い行政を司だった。また文学では唐宋八大家の一人として高く評価されている。
【王安石】民の声を聞く唐宋八大家
0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1637-1680を生きた博物学者であり医学者、解剖学者。顕微鏡を用いて様々な生物(特に昆虫)の組織を観察し、微細に図解を残す。昆虫の変態、発生、形態、生態についての観察を行い1669年に出版したHistoria Insectorum Generalisを緒し、昆虫学の父と称される。また赤血球を顕微鏡で観察を行い記述したことでも名を残している。
【生物学者の部屋|スワンメルダム】ミクロスコープの申し子
0041スイス連邦出身
1896-1980を生きた心理学者。知識の発達や認識の形成を理解するための理論的な枠組みジェネティック・エピステモロジー(genetic epistemology)を提唱。知識の形成は経験と知覚との相互作用によって生じ、発達は4つの段階を経ると主張。
【心理学者の部屋|ピアジェ】20世紀代表の一人
0044英国出身
1809-1882自然史に精通した博物学者。海軍測量船「ビーグル号」で南半球を航海しその寄港した土地の地質、動植物を調査し、のちの自然選択に基づく「種の起源」として進化論を著した。
【植物学者の部屋|チャールズ・ダーウィン】進化論といえば私
0044英国出身
1731-1802を生きた自然史に精通した医師であり植物分野ではリンネが提唱した分類植物学を「The Botanic Garden(植物の園)」をロマン主義文学として著し社会の注目を集めた。また進化論を著したチャールズ・ダーウィンの祖父としても名を残している。
【植物学者の部屋|エラスムス・ダーウィン】C.ダーウィンの偉大な祖父
18福井県
1653-1724を生きた作家は坂田藤十郎に歌舞伎を、竹本義太夫へ浄瑠璃の作品を残した。特に浄瑠璃では新風を吹き込み時代物、世話物を著しその中でも「曽根崎心中」は代表作となる。
【江戸文学|浄瑠璃・歌舞伎】「近松門左衛門」今も人気曽根崎心中
0043オーストリア共和国出身
1890-1918を生きた画家はウィーン出身先輩画家ダスタフ・クリムトにその才能を見出され、共にウィーン分離派を形成し数々の作品を発表。スペイン風邪により28歳で早世。 オーストリアアートコレクターであるルドルフ・レオポルドは1950年代にシーレ、クリムトらの作品を主に収集し、現在レオポルド美術館には最大のシーレ作品コレクションを誇っています。
【画家の部屋|エゴン・シーレ】素描の天才は超個性派
38愛媛県
1867-1902を生きた日本を代表する俳句、短歌の文壇。写生論で歌の革新運動を進めた。
【文学の部屋|正岡子規】俳句・短歌の革新に取り組みました
0001アメリカ合衆国出身
1923-1977を生きた20世紀を世界を代表するソプラノ歌手。その人生は公私共に波瀾万丈。トップの座を射止めた歌声は完璧を追い求め、そして愛に翻弄される。2023年は生誕100年、そして2017年に公開された「私は、マリア・カラス」はマリアの未完の自叙伝を映画化。誰も知らないマリア・カラスに会えます。
【音楽の部屋|マリア・カラス】Maria by Callas
13東京都
1909-1988を生きた歌舞伎役者は1950年中村勘三郎を襲名。800以上の役を演じギネスブックに名を連ねる。1966年国立劇場柿落とし公演「菅原伝授手習鑑」にて主人公、菅丞相を演じた。
【国立劇場建て替え記念|中村勘三郎(17代目) Kanzaburo Nakamura XVII】12月推し偉人 Nov./1966
0001カナダ出身
1891-1941を生きた医学者はインスリンの発見を行いマクラウドと共にノーベル医学賞を1923年、32歳の最年少で受賞。
【医学の部屋|バンティング】11月14日は何の日?World Diabetes Day!
0033フランス共和国出身
1873-1956を生きたFIFA創設者は、人権平等・尊重を広めるために高まるサッカー人気をいち早くフランスに取り入れた。その後フランスサッカー連盟(FFF)を設立し、FIFAを通じてワールドカップ開催を成し遂げる。
【2022W杯・カタール大会開催記念|ジュール・リメ】10月推し偉人 FIFAワールドカップの父
39高知県
1862-1957を生きた「植物学の父」は生涯に収集した標本は約40万枚、蔵書は約4万5千冊を数え、新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名。日本植物分類学の基礎を築いた一人。「牧野日本植物図鑑」は現在も植物学のバイブルです。
【2023朝ドラは私|牧野富太郎】9月推し偉人 なんと生涯に収集した植物標本は40万枚!?
38愛媛県
1855-1926を生きた民法の生みの親と称される法学者は、日本初の法学博士でもあった。
【行こう宇和島|穂積陳重】8月推し偉人 日本初‘民法’生みの親
33岡山県
1810-1863を生きた近代医学の祖は天然痘と闘い、大阪に適塾(大阪大学医学部の前身)を開き人財育成を行う。
【医学の部屋|緒方洪庵】去る天然痘!来るサル痘? ワクチン大規模接種は江戸時代から!?
47沖縄県
1868-1957を生きた沖縄県那覇市出身の空手家は1922年第一回運動体育博覧会@東京(文部省主催)に空手道史上初(当時の呼称は唐手)となる本土での公式演武を行う。その3日後には講道館柔道創始者「嘉納治五郎」の招きで同館にて演武を行い、本土への空手道伝播を決意。空手道の発展に戦後も尽力し、1957年90年の生涯を閉じられるまで空手道の指導にあたる。 船越師範の空手道は松濤館流、そして事実上の開祖と位置づけられ、日本四大流派の一つに数えられています。
【本土復帰50周年記念|船越義珍】5月推し偉人 沖縄初空手を世界へ
13東京都
1878-1972を生きた東京都出身、2022年に没後50年を迎えた日本画の巨匠。そして美人画の数々を残した鏑木は、樋口一葉や泉鏡花を愛読書とし、そのモチーフを作品化として残す。
【画家の部屋|鏑木清方】東の美人画家代表
04宮城県
1912-2011を生きた宮城県出身の日本を代表する彫刻家は現東京藝術大学卒、昭和19年兵役に招集、終戦後のシベリア抑留生活を経て帰還後に制作活動再開。その戦争体験から、平凡なごく普通の日常生活の中でほんの一瞬だけ垣間見る「人間の美」を追求した作品を多く手掛ける。
【彫刻家の部屋|佐藤忠良】生誕110年世界の彫刻家

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前回いらすとすてーしょんより公開の東山魁夷イラストポートレート記事はこちら

【画家の部屋|東山魁夷 Kaii Higashiyama】木曽川を愛し、そして景色と対話を重ねた日展三山の一人

東山魁夷 Kaii Higashiyama 1908-1999 昭和を代表する日本画家の一人で、風景画の分野では国民的画家といわれる。自身の過ごした、出会った、各土地に自身の作品を数多く…

Syusuke Gallery5月10日公開

東山魁夷ゆかりの地

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0044英国出身
1621-1675を生きた医学者。脳解剖の先駆者でありCerebri anatome(脳の解剖学 1664年)を著し、その観察から大脳皮質が思考に影響を与えていると考えていた。また5つの動脈輪で構成されている大脳動脈輪を現したことでもその名を刻み、現在もウィリス動脈輪と呼ばれている。また糖尿病を患うと尿が甘いことを突き止めており、当時の糖尿病はウィリス病と呼ばれていた。
【医学の部屋|ウィリス】17世紀に活躍した世界の医学者④New!!
0044英国出身
1624-1689を生きた医学者であり臨床医。理論よりも臨床を第一に掲げ、マラリアの病態を明確化や猩紅病、リウマチや痛風など観察研究を重視した。このことから疫学研究の祖とも考えられている。その姿はブールハーフェに大きな影響を与えた。イギリスのヒポクラテスとも称されている。
【医学の部屋|シデナム】17世紀に活躍した世界の医学者③

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