徳富蘇峰






Soho Tokutomi(1863-1957)

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徳富蘇峰
イラストポートレート Syusuke Galleryより

蘇峰と独歩、そして鴎外

かめきち

徳富蘇峰社長はわたしが入社した「民友社」の創設者なんですよ!
そして「國民新聞社」も創られて、そこでわたしは記者としても雇っていただきました
その話題はこちら↑に記載していますので、ぜひお立ち寄りください

りんたろう

わしの「舞姫」も民友社発行の雑誌「国民乃友」に載せてもらったんだ

1862-1922を生きた陸軍軍医は留学先のドイツにて医学はもちろんのこと文学をも学ぶ。帰国後陸軍医総監まで登りつめた一方、号を鴎外とした文壇としての地位も確立し医学文学の世界で活躍した。
【医学の部屋|森鴎外 Ogai Mori】本日2022年7月9日没後100年
いいちろう

ついに徳富蘇峰物語始まるのか?

かめきち

今回は時間があまり無いようなので。

いいちろう

ぐぶぅ。。
おい!いらすとすてーしょん
ちゃんと時間つくってよ!

かめきち

いらすとすてーしょんに代わってお詫びします
でも私は徳富社長のこと、こう思っていましたよ
第二の福沢なり、第二の新島に非ず」ってね

いいちろう

そういうふうに思っていたのか
あまり感心しないけどな

かめきち

この続きはまた今度で
それにしても徳冨社長は「へそ曲がり」な一面は…かわりませんね

しんたろう
いいちろう

いきなり登場したなぁ…

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13東京都
1837-1884を生きた明治初期の自由民権派ジャーナリストは江戸末期徳川幕府の要職をつとめる。明治期に入り、政論を主とし、最も支持された有力紙朝野新聞社長となり主筆の末広鉄腸と共に藩閥政治と戦う。また晩年は大隈重信率いる立憲改進党に合流し、早稲田大学の前身である東京専門学校の運営にもあたった。
【ジャーナリストの部屋|成島柳北】新政府と戦う筆
17石川県
1873-1941を生きたジャーナリストは信濃毎日新聞社主筆を務めていた1912(大正元)年乃木希典将軍殉死を社説へ批判記事を書き当時大きな反響を呼んだ。また1933(昭和8)年東京防空演習に対して「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した同紙へ社説を書き不買運動につながる。現在、この防空脆弱指摘の見識は正しい批判であったと評価されている。
【ジャーナリストの部屋|桐生悠々】心眼の社説を書く主筆
28兵庫県
1882-1953を生きたジャーナリストであり作家は1907(明治40)年に都新聞社入社、花柳、演芸欄の担当記者として活躍。その後1925(大正14)年に江戸川乱歩らとグループ「二十一日会」を結成、翌1926(大正15)年「大衆文芸」を創刊し大衆文芸のジャンルを切り開く。その後1927(昭和2)年に休刊となるが1931(昭和6)年に復刊に尽力した。作家としては歴史小説、怪談物を得意とした。
【ジャーナリストの部屋|平山蘆江】大衆文芸の開拓者
44大分県
1881-1945を生きたジャーナリストの主な活躍拠点は中国で展開。新聞業界に入り、1906(明治39)年遼東新報従軍記者として中国大連に渡り中国国内を歴訪し中国社会研究に没頭。日華公論主筆や満鉄(南満州鉄道)嘱託など評論家として活躍した。その後満州評論を創刊し日本の大陸軍事侵攻を批判したことでも名を馳せている。
【ジャーナリストの部屋|橘 樸】中国社会に精通した従軍記者

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07福島県
1920-2003を生きた作詞家。法政大学卒業後、1950 (昭和25)年キングレコード契約作詞家として入社し、1951(昭和26)年、歌・津村謙の「上海帰りのリル」で一躍脚光を浴び、敗戦後の虚脱感と異国への郷愁を捉えて記録的な大ヒットとなり、昭和歌謡史に残る名作となった。その後も歌・春日八郎「雨降る街角(1953)」「故郷は遠い空(1957)」、歌・三橋美智也「おさげと花と地蔵さん(1957)」など、都会の孤独と望郷を重ね合わせる作品を次々と著した。日本人のアイデンティティである「心の故郷」を巧みに表現した戦後の作詞家であった。
【文学の部屋|東条寿三郎】昭和時代編.225New!!
26京都府
1920-1992を生きた作詞家であり脚本家。中学卒業後、京都でアニメ映画製作など、職を転々とし、1941(昭和16)年召集され従軍。戦後、東宝の脚本家として「暗黒街の対決(1960)」や特撮映画「モスラ(1961)」などを手がけ、ゴジラシリーズにも名を残した。作詞家としては1958(昭和33)年、日本コロムビアと契約し、歌・小林旭「ダイナマイトが百五十屯(1958)」で鮮烈なデビューをはたす。以後、歌・舟木一夫「学園広場(1963)] 、「銭形平次(1966)」、歌・美空ひばり「柔(1964)」、など、映画やテレビの物語性と共鳴するヒット曲を連発。詞にドラマ性を宿した作風で、昭和歌謡の一翼を彩った。
【文学の部屋|関沢新一】昭和時代編.224
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シュー(Syu)です
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館長

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