前田光世 Mitsuyo Maeda

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【発見アスリート|前田光世】


講談館柔道の申し子はブラジル最強の格闘家と


なった
をお楽しみください

前田光世イラストポートレート(Syusuke Galleryより

講道館「前田光世」誕生

生まれは青森県

そう、明治11年いまの青森県弘前市生まれ


高校の途中まで弘前で育ったんだ

家出して上京?

実家は農家で生活も充実していたんだけど、


反抗期だったのか…

18歳のときだから1896年、家出同然のような


感じで東京に出てきた

そうしたら運良くねっ

上京した前の年の1895年11月に新設された、


いまの馬場下町にある早稲田高校になんと


編入学出来たんだって

参考:早稲田高校入学

早稲田大学系属校の中で最も古く、1895年に大隈重信が創立しました。毎年、推薦入試を利用して、約半数の生徒が早稲田大学へ、残りの生徒は主に、慶應義塾などの私立大学や、東京大学、東京工業大学、一橋大学などの国公立大学へ進学します。 数多くの運動部、学芸部、同好会があり、クイズ研究会はテレビのクイズ番組などで、活躍した実績を持ちます。「興風祭」とよばれる文化祭は、学外に広く開かれ、毎年、延べ一万人以上の見学者が集まる大きなイベントとなっています。

早稲田中学校・


早稲田高等学校

1895年11月3日創立決議され同行の


創立記念日になっています
初代校長は大隈重信創立者の婿養子だった


「大隈英麿」
初代教頭から2代目校長になったのは


「坪内逍遥」
そして開校当初、同校がもっとも力を入れた


学問は英語で、早稲田大学きっての美の巨人


「會津八一」は英語教師としても活躍したそう

まさに早稲田のオールスターが創った学校だ!

そしたらね、1897年だから明治30年にいまの


早稲田大学に柔道部が創部された

もともと青森に住んでいたころから、


腕っ節が強いことで名を馳せていた

それで柔術(柔道前身の武術)なんかも


習ってたから、大学の柔道部に即入部したんだ

そしたら講道館も紹介されて


同じ年の1897年6月に講道館へも入門

そこで稽古の毎日

メキメキと柔道の腕をあげ、次々と先輩たちを


投げ飛ばしていった

そうすると、講道館に前田光世ありと


呼び声高くなっていくんだ

世界の「前田光世」誕生

前田光世早稲田大学に行く

いまの早稲田大学に進学した前田光世


どんどん段位をあげていく

そうなると柔道教育者として各学校へ指導に


いく立場になり、講道館の重要ポスト


学習院大学へ前田光世は教えにいくようになる

そうして見渡すと、講道館の中でも一目


置かれる存在になっていた

巷では講道館四天王の次世代をあらわす


「講道館三羽烏」なんて呼ばれるようになって


いたんだね
※講道館三羽烏:轟洋太佐村嘉一郎


そして前田光世

そうして1904年転機が訪れた

講道館四天王の一人富田常次郎がアメリカに


派遣されることになり、その随伴者として


前田光世が選ばれた

前田光世アメリカに行く

前田光世は以前から「大陸に渡って馬賊か


海賊になりたい」と途轍もない夢を抱いていた

このアメリカ行きの話は願ってもない


チャンスだった

前田光世の覚悟は読み取れる行動がある

前田光世妻と協議離婚

もう日本には戻れないという覚悟


だったのか、戻らないという不退転だったのか…


いずれにしても相当の覚悟

そうして1904年、日本は日露戦争真っ只中の


11月横浜を出港した伊予丸の船上に


富田常次郎と前田光世の二人の姿はあった

アメリカ到着後待っていた試練

そうなんだよ!どんな試練かこちらを


チェックしてください

つねじろう

あれは試練だった…

22静岡県
1865-1937を生きた嘉納治五郎と寝食を共にし、柔道の道を極めた講道館四天王の一人は、山下義韶に続いて渡米し柔道の国際発展に大きく功績を残した。
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柔道の聖地、講道館創成期に尽力した四天王、その四人目はTsunejiro Tomita。いま柔道が世界で愛されているのも彼の存在があったから。いらすとすてーしょんSyusuke Galleryよりイラストポートレートをお届けします。

それからアメリカで前田光世は?

それから富田常次郎と別行動となった


前田光世は、そのまま東海岸に約2年ほど


柔道教師に…

これには論争がありそうだけど、当時


アメリカでは怪しい偽柔道家が流行っていた


みたい

俺は柔道家だぁ!なんて嘯いている輩が多く…

そんな時代だったから、襟を正そうと


前田光世は柔道教師として本物の柔道を教えて


始めた

その一方で手っ取り早い公開勝負と題して


異種格闘技を積極的やっていたみたい

最初は、柔道の本質を理解してもらう


主旨だったと思うけどさ

そのうち全米中を興行試合のような感じで


渡り歩き始めた

それでも公開勝負は百戦錬磨だったみたい

前田光世ヨーロッパに行く

めっちゃ強い!これでアメリカで柔道の普及に


つながったのでは?

そうとは行かずに…柔道の普及は芳しく


なかったみたい

それで1907年ごろヨーロッパに渡ることを


決意、まずイギリスに入ってから転々として

スペイン滞在時にコンデ・コマって名乗る


ようになっていた
※コンデはスペイン語で伯爵

前田光世って名前が世に響きすぎて、


偽柔道家を懲らしめるために別名を名乗った


とか…?

その後コンデ・コマは中米から南米に


生活の拠点を動かすんだ

ブラジル最強格闘家「コンデ・コマこと前田光世」誕生

前田光世中米に行く

コンデ・コマこと前田光世はどうして


中米を目指したの?

一度、ヨーロッパに渡ったときに最初の


訪問国イギリスに戻ろうとしたみたい

だけで、どういうわけかキューバを薦める


現地のスペイン人がいたらしい…

キューバ!

コンデ・コマこと前田光世は閃く

キューバは柔道家未開拓の土地だ! と…

すごいバイタリティだ

コンデ・コマこと前田光世30歳になっていた


から、めちゃくちゃ脂が乗っているころだ

それからというもの、格闘技興行で


コンデ・コマこと前田光世は大人気となる

前田光世ブラジルに行く

もはや柔道ではなく格闘技で中米を我が物と


すると、今度は南米を一周

気がつくとスペインを出発してから6年が


過ぎていた1914年、訪南米最後の地となる


ブラジルに到着した

ブラジル国内を転々としていたみたい


なんだけど、コンデ・コマこと前田光世が終の


住処とするブラジル北部の都市ベレンに


1915年11月辿り着く

都市ベレンは美しく映った

優雅な大河アマゾン、そして欧州を


思わせるような街並み

そしてこの地でも格闘技大会(ジャンルは


レスリングのような)が催されて

いつものように飛び入り参加で優勝

瞬く間にこのベレンでもコンデ・コマこと


前田光世は大人気となった

それで前田光世は道場をつくると…

門下生で膨れ上がった

そして44歳になったコンデ・コマこと


前田光世は現役を退け、日本外務省が国策と


した南米拓殖会社に入りアマゾン開拓に乗り出す

ブラジル政府と日本からの入植者をつなぐ


命綱のような毎日を過ごした

アマゾン入植は思うように繁栄できない


日々が続いたが、コンデ・コマこと前田光世


入植者の面倒をとにかく見続けた

1904年に日本を出発した前田光世は、


持病の腎臓病が悪化した1941年11月28日に


62歳の生涯を終えた

その5年後、コンデ・コマこと前田光世


残した施策が成功して経済発展を遂げる

俗にいうピメンタ景気をもたらした

世界横行柔道武者修行 前田光世記

前田光世による世界横行柔道武者修行は現在国会図書館デジタルコレクションより閲覧できます

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今月の推し偉人

ウィラート

"いらすとすてーしょん"2023年12月の


推し偉人はわたし「エイドリアン・ウィラート」

c.1490-1562を生きたヴェネツィア楽派の作曲家。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長となり終生この職を務めた.宗教曲を中心に,器楽曲など多くの曲を残す。その代表モテット作品は「O magnum mysterium」でテクスチュアルな豊かさを放っている。
【音楽の部屋|ウィラート】ヴェネツィア楽派の祖New!!

「推し偉人」

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いらすとすてーしょん」では毎月「推し偉人」を


特集しています

これまでの


「いらすとすてーしょん」
推し偉人

2022〜2023

2022-03-31

【彫刻家の部屋|佐藤忠良】生誕110年世界の彫刻家

2022-04-01

【画家の部屋|鏑木清方】東の美人画家代表

2022-05-09

【本土復帰50周年記念|船越義珍】5月推し偉人 沖縄初空手を世界へ

2022-06-01

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2022-07-01

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2022-08-01

【行こう宇和島|穂積陳重】8月推し偉人 日本初‘民法’生みの親

2022-09-01

【2023朝ドラは私|牧野富太郎】9月推し偉人 なんと生涯に収集した植物標本は40万枚!?

2022-10-01

【2022W杯・カタール大会開催記念|ジュール・リメ】10月推し偉人 FIFAワールドカップの父

2022-11-01

【医学の部屋|バンティング】11月14日は何の日?World Diabetes Day!

2022-12-01

【国立劇場建て替え記念|中村勘三郎(17代目) Kanzaburo Nakamura XVII】12月推し偉人 Nov./1966

2023-01-01

【音楽の部屋|マリア・カラス】Maria by Callas

2023-02-01

【文学の部屋|正岡子規】俳句・短歌の革新に取り組みました

2023-03-01

【画家の部屋|エゴン・シーレ】素描の天才は超個性派

2023-04-01

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2023-05-01

【植物学者の部屋|エラスムス・ダーウィン】C.ダーウィンの偉大な祖父

2023-06-01

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【生物学者の部屋|スワンメルダム】ミクロスコープの申し子

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【王安石】民の声を聞く唐宋八大家

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【画家の部屋|葛飾北斎】波絵の知名度は世界一

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【音楽の部屋|ウィラート】ヴェネツィア楽派の祖New!!

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創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
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