2024年パリ オリンピック、パラリンピック開催を

記念して、「いらすとすてーしょん」ではオリンピックに関連する偉人たちのイラストポートレートをお届けします

人見絹枝





Kinue Hitomi(1907-1931)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページではOlympic / Paralympic Memorial②人見絹枝をお楽しみください
※Oly /Para Memorial②人見絹枝はアスリートの部屋よりお届けします

人見絹枝
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんではアスリートの部屋よりOlympic / Paralympic Memorialと題してイラストポートレートをお届けします

岡山県出身アスリート

シューちゃん

今回は岡山県出身の人見絹枝だね

館長

人見絹枝選手は、日本人女性として初のオリンピックメダリストでした

シューちゃん

確か、前回のクーベルタンのページで、女性選手が初めて参加した大会は第2回となった1900年のフランス大会だったよね?

1863−1937を生きた教育者であり国際オリンピック委員会(IOC)の創設者。
Oly / Para Memorial① クーベルタン
館長

その女性選手初のオリンピックメダリストは、USA出身でスイス代表であったHélène de Pourtalès(1868-1945)で、セーリング、混合1-2t級の第一レースで、オリンピックチャンピオンに輝き、金メダルを獲得しました

シューちゃん

男女混合競技だったのだね

館長

ちなみに、女性選手の公式参加は1928年アムステルダム大会まで認められていなかったと、国際オリンピックのWeb Pageでは語られています

シューちゃん

その女性選手の公式参加が認めらたアムステルダム大会に参加したのが人見絹枝だったのか!

館長

人見絹枝選手は、日本人女性初のオリンピックに参加した選手でした

シューちゃん

日本人男子選手はいつから参加していたの?

館長

1912年、第5回となったストックホルム大会に、三島弥彦(1886-1954)、金栗四三(1891-1983)の2人が初参加でした

シューちゃん

1896年にアテネでスタートした近代オリンピックは、1912年の第5回ストックホルム大会に日本人が初参加、そして1928年の第9回アムステルダム大会に日本人女性選手が参加したってことだね

日本人女性初参加で初メダリストに

館長

その1928年アムステルダム大会で、陸上800メートルに出場し2位となった人見絹枝選手

館長

これにより銀メダルを授与され、日本人女性初のオリンピックメダリストに輝きました

館長

そして、この女性初のメダリストに日本国内から数多くの視線が注がれたのです

シューちゃん

それは、大注目されるよなぁ

館長

そのことからか分かりませんが、その後体調を崩し、24歳という若さでこの世を去ります

館長

それは21歳で手にしたメダルから3年後のことでした

シューちゃん

そうだったのか…

館長

この偉業を遂げた人見絹枝選手は、日本女子陸上競技の先駆者としてその名を歴史に刻んでいます

次回は織田幹雄

館長

さて今回のOlympic / Paralympic Memorial②人見絹枝は如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんではOlympic / Paralympicの歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回は織田幹雄の登場だよ

1905-1998を生きたアスリートであり指導者、教育者。日本人初のオリンピック金メダリストは1928年アムステルダムオリンピック三段跳びで獲得した。その後、日本オリンピック委員会(JOC)や早稲田大学教授として後進の指導に尽力し、日本のスポーツ界の発展に大きく貢献。また「hop, step and jump」と呼ばれた競技(現在ではTriple jump)を三段跳びと訳したことでもその名を馳せている。
Oly / Para Memorial③ 織田幹雄
館長

織田幹雄は、日本人初のオリンピック金メダリストです

館長

ぜひ織田幹雄のイラストポートレートページにもお越しください

Olympic / Paralympic Memorial

2024-07-310099850朝鮮民主主義人民共和国出身

Oly / Para Memorial⑦ 孫基禎(손기정)

2024-07-3046鹿児島県

Oly / Para Memorial⑥ 鶴田義行

2024-07-2901北海道

Oly / Para Memorial⑤ 南部忠平

2024-07-2830和歌山県

Oly / Para Memorial④ 前畑秀子

2024-07-2734広島県

Oly / Para Memorial③ 織田幹雄

2024-07-250033フランス共和国出身

Oly / Para Memorial① クーベルタン

岡山県出身・新着偉人(It's New)はこちらから

1904-1968を生きた小説家であり詩人。東洋大学文科へ進学するも中退し詩人として出発。1929(昭和4)年に処女詩集「野」を自費出版。1933(昭和8)年には太宰治らの同人誌「海豹」に参加し、以後小説家としての道を歩む。1939(昭和14)年に最初の作品集「抑制の日」で芥川賞候補となり、庶民性に徹した飄逸な私小説で注目を集める。1944年には満州に赴任し、敗戦後は長春(新京)で難民生活経験をもとに、1962(昭和37)年に発表した「大陸の細道」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。晩年には「苦いお茶(1963)」「茶の木(1965)」など円熟味を増した作品を発表。没後も根強い愛読者を持つ小説家の一人である。
【文学の部屋|木山捷平】昭和時代編.101
1890-1982を生きた小説家であり児童文学作家。早稲田大学で学び、卒業後、小川未明に師事し、1926(大正15)年に初となる短編小説「正太の馬」を発表する。その後、鈴木三重吉の主宰する童話雑誌「赤い鳥」に「河童の話(1927)」し童話作家としても歩み出す。1936(昭和9)年には「お馬」「どろぼう」など同雑誌に40作品を発表し最も活躍した作家でもあった。また、同年より朝日新聞に連載された児童文学作品「風の中の子供」が幅広い支持を得て文壇の地位を確立する。戦後は、童話雑誌「びわの実学校」を創刊し、後進の育成に尽力。小川未明、浜田広介と並び「児童文学界の三大作家」と称されて子どもたちの心を捉える温かくも深い作品を数多く残した。
【文学の部屋|坪田譲治】昭和時代編.88
1876-1944を生きた小説家。東京専門学校(現、早稲田大学)在学中に、島村抱月のもとで「読売新聞」の小説月評などに携わる。その後、正宗白鳥編集の読売文芸欄に「文壇無駄話」に寄稿し批評家として認めらるようになる。その後、1910(明治43)年に発表した「別れたる妻に送る手紙」で注目を集め、続編「疑惑(1913)」「黒髪(1922)」など、露骨な愛欲生活を描いた私小説で注目を浴びる。その筆名は近松門左衛門への敬慕から「近松」、秋の絵を好んだことから「秋江」とした。大正期に女児を得てからは「子の愛の為に」など家庭的情愛を描く作品も手がけ、昭和期には「水野越前守」などの歴史小説も執筆する。私小説の一つの頂点を築いた作家として、近代文学史にその名を刻む。本名は徳田浩司。
【文学の部屋|近松秋江】明治時代編.39
1917-1978を生きた小説家。慶應義塾大学文学部支那文学科卒業。在学中より「三田文学」に短編を発表を重ねる。戦時中は、召集された南方で遭難し、約半日の漂流し、その後奇跡的に助けられた経験を持つ。戦後は編集者を経て佐藤春夫などに師事し、創作に専念。1951(昭和26)年に「イエスの裔」で第26回直木賞を受賞し、文壇に登場。1956(昭和31)年より週刊新潮に連載された「眠狂四郎無頼控」で剣豪小説ブームを巻き起こし、以後「赤い影法師(1960)」「三国志英雄ここにあり(1969)」など、時代・歴史・伝奇小説を中心に多彩な作品を発表する。スピード感ある文体と自由な発想で人気を博し、「シバレン」の愛称でも親しまれた。1970(昭和45)年には「柴錬三国志・英雄ここにあり」で吉川英治文学賞を受賞。晩年は直木賞選考委員を約12年務めた。
【文学の部屋|柴田錬三郎】昭和時代編.75

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13東京都
1922-1993を生きた小説家であり短歌編集者。東京大学文学部言語学科に進学するも中退。戦後は「日本短歌」「短歌研究」「短歌」で短歌雑誌の編集長を務め、塚本邦雄らを見出し、前衛短歌活動を後押しする。その後、創作に専念する。1964(昭和39)年に、塔晶夫の名で発表した長編小説「虚無への供物」は代表作の一つであり、従来の推理小説の枠組みを根底から覆す「アンチ・ミステリー」と称され、そのユニークな作風で熱狂的な支持を集めた。
【文学の部屋|中井英夫】昭和時代編.128New!!
29奈良県
1921-2011を生きた児童文学作家であり教育者。幼少期から創作に親しみ、18歳で原稿料を得るほどの早熟な才能を示す。龍谷大学文学部国文学科を卒業後、1949(昭和24)年より京都女子大学に勤務。児童文化学の講義を日本で初めて行い、1957(昭和32)年同大学に「子どもの劇場」を創設し、人形劇・影絵劇の実践を推進。大阪府立国際児童文学館館長などを歴任し、児童文学の保存と普及に尽力。代表作に「ごろはちだいみょうじん(1969)」「ねずみのおいしゃさま(1977)」などがあり、大和言葉を用いた方言で表現する絵本の先駆者としても知られる。その生涯は、晩年まで児童文学の意義を問い続けた。
【文学の部屋|中川正文】昭和時代編.127
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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