2024年パリ オリンピック、パラリンピック開催を

記念して、「いらすとすてーしょん」ではオリンピックに関連する偉人たちのイラストポートレートをお届けします

南部忠平





Chuhei Nambu(1904-1997)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページではOlympic / Paralympic Memorial⑤南部忠平をお楽しみください
※Oly /Para Memorial⑤南部忠平はアスリートの部屋よりお届けします

南部忠平
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんではアスリートの部屋よりOlympic / Paralympic Memorialと題してイラストポートレートをお届けします

北海道出身アスリート

シューちゃん

今回は北海道出身の南部忠平だね

1932年ロサンゼルス大会三段跳び日本選手連覇達成

館長

南部忠平選手は、1932年ロサンゼルス大会三段跳び金メダリストです

シューちゃん

確か、ロサンゼルス大会の前大会であったアムステルダム大会の三段跳びでも日本代表、織田幹雄が金メダルに輝いたよね!

1905-1998を生きたアスリートであり指導者、教育者。日本人初のオリンピック金メダリストは1928年アムステルダムオリンピック三段跳びで獲得した。その後、日本オリンピック委員会(JOC)や早稲田大学教授として後進の指導に尽力し、日本のスポーツ界の発展に大きく貢献。また「hop, step and jump」と呼ばれた競技(現在ではTriple jump)を三段跳びと訳したことでもその名を馳せている。
Oly / Para Memorial③ 織田幹雄
館長

その通りです!
1928年アムステルダム大会に続き、1932年ロサンゼルス大会と2大会連続で日本代表が三段跳びの金メダリストに輝きました

シューちゃん

日本代表が連覇ってことは、三段跳びは日本のお家芸みたいな感じだなぁ

館長

実は、シューちゃん!
このロサンゼルス大会の次に行われた1936年ベルリン大会三段跳びでも日本代表の田嶋直人(1912-1990)が優勝しているのです

シューちゃん

と、いうことは日本代表が三段跳びを3大会連続で金メダルだったんだ!!

館長

さて南部忠平選手に話を戻すと、前回大会三段跳びで金メダルに輝いた織田とは大親友であり良きライバルでした

シューちゃん

へぇ〜

早稲田大学競走部で出会った2人

館長

2人が出会ったのは早稲田大学の競走部でした

シューちゃん

なるほど…、早稲田と言えばこの人だよね

1838-1922を生きた第8・17代内閣総理大臣は幕末抜群の英語力で経済、外交手腕を発揮し出身の佐賀藩に貢献、維新後は文明開花の立役者として活躍、その後日本の民主主義国家樹立へ導いた。一方、教師者としての顔を持ち1882年現在の早稲田大学の前身、東京専門学校を創設し私学としての学問の独立、自由、在野を掲げた。
【内閣総理大臣の部屋|大隈重信】第8・17代(通算在職日数1040日)
館長

そして、2人の友情は生涯続いたそうです

シューちゃん

同窓で、ライバルで、お互いオリンピック金メダリストかぁ!

次回は鶴田義行

館長

さて今回のOlympic / Paralympic Memorial⑤南部忠平は如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんではOlympic / Paralympicの歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回は鶴田義行の登場だよ

1903-1986を生きたアスリートであり指導者。1928年アムステルダムオリンピック200メートル平泳ぎで、競泳競技としては初、日本人選手2人目の金メダリストとなる。その後の1932年ロサンゼルスオリンピックでも同競技で優勝し、日本人初のオリンピック連覇を成し遂げた。その後、後進の指導に尽力し、日本の水泳界のパイオニアとして活躍した。
Oly / Para Memorial⑥ 鶴田義行
館長

鶴田義行は、日本代表選手として初のオリンピック連覇を成し遂げたアスリートです

館長

ぜひ鶴田義行のイラストポートレートページにもお越しください

Olympic / Paralympic Memorial

2024-07-310099850朝鮮民主主義人民共和国出身

Oly / Para Memorial⑦ 孫基禎(손기정)

2024-07-3046鹿児島県

Oly / Para Memorial⑥ 鶴田義行

2024-07-2830和歌山県

Oly / Para Memorial④ 前畑秀子

2024-07-2734広島県

Oly / Para Memorial③ 織田幹雄

2024-07-2633岡山県

Oly / Para Memorial② 人見絹枝

2024-07-250033フランス共和国出身

Oly / Para Memorial① クーベルタン

北海道出身・新着偉人(It's New)はこちらから

1894-1970を生きた随筆家であり政治家。文学を志し上京、森田草平に師事。短編「片瀬まで(1913)」「うなぎ(1915)」を発表するも結婚により一時筆を絶つ。1932(昭和7)年、師のすすめで「着物・好色」で随筆家として再デビュー。1936(昭和11)年刊行の「もめん随筆」がベストセラーとなり、女性の生活感覚を鋭敏に描く随筆家として地位を確立。その後、長編小説「石狩少女(1940)」や童話などを手掛けている。戦後も作品を発表する傍ら、1962(昭和37)年に参議院議員に当選し、政界でも活躍した。
【文学の部屋|森田たま】昭和時代編.147
1884-1962を生きた歌人でありキリスト教伝道者。北海道伊達のアイヌ名族に生まれ、幼名はフチ。7歳で英国人宣教師ジョン・バチェラーから洗礼を受け、実父の死去後、1906(明治39)年に養女となる。1908(明治41)年、養父母と渡英し、アイヌの現状について講演して注目を集め、カンタベリー大主教から伝道師に任命される。帰国後は北海道や樺太で布教活動を行い、アイヌの生活改善に尽力するも、同族の悲惨な状態を嘆き、それを短歌に託す。その作品が金田一京助に伝わり、1931(昭和6)年に歌集「若きウタリに」が刊行された。その人生は、アイヌ語・日本語・英語に通じ、文化の橋渡し役を果たし、晩年はジョン・バチェラーの遺品を守りつつ、民族の誇りを伝え続けた。
【文学の部屋|バチェラー八重子】昭和時代編.144
1914-1981を生きた小説家であり新聞記者。明治大学商学部中退後、北海タイムスに入社し、記者として活動する傍ら、椎名麟三らの文芸誌「創作」の同人となり、1941(昭和16)年に「衣裳」「北国物語」を発表して作家生活に入る。戦後は「笛(1945)」など実存主義的傾向の強い作品を発表し、椎名麟三・野間宏・埴谷雄高らとともに第一次戦後派の一人と目された。1948年以降、太宰治の死により連載依頼から過度のストレスによりヒロポンに手を出し、依存症により文壇から遠ざかる。しかし、1967年に北海タイムスの連載小説「石狩平野」がベストセラーとなり、文壇に復活となった。
【文学の部屋|船山 馨】昭和時代編.118
1907-1991を生きた小説家。京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、サンデー毎日の懸賞小説に「流転(1936)」が入選し、それをきっかけに毎日新聞社に入社。1949(昭和24)年に短編小説「闘牛」で、芥川賞を受賞し文壇に登場。「氷壁」などの新聞小説作家として人気を博し、「天平の甍(1957)」「楼蘭(1958年)」など、歴史小説で確固たる地位を築いた。日本ペンクラブ第9代会長を歴任。1976(昭和51)年に文化勲章受章。
【文学の部屋|井上 靖】昭和時代編.56

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13東京都
1929-1981を生きた脚本家、小説家でありエッセイスト。父の転勤に伴い全国を転々とする中で、鹿児島での生活を「文学の原点」と語る。実践女子専門学校卒業後、映画雑誌編集者を経て、1958(昭和33)年に、シナリオライター集団Zプロに参加後、ラジオ・テレビの脚本執筆に携わる。「寺内貫太郎一家(1974)」「阿修羅のごとく(1979)」など、庶民の生活を温かく、時に鋭く描いたホームドラマで一世を風靡し、倉本聰、山田太一と並び「シナリオライター御三家」と称された。エッセイ「父の詫び状(1978)」や短編小説集「思い出トランプ(1980)」で文筆家としても高く評価される。翌年、台湾取材中の航空機事故により急逝。享年51。日常の陰影を繊細に描き、昭和の家庭と人間模様を刻んだ文学家であった。
【文学の部屋|向田邦子】昭和時代編.171New!!
13東京都
1929-2011を生きた詩人であり童話作家。東京芸術大学油絵科卒業後、画家を志すも、夫となる谷川俊太郎の影響により、茨木のり子の主宰した詩誌「櫂」の同人となり詩作に転向し「忘れた秋(1955)」を発表した後に離婚。その後、芸大同級生の中谷千代子とのコンビで絵本にも関わり、「かばくん(1962)」を発表した。詩人の田村隆一と結婚離婚後に発表した「かえってきたきつね(1973)」も代表作の一つ。また「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「赤毛のアン」など、テレビアニメの主題歌作詞でも知られ、優しく詩情豊かなことばのリズムで子どもたちの心を捉えた。父は、劇作家岸田国士。
【文学の部屋|岸田衿子】昭和時代編.170
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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