2024年パリ オリンピック、パラリンピック開催を

記念して、「いらすとすてーしょん」ではオリンピックに関連する偉人たちのイラストポートレートをお届けします

織田幹雄





Mikio Oda(1905-1998)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページではOlympic / Paralympic Memorial③織田幹雄をお楽しみください
※Oly /Para Memorial③織田幹雄はアスリートの部屋よりお届けします

織田幹雄
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんではアスリートの部屋よりOlympic / Paralympic Memorialと題してイラストポートレートをお届けします

広島県出身アスリート

シューちゃん

今回は広島県出身の織田幹雄だね

館長

織田幹雄選手は、日本人初のオリンピック金メダリストでした

シューちゃん

種目は三段跳びだったのだよね!

「三段跳び」名付けの親

館長

実は現在、日本で知られているこの三段跳びという名付けの親も当時の織田幹雄選手でした

シューちゃん

以前は何と言っていたの?

館長

ホップ、ステップ、ジャンプ(hop, step and jump)と欧米で呼ばれていたのですが、これを日本人に馴染みやすいようにアレンジしたそうです

館長

ちなみに現在、欧米ではトリプルジャンプ(Triple jump)と呼ばれています

シューちゃん

「三段跳び」という表現が、現在のトリプルジャンプにつながっているのかもね!?

日本人初の金メダリスト誕生

館長

その三段跳びで、1928年アムステルダム大会の勝者が織田幹雄選手でした

シューちゃん

日本人初のオリンピック金メダリストに輝いたのだね

館長

織田幹雄選手はその後、日本オリンピック委員会(JOC)や早稲田大学教授として後進の育成で活躍されました

シューちゃん

ちなみに、日本人初のオリンピックメダリストは誰なの?

館長

1920年に開催されたアントワープ大会でのテニス男子シングルで熊谷一弥(1890-1968)が日本人初のメダリストに輝いています

館長

同じアントワープ大会のテニス男子ダブルスでは熊谷一弥と組んだ樫尾誠一郎(1892-1962)が2位となり、日本人2人目のメダリストとなっています

シューちゃん

そうすると、第7回の1920年アントワープ大会で日本人初のオリンピックメダリスト(銀)が誕生して、第9回の1928年アムステルダム大会で日本人初のオリンピック金メダリスト、そして女性初のメダリストが誕生したってことだね

シューちゃん

そうなると、日本人女性初のオリンピック金メダリストが誰なのか、気になるぅ!

次回は前畑秀子

館長

さて今回のOlympic / Paralympic Memorial③織田幹雄は如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんではOlympic / Paralympicの歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回は前畑秀子の登場だよ

1914-1995を生きたアスリートであり指導者。1936年ベルリンオリンピック200メートル平泳にて、日本人女性初の金メダリスト。その前回となる1932年ロサンゼルスオリンピックでは銀メダルであった。その後、後進の指導に尽力し、日本の水泳界のパイオニアとして活躍した。
Oly / Para Memorial④ 前畑秀子
館長

前畑秀子は、先ほどシューちゃんが気になっていた日本人女性初となるオリンピック金メダリストに輝いたアスリートです

館長

ぜひ前畑秀子のイラストポートレートページにもお越しください

Olympic / Paralympic Memorial

2024-07-310099850朝鮮民主主義人民共和国出身

Oly / Para Memorial⑦ 孫基禎(손기정)

2024-07-3046鹿児島県

Oly / Para Memorial⑥ 鶴田義行

2024-07-2901北海道

Oly / Para Memorial⑤ 南部忠平

2024-07-2830和歌山県

Oly / Para Memorial④ 前畑秀子

2024-07-2633岡山県

Oly / Para Memorial② 人見絹枝

2024-07-250033フランス共和国出身

Oly / Para Memorial① クーベルタン

広島県出身・新着偉人(It's New)はこちらから

1920-2015を生きた小説家。東京帝国大学文学部国文科卒業後、海軍に入り通信諜報の仕事に携わり復員する。その後、志賀直哉に師事し、1946(昭和21)年に中国から復員してきたときの体験を著した「年年歳歳」で文壇に登場。その後、1952(昭和27)年に初めての長編小説「春の城」で読売文学賞を受賞し、作家としての地位を確立。また、戦時下の軍隊生活での青春を描いた「雲の墓標(1956)」などは、第1・2次戦後派の作家とは異なった高い評価を受け、遠藤周作や近藤啓太郎らとともに「第三の新人」とも称される。また、汽車をはじめ乗り物好きで知られ、それを題材とした絵本「きかんしゃやえもん(1959)」の作者でもある。伝記物、戦記物としては、海軍提督三部作となる「山本五十六」、「米内光政」「井上成美」などを著した。1999(平成11)年に文化勲章を受章。
【文学の部屋|阿川弘之】昭和時代編.81
1909-1992を生きた小説家。朝日新聞社に入社後、1952(昭和27)年に発表した「或る「小倉日記」伝」で芥川賞を受賞し文壇に登場し文筆に専念。1957(昭和32)年から雑誌「旅」に連載した「点と線」で、社会の構造や人間の心理に深く切り込む社会派推理小説といった新分野を開拓する。また「日本の黒い霧(1960)」などのノンフィクション作品も手掛けた。本名は松本清張(きよはる)。 いらすとすてーしょんでは、出身地を広島県と表記させていただきます。(出身地は福岡県説もあります)。
【文学の部屋|松本清張】昭和時代編.61
1905-1951を生きた詩人であり小説家。慶應義塾大学英文科を卒業後、三田文学に詩や短編小説を発表し始める。1945年に出身地であり疎開先の、広島で被爆し、その体験をもとにした作品「夏の花(1947年)」で第1回水上滝太郎賞を受賞し注目を集める。その後も、ひたすら死を見つめつづけ、作品にその想いを綴った「鎮魂歌」「心願の国」などを残し、1951年に鉄道自殺という最期の選択した。
【文学の部屋|原 民喜】昭和時代編.50
1898-1993を生きた小説家であり随筆家。早稲田大学仏文科に学ぶも中退し、1923(大正12)年に「幽閉」を発表し、のちに「山椒魚」と改題し、文壇に名を知られるようになる。その後、戦前の日常を描いた「屋根の上のサワン」や、戦後の混沌とした世相を描いた「本日休診」など、おかしみと哀愁を織り交ぜた独自の文体で人気を博す。1938(昭和13)年に「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を受賞し、戦後は原爆を題材にした「黒い雨」で野間文芸賞を受章する。太宰治の師としても知られ、阿佐ヶ谷文士村の中心人物として文壇に大きな影響を与えた。1966(昭和41)年、文化勲章受章。
【文学の部屋|井伏鱒二】昭和時代編.21

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01北海道
1884-1962を生きた歌人でありキリスト教伝道者。北海道伊達のアイヌ名族に生まれ、幼名はフチ。7歳で英国人宣教師ジョン・バチェラーから洗礼を受け、実父の死去後、1906(明治39)年に養女となる。1908(明治41)年、養父母と渡英し、アイヌの現状について講演して注目を集め、カンタベリー大主教から伝道師に任命される。帰国後は北海道や樺太で布教活動を行い、アイヌの生活改善に尽力するも、同族の悲惨な状態を嘆き、それを短歌に託す。その作品が金田一京助に伝わり、1931(昭和6)年に歌集「若きウタリに」が刊行された。その人生は、アイヌ語・日本語・英語に通じ、文化の橋渡し役を果たし、晩年はジョン・バチェラーの遺品を守りつつ、民族の誇りを伝え続けた。
【文学の部屋|バチェラー八重子】昭和時代編.144New!!
35山口県
1903-1930を生きた童謡詩人。高等女学校卒業後、兄弟で文芸サロンを始め、1923(大正12)年、「みすゞ」名で「童話」「婦人倶楽部」などの雑誌に投稿し掲載され、西條八十に認められる。「お魚」など、自然や小さな命に寄り添う作品は、優しさとわかりやすさが特徴の詩風で人気を博したが、夫の束縛や病苦により断筆を余儀なくされ、娘の親権をめぐる絶望の末、1930(昭和5)年、26歳で自死。没後半世紀を経て約500編の遺稿が整理され、1984(昭和59)年に「金子みすゞ全集」として刊行を機に改めて評価され、今では教科書や合唱曲にも取り上げられるなど、日本を代表する童謡詩人として広く親しまれている。本名は金子テル。
【文学の部屋|金子みすゞ】大正時代編.53
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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