2024年パリ オリンピック、パラリンピック開催を

記念して、「いらすとすてーしょん」ではオリンピックに関連する偉人たちのイラストポートレートをお届けします

前畑秀子





Hideko Maehata(1914-1995)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページではOlympic / Paralympic Memorial④前畑秀子をお楽しみください
※Oly /Para Memorial④前畑秀子はアスリートの部屋よりお届けします

前畑秀子
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんではアスリートの部屋よりOlympic / Paralympic Memorialと題してイラストポートレートをお届けします

和歌山県出身アスリート

シューちゃん

今回は和歌山県出身の前畑秀子だね

館長

前畑秀子選手は、日本人女性初のオリンピック金メダリストでした

シューちゃん

日本人初のメダリスト誕生が1920年アントワープ大会

館長

日本人初のオリンピック金メダリスト誕生は1928年アムステルダム大会

1905-1998を生きたアスリートであり指導者、教育者。日本人初のオリンピック金メダリストは1928年アムステルダムオリンピック三段跳びで獲得した。その後、日本オリンピック委員会(JOC)や早稲田大学教授として後進の指導に尽力し、日本のスポーツ界の発展に大きく貢献。また「hop, step and jump」と呼ばれた競技(現在ではTriple jump)を三段跳びと訳したことでもその名を馳せている。
Oly / Para Memorial③ 織田幹雄

日本人女性初の金メダリスト

シューちゃん

そして日本人女性初の金メダリスト誕生は1936年ベルリン大会

館長

その栄光を掴んだのは前畑秀子選手、種目は競泳200メートル平泳ぎでした

前畑ガンバレ

シューちゃん

昔の音声で「前畑ガンバレ」を聞いた人も多いのでは??

館長

NHKアナウンサーの河西三省氏の実況中継ですよね!

館長

ラスト10メートル付近
「前畑リード、前畑頑張れ×2、前×2、リード×2、あと5メーター×5、前、前畑リード、勝った×5、前畑勝った、勝った×5、前畑勝った×3、前畑勝ちました×5、前畑勝ちました×4。前畑勝ちました、前畑の優勝です×2
この実況で日本国内は深夜にもかかわらず大熱狂が起こっていたそうです
※この実況は後にレコード化されています

シューちゃん

確か、前回大会であった1932年ロサンゼルス大会にも出場しているよね

館長

シューちゃん、良くしっていましたね!
前畑秀子選手は、前回ロサンゼルス大会でも競泳200メートル平泳ぎに出場し銀メダルを獲得しています

館長

この時の記録が3分6秒6
1位のオーストラリア代表Clare Dennis(1916-1971)のタイムが3分6秒5、つまり0.1秒差で惜しくも2位だったのです

シューちゃん

そのリベンジをベルリン大会で果たしたってことかぁ!

館長

その前畑秀子選手は0.1秒で負けたロサンゼルス大会を最後に引退を考えていたそうですが、周囲の「0.1秒に負けるな」という励ましで現役を続行し、金メダリストに輝いたという逸話もあるのですよ

シューちゃん

実録もさることながら、気持ちも強かったのだね

館長

まさに水泳界、そして日本のスポーツ界の女性アスリートのパイオニアです!

館長

そして、2024年パリ大会の競泳種目では、どんなドラマが待っているのでしょうか!

次回は南部忠平

館長

さて今回のOlympic / Paralympic Memorial④前畑秀子は如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんではOlympic / Paralympicの歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回は南部忠平の登場だよ

1904-1997を生きたアスリートであり指導者、教育者。1932年ロサンゼルスオリンピック三段跳びで金メダリストに輝く。同大会での走幅跳びは銅メダルであった。同競技で日本人初の金メダリストであった織田幹雄とは親友であり良きライバル。引退後は、その織田と共に後進の指導に尽力し、日本のスポーツ界の発展に大きく貢献した。
Oly / Para Memorial⑤ 南部忠平
館長

南部忠平は、親友であり良きライバルであった織田幹雄に続き、ロサンゼルス大会三段跳びのオリンピック金メダリストに輝いたアスリートです

館長

ぜひ南部忠平のイラストポートレートページにもお越しください

Olympic / Paralympic Memorial

2024-07-310099850朝鮮民主主義人民共和国出身

Oly / Para Memorial⑦ 孫基禎(손기정)

2024-07-3046鹿児島県

Oly / Para Memorial⑥ 鶴田義行

2024-07-2901北海道

Oly / Para Memorial⑤ 南部忠平

2024-07-2734広島県

Oly / Para Memorial③ 織田幹雄

2024-07-2633岡山県

Oly / Para Memorial② 人見絹枝

2024-07-250033フランス共和国出身

Oly / Para Memorial① クーベルタン

和歌山県出身・新着偉人(It's New)はこちらから

1931-1984を生きた小説家。大学在学中に、演劇評論家を志し、出版社勤務を経て、1956(昭和31)年に文学界に掲載された「地唄」が芥川賞候補となり文壇に登場。1959(昭和34)年婦人画報に連載された「紀ノ川」は紀州を舞台とした年代記であり、代表作の一つとなった。外科医華岡青洲と、その嫁姑の生活を描いた「華岡青洲の妻(1967)」や老年問題に焦点を当てた「恍惚の人(1972)」など、歴史・古典芸能・社会問題・女性心理といった広範囲なテーマで数々の作品を発表する。1984(昭和59)年、急性心不全により53歳で急逝。
【文学の部屋|有吉佐和子】昭和時代編.174
1905-1997を生きた俳人であり医師。第三高等学校を経て、京都帝国大学医学部を卒業後、精神科医として、兵庫県立病院などに勤務し、戦後は大阪京阪病院、宇都宮病院などで院長や顧問を歴任した。その傍ら、俳句活動にも精力的に取り組んだ。学生時代より「京鹿子」「馬酔木」「ホトトギス」に投句。1933(昭和8)年に井上白文地らと「京大俳句」を創刊し、新興俳句運動の中心人物として活躍するも、1940年には新興俳句弾圧事件(京大俳句事件)に連座し、懲役二年・執行猶予三年の判決を受けた。戦後は山口誓子を中心とする俳誌「天狼」の創刊に参加し、俳句評論「俳人格(1951)」などを提唱し、俳句には作者の人格が宿るべきだと説き、俳壇に思想的影響を与えた。当初は男性的で骨太と評されるも、晩年には滋味とユーモアを加えた大らかな作風へと変化。近代俳句の思想的象徴として高く評価された。本名は平畑富次郎。
【文学の部屋|平畑静塔】昭和時代編.103
1892-1964を生きた小説家。生田長江や与謝野鉄幹らに師事。1918(大正7)年に谷崎潤一郎の推薦で文壇に登場し、「田園の憂鬱」や「都会の憂鬱」などの作品で大正時代の寵児として、芥川龍之介と並び称され注目を浴びる。1960(昭和35)年には文化勲章を受章。
【文学の部屋|佐藤春夫】大正時代編.37
1642-1693を生きた俳諧師、浮世草子(小説)作家。西山宗因に師事し、談林派を進む。特に速吟(早詠み)で知られ、一日で23,500句を詠んだとされる。その後、浮世草子という新しい文学ジャンルを開拓し、「好色一代男」や「日本永代蔵」などの作品で人気を博し、これらの作品は、当時の町人文化や風俗を生き生きと描き、後世の文学に大きな影響を与えた流行作家となった。
【文学の部屋|井原西鶴】江戸時代編.2

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17石川県
1873-1941を生きた評論家でありジャーナリスト。東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、博文館や大阪毎日新聞、大阪朝日新聞などを経て、1910(明治43)年に「信濃毎日新聞」主筆に就任。1912(大正元)年、乃木希典の殉死を批判した社説「陋習打破論」で注目を集める。昭和期には軍国主義の台頭に抗し、1933(昭和8)年に発表した「関東防空大演習を嗤ふ」は、東京空襲の惨状を予見した鋭い論説であったが、軍部の圧力により退社に追い込まれた。その後、名古屋で個人雑誌「他山の石(1934-41)」を発行し、検閲と発禁処分に抗しながら反軍・反権力の言論を貫いた。死の直前まで「言わねばならないこと」を書き続け、太平洋戦争開戦の3か月前、喉頭癌により68歳で逝去。その不屈の姿勢は「抵抗の新聞人」として語り継がれている。本名は桐生政次。
【文学の部屋|桐生悠々】大正時代編.57New!!
23愛知県
1863-1927を生きた地理学者、政治家であり評論家。札幌農学校卒業後の1886(明治21)年、ダーウィンに倣って海軍練習船に便乗。太平洋やオセアニア各地を歴訪。この経験をまとめた「南洋時事(1887)」が注目を集める。その後、1894(明治27)年に著した「日本風景論」は、日本の自然美を科学と美学の両面から論じ、国民に風景の価値を啓発した文学的地景論であり、同年(1894)に内村鑑三によって著された「地理学考」とともに明治の二大地理書として歴史に名を残している。その後も、世界各地に足を運び、新聞や雑誌での評論活動を行うかたわら、国政でも活躍した。
【文学の部屋|志賀重昂】明治時代編.47
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

「いらすとすてーしょん」は5年目を迎えました。今年も、皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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