京都府出身 From Kyoto

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京都府出身イラストポートレートSyusuke Galleryより

京都府出身・新着偉人(It's New)

1743-1809を生きた医学者。古医方であり蘭学を学んだ山脇東洋の流れを汲んだ漢蘭折衷派の一人。関西以西で医学を学んだ後に芝蘭堂で大槻玄沢に蘭学を学ぶ。その後京都に戻り究理堂を開校し蘭学を普及させた。京都における蘭学の礎を築いたとされる。
【医学の部屋|小石元俊】ビフォーアフターP.F.シーボルト編②New!!
1706-1762を生きた医学者。中国金元時代の医学からの脱却を目指した古方派筆頭の後藤艮山(1659~1733)に師事し、その後同派の大家となる。五臓六腑説に疑問を抱き、ついに1754年幕府の許可を得て日本初の人体解剖を行った。その記録は1759年「蔵志」にて著した。
【医学の部屋|山脇東洋】ビフォーアフター解体新書編①
1627-1705を生きた儒学者であり古学古義学(堀川学派)の祖。後の傷寒論などの古典に立ち返る医学となる古方派に影響を与えた。山脇東洋もその一人であり、日本初の人体解剖につながる。その生涯は親族から医者になることを勧められるもそれを拒み、加えて儒学者が医者になることを強く非難するも、医者として活躍する多くの門人を抱え慕われた。
【医学の部屋|伊藤仁斎】江戸の儒学と医学④
1837-1924を生きた絵師であり文人画家。国学、漢学、陽明学を学び西洋画以外の絵画技法を習得していたとされる。田能村直入らと日本南画協会を興し文人画の振興に尽力した。日本文人画における最後の代表画家とされている。
【画家の部屋|富岡鉄斎】最後の文人画巨匠
1864-1942を生きた日本画家。明治33年渡欧。円山四条派で活躍していた幸野楳嶺 に師事。これに渡欧で学んだ西洋画法をとりいれて独自の画風を確立。その後京都画壇の中心となり上村松園、西山翠嶂,土田麦僊らを育成した。 代表作の獅子は円山四条派の画技に加えてコロー,ターナーのセピア調の写生的作品に仕上げている。
【画家の部屋|竹内栖鳳】動物の匂いまでも描く
1652-1724を生きた絵師。父の仕事に付き添い江戸に出て、中橋狩野家(狩野安信)にて絵を学ぶ。岩佐又兵衛および菱川師宣の風俗画を好み、江戸庶民の粋な様を絵として残す。また松尾芭蕉らとの交流から俳諧にも通じていた。1698(元禄11)年島流しとなり約12年間三宅島へ流罪。この間に残した作品は島一蝶と呼ばれている。その後大赦にて江戸に戻り人気絵師英一蝶として数々の作品を手がけた。
【画家の部屋|英一蝶】江戸に愛された英派の祖
1583-1638を生きた絵師。父(もしくは師)光吉とともに現、大阪ぬて土佐派画系の継承につとめ、土佐派を光吉より嗣ぐ。その後、息子の光起を伴い京都に移り土佐派復興につとめる。54帖総ての段を表した源氏物語画帖の絵は土佐光則の作と伝えられているが、その弟子たちによって完成されたとされている。 ※いらすとすてーしょんでは出生地を京都府とさせていただきます
【画家の部屋|土佐光則】土佐派再興に捧げた人生
1752-1811を生きた絵師。与謝蕪村に俳諧や文人画を学び、その後円山派を創始した円山応挙の影響を受け、写生に開眼し軽妙洒脱な画風を創出。この新しい画風は師の応挙没後、さらに隆盛し、京都四条高倉を居としてた呉春をはじめ,呉春を頼る画家の多くが四条通りに集まっていたため,四条派と呼ばれるようになり、呉春はその四条派の祖と称される。
【画家の部屋|呉春】四条派の祖
1733-1795を生きた絵師。狩野探幽の流れをくむ鶴沢派、石田幽汀の門下となり、その後出会う西洋画に魅せられ写実に傾倒した。その新しい写実に溢れた画風は京都の商人の目にとまり発展。多くの門下生が加わり円山派が形成される。この円山派で学び呉春の形成した四条派と併せて円山四条派と呼称される。
【画家の部屋|円山応挙】円山派の祖
1607-1650を生きた絵師。狩野孝信の次男で探幽の弟は、兄探幽の築いた奥絵師の木挽(竹川)町家初代となり、絵の作成、修理、鑑定、教育、後継者育成といった江戸幕府における画壇の中心的な役割を担った。
【画家の部屋|狩野尚信】奥絵師木挽町家初代
1602-1674を生きた絵師。徳川政権樹立以降、それまで活動していた京から江戸に活動の拠点を移し江戸狩野を創始。狩野派を象徴す祖父でもあった永徳の大画様式から一転し、余白を生かした瀟洒で端正な新様式で江戸狩野様式を確立。それ以後の江戸狩野派の規範として受け継がれていく。また幕府の権力機構に相応して派の組織改革にの臨み、奥絵師を頂点に、表絵師、諸大名のお抱え絵師、町狩野と階層組織ををつくり、幕府内での狩野派の地位を不動のものとした。
【画家の部屋|狩野探幽】江戸狩野の祖
1519-1592を生きた漢画絵師。狩野派二代目狩野元信の三男は、兄 祐雪,秀頼の早世により家督を継承。1563(永禄6)年「涅槃図(大徳寺)」1566(永禄9)年に長男 永徳と共に制作した「山水図、虎豹猿図、四季花鳥図屛風(大徳寺聚光院)」を描いた。父 元信の筆を引き継ぎ、それをさらに平明化し,その作品は柔らく優しさを感じさせるタッチで描かれている。
【画家の部屋|狩野松栄】狩野永徳の父
870年ごろ-945を生きた歌人であり政治家。土佐守の任期をを終えた貫行が、934(承平4)年12月に高知県土佐の官舎を出て、翌年2月に平安京の自邸へ帰り着くまでの旅を、和歌まじりにつづった旅日記を土佐日記として綴る。貫行は自身を女性に見立て、仮名散文で個人的心情を吐露し仮名日記の最初の作品として日本文学史上に大きな足跡を残した。また貫行の最も大きな偉業は、伝統的な和歌を自覚的な言語芸術として定立し、公的な文芸である漢詩と対等な地位に押し上げた古今集の撰進であり、国風文化の推進・確立を果たした。
【文学の部屋|紀 貫之】日記文学の祖
1415-1499を生きた僧は本願寺8世。宗祖親鸞以来衰退の危機にあった浄土真宗を1代で現在の続く教団の礎を築いたことから本願寺の中興の祖として称されている。
【探究ネタ】「蓮如」日本の宗教に携われた人々
1882-1955を生きた日本における内陸アジア(東洋史)研究の第一人者であり京都帝国大学総長は、太平洋戦争の最中、学徒出陣に対して当時の内閣に猶予を求める活動を帝国大学総長として牽引するも学生を戦火に送る苦渋の選択を受け入れる。
【歴史学の部屋|羽田 亨】学徒出陣と戦った京大総長
1888-1955を生きた京都府出身の画家は時は昭和初期、洋画界の一時代を築いた二人の天才画壇、梅原龍三郎と安井曾太郎。具象画の登竜門「安井賞展」の生みの親でありデッサンの神様のそのスタイルは「安井様式」独自の表現方法を確立した。
【画家の部屋|安井曾太郎】素描の天才・デッサンの神様
1669-1736を生きた国学の祖は稲荷神官の子として和学をはじめとする古典・国史研究の環境に育ち、学びを深め国学の分野を確立。その成果を当時、儒学のみであった江戸幕府に国学の必要性を訴え、その後発展を遂げていく。
【国学者|荷田春満 Azumamaro Kadano】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
1583-1657を生きた日本朱子学の祖は、儒学の祖藤原惺窩を師事しその才能を開化、師の薦めにより徳川家康より4代家綱まで将軍に仕え侍講(君主の学問教育)となる。
【儒学・朱子学|林 羅山 Razan Hayashi】日本朱子学の祖
1876-1948を生きた浄土真宗本願寺派本願寺(西)22世門主。その後中央アジア3次探検隊(大谷探検隊)として歴訪。
【探究ネタ】「大谷光瑞」日本の宗教に携われた人々
1905-2004を生きた井上流、井上八千代(四世家元 四代目) は寛政年間(1789~1801)に近衛家の舞指南役を勤めた井上サト(初世井上八千代)が宮廷文化を基盤に創始し、約二世紀の歴史を持つ祇園甲部の正式唯一の流派。京都の年中行事「都をどり」を1872年より開催。
【音楽の部屋|井上八千代(四世家元 四代目)】4月の風物詩「京都をどり」を支えた井上流家元
1883-1959を生きた陶芸や篆刻、書道など芸術を通じた文化人として名を馳せ、美食家でもあった。
【陶芸家の部屋|北大路魯山人】美食家の行き着く先は作陶だった
1897-1984を生きた陶芸家は呈色剤を含む軟らかい磁土を、何度となく器の表面に塗り重ね、レリーフのように盛り上がった文様をつくりだす技法陶技「彩埏(えん)」を考案
【陶芸家の部屋|楠部彌弌】無限をテーマにアジアの技法を作陶へ
1600-1650を生きた徳川家康9男は、地元尾張藩の地盤固めのため築城した名古屋城に徳川家康が死去後入城し尾張藩初代藩主となる。
【探究ネタ】「徳川義直」父、徳川家康の意思を継ぐ初代尾張徳川家
1875-1949を生きた京都府出身の日本画家は明治の女性が画家を志すなど、世間で認められる時代ではなかったが、母仲子は松園の画家としての才能を理解し支え続けた。1948年女性初めての文化勲章を受章。息子に日本画家の上村松篁。
【画家の部屋|上村松園】西の美人画家代表
1933-1997を生きた日本を代表する映画監督は遅咲きの51歳デビュー。代表作は「お葬式」「マルサの女」
【銀幕へようこそ】「伊丹十三」遅咲きでも新鮮 映画監督の部屋
1849-1940を生きた第12・14代内閣総理大臣
【内閣総理大臣の部屋|西園寺公望】第12・14代(通算在職日数1400日)
1706-1762を生きた日本における解剖学の祖、日本において人体解剖を幕府の許可を得て実施
【医学の部屋|山脇東洋】日本解剖学の祖
1200-1253を生きた曹洞宗の開祖であり日本の禅における思想を確立した一人とされています
【探究ネタ】「道元」日本の宗教に携われた人々
1173-1263を生きた浄土真宗の宗祖。法然を師と仰ぎ、本願念仏へ入道。
【探究ネタ】「親鸞」日本の宗教に携われた人々
1155-1225を生きた天台宗座主。百人一首のうたいびとの一人であり、歴史書「愚管抄」にて源平の戦いを著した。
【探究ネタ】「慈円」日本の宗教に携われた人々
1121-1206を生きた平安末期から鎌倉初期の入宗僧、東大寺復興を遂げる。
【探究ネタ】「重源」日本の宗教に携われた人々
700年代生きた奈良時代の僧であり、鹿島神宮寺をはじめ数々の寺社仏閣を建立
【探究ネタ】「万巻」日本の宗教に携われた人々
1888-1986を生きた京都府出身の日本洋画家は京都府出身 1888-1986 渡仏時に印象派の巨匠ルノワールに感化され、帰国後ルノワールの名声を広めるきっかけをつくり生涯師事する。またあらゆる絵画について研究熱心であり、その技法を自身の作風に活かし日本洋画界を牽引した。
【画家の部屋|梅原龍三郎 Ryusaburo Umehara】色彩感覚はピカソ越え!?
1907-1978を生きた京都府出身の戦後を代表する文芸評論家は戦後間も無く話題作となる「島崎藤村」を刊行。それ以降“政治と文学論争”、“芸術と実生活”“純文学論争”などを展開し、独特の評論をする。1955年から「毎日新聞」文芸時評を担当。明治大学教授も歴任した。
【ジャーナリストの部屋|平野 謙 】この人にかかったら… 文芸評論家
1053-1140を生きた京都府?出身の高僧そして画家。日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、京都高山寺の鳥獣戯画はそのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。
【画家の部屋|鳥羽僧正 Toba Sojo (覚猷 Kakuyu)】知ってた?漫画原点の作者って

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0049ドイツ連邦共和国出身
1796-1866を生きた医学者であり博物学者。オランダ商館の医官として1823年に来日し、出島外での活動の許可を得て翌24年には鳴滝塾を開校。蘭学の中でも医学を中心に学ぶために各地・各藩から学者が集まり、シーボルトの門下は蘭方医の流派としてその後の日本の医学を発展させた。将軍謁見のため江戸旅行、日本の情報を持ち出し処分を受けたシーボルト事件。再来日を果たすなど、幕末日本に大きな影響を与えた。
【医学の部屋|シーボルト】ビフォーアフターP.F.シーボルト編⑤New!!
30和歌山県
1760-1835を生きた医学者。漢蘭折衷医家は、外科分野で全身麻酔による世界初めての乳がん摘出手術(1804年)に成功し、その名を刻みこの部位では合計で143症例を行ったとされ、その他の手術も行っている。
【医学の部屋|華岡青洲】ビフォーアフターP.F.シーボルト編④

いらすとすてーしょん新キャラクター

館長

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館長

さて本年いらすとすてーしょんの新キャラクターが誕生しました

館長

シューちゃんです

シューちゃんはいらすとすてーしょんのキャラクターです
シューちゃん

シュー(Syu)です
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館長

3年目を迎えた2024年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
創業78年を迎える栄光社HP新企画「イチオシ」と


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