楠部彌弌 Yaichi Kusube

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楠部彌弌イラストポートレート(Syusuke Galleryより

釉下彩埏(ゆかさいえん)って?

やいち

わたしの考案した「釉下彩埏(ゆかさいえん)」について簡単に紹介するよ

しょうじ

お主も柳宗悦からわしらの民芸運動に誘われたって聞いたけど

やいち

わたしの作陶と考え方が違ったから断ったんだ

やいち

話は戻して…まずは彩埏(さいえん)から

やいち

彩埏(さいえん)とは

「土に水を含ませて柔らかくすること」なんだ

やいち

工程はこうなる

やいち

まず土に発色する、コバルトとか、鉄、銅などを混ぜる

しょうじ

その土に水を加えていって柔らかくするんだね?

やいち

その通り!

やいち

その柔らかい土(彩泥)を成形した器に何度も薄く塗り重ねていくんだ

しょうじ

そうすることで、浮き彫り風になって文様が浮かび上がってくるってことだね

やいち

これはとっても根気がいる作業だけど、これを怠ると狙った発色ができないんだ

やいち

晩年はこの釉下彩埏をつかって、草花をモチーフにした作品を手がけたよ

しょうじ

やきものにはいろいろな技法があって、そんなところも器を見る時のポイントだね

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