楠部彌弌 Yaichi Kusube

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楠部彌弌イラストポートレート(Syusuke Galleryより

釉下彩埏(ゆかさいえん)って?

やいち

わたしの考案した「釉下彩埏(ゆかさいえん)」について簡単に紹介するよ

しょうじ

お主も柳宗悦からわしらの民芸運動に誘われたって聞いたけど

やいち

わたしの作陶と考え方が違ったから断ったんだ

やいち

話は戻して…まずは彩埏(さいえん)から

やいち

彩埏(さいえん)とは

「土に水を含ませて柔らかくすること」なんだ

やいち

工程はこうなる

やいち

まず土に発色する、コバルトとか、鉄、銅などを混ぜる

しょうじ

その土に水を加えていって柔らかくするんだね?

やいち

その通り!

やいち

その柔らかい土(彩泥)を成形した器に何度も薄く塗り重ねていくんだ

しょうじ

そうすることで、浮き彫り風になって文様が浮かび上がってくるってことだね

やいち

これはとっても根気がいる作業だけど、これを怠ると狙った発色ができないんだ

やいち

晩年はこの釉下彩埏をつかって、草花をモチーフにした作品を手がけたよ

しょうじ

やきものにはいろいろな技法があって、そんなところも器を見る時のポイントだね

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13東京都
1879-1941を生きた劇作家であり小説家。寺小屋教育を受けた後、佐佐木信綱に師事、その後文筆生活に入り、1901(明治34)年に短編小説「うづみ火」を「女学世界」に投稿し文壇に登場。1905(明治38)年、狂女の悲恋を描いた戯曲「海潮音」が読売新聞懸賞で坪内逍遙に認められ特選となり、新富座で上演される。以後「覇王丸」「操(さくら吹雪)」など舞踊劇で女流劇作家として地位を確立。大正期には女性評伝「美人伝」を執筆。また1928(昭和3)年には雑誌「女人芸術」を復刊し、林芙美子や円地文子ら多くの女性作家を世に送り出し、近代日本における女性の文筆活動の礎を築いた。本名は長谷川ヤス。
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13東京都
1872-1896を生きた小説家。東京府の下級官吏の家に生まれ、幼少期から読書好きで才気に富む。1886(明治19)年14歳で中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、和歌や古典文学を学ぶ。父と兄の相次ぐ死により家督を継ぎ、生活苦の中で母と妹を養うため筆を取る。半井桃水に師事し、1892(明治25)年に処女作「闇桜」を「武蔵野」に発表。その後、波乱に満ちた道を歩みながら「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」「たけくらべ」などを、1894(明治27)年から1年強の月日で秀作5作品を発表し、森鴎外や幸田露伴らに絶賛される。女性作家として初めて文壇の中心に立ち、近代文学に新風を吹き込むも、肺結核により24歳で早世。没後公開された「一葉日記」も高く評価され、近年では五千円札の肖像にも選ばれている。本名は樋口奈津。
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