楠部彌弌 Yaichi Kusube

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楠部彌弌イラストポートレート(Syusuke Galleryより

釉下彩埏(ゆかさいえん)って?

やいち

わたしの考案した「釉下彩埏(ゆかさいえん)」について簡単に紹介するよ

しょうじ

お主も柳宗悦からわしらの民芸運動に誘われたって聞いたけど

やいち

わたしの作陶と考え方が違ったから断ったんだ

やいち

話は戻して…まずは彩埏(さいえん)から

やいち

彩埏(さいえん)とは

「土に水を含ませて柔らかくすること」なんだ

やいち

工程はこうなる

やいち

まず土に発色する、コバルトとか、鉄、銅などを混ぜる

しょうじ

その土に水を加えていって柔らかくするんだね?

やいち

その通り!

やいち

その柔らかい土(彩泥)を成形した器に何度も薄く塗り重ねていくんだ

しょうじ

そうすることで、浮き彫り風になって文様が浮かび上がってくるってことだね

やいち

これはとっても根気がいる作業だけど、これを怠ると狙った発色ができないんだ

やいち

晩年はこの釉下彩埏をつかって、草花をモチーフにした作品を手がけたよ

しょうじ

やきものにはいろいろな技法があって、そんなところも器を見る時のポイントだね

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1885-1962を生きた俳人。早稲田大学英文科に進学し、早稲田吟社に参加し「国民新聞」へ投句を開始。また「ホトトギス」の句会に参加し高浜虚子に師事した。しかし師の俳壇引退を受け、学業を捨て郷里に帰郷。その後、虚子の俳壇復帰を知り、「ホトトギス」へ投句を再開し、代表俳人となる。1917(大正6)年には俳誌「雲母」を主宰し、生まれ故郷のの山村「山廬」を拠点に格調高い句風を築く。戦中・戦後も俳壇の流行におされることなく、創作を続け、句集「山廬集」「椿花集」などを刊行。自然と精神性を融合させた句の数々は、近代俳句の象徴として高く評価された。本名は飯田武治(たけはる)。
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1884-1966を生きた独文学者であり文芸評論家。第一高等学校から東京帝国大学独文科に進み、在学中に夏目漱石の門下生となり、木曜会に参加。そこで、寺田寅彦、高浜虚子らと交流。卒業後は慶應義塾大学、東北帝国大学で教鞭を執り、漱石全集の編纂にも尽力する。戦後は東京音楽学校校長などを歴任。著書「夏目漱石」で1954(昭和29)年に日本芸術院賞を受賞。芭蕉や歌舞伎、能など日本の伝統芸術にも造詣が深く、評論・随筆・翻訳など多方面で活躍。漱石研究の第一人者として、近代文学の記録と批評に大きな足跡を残した。その漱石著「三四郎」のモデルともされている。
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