儒学・折衷学派 江戸中期に台頭した陽明学、古学に傾倒することなく各江戸学問の教えを取りまとめた新儒学とした学派は個々が学びを提唱し自由な傾向があったとされる

細井平洲 Hosoi Heishu

ようこそ!フリーイラストポートレートと


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こちらのページでは【儒学・折衷学派|細井平洲


藩士のみならず町民にも説く教育者
をお楽しみください

細井平洲イラストポートレート(Syusuke Galleryより

細井平洲って??

儒学の祖・藤原惺窩登場

せいか

日本儒学の祖と言われている惺窩です

1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
せいか

さて今回ご紹介するのは細井平洲せんせですね

へいしゅう

藤原惺窩せんせに私の紹介をしていただいて光栄です

せいか

尾張国知多(愛知県)で豪農の出でしたね

へいしゅう

幼い頃から土いじりより学問が好きでした

せいか

そして京都、長崎と留学して学びを深められたのですな

細井平洲・嚶鳴館開塾

へいしゅう

毎日が刺激的でした
そして1751(宝暦元)年江戸に出て嚶鳴館 (おうめいかん)という私塾を開きました

細井平洲・米沢へ

せいか

その私塾で上杉治憲氏を教えて米沢藩に招かれたのですね

へいしゅう

米沢では藩校に通える者だけでなく農民や町民にも教えを施しました

せいか

米沢藩の財政はV字回復でしたね

細井平洲・尾張へ凱旋

へいしゅう

そんな折、1780(安永9)年に尾張藩からお声が掛かったのです

よしなお

さすが尾張藩じゃ

へいしゅう

これは徳川家康公の9男で尾張藩初代藩主様

1600-1650を生きた徳川家康9男は、地元尾張藩の地盤固めのため築城した名古屋城に徳川家康が死去後入城し尾張藩初代藩主となる。
【探究ネタ】「徳川義直」父、徳川家康の意思を継ぐ初代尾張徳川家
よしなお

そうじゃ

よしなお

時の尾張藩藩主は9代目徳川宗睦がお主を招いたんじゃな

へいしゅう

生まれ故郷の尾張に錦を飾れました

細井平洲・明倫堂督学就任

せいか

そして1783(天明3)年、最古の藩校と呼び声高い明倫堂の督学となられたのですね

へいしゅう

そのころ明倫堂は少し荒んでいましたから少し手を加えました

せいか

まさにここでも武士庶氏問わずに学問を広めたのですな

へいしゅう

それから明倫堂は大盛況となり私のても必要無くなって…江戸に戻りました

細井平洲・再び米沢へ

せいか

そして再び米沢に出向かれてますよね!

へいしゅう

藩主になられた上杉治憲氏に招かれてお伺いしました

せいか

名君と江戸に名を響かせた上杉治憲は細井平洲せんせの教えを着実に実行して米沢藩を盛り立てました

せいか

まさに上杉治憲にとって細井平洲せんせは師匠の中の師匠

せいか

お二人の姉弟関係は身分を超えた美談ですね

現在は"へいしゅうくん"

へいしゅう

そんな甲斐もあって生まれ故郷の東海市では私をイメージしたゆるキャラ"へいしゅうくん"が活躍しています

せいか

いらすとすてーしょんでは儒学・国学の部屋も開設していますので、よろしければお出でくださいね

イラストポートレートSyusukeGallery儒学・国学の部屋Confucianism and Kokugaku
儒学・国学の部屋 Confucianism and Kokugaku

儒学 国学・新着偉人(It's New)はこちらから

24三重県
1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
【国学者|本居宣長 Norinaga Motoori】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
26京都府
1669-1736を生きた国学の祖は稲荷神官の子として和学をはじめとする古典・国史研究の環境に育ち、学びを深め国学の分野を確立。その成果を当時、儒学のみであった江戸幕府に国学の必要性を訴え、その後発展を遂げていく。
【国学者|荷田春満 Azumamaro Kadano】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
22静岡県
1697-1769を生きた国学者は、31歳で荷田春満に入門、万葉集の研究に没頭し万葉考を編纂。そこには賀茂真淵の万葉集に対する世界観も記されている。田安(宗武)家の和学御用でもあった。化政期の国学四大人(しうし)の一人(荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤)。
【国学者|賀茂真淵 Mabuchi Kamono】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
26京都府
1583-1657を生きた日本朱子学の祖は、儒学の祖藤原惺窩を師事しその才能を開化、師の薦めにより徳川家康より4代家綱まで将軍に仕え侍講(君主の学問教育)となる。
【儒学・朱子学|林 羅山 Razan Hayashi】日本朱子学の祖
28兵庫県
1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
07福島県
1622-1685を生きた儒学者は、江戸時代における武士の生き様(ふるまい・在り方)を追求し士道を示す。その後、徳川幕府の官学である朱子学に疑問を持ち、儒教そのものの教えに立ち返るとした古学を提唱。このことから古学の祖とされる。
【儒学・古学|山鹿素行 Soko Yamaga】古学の祖
25滋賀県
1608-1648を生きた儒学者。儒道と士道は同じ道と独学で学びを深めた。朱子学を当時の社会に適応させるべく、王陽明全書を読破し、その思想を開化し陽明医学の実践法の一つとする「致良知説」に傾倒した。そして自ら私塾を開き、その学問を極め日本陽明学の祖とされる。多くの医書も残し、その医術を学ぶために藤樹のもとに留学を希望するものは絶えなかったとされる。
【儒学・陽明学|中江藤樹 Tozyu Nakae】日本陽明学の祖
05秋田県
1776-1843を生きた国学者であり医師。秋田藩を脱藩し裸一貫で江戸に出て、最新の学問を苦学で身につけた。1805年本居宣長の嫡子春庭の門下となり1807年に現在の東京京橋にて玄瑞医院を開設。その約2年後には医院を閉鎖。この間に傷寒雑病論解、医道大意(志都能石屋)を著し、医術に深く関わっていたと考えられている。医業を辞めたあとも診察を望む患者は絶えなかったとされる。 国学四大人の一人。
【国学者|平田篤胤 Atsutane Hirata】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
21岐阜県
1768-1841を生きた岐阜県出身の江戸後期を代表する儒学者は25歳の時、林錦峯(林羅山から続く幕府儒官の7代目)の養子となって林家を継ぎ、幕府の文書行政の中枢として幕政に関与する。 文化年間における朝鮮通信使の応接を対馬国で行う聘礼の改革にも関与。
【儒学・朱子学|林 述斎 Jyusai Hayashi】武士の最高学府「昌平坂学問所」学長

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1939- を生きる生物学者。1987年ノーベル生理・医学賞を日本人として初の受賞。抗体の多様性の形成メカニズムを解明し、免疫応答の基本を明らかにした。その後、脳科学研究にシフトし現在もなお、最前線の研究者として活躍している。
【生物学者の部屋|利根川 進】日本人初受賞は生理・医学賞
1944- を生きる物理学者。2008年ノーベル物理学賞受賞。CKM行列の一部であるCP対称性(Charge-Parity symmetry)の破れについて提唱、物質と反物質の不均衡(バリオン数非対称性)を説明するための理論的を確立した。このクォークのフレーバー変化を説明するための理論的枠組みは益川-小林理論(またはCKM理論)と現在も世界で支持されている。 ※益川敏英(1940-2021)共同受賞者
【物理学者の部屋|小林 誠】益川-小林理論でノーベル物理学賞
1940-2021を生きた物理学者。2008年ノーベル物理学賞受賞。クォークの混合(クォークフレーバー)におけるCKM行列の提案を行い、理論的な枠組みの研究で素粒子物理学の新たな分野を切り拓いた。このクォークのフレーバー変化を説明するための理論的枠組みは益川-小林理論(またはCKM理論)と現在も世界で支持されている。 ※小林誠(1944-)共同受賞者
【物理学者の部屋|益川敏英】益川-小林理論でノーベル物理学賞
1832-1870を生きた蘭学者でありジャーナリスト。蘭学は植物学者となる伊藤圭介に学び、その後英語、フランス語を学ぶ。江戸幕府開成所(洋学校)の教授職を務め外字新聞の翻訳にあたる。日本史上初の定期刊行雑誌「雑誌西洋」、また日本人による初の新聞「中外新聞」を創刊した。
【ジャーナリストの部屋|柳河春三】日本人初の新聞を創刊
1579-1655を生きた武士から出家した僧侶であり、庶民にもわかりやすい仏教説話を伝播するため仮名草子作家としても活躍した。日本を形成した思想家の一人としてその名はいまもなお響かせています。
【探究ネタ】「鈴木正三」日本の宗教に携われた人々
1897-1985を生きた陶芸家は建築壁に陶磁器を用いた陶壁を作り出す。陶芸歴史研究の第一人者であったが謎に包まれる「永仁の壺事件」を引き起こす。
【陶芸家の部屋|加藤唐九郎】陶壁(建築物✖️陶磁器)私が創りました
1543-1616を生きた武将であり戦国大名は江戸幕府初代征夷大将軍となり政治を司り、260年続く江戸時代の基盤をつくった。
【探究ネタ】「徳川家康」話題沸騰〜どうする家康〜
1539-1600を生きた武士は13歳から徳川家康の御付きとなり、天下分け目関ヶ原戦いの前哨戦となる伏見の戦いで石田三成率いる西軍に対して善戦、籠城後壮絶な最期を遂げる。
【探究ネタ】「鳥居元忠」天下人への前哨戦を戦った徳川家康の恩人
1548-1606を生きた徳川四天王の一人は、徳川家康が桶狭間の戦いで今川義元に兵糧を届けた帰りに出会い、利発の康政をそれ以降家臣として家康の天下統一を後押しした一人。
【探究ネタ】「榊原康政」あの秀吉を美文字で罵る文武両道は徳川家康の恩人
1527-1596を生きた松平家に仕えた酒井家を10歳で継ぎ、今川義元に見出された才覚で人質であった徳川家康と共に桶狭間の戦いに出陣。ここから徳川家康の右腕として武功を立てていきます。
【探究ネタ】「酒井忠次」信長も秀吉も認めた武勇は徳川家康の恩人‘日本史からみた偉人たち’
1542-1596を生きた服部家2代目は父であり初代保長が松平家に仕えていたことから、その後の徳川家へ仕え武功を立てた武士。1596年に亡くなったが、その功績を讃え江戸城の門にはいまも半蔵門の名を響かせている
 【探究ネタ】「服部半蔵(正成)」今も半蔵門に名を残す徳川家康の恩人
1829-1913を生きた建築家、伊藤平左衛門9世は明治の東京・横浜で洋風建築、清国で中国建築、京都や奈良で日本古代建築を研究。愛知県庁舎など明治初期の東海地方に洋風建築を導入し、東本願寺御影堂など多くの近代社寺建築も手掛けた。内国勧業博覧会、パリ万国博覧会などに出品し数々の賞を受賞
【建築家の部屋|伊藤平左衛門 (9世)】明治期を代表する建築家は工匠一家の9世なり
1547-1583年を生きた織田信長の妹とされ浅井長政、柴田勝家に嫁ぎ、歴史に奔走した人生を歩んだ。
【探究ネタ】「市(お市の方)」 兄は天下統一まであと一歩 日本史からみた偉人たち
1934-2007を生きた建築家。共生、新陳代謝(メタボリズム)、情報、循環(リサイクル)、中間領域、フラクタル(非線形)、生態系(エコロジー)等、45年間提言してきたコンセプトはいずれも「生命の原理」を追求した。
【建築家の部屋|黒川紀章】カプセルも恐竜も手がけた!機械じゃなくて生命の時代へGo!
東京都港区に本社を置く、電機メーカーを中心とする日本の多国籍コングロマリット。
【経営者の部屋|井深 大&盛田昭夫】出井伸之 元ソニー社長を偲んで創業者のイラストポートレートを!
1779-1848を生きた漢方医(古医方)でありインド医学(仏教医学)の影響を受けたとされ「古訓医伝」を著書
【医学の部屋|宇津木昆台 Kondai Utsugi】江戸時代における傷寒論研究の第一人者
1534-1582を生きた尾張国出身の武将はどの世代からも「好きな歴史上の人物は?」数々の調査で堂々の1位の人気を博する。尾張国内の反勢力を一掃した後、信長を全国区に押し上げたのは、今川義元を討ち取った桶狭間の戦い。ここから一気に天下人に駆け上がります。
【探究ネタ】「織田信長」 本能寺の変は6月2日 日本史からみた偉人たち
1537?-1598を生きた尾張国出身の武将は主君信長のあだを奉じ16世紀末、ついに全国統一を実現した秀吉は、度量衡を統一し、全国に役人を派遣して土地の生産力を石高(米の生産量)で算出、税収の安定徴収化を図った。また、農民から武器を取り上げ農耕に専念させることで一揆を防ぎ、武士と農民の身分を明確にするなど、戦国の世の中から安定した社会を築くために構造改革を行った。
【探究ネタ】「豊臣(羽柴)秀吉」 天下人は「さる」と呼ばれてた 日本史からみた偉人たち
1535-1585を生きた尾張国出身の武将は織田信長の宿老であり浅倉義景討伐後若狭一国を与えられる国持大名に。豪傑さは政治手腕も発揮されたとされ、織田家の繁栄に尽力。本能寺の変のあと後嗣そして領地再配分を議論する「清洲会議」では信長嫡孫の三法師を推すが…そして秀吉と共に…。
【探究ネタ】「丹羽長秀」 越前朝倉103年の歴史に終止符を打った男 日本史からみた偉人たち
1536-1584 尾張国?出身の武将の母養徳院は信長の乳母で、乳兄弟となることから必然に信長に支えることに。本能寺の変のあと後嗣そして領地再配分を議論する「清洲会議」では信長嫡孫の三法師を推すが…そして今後の池田家の躍進は…いかに。
【探究ネタ】「池田恒興」 おやかた様とは乳兄弟 日本史からみた偉人たち
1522?〜1583を生きた尾張国出身の武将は織田信長の宿老であり、豪傑武将と名を馳せる。本能寺の変のあと後嗣そして領地再配分を議論する「清洲会議」では信長三男「信孝」を推すが…そして想いを寄せるお市の方とは…。
【探究ネタ】「柴田勝家」 還暦前後での初婚は雲の上の人 日本史からみた偉人たち
1913-1943を生きた愛知県出身の昭和を代表する児童文学作家の代表作は「ごん狐」、雑誌「赤い鳥」出身作家の一人であり、ごん狐は18歳時の作品。愛知県半田市名誉市民であり新美南吉記念館も同地に。
【文壇発見|新美南吉】平和を願ったごんぎつね
1893-1981を生きた新婦人協会創設者は日本のジェンダーダイバーシティの先駆け社会(婦人運動)活動を明治・大正・昭和の時代を越えて展開、男女平等、女性解放運動のために一生を捧げた。
【探究ネタ】「市川房枝」ジェンダーダイバーシティ先駆者 日本史からみた偉人たち
1889-1972を生きた愛知県出身の明治・大正・昭和を生きた奇術師は1920代にアメリカに渡り終戦を通り越し、30年あまりアメリカで活躍した奇術師。「Great Tenkai」と称されるほど抜群の世界的知名度を誇る。創作奇術を讃える最高の名誉石田天海賞は1968年から97年までの間19名が受賞されている。
【探究ネタ】「石田天海|Tenkai Ishida」奇跡のマジシャン
1870-1934を生きた愛知県出身の昭和初期を代表する名女方の一人は、明治、大正、昭和の三時代で活躍し活躍。 團菊左時代を築いた五代目尾上菊五郎にその才能を見出され養子になり、その後十五代目市村羽左衛門の相手役としてその名を響かた。
【芸能(歌舞伎)の部屋|尾上梅幸(六代目) Baiko Onoe Ⅵ」三時代を魅了した名女方
1899-1982を生きた愛知県出身の画家は岡田三郎助,辻永に師事し、従軍画家として戦地に赴いた。戦後は郷里の,辻永に師事し、従軍画家として戦地に赴いた。戦後派郷里の愛知県に戻り「バレリーナ」シリーズで一躍脚光を浴びる。その後の「舞妓」シリーズは鬼頭芸術の集大成となった。
【画家の部屋|鬼頭鍋三郎】「バレリーナ」そして「舞妓」シリーズでブレイク
1873-1957を生きた愛知県出身の復古大和絵の祖は近代日本画壇の巨匠、日本の自然をこよなく愛し14歳で京都の日本画家、望月玉泉(のちに円山派の幸野楳嶺)に師事し数多くの風景画を描く。
【画家の部屋|川合玉堂】まさに近代日本画の最高峰
1767-1823を生きた愛知県出身の復古大和絵の祖は幼少時は比叡山延暦寺で天台宗を学び古くからある習慣・風習・文化などに深く興味があり研究を重ねて、佐竹本三十六歌仙絵巻、伴大納言絵詞等の複数の模写を残すなど、平安時代の大和絵の復古を実現、復古大和絵の祖と評されます。
【画家の部屋|田中訥言 Totsugen Tanaka】絵師はやまと絵を復興へ
1905-1999を生きた愛知県出身の洋画家は1994年に女性洋画家として初めて文化功労者を受賞。一宮市三岸節子記念美術館でコレクションに出会えます。
【画家の部屋|三岸節子 Setsuko Migishi】 女性洋画家として初受賞はまさにジェンダーダイバーシティの先駆者
1901-1986を生きた愛知県出身の洋画家は半世紀にわたりフランスに暮らし、3歳年上の画家・佐伯祐三氏の影響を受け、貧しさの中、鋭いタッチで一心不乱にパリの街を描き続けた。パリ市長に“最もフランス的な日本人”と称され、フランスの最高勲章、レジオン・ド・ヌール勲章を受賞。
【画家の部屋|荻須高徳 Takanori Ogisu】 “最もフランス的な日本人”って言われちゃった
1852-1927を生きた愛知県出身の日本人女性3人目の公許女医(医師)は済生学舎に女子入学を許可させ、産科での貧窮者の無償施療、乳児院での無償の種痘治療などの慈善活動を生涯にわたり展開した。
【医学の部屋|高橋瑞子 Mizuko Takahashi】 日本女性医師3人目
1926-2020を生きた物理学者はニュートリノ天文学という新しい学問を切り開いた大型水チェレンコフ検出器による地下実験 Kamiokande を提案したのは1978年のこと、それから24年の時を経てノーベル物理学賞を受賞。
【物理学者の部屋|小柴昌俊】ニュートリノ観測成功
1803-1901を生きた愛知県出身の日本初の理学博士は幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者。日本初の理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。
【植物学者の部屋|伊藤圭介】雄しべ・雌しべ・花粉という言葉を創った男
1895-1989を生きた 愛知県出身の昭和を代表する哲学者はジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行う。法政大学総長を1962年より務める。詩人の谷川俊太郎は長男。
【哲学の部屋|谷川徹三】息子は谷川俊太郎
1863-1927を生きた愛知県出身の明治大正を代表する地理学者でありジャーナリストは当時としては数少ない世界旅行家として活動。日本人の景観美の意識変革に大きな役割を果たしたとされる著『日本風景論』を残した。
【地理学者の部屋|志賀重昴】日本の風景は世界でも群を抜いて美しい

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40福岡県
1893-1977を生きた経営者であり実業家。東京帝国大学法科大学経済学科を卒業後、三井銀行に入行。1921(大正10)年に欧米へ留学し、金融業界の視察を行う。帰国後、福岡銀行副頭取を経て、第一徴兵保険(後の東邦生命保険)の社長に就任。1953(昭和28)年には博多大丸の初代社長に就任し、福岡市の経済発展に大きく貢献した。浮世絵のコレクターとしても知られ、そのコレクションは太田記念美術館に所蔵されている。
【経営者の部屋|太田清蔵 (5代目)】昭和時代編.9New!!
27大阪府
1893-1986を生きた経営者であり実業家。小学校卒業後、新聞販売店を手伝い始め、新聞業界に興味を持つ。1922(大正11)年に「南大阪新聞」を創刊し成功を収める。1933(昭和8)年には「日本工業新聞」を創刊し、戦時中の新聞統合政策により「産業経済新聞」となった。戦後、公職追放を経て1950年に復帰し、産業経済新聞を全国紙に育て上げた。1957(昭和32)年には日本電波塔株式会社を設立し、東京タワーを建設に尽力した。
【経営者の部屋|前田久吉】昭和時代編.8

2024年パリ オリンピック、パラリンピック開催を記念して「いらすとすてーしょん」ではオリンピックに関連する偉人たちのイラストポートレートをお届けしました↓

いらすとすてーしょん新キャラクター

館長

2022年より"いらすとすてーしょん"にお立ち寄りいただきありがとうございます

館長

さて本年いらすとすてーしょんの新キャラクターが誕生しました

館長

シューちゃんです

シューちゃんはいらすとすてーしょんのキャラクターです
シューちゃん

シュー(Syu)です
よろしくね

館長

3年目を迎えた2024年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
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