柳川春三 Shunsan Yanagawa

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柳河春三】日本人初の新聞を創刊


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※柳川春三・日本人初の新聞を創刊はSyusuke Gallery


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柳河春三イラストポートレート(Syusuke Galleryより

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13東京都
1837-1884を生きた明治初期の自由民権派ジャーナリストは江戸末期徳川幕府の要職をつとめる。明治期に入り、政論を主とし、最も支持された有力紙朝野新聞社長となり主筆の末広鉄腸と共に藩閥政治と戦う。また晩年は大隈重信率いる立憲改進党に合流し、早稲田大学の前身である東京専門学校の運営にもあたった。
【ジャーナリストの部屋|成島柳北】新政府と戦う筆
17石川県
1873-1941を生きたジャーナリストは信濃毎日新聞社主筆を務めていた1912(大正元)年乃木希典将軍殉死を社説へ批判記事を書き当時大きな反響を呼んだ。また1933(昭和8)年東京防空演習に対して「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した同紙へ社説を書き不買運動につながる。現在、この防空脆弱指摘の見識は正しい批判であったと評価されている。
【ジャーナリストの部屋|桐生悠々】心眼の社説を書く主筆
28兵庫県
1882-1953を生きたジャーナリストであり作家は1907(明治40)年に都新聞社入社、花柳、演芸欄の担当記者として活躍。その後1925(大正14)年に江戸川乱歩らとグループ「二十一日会」を結成、翌1926(大正15)年「大衆文芸」を創刊し大衆文芸のジャンルを切り開く。その後1927(昭和2)年に休刊となるが1931(昭和6)年に復刊に尽力した。作家としては歴史小説、怪談物を得意とした。
【ジャーナリストの部屋|平山蘆江】大衆文芸の開拓者
44大分県
1881-1945を生きたジャーナリストの主な活躍拠点は中国で展開。新聞業界に入り、1906(明治39)年遼東新報従軍記者として中国大連に渡り中国国内を歴訪し中国社会研究に没頭。日華公論主筆や満鉄(南満州鉄道)嘱託など評論家として活躍した。その後満州評論を創刊し日本の大陸軍事侵攻を批判したことでも名を馳せている。
【ジャーナリストの部屋|橘 樸】中国社会に精通した従軍記者
42長崎県
1861-1926を生きたジャーナリストであり新聞小説家として活躍。医師である父の仕事で釜山に幾度もわたり朝鮮事情に精通するようになる。その後三菱を経て、新聞業界へ。1888(明治21)年東京朝日新聞社に入社後、同紙で「唖聾子」などを発表し小説記者の地位を築いた。その才能を師事した弟子に樋口一葉がいる。
【ジャーナリストの部屋|半井桃水】弟子は樋口一葉
33岡山県
1868-1933を生きた雑誌編集者は日本女性初のジャーナリスト、人権、女性教育問題に向き合う運動家でもあった。その後、文壇に上がり自伝的小説「こわれ指輪」は代表作となる。最後の小説となった移民問題は被差別部落問題をモチーフにし島崎藤村の破壊の原型とも位置付けられている。
【ジャーナリストの部屋|清水紫琴】女性初の主筆
23愛知県
1832-1870を生きた蘭学者でありジャーナリスト。蘭学は植物学者となる伊藤圭介に学び、その後英語、フランス語を学ぶ。江戸幕府開成所(洋学校)の教授職を務め外字新聞の翻訳にあたる。日本史上初の定期刊行雑誌「雑誌西洋」、また日本人による初の新聞「中外新聞」を創刊した。
【ジャーナリストの部屋|柳河春三】日本人初の新聞を創刊
44大分県
1852-1892を生きたジャーナリストであり政治家。大分県佐伯出身の先輩、矢野竜渓(大分県出身 1850-1931)のすゝめで上京し慶應義塾大学に進学、その才能を福澤諭吉塾祖に認められ大手新聞社に入社、その後主筆を務め自由民権を誌面で訴えた。母校出身者で結成する政談演説会で活動しその後大隈重信の結党する立憲改進党に加わり2期衆議院議員を務めた。
【ジャーナリストの部屋|藤田茂吉】早慶学祖に認められた男
38愛媛県
1849-1896を生きたジャーナリストであり政治家は自由民権を信条として執筆活動にあたるも当時の条例により2度の禁獄を経験、板垣退助率いる自由党へ入党、自由新聞の社説をした。その後1890(明治23)年の第1回衆議院選挙に愛媛県より出馬当選し政治家としての人生を歩む。また政治小説を通じて写実文学者としても活躍した。
【ジャーナリストの部屋|末広鉄腸】気骨の筆で近代日本に挑む人生
13東京都
1909-1973を生きたジャーナリストは菊池寛が創立した文藝春秋社に第一期生として入社、戦後は編集局長として切り開いた分野は現在の文春のスタイルを確立したとされている。同社3代目社長としても経営手腕を発揮した。
【ジャーナリストの部屋|池島信平】文藝春秋社第一期生
13東京都
1901-1944を生きたジャーナリストは生後多くを過ごした台湾で異文化を体感し、その後東京帝国大学を卒業後、中国に渡りさらにその認識を深めた。その頃魯迅、スメドレーに出会い、そのスメドレー女史を通じてゾルゲに出会う。深刻化する日ソ開戦回避に努力するもソビエト連邦のスパイとして位置付けられ反戦行動弾圧のため1944年処刑される。 獄中で家族に綴った手紙は戦後「愛情はふる星のごとく」として出版され多くの反響を呼ぶ。
【ジャーナリストの部屋|尾崎秀実】ソ連のスパイ?それとも反戦主義者?
02青森県
1857-1907を生きたジャーナリストはナショナリズムを掲げ日本新聞を創業。ヤンチャ坊主は正岡子規より生涯の恩人と称えられた。
【ジャーナリストの部屋|陸 羯南】正岡子規生涯の恩人
39高知県
1871-1911を生きた明治期のジャーナリストは萬朝報誌面を通じて政治批判で真っ向勝負。一方社会主義者としての活動が大逆事件を引き起こした。
【探究ネタ】「幸徳秋水」死せるジャーナリストは国をも動かす 日本史からみた偉人たち
10群馬県
1878-1938を生きた講談社創業者は剣道を愛し、そして南総里見八犬伝を座右の書をして雑誌王と呼ばれるまでに至る。
【研究ネタ】「野間清治」雑誌王はワシ 日本史からみた偉人たち
39高知県
1862-1920を生きた新聞記者であり、小説家であり、創刊した「満朝報」で明治期の新聞王まで上り詰めたマルチタレント
【ジャーナリストの部屋|黒岩涙香】3面記事を創った男
37香川県
1867-1955を生きた人生は4度の入獄と 29 回までにわたる罰金・発禁を経験した権力の腐敗を言論の自由によって追求したジャーナリスト。大正の三奇才兼三奇人の一人と称される
【探究ネタ】「宮武外骨」東大に明治文庫?を創った男 日本史からみた偉人たち
28兵庫県
1878-1961年を生きた平凡社の創業者は近代日本初のポケット事典を出版。教育者としての大きな器と平和を願う情熱の人生
【探究ネタ】「下中弥三郎」名前は平凡だけど非凡です 日本史からみた偉人たち
28兵庫県
1878-1932年を生きた大正初期のベストセラー猿飛佐助を出版し一世を風靡した立川文庫の創業者
【探究ネタ】「立川熊次郎」大正の文庫王と言えばワシ 日本史からみた偉人たち
43熊本県
1863-1957を生きたジャーナリストであり日本を代表する思想家の一人、近世日本国民史は戦国時代から西南の役にいたる歴史書はいまも高く評価されている。
【ジャーナリストの部屋|徳富蘇峰】 第二の福沢なり、第二の新島に非ず
26京都府
1907-1978を生きた京都府出身の戦後を代表する文芸評論家は戦後間も無く話題作となる「島崎藤村」を刊行。それ以降“政治と文学論争”、“芸術と実生活”“純文学論争”などを展開し、独特の評論をする。1955年から「毎日新聞」文芸時評を担当。明治大学教授も歴任した。
【ジャーナリストの部屋|平野 謙 】この人にかかったら… 文芸評論家
23愛知県
1863-1927を生きた愛知県出身の明治大正を代表する地理学者でありジャーナリストは当時としては数少ない世界旅行家として活動。日本人の景観美の意識変革に大きな役割を果たしたとされる著『日本風景論』を残した。
【地理学者の部屋|志賀重昴】日本の風景は世界でも群を抜いて美しい

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