儒学・国学の部屋 Confucianism and Kokugaku

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24三重県
1730-1801を生きた国学者であり医師。母の勧めもあり京都にて堀 影山(1688-1757)に師事し国学や医術を学び、1758年10月に故郷の三重松坂に帰郷し本居春庵医院を開業。その後、賀茂真淵に師事し源氏物語や古事記など日本古典を通じて古代の思想・文化研究を行なった。国学の大成を成し遂げたとされ、国学四大人に数えられる。
【国学者|本居宣長 Norinaga Motoori】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
26京都府
1669-1736を生きた国学の祖は稲荷神官の子として和学をはじめとする古典・国史研究の環境に育ち、学びを深め国学の分野を確立。その成果を当時、儒学のみであった江戸幕府に国学の必要性を訴え、その後発展を遂げていく。
【国学者|荷田春満 Azumamaro Kadano】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
22静岡県
1697-1769を生きた国学者は、31歳で荷田春満に入門、万葉集の研究に没頭し万葉考を編纂。そこには賀茂真淵の万葉集に対する世界観も記されている。田安(宗武)家の和学御用でもあった。化政期の国学四大人(しうし)の一人(荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤)。
【国学者|賀茂真淵 Mabuchi Kamono】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
26京都府
1583-1657を生きた日本朱子学の祖は、儒学の祖藤原惺窩を師事しその才能を開化、師の薦めにより徳川家康より4代家綱まで将軍に仕え侍講(君主の学問教育)となる。
【儒学・朱子学|林 羅山 Razan Hayashi】日本朱子学の祖
28兵庫県
1561-1619を生きた藤原定家を先祖に持ち、禅僧の教養であった儒学を体系化、京学派(日本儒学)の祖となる。江戸幕府を開いた徳川家康にその儒学を説き、弟子であった林羅山を推挙し、その後の幕府の官学イコール朱子学と進化していく。
【儒学・京学派|藤原惺窩 Seika Fujiwara】京学派(日本儒学)の祖
07福島県
1622-1685を生きた儒学者は、江戸時代における武士の生き様(ふるまい・在り方)を追求し士道を示す。その後、徳川幕府の官学である朱子学に疑問を持ち、儒教そのものの教えに立ち返るとした古学を提唱。このことから古学の祖とされる。
【儒学・古学|山鹿素行 Soko Yamaga】古学の祖
25滋賀県
1608-1648を生きた儒学者。儒道と士道は同じ道と独学で学びを深めた。朱子学を当時の社会に適応させるべく、王陽明全書を読破し、その思想を開化し陽明医学の実践法の一つとする「致良知説」に傾倒した。そして自ら私塾を開き、その学問を極め日本陽明学の祖とされる。多くの医書も残し、その医術を学ぶために藤樹のもとに留学を希望するものは絶えなかったとされる。
【儒学・陽明学|中江藤樹 Tozyu Nakae】日本陽明学の祖
05秋田県
1776-1843を生きた国学者であり医師。秋田藩を脱藩し裸一貫で江戸に出て、最新の学問を苦学で身につけた。1805年本居宣長の嫡子春庭の門下となり1807年に現在の東京京橋にて玄瑞医院を開設。その約2年後には医院を閉鎖。この間に傷寒雑病論解、医道大意(志都能石屋)を著し、医術に深く関わっていたと考えられている。医業を辞めたあとも診察を望む患者は絶えなかったとされる。 国学四大人の一人。
【国学者|平田篤胤 Atsutane Hirata】化政期の国学四大人(こくがくしうし)の一人
21岐阜県
1768-1841を生きた岐阜県出身の江戸後期を代表する儒学者は25歳の時、林錦峯(林羅山から続く幕府儒官の7代目)の養子となって林家を継ぎ、幕府の文書行政の中枢として幕政に関与する。 文化年間における朝鮮通信使の応接を対馬国で行う聘礼の改革にも関与。
【儒学・朱子学|林 述斎 Jyusai Hayashi】武士の最高学府「昌平坂学問所」学長
23愛知県
1728-1801を愛知県出身の儒学者は尾張藩藩校明倫堂督学であり、名君とたたえられた米沢藩主の上杉治憲(鷹山)の師として活躍。この甲斐あり米沢藩は財政再建を成し遂げる。今もなお出身地の東海市キャラクター「へいしゅうくん」で存在感を放っている。
【儒学・折衷学派|細井平洲】藩士のみならず町民にも説く教育者

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26京都府
1285-1308を生きた政治家(第94代天皇)。後宇多天皇の第一皇子(大覚寺統)として生まれ、1301年に17歳で即位。久方ぶりに実現した大覚寺統の天皇として、一門の期待を一身に背負う存在であった。在位中は父・後宇多院の院政下で比較的安定した政務が行われ、持明院統との「交互即位(両統迭立)」という危うい均衡が、かろうじて保たれた時代を象徴する。しかし、その治世はわずか7年、24歳(満23歳)という若さでの崩御により唐突に幕を下ろした。 この早すぎる死は、大覚寺統内に深刻な後継者問題を引き起こし、のちに倒幕へと突き進む弟・後醍醐天皇の運命を大きく狂わせる分岐点となった。短命ながらも、両統迭立体制の「平衡」を身をもって示した天皇である。
【政治の部屋|後二条天皇】鎌倉時代編.27New!!
26京都府
1288-1336を生きた政治家(第93代天皇)。伏見天皇の皇子として生まれ、1298年、わずか11歳で即位。持明院統の正統を継ぐ存在として、両統対立がすでに避けがたい政治状況の中、幼くして皇位に立たされる。在位はわずか三年にとどまり、鎌倉幕府の裁定により大覚寺統の後二条天皇へ譲位を余儀なくされた。その後は長い院政期を過ごし、自らは前面に立たず、持明院統という「家系」そのものの存続と地位確立に力を注いだ。「皇位を交互に継ぐ」という不安定な仕組みを現実として受け入れ、それを統の存続を最優先するための政治的手段へと転化していく。その姿は、花園天皇、さらには光厳天皇へと皇統を繋ぐ基盤が整えられた。激しく主導権を争うのではなく、忍耐と調整によって「統」を守り抜いたその歩みは、両統迭立という過渡期を成立させた静かな要石として位置づけられる。後伏見天皇は、分裂の時代を「耐え、保つ」ことを選び続けた天皇であった。
【政治の部屋|後伏見天皇】鎌倉時代編.26
シューちゃん

シュー(Syu)です
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館長

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