前田青邨 Seison Maeda

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【3分でわかる|前田青邨】


洞窟の頼朝と礼拝堂の壁画~鎌倉殿の


13人放送記念~
をお楽しみください

前田青邨、洞窟の頼朝を描く


までの物語

前田青邨登場

せいそん

岐阜県中津川出身「前田青邨


(せいそん」やお
本名は…前田廉造です
ここで生まれました

せいそん

あれっ、これっていま話題沸騰のNHK


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と、


どう繋がるの??…と思ったそこのYou!

せいそん

まぁ、お付き合いください

せいそん

私は1885年小売店を営む次男として


生まれました
幼い頃からとても絵を描くのが好きで、地元では高評判だったんやおね

せいそん

それが功を奏して、16歳で当時人気


絶頂であった日本画家「梶田半古」


巨匠に弟子入りのため上京!

せいそん

翌年には半古師匠から「青邨」の


雅号を貰ったん
「せ・い・そ・ん」いい響きやおね!

せいそん

そしてそして日本絵画協会へ初入選も


果たしたやお

小林古径登場

こけい

私は青邨の2つ上の兄弟子


「小林古径」さ
「こ・ば・や・し・こ・け・い」

1883-1957を生きた新潟県出身の日本画家は日本画における線を追求し続けた画壇であり、日本画における新古典主義のジャンルを同年代の安田靱彦、前田青邨ら(院展三羽烏)と共に先輩格としてリードした。特に師の梶田半古で学んだ兄弟弟子前田青邨とは歴史画分野でその名を轟かす。
【画家の部屋| 小林古径】院展の三羽烏の一人
せいそん

こけい先輩!もう少しお待ち


ください!!
この頃の私は大和絵を思いっきり勉強


して、特に力を入れたのは歴史画、


肖像画や花鳥画

せいそん

ちなみにこれは晩年の作ですが…

バチカン美術館より
天正貴婦人像1974年作
(細川ガラシア婦人蔵)
メナード美術館より
紅白梅1960年作
せいそん

でもこの頃から伝統を重んじていた


日本画に、西洋画の精密描写からなる


写実や華麗な色彩表現を取り入れよう


とする動きが東京美術学校(現東京


藝術大学
)を中心として活発に


なってきたからややこしくなるんやお

菱田春草登場

しゅんそう

わたしもこの渦中、東京美術学校で


卒業制作に取り組んでいたずら

しゅんそう
せいそん

おっ!長野県飯田市が育んだ日本


画家の「菱田春草」大先輩!!
美大を首席で卒業とはすごいやお

こけい

せいそん!
そろそろ登場してもいいさね…

せいそん

古径先輩、お待たせしました
当時わたしは、西洋画の台頭で伝統


的な日本画家から洋画家に転身しよう


かと、本気で悩んだんですやお

せいそん

でも思いとどまったというよりは…
先輩とご一緒した、あの…

前田青邨と小林古径は視察で渡欧

こけい

時は1922年10月、私たちが所属する


日本美術院」の創立25周年記念


事業だったさ

せいそん

そうやお、そうやお!

こけい

この事業で私と視察に渡欧したんさね

イタリアで見たものとは!?

こけい

その時さ
確か…イタリア滞在中のあの礼拝堂


だったさね

せいそん

スクロヴェーニ礼拝堂やお
そこで見たフレスコ壁画

ジョット登場

ジョット
せいそん

これは、これは、後期ゴシックの偉大


な巨匠!そして西洋絵画の父


「ジョット・ディ・ボンドーネ」画伯

場所はスクロヴェーニ礼拝堂

ジョット

1305年完成したイタリアパドヴァ、


スクロヴェーニ礼拝堂の私の描いた


装飾画を見てくれてグラッチェ

ジョット

聖母マリアとイエス・キリストの生涯をフレスコ画で表現したもので、後世では「初期ルネサンス絵画最高傑作のひとつ」なんて評価されている


グラッチェ

せいそん

わたしはこの壁画を見て腹を


決めました

こけい

あのときの青邨の目は輝いていた!


と思ったさ

せいそん

前田青邨、日本画、西洋画、に捉わ


れず、私自身が描きたいものを描く!


…と。心に刻んだんやお

ジョット

ちなみに…どのあたりを評価されたのチャオ?

せいそん

人格高潔、人々の模範となるような


聖人を、いち個人(一般人?)として


表現の豊かさや空間(立体)表現で


描いているところやお

こけい

それって、晩年にそなたの残した言葉
「歴史といふものに対して積極的な


興味を感ずるといふ事」につながって


いるのかさ?

せいそん

それは、わたしの帰国後の作品を見ていただいて評価してほしいやお

ジョット

なるほど…

せいそん

プレーゴ

ジョット

ところで、そんな私のこの作品に日本で出会えるって聞いたけど

せいそん

ちょっと、ちょっと、ジョットさん。その前に私の話をもう少し聞いてやお

せいそん

それからイギリスにも立ち寄って大英博物館で依頼の仕事を古径先輩と取り組んで帰国したんやお

青邨、洞窟の頼朝完成させる

せいそん

帰国後、時を経て昭和に入り1929年(昭和4年)完成させた「洞窟の


頼朝」を再興16回院展に出展、そして


映えある第一回朝日文化賞を受賞


できたやお

こけい

努力の賜物さ

しゅんそう

わたしは36歳で早世してしまいましたが、私の母校の教授になられて後進の育成にあたられたのですね

せいそん

「洞窟の頼朝」がまさに転機になった
これも礼拝堂の壁画で開眼できたからやお!

日本でもジョットの作品に会える!?

ジョット

それで私の作品の日本で出会える


話は??

せいそん

おっと、そうだったやお

せいそん

それは徳島県が誇る大企業「大塚


グループ
」創立75周年記念事業で


設立した「大塚国際美術館」やお

ジョット

わざわざイタリアから持ってきたの?泥棒!?

せいそん

そんなことはあらすか
「大塚国際美術館」の職人さんが綿密に現地調査を経て壁画を陶板に置き


換え「もうひとつのスクロヴェーニ


礼拝堂」を作り上げたんやお

ジョット

なるほど!

ジョット

そんなこともあろうかと…
こんな記事をみつけました

もうひとつのスクロヴェーニ


礼拝堂
前編

もうひとつのスクロヴェーニ


礼拝堂
後編

イタリアまで行かなくても雰囲気


味わえるのはすごい!

エンディング

せいそん

当時は長旅でした

そして「鎌倉殿の13人」の


おかげで「洞窟の頼朝」にもスポット


ライトが少し当たって、わっちも少し


嬉しいやお

せいそん

ここまで付き合ってくれて嬉しいやお
きのどく、うたて〜

せいそん

よかったらYouTubeも作成したので


見てほしいやお!

3分でわかる洞窟の頼朝と


礼拝堂の壁画「前田青邨」

※当内容は2022年3月14日にYouTubeへアップした内容を 一部修正しお届けさせていただいております。

今回の登場人物


イラストポートレート


Syusuke Galleryより

15新潟県
1883-1957を生きた新潟県出身の日本画家は日本画における線を追求し続けた画壇であり、日本画における新古典主義のジャンルを同年代の安田靱彦、前田青邨ら(院展三羽烏)と共に先輩格としてリードした。特に師の梶田半古で学んだ兄弟弟子前田青邨とは歴史画分野でその名を轟かす。
【画家の部屋| 小林古径】院展の三羽烏の一人
21岐阜県
1885-1977を生きた岐阜県出身の近代日本を代表する日本画家。代表作のひとつ「洞窟の頼朝」は日本画家として復活を遂げた作品。
【画家の部屋|前田青邨】「洞窟の頼朝」描いた武者絵の最高峰
0039イタリア共和国出身
1267-1337を生きたイタリア出身画家は黎明期イタリア・ルネサンスの先駆者であるジョットの代表作はスクロヴェーニ礼拝堂へフレスコ画で聖母の生涯とキリストの生涯の循環を描いている。
【画家の部屋|ジョット】前田青邨の筆を動かした西洋絵画の父
20長野県
1874−1911を生きた長野県飯田市出身の日本画家は横山大観、下村観山とともに岡倉天心の門下で、明治期の日本画の革新に貢献。数々の日本絵画の伝統と西洋絵画技法を融合する新たな日本画を残すも持病により36歳で早逝。
【画家の部屋|菱田春草】反戦のオモイは「寡婦と孤児」

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画家・新着偉人(It's New)

28兵庫県
1754-1799を生きた絵師。山城淀藩の武士上杉和左衛門の子として生まれ、長沢氏を嗣いだとされる。その後、円山応挙に絵を学び高弟としてその才能を開花させたが、機知に富んだモチーフや奔放な筆墨使いによる作風は独創的で異彩を放った。46歳でその生涯を大阪で閉じたがその死は謎に包まれている。
【画家の部屋|長沢蘆雪】応挙師匠の真逆を貫く奇才New!!
26京都府
1733-1795を生きた絵師。狩野探幽の流れをくむ鶴沢派、石田幽汀の門下となり、その後出会う西洋画に魅せられ写実に傾倒した。その新しい写実に溢れた画風は京都の商人の目にとまり発展。多くの門下生が加わり円山派が形成される。この円山派で学び呉春の形成した四条派と併せて円山四条派と呼称される。
【画家の部屋|円山応挙】円山派の祖New!!
26京都府
1607-1650を生きた絵師。狩野孝信の次男で探幽の弟は、兄探幽の築いた奥絵師の木挽(竹川)町家初代となり、絵の作成、修理、鑑定、教育、後継者育成といった江戸幕府における画壇の中心的な役割を担った。
【画家の部屋|狩野尚信】奥絵師木挽町家初代New!!
26京都府
1602-1674を生きた絵師。徳川政権樹立以降、それまで活動していた京から江戸に活動の拠点を移し江戸狩野を創始。狩野派を象徴す祖父でもあった永徳の大画様式から一転し、余白を生かした瀟洒で端正な新様式で江戸狩野様式を確立。それ以後の江戸狩野派の規範として受け継がれていく。また幕府の権力機構に相応して派の組織改革にの臨み、奥絵師を頂点に、表絵師、諸大名のお抱え絵師、町狩野と階層組織ををつくり、幕府内での狩野派の地位を不動のものとした。
【画家の部屋|狩野探幽】江戸狩野の祖New!!
25滋賀県
1559-1635を生きた武士から転身した絵師。豊臣秀吉に仕え、狩野永徳門下に入り高弟として師の筆を受け継ぎ狩野派の後継者として活躍。徳川政権に入り不遇な時を過ごすも、宗家は江戸に移り京に残った山楽は京狩野の祖となる。
【画家の部屋|狩野山楽】京狩野の祖New!!
26京都府
1519-1592を生きた漢画絵師。狩野派二代目狩野元信の三男は、兄 祐雪,秀頼の早世により家督を継承。1563(永禄6)年「涅槃図(大徳寺)」1566(永禄9)年に長男 永徳と共に制作した「山水図、虎豹猿図、四季花鳥図屛風(大徳寺聚光院)」を描いた。父 元信の筆を引き継ぎ、それをさらに平明化し,その作品は柔らく優しさを感じさせるタッチで描かれている。
【画家の部屋|狩野松栄】狩野永徳の父New!!
33岡山県
1420-1506を生きた画僧。1430(永享2)年相国寺住持、春林周藤に禅を、天章周文に絵を師事。その後、水墨画の勉強のため渡明を熱望し周防国大内家を頼り山口に赴く。その甲斐あり遣明船で入明を果たし、大陸美術を学ぶ。帰国後は晩年まで水墨山水画に取り組み、日本美術史においてその名を刻んだ。
【画家の部屋|雪舟等楊】水墨山水画の祖New!!
28兵庫県
1352-1431を生きた画僧。東福寺で修行を行い、安土桃山時代に全盛期を迎える宗元画をかなり早い時期に学んだとされる。道釈人物画を得意とした。また自画像を書いたとされ、日本における自画像のパイオニア的存在でもある。
【画家の部屋|吉山明兆】日本における自画像の祖?
0033フランス共和国出身
1863-1899を生きた、甘美なタッチに淡い光、屋外で描き、絵の具はキャンパス上で筆触分割を用い、日本美術の影響を受けた19世紀後半に登場した印象派。留学先の英国でロマン主義の風景画家ターナーらに倣い、その後第一回印象派展に参加。印象派風景画の代表画家となる。
【画家の部屋|アルフレッド・シスレー】印象派風景画の最高峰
0033フランス共和国出身
1832-1883を生きた、甘美なタッチに淡い光、屋外で描き、絵の具はキャンパス上で筆触分割を用い、日本美術の影響を受けた19世紀後半に登場した印象派。その印象派の原点を作り上げた。
【画家の部屋|エドゥアール・マネ】印象派の先駆者
0033フランス共和国出身
1868-1940を生きた、時は印象派(前)台頭時代、眼には見えない表現を目指した象徴主義美術。その中でポール・セリュジエ(1846-1927)のらと共にナビ派を結成。日常生活をモチーフにした繊細なタッチの作風を数多く残した。
【画家の部屋|エドゥアール・ヴュイヤール】私も象徴主義ナビ派
0044英国出身
1829-1896を生きた、時は印象派(前)台頭時代、光の中の温かみあるタッチに背を向けラファエロ以前のイタリア初期絵画へ古典回帰を目指した象徴主義(ラファエロ前派)を示した一人。その作風は写実生と高貴に満ちている。
【画家の部屋|ジョン・エヴァレット・ミレー】英国のミレーは象徴主義
0033フランス共和国出身
1867-1947を生きた、時は19世紀も写実主義台頭時代、眼には見えない表現を目指した象徴主義美術。その中でもポール・セリュジエ(1846-1927)のらと共にナビ派を結成。光の中の温かみのあるタッチではなく、色彩に重みを持つ方向を示した象徴主義の一つの派とした作風を残した。日本美術の中でも浮世絵に大きな影響を受けた一人でもある。
【画家の部屋|ピエール・ボナール】象徴主義ナビ派の豊かな色彩
0033フランス共和国出身
1848-1903を生きた印象派の流れを汲み誕生した新印象派と後期印象派、その後期印象派とカテゴライズされる強力な個性を発揮した3巨匠、セザンヌ、ゴッホ、そしてゴーガン。その経歴は船乗り、サラリーマン、そしてピサロとの出会いで印象派に傾くも象徴主義を彷彿させる作品も手掛ける。文明に背を向けフランス領であったタヒチで新たな画家人を送る。
【画家の部屋|ポール・ゴーガン】後期印象派3大巨匠の一人
0033フランス共和国出身
1826-1898を生きた時は印象派(前)台頭時代、光の中の温かみのあるタッチに背を向けて、古典回帰を彷彿させるような宗教的題材に丁寧な線と色彩で光を当てる作風を示し、理念や感情を表現した象徴主義を方向付けた。後にフォーヴィスムと呼ばれる野獣派を牽引するマティス、ルオーらを指導したことでも名を残している。
【画家の部屋|ギュスターヴ・モロー】野獣派を育てた象徴主義の巨匠
0033フランス共和国出身
1732-1806を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでロココ美術のトリを飾った画家は、風景画で脚光を浴びイタリア、そしてオランダ画家との共鳴を得た。その後風俗画にシフトすると、画壇からは遠ざかりフランス革命を契機にロココ美術と画家としての人生に終焉が訪れる。
【画家の部屋|ジャン・オノレ・フラゴナール】ロココの大トリ
0033フランス共和国出身
1699-1779を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでロココ美術の最盛期に活躍した画家は、日常生活に着目し静物画を中心に描き、その後風俗画で人気を集めた。歴史画優位の時代に風俗画で認められた画壇でもあった。またウサギをモチーフにした作品を多く残していることから動物への関心の高さを感じる。
【画家の部屋|ジャン・シメオン・シャルダン】ロココで静物画!?風俗画!?
0033フランス共和国出身
1684-1721を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでロココ美術の最盛期に活躍した画家は、The Embarkation for Cythera(シテールの乗船)でフランス王立絵画彫刻アカデミー会員、その後Maître des fêtes galantes(雅宴画家)として一躍注目を集め、フランス絵画の父として称されている。
【画家の部屋|アントワーヌ・ヴァトー】ロココ雅宴画巨匠
0033フランス共和国出身
1808-1879を生きたフランス革命(加えて産業革命)によって終焉を迎えたロココ美術から現実に目を向けた社会意識の高まりにより、フランスを中心として写実主義が台頭、その写実主義を牽引した画家はリトグラム(石版画)のスキルを身につけ、その後風刺画の人気作家となり、パリの日常をありのままに伝える。版画のみならず彫刻、絵画(油絵)を残すも生前に発表されるものは少なく後世に評価された画家の一人。
【画家の部屋|オノレ・ドーミエ】人気風刺画家は今では美の巨匠
0033フランス共和国出身
1819-1877を生きたフランス革命(加えて産業革命)によって終焉を迎えたロココ美術から現実に目を向けた社会意識の高まりにより、フランスを中心として写実主義が台頭、その写実主義を牽引した画家。当時歴史画は高貴なものを題材にする常識を出身地の村を題材にそこに生きる人々を忠実に写実した作品を数々発表。固定概念を覆す革新を巻き起こす。
【画家の部屋|ギュスターヴ・クールベ】固定概念を変えたモチーフ
0033フランス共和国出身
1791-1824を生きた産業革命、そしてフランス革命とヨーロッパに影響を及した二つの革命は絵画界にもロマン主義美術をもたらし、そのフランスにおけるロマン主義の先駆けとなった画家。軍事に関心が高かったとされ、1819年に発表したThe Raft of the Medusa (メデューズ号の筏)は現実に目を背けない話題画の先駆けとなる。事故により32歳にて早世。
【画家の部屋|テオドール・ジェリコー】馬を愛したロマン主義
0033フランス共和国出身
1780-1867を生きたロココ美術最盛期に登場した古典美術回帰を目指す新古典主義の象徴ダヴィットの後継者として託された画家、それ以前はイタリア留学時自由な表現を好むロマン主義に傾倒していたことから、その幅広い美術に関心が高かったことが伺える。
【画家の部屋|ドミニク・アングル】新古典主義の後継者
0033フランス共和国出身
1703-1770を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでコロロ美術をリードした画家は、国王首席画家となりフランス王立絵画彫刻アカデミー院長の要職を務めた。軽やかな色彩、緩やかな線、甘美な作品を数々残した。
【画家の部屋|フランソワ・ブーシェ】ロココ美術の巨匠
0033フランス共和国出身
1600-1682を生きたバロック美術画家はそのほとんどの生涯をイタリアローマで過ごし数々の名作を残す。バロック美術の特徴である光の対比を見事に操る風景画でイタリアから発信されたバロック美術の中心人物となり、後のイギリスを中心としたロマン主義に影響を与えたとされる。
【画家の部屋|クロード・ロラン】バロック光の明暗使いの申し子
0043オーストリア共和国出身
1862-1918を生きた画家は古典・伝統を重んじる1868年創設されたオーストリア最古の芸術家団体オーストリア芸術家連盟より、新たなスタイルを求め分ウィーン分離派団体を立ち上げ初代理事長として活躍。現在もオーストリアを代表する芸術家三団体の一つ。
【画家の部屋|グスタフ・クリムト】シーレの良き理解者
0043オーストリア共和国出身
1890-1918を生きた画家はウィーン出身先輩画家ダスタフ・クリムトにその才能を見出され、共にウィーン分離派を形成し数々の作品を発表。スペイン風邪により28歳で早世。 オーストリアアートコレクターであるルドルフ・レオポルドは1950年代にシーレ、クリムトらの作品を主に収集し、現在レオポルド美術館には最大のシーレ作品コレクションを誇っています。
【画家の部屋|エゴン・シーレ】素描の天才は超個性派
26京都府
1888-1955を生きた京都府出身の画家は時は昭和初期、洋画界の一時代を築いた二人の天才画壇、梅原龍三郎と安井曾太郎。具象画の登竜門「安井賞展」の生みの親でありデッサンの神様のそのスタイルは「安井様式」独自の表現方法を確立した。
【画家の部屋|安井曾太郎】素描の天才・デッサンの神様
27大阪府
1898-1928を生きた大阪府出身、30歳と早逝した日本洋画家は大阪で育ち、東京で学び、そしてフランスパリでその才能を開花させる。大阪中之島美術館にはその佐伯画伯の作品を数多く所蔵、そして東京新宿にはアトリエ記念館があります。 2023年生誕125を迎えるにあたり、東京、大阪で特別展が開催されます。
【画家の部屋|佐伯祐三 Yuzo Saeki】日本洋画家界の若大将
20長野県
1897-1987を生きた長野県出身の洋画家は父親の意とは反し、進学した慶應義塾大学を中退し日本洋画界の巨匠、藤島武二に師事し、その後父親の親交のあった島崎藤村のすすめで渡仏を果たす。シリーズ化した浅間山や白鷺(姫路)城をモチーフとした作品群は小山敬三の代名詞となる。
【画家の部屋|小山敬三 Keizo Koyama】小諸が誇る浅間山に魅せられた洋画家の巨匠
13東京都
1894-1935を生きた東京都出身の日本画家は40歳と早逝した日本画家は二十代前半で横山大観、小林古径といった日本画界の巨匠の目に止まり古来の日本画技法を基軸として、最新の技法を取り入れ日本画壇に新しい息吹を吹き込む。東京渋谷の山種美術館は速水画伯の最大コレクションを誇り、最高傑作と名高い「炎舞」を鑑賞できます。
【画家の部屋|速水御舟 Gyoshū Hayami】細密描写の日本画巨匠
15新潟県
1883-1957を生きた新潟県出身の日本画家は日本画における線を追求し続けた画壇であり、日本画における新古典主義のジャンルを同年代の安田靱彦、前田青邨ら(院展三羽烏)と共に先輩格としてリードした。特に師の梶田半古で学んだ兄弟弟子前田青邨とは歴史画分野でその名を轟かす。
【画家の部屋| 小林古径】院展の三羽烏の一人
13東京都
1884-1978を生きた東京都出身の日本画家は古来の大和絵技法を世襲し、それをさらに発展させ、小林古径、前田青邨と並び称される新古典主義日本画の時代を築いた。
【画家の部屋|安田靫彦】院展の三羽烏の一人
0033フランス共和国出身
1840-1926を生きた画家の代表作「印象・日の出」を出展し印象派のジャンルを切り拓く。晩年の大作「睡蓮」は白内障の手術を乗り越えて制作。
【画家の部屋|Claude Monet クロード・モネ】約250作品!?ジヴェルニー自宅の睡蓮を描く・印象派シリーズ⑤
0033フランス共和国出身
1834-1917を生きた画家はバレエを愛しオペラ座の舞台裏の作品を多く手掛ける。クロード・モネとの親交から印象派展に数々の作品を発表していることから印象派に位置付けられている。
【画家の部屋|Edgar Degas エドガー・ドガ】この透明感、この脈動感、ホントは写実主義なんじゃないの!?・印象派シリーズ④
0001アメリカ合衆国出身
1844-1926を生きた画家は、渡欧し数々の美術館で絵画を独学し学ぶ。そしてカミーユ・ピサロに師事し、ドガとの親交も相待って印象派展に出品し、アメリカに印象派を広める。
【画家の部屋|Mary Cassatt メアリー・カサット】印象派三代貴婦人の一人は女性を最も輝かせる作風・印象派シリーズ③
0045デンマーク王国出身
1830-1903を生きた画家はクロード・モネらと共に印象派を立ち上げ長老の立場からグループの父親的存在に、その後後期印象派と呼ばれるジャンルを開拓し、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらに影響力を与える。
【画家の部屋|Camille Pissarro カミーユ・ピサロ】全8度の印象派展をコンプリートした父親的存在・印象派シリーズ②
0033フランス共和国出身
1841-1919を生きた画家はモネ、ピサロと共に、忠実な写実主義が重視されていた時代に、印象派という新たなジャンルに挑む。このような時代であったので大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」発表当時は評価されていなかった。
【画家の部屋|ルノワール】畑の中のダンスホール「 Bal du moulin de la Galette」を描きました
26京都府
1875-1949を生きた京都府出身の日本画家は明治の女性が画家を志すなど、世間で認められる時代ではなかったが、母仲子は松園の画家としての才能を理解し支え続けた。1948年女性初めての文化勲章を受章。息子に日本画家の上村松篁。
【画家の部屋|上村松園 Shoen Uemura】西の美人画家代表
13東京都
1909-1993を生きた東京美術学校(現東京藝術大学)卒の日本画家。日展三山の一人の長女は三島由紀夫と結婚。
【画家の部屋|杉山 寧 Yasushi Sugiyama】完全主義貫く日展三山の一人
14神奈川県
創業76年を迎える栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
【コラボ記念|東山魁夷 Kaii Higashiyama】7月推し偉人 栄光社×Syusuke Gallery
44大分県
1912-2007を生きた東京美術学校(現東京藝術大学)を首席で卒業、その後迷える筆はポール・ゴーガンの伝記に出会い画壇の地位を踏み固めた日本画家
【画家の部屋|高山辰雄 Tatsuo Takayama】ゴーガンで再起した日展三山の一人
20長野県
1874−1911を生きた長野県飯田市出身の日本画家は横山大観、下村観山とともに岡倉天心の門下で、明治期の日本画の革新に貢献。数々の日本絵画の伝統と西洋絵画技法を融合する新たな日本画を残すも持病により36歳で早逝。
【画家の部屋|菱田春草】反戦のオモイは「寡婦と孤児」
18福井県
1918-1974を生きた福井県出身の画家、絵本作家はいまも愛され続ける「いわさきちひろ」画伯。生涯「子ども」をテーマに描き続け「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」と願い続けた思いが、いまの世界に届くことを祈って。
【画家の部屋|いわさきちひろ Chihiro Iwasaki】練馬でも安曇野でも「IWASAKI CHIHIRO」
14神奈川県
1908-1999を生きた神奈川県出身の日本画家は昭和を代表する日本画家の一人で、風景画の分野では国民的画家といわれる。大正15年東京美術学校日本画科の一年生のとき、友人と木曽川沿いに天幕を背負って旅行をしたことがきっかけで信州愛を育む。
【画家の部屋|東山魁夷 Kaii Higashiyama】木曽川を愛し、そして景色と対話を重ねた日展三山の一人
13東京都
1893-1991を生きた東京都出身の日本画を主軸とした芸術家は岸田劉生にその才能が目に留まり21歳で画家を志し、油絵のみならず、書・彫刻・陶芸・詩・随筆と多彩な芸術を生み出す。1949年から神奈川県真鶴町にアトリエを構え活動の拠点とした。
【画家の部屋|中川一政 Kazumasa Nakagawa】真鶴半島を愛した多彩なタッチ
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中川一政美術館Nakagawa Kazumasa Museum入館チケット
【Syusuke Museumへようこそ】画の見方 中川一政美術館
26京都府
1888-1986を生きた京都府出身の日本洋画家は京都府出身 1888-1986 渡仏時に印象派の巨匠ルノワールに感化され、帰国後ルノワールの名声を広めるきっかけをつくり生涯師事する。またあらゆる絵画について研究熱心であり、その技法を自身の作風に活かし日本洋画界を牽引した。
【画家の部屋|梅原龍三郎 Ryusaburo Umehara】色彩感覚はピカソ越え!?
0033フランス共和国出身
1798-1863を生きたフランス出身の画家は新古典主義≒ナポレオン政権下の中、王政復古から市民革命時代を生き、ロマン主義として数々の作品を残したドラクロワ。その人の感情を前面に描いた代表作「La Liberté guidant le peuple」をフランス7月革命を記念して同年1830年に完成させる。
【画家の部屋|Delacroix ドラクロワ】フランス7月革命と言えばこの作品
0049ドイツ連邦共和国出身
1577-1640を生きたドイツ出身の画家はバロック期を代表する様々なジャンルの絵画作品を残した画家であり、一方で古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家、さらに七ヶ国語をあやつり、外交官としても活躍した。
【画家の部屋|Pieter Pauwel Rubens ルーベンス】Doodle登場の聖ジョージを描く
0034スペイン王国出身
1881-1973を生きたスペイン出身の画家は近代美術を語る上では欠くことのできない天才画家は、鮮烈な個性で人々に衝撃をいまもなお与え続けている。
【画家の部屋|Pablo Ruiz Picasso パブロ・ピカソ】いまミノタウロスは何をみる!?
0034スペイン王国出身
1893-1983を生きたスペイン出身の画家は入学した美術学校を中退しサラリーマンを経験、画家の夢を捨てきれず美術学校へ再び入り絵を学び、風景画や肖像画などを手がける。
【画家の部屋|Joan Miro ジュアン(ホアン)ミロ】ミングウェイに見出された天才アーティスト
0039イタリア共和国出身
1884-1920を生きたイタリア出身の画家は35歳という短い人生で残した数々の肖像画。モディリアーニによる人物像はアーモンド型の眼や細長い首をもち、内面的な本質を鋭く捉え今もなお世界の人々に愛されています(モディリアーニ〜愛と創作に捧げた35年〜大阪中之島美術館開館記念特別展概要より抜粋)。
【画家の部屋|Amedeo Modigliani アメデオ・モディリアーニ】彫刻家を目指したエコール・ド・パリを代表する肖像画の巨匠
0039イタリア共和国出身
1267-1337を生きたイタリア出身画家は黎明期イタリア・ルネサンスの先駆者であるジョットの代表作はスクロヴェーニ礼拝堂へフレスコ画で聖母の生涯とキリストの生涯の循環を描いている。
【画家の部屋|ジョット】前田青邨の筆を動かした西洋絵画の父
26京都府
1053-1140を生きた京都府?出身の高僧そして画家。日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、京都高山寺の鳥獣戯画はそのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。
【画家の部屋|鳥羽僧正 Toba Sojo (覚猷 Kakuyu)】知ってた?漫画原点の作者って
13東京都
1878-1972を生きた東京都出身、2022年に没後50年を迎えた日本画の巨匠。そして美人画の数々を残した鏑木は、樋口一葉や泉鏡花を愛読書とし、そのモチーフを作品化として残す。
【画家の部屋|鏑木清方 Kiyokata Kaburaki】4月の推し偉人 東の美人画家代表
0039イタリア共和国出身
1455-1508を生きたイタリア出身の画家はミラノを中心として活躍したルネサンス期の画家であり、サンフランチェスコグランデ教会(ミラノ)礼拝堂祭壇画へ「岩窟の聖母(現在ロンドンナショナルギャラリー所蔵)」の絵を描いたレオナルドダヴィンチと協力した作品とされています。ダビンチはこの「岩窟の聖母」を2枚製作しておりもう一方はルーブル美術館に所蔵されています。 今回いらすとすてーしょんでは、アンブロジオが晩年に残した「若い男の肖像」を彼のイラストポートレートとして紹介させていただきます(私見)。
【画家の部屋|Giovanni Ambrogio de Predis ジョヴァンニ・アンブロージョ・デ・プレディス】謎だらけの巨匠はダヴィンチと共同制作者?
0039イタリア共和国出身
1483-1520を生きたイタリア出身の画家はダビンチ、ミケランジェロ、そしてラファエロはルネサンス三代巨匠を称され、37歳と夭折されましたが数々の名画を残し、今もなお世界の人々に愛され続ける画家の一人です。
【画家の部屋|Raffaello Santi ラファエロ・サンティ】 ルネサンス絵画三大巨匠の一人は37歳で早世
0039イタリア共和国出身
1475-1564を生きたイタリア出身の芸術家は彫刻を主業とし「ピエタ」「ダヴィデ像」を20代で製作。そして西洋美術史史上最も大きな影響を与えたとされるフレスコ画「システィーナ礼拝堂天井画」と同礼拝堂「最後の審判」の2点を描く。建築家としてもその才能を発揮した。
【画家の部屋|Michelangelo ミケランジェロ】 ルネサンス絵画三大巨匠の一人はマルチ芸術家
0039イタリア共和国出身
1452-1519を生きたイタリア出身の画家はルネサンス期を代表する芸術家であり、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物とされ史上最高の画家の一人と評される。
【画家の部屋|レオナルド・ダ・ヴィンチ】 世界一有名な女性"モナ・リザ…"一体誰だったん??
21岐阜県
1885-1977を生きた岐阜県出身の近代日本を代表する日本画家。代表作のひとつ「洞窟の頼朝」は日本画家として復活を遂げた作品。
【画家の部屋|前田青邨】「洞窟の頼朝」描いた武者絵の最高峰
23愛知県
1899-1982を生きた愛知県出身の画家は岡田三郎助,辻永に師事し、従軍画家として戦地に赴いた。戦後は郷里の,辻永に師事し、従軍画家として戦地に赴いた。戦後派郷里の愛知県に戻り「バレリーナ」シリーズで一躍脚光を浴びる。その後の「舞妓」シリーズは鬼頭芸術の集大成となった。
【画家の部屋|鬼頭鍋三郎】「バレリーナ」そして「舞妓」シリーズでブレイク
23愛知県
1873-1957を生きた愛知県出身の復古大和絵の祖は近代日本画壇の巨匠、日本の自然をこよなく愛し14歳で京都の日本画家、望月玉泉(のちに円山派の幸野楳嶺)に師事し数多くの風景画を描く。
【画家の部屋|川合玉堂 Gyokudo Kawai】まさに近代日本画の最高峰
23愛知県
1767-1823を生きた愛知県出身の復古大和絵の祖は幼少時は比叡山延暦寺で天台宗を学び古くからある習慣・風習・文化などに深く興味があり研究を重ねて、佐竹本三十六歌仙絵巻、伴大納言絵詞等の複数の模写を残すなど、平安時代の大和絵の復古を実現、復古大和絵の祖と評されます。
【画家の部屋|田中訥言 Totsugen Tanaka】絵師はやまと絵を復興へ
23愛知県
1905-1999を生きた愛知県出身の洋画家は1994年に女性洋画家として初めて文化功労者を受賞。一宮市三岸節子記念美術館でコレクションに出会えます。
【画家の部屋|三岸節子 Setsuko Migishi】 女性洋画家として初受賞はまさにジェンダーダイバーシティの先駆者
23愛知県
1901-1986を生きた愛知県出身の洋画家は半世紀にわたりフランスに暮らし、3歳年上の画家・佐伯祐三氏の影響を受け、貧しさの中、鋭いタッチで一心不乱にパリの街を描き続けた。パリ市長に“最もフランス的な日本人”と称され、フランスの最高勲章、レジオン・ド・ヌール勲章を受賞。
【画家の部屋|荻須高徳 Takanori Ogisu】 “最もフランス的な日本人”って言われちゃった
0033フランス共和国出身
1844-1910を生きたフランス出身の画家は印象派時代素朴派を確立したフランスを代表する画家。魔術的、夢想的、異国的とも比喩される自然や街の中に絶妙に配した人物像などを描がく。
【画家の部屋|アンリ・ルソー】私の先生はルーブル美術館だった
0033フランス共和国出身
1883-1955を生きたフランス出身の画家は50年間にわたりモンマルトルを中心に、パリの詩情あふれる風景を描き続けた画家、モーリス・ユトリロは、少年時代アルコール中毒の治療のため、医師の勧めにより絵筆をとったことがこの道に入るきっかけに。
【画家の部屋|モーリス・ユトリロ】私の治療薬は絵筆だったんだ
0041スイス連邦出身
1879-1940を生きたスイス出身の画家は美術理論家としてもその才能を発揮し、表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特な作風で描く。一方で音楽一家の環境で育ちバイオリニストとして11歳でオーケストラに籍を置く腕前。
【画家の部屋|パウル・クレー】 偉大な画家はバイオリニストでもあった
0033フランス共和国出身
1869-1954を生きたフランス出身の画家は野獣派(フォーヴィスム)と呼ばれる代表的な画家の一人で、「色彩の魔術師」との異名を持ち、自然を極限まで引き立て、自身の感情を独自の色彩感覚で描いた作品を次々と生み出す。
【画家の部屋|アンリ・マティス】 私の色使いは斬新ですよ
創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
創業77年を迎える栄光社HP新企画「イチオシ」と


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コラボレーション
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28兵庫県
1754-1799を生きた絵師。山城淀藩の武士上杉和左衛門の子として生まれ、長沢氏を嗣いだとされる。その後、円山応挙に絵を学び高弟としてその才能を開花させたが、機知に富んだモチーフや奔放な筆墨使いによる作風は独創的で異彩を放った。46歳でその生涯を大阪で閉じたがその死は謎に包まれている。
【画家の部屋|長沢蘆雪】応挙師匠の真逆を貫く奇才New!!
26京都府
1733-1795を生きた絵師。狩野探幽の流れをくむ鶴沢派、石田幽汀の門下となり、その後出会う西洋画に魅せられ写実に傾倒した。その新しい写実に溢れた画風は京都の商人の目にとまり発展。多くの門下生が加わり円山派が形成される。この円山派で学び呉春の形成した四条派と併せて円山四条派と呼称される。
【画家の部屋|円山応挙】円山派の祖

今月の推し偉人

あんせき

"いらすとすてーしょん"2023年9月の


推し偉人はわたし「王安石」

1021-1086を生きた政治家であり、思想家、詩人、文学者。儒教における「経世致用」の教えを基盤とし、政治は民衆の幸福のためにあるという考えに従い行政を司だった。また文学では唐宋八大家の一人として高く評価されている。
【王安石】民の声を聞く唐宋八大家

「推し偉人」

フリーイラストポートレートと歴史の停車場


いらすとすてーしょん」では毎月「推し偉人」を


特集しています

これまでの


「いらすとすてーしょん」
推し偉人

2022〜2023

2022-03-31

【彫刻家の部屋|佐藤忠良】生誕110年世界の彫刻家

2022-04-01

【画家の部屋|鏑木清方 Kiyokata Kaburaki】4月の推し偉人 東の美人画家代表

2022-05-09

【本土復帰50周年記念|船越義珍】5月推し偉人 沖縄初空手を世界へ

2022-06-01

【医学の部屋|緒方洪庵】去る天然痘!来るサル痘? ワクチン大規模接種は江戸時代から!?

2022-07-01

【コラボ記念|東山魁夷 Kaii Higashiyama】7月推し偉人 栄光社×Syusuke Gallery

2022-08-01

【行こう宇和島|穂積陳重】8月推し偉人 日本初‘民法’生みの親

2022-09-01

【2023朝ドラは私|牧野富太郎】9月推し偉人 なんと生涯に収集した植物標本は40万枚!?

2022-10-01

【2022W杯・カタール大会開催記念|ジュール・リメ】10月推し偉人 FIFAワールドカップの父

2022-11-01

【医学の部屋|バンティング】11月14日は何の日?World Diabetes Day!

2022-12-01

【国立劇場建て替え記念|中村勘三郎(17代目) Kanzaburo Nakamura XVII】12月推し偉人 Nov./1966

2023-01-01

【音楽の部屋|マリア・カラス】Maria by Callas

2023-02-01

【文学の部屋|正岡子規】俳句・短歌の革新に取り組みました

2023-03-01

【画家の部屋|エゴン・シーレ】素描の天才は超個性派

2023-04-01

【江戸文学|浄瑠璃・歌舞伎】「近松門左衛門」今も人気曽根崎心中

2023-05-01

【植物学者の部屋|エラスムス・ダーウィン】C.ダーウィンの偉大な祖父

2023-06-01

【植物学者の部屋|チャールズ・ダーウィン】進化論といえば私

2023-07-01

【心理学者の部屋|ピアジェ】20世紀代表の一人

2023-08-01

【生物学者の部屋|スワンメルダム】ミクロスコープの申し子

2023-09-01

【王安石】民の声を聞く唐宋八大家New!!

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