ディエゴ・リベラ Diego Rivera

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【画家の部屋|リベラ


壁画に込めたメキシコ絵画巨匠をお楽しみください

リベラ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

リベラの壁画に込めた想い

いらすとすてーしょん風

メキシコ画壇4大巨匠の一人

館長

今回はリベラさんについて綴っていきたいと思います

館長

リベラさんはメキシコ画壇4大巨匠にも数えられるほどビッグネームの芸術家です

リベラといえば壁画?

館長

このリベラさんの活動といえば壁画を思われる方も多いのでは?

館長

そこでリベラさんの壁画に込めた想いをいらすとすてーしょん風に仕上げてみました

渡欧先で

館長

リベラさんはメキシコで絵画を学び渡欧します

キュビズムとの出会い

館長

そこでピカソやブラックが活動していたキュビズムに出会います

ジョルジュ・ブラック登場

ブラック

キュビズムについてはわたしのイラストポートレートで紹介しています

1882-1963を生きた画家。パブロ・ピカソと共にキュビズムを作り上げた。その作風は印象派からスタートし、その後マティスなどに影響を受け、フォーヴィズムに傾倒。そしてセザンヌの幾何学な立体表現を応用し、平面空間に立体を積み上げるキュビズムの道を歩んだ。
【画家の部屋|ブラック】ピカソと共に歩んだキュビズム

パブロ・ピカソ登場

ピカソ
館長

これはキュビズムの巨匠の二人方

ブラック

リベラはキュビズムに大きな衝撃を受けているようでしたね

メキシコへ帰国

ピカソ

そのキュビズムに影響を受けたリベラが母国メキシコに帰って

壁画運動

ブラック

母国メキシコのために壁画運動を起こすんだよね

ピカソ

壁画は彼の最も壮大な表現手段だったのだろうな

ピカソ

リベラは、どのような社会的メッセージを壁画に込めていたと思う?

ブラック

壁画は人々が24時間いつでも目にできることに着目したのでは?

ブラック

メキシコの人々と直接コミュニケーションをとる手段となったと思うよ

ブラック

あのメキシコの広大な大地にリベラのアートが飾る街並みはみるひとを高揚させる力があるよな

館長

つまりリベラは壁画を通じて

館長

メキシコの文化や歴史、暮らしなどを壁画で

館長

啓発していたのでしょうか

館長

そこには教育的な目的もあったと思います

館長

なんといっても公共の場で誰もが目にするわけですから

館長

なんといっても公共の場で誰もが目にするわけですから

ピカソ

アートの力はすごいね

館長

それはピカソさんが一番ご存知なのでは??

館長

ところでリベラさんはキュビズムに傾倒していたのですよね

キュビズムと壁画

館長

そのキュビズムは壁画にどのように活かされているのでしょうか

ブラック

どうなんだろう

ブラック

リベラはキュビズムの多面的な視点を利用していたんじゃないかなぁ

ブラック

歴史や社会の複雑さを反映させるために

ブラック

壁画に異なる視点から同じテーマを描いていたとおもう

ピカソ

メキシコ革命に対する想いも表現されていたんじゃないのかなぁ

ブラック

そうだね。戦争の影響や農民の暮らし

ブラック

労働者階級など、壁画にはメキシコ社会全体の動きが感じられる

ピカソ

壁画はリベラの社会的な情熱を具現化していたってことかぁ

ピカソ

祖国メキシコの歴史やメキシコの人々への敬意みたいなものが

ピカソ

作品の奥底に流れているのを感じる

館長

リベラさんの芸術って多層的で、動きがあって、そして熱い気持ちを感じます

ブラック

そう考えるとリベラの作品は

ブラック

ただ美しいだけでなく、社会的なメッセージが強く訴えかけているんだろうね

館長

ではここでリベラさんの壁画をみてみたいと思います

館長

と、ご紹介したいところですが

館長

YouTubeでこの動画を発見しましたので

館長

リンクさせていただきます

館長

いつか、、、

館長

メキシコシティに行ってみたい!

Mexico City: National Palace

館長

Mexico City: National Palace

館長

冒頭部分がリベラさんによる階段に描かれた壁画です

館長

パラシオ・ナショナル(国立宮殿)の壁画には

館長

古代から未来までのメキシコの歴史を人々を通じて描かれています

館長

特に階段の壁画は

館長

スペインによる支配からメキシコ革命後の1930年ごろまでが描かれています

画家・新着偉人(It's New)は


こちらから

0033フランス共和国出身
1844-1910を生きた画家。通称"税関吏ルソー"はパリ市入市税関に勤めながら、独学で風俗画や空想的、幻想的な原生林風景画など独創的な才能を活かし絵を描いた。そのキャンパスに描く単純さ、明らかな構図を持ち合わせた素朴さをパブロ・ピカソはキュビズムに通じると高く評価したとされる。
【画家の部屋|アンリ・ルソー】素朴さの巨匠
0033フランス共和国出身
1798-1863を生きた画家。早世したジェリコーに影響を受け、ロマン主義を受け継いだ巨匠は、新古典主義を掲げ当時の絵画界の権力者アングルに挑み続ける。そしてギリシア独立戦争におけるオスマン帝国の弾圧を描いた「キオス島の虐殺」はヨーロッパ全土に影響をあたえ、ギリシヤ独立のきっかけとなったとされている。そして フランス7月革命をモチーフにした「民衆を導く自由の女神」はロマン主義最大の作品としていまでも人々を魅了し続けている。
【画家の部屋|ドラクロワ】ロマン主義の代表格
0049ドイツ連邦共和国出身
1577-1640を生きた画家。17世紀フランドルにおいてバロック様式を確立し、それはイタリア美術と肩を並べるほどの技術であったとされる。ミケランジェロ、ティツィアーノの作品から学び、イタリア留学時の盟友カラッチやカラバッジョらから影響を受け巨匠の階段を駆け上がった。帰国後はネーデルランド国における宮廷画家となり、工房を組織化し大規模な制作拠点を築いた。古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家、さらに七ヶ国語をあやつり、外交官としても活躍している。
【画家の部屋|ルーベンス】フランドル・バロックの巨匠
0033フランス共和国出身
1871-1958を生きた20世紀マティス、ピカソとならびフランスを代表する画家。ギュスターブ・モローに師事し、師の絵に加えて、感情豊かな象徴的要素を強調する新しい芸術手法に挑んだ巨匠。その性格は完全主義的であったとされている。
【画家の部屋|ジョルジュ・ルオー】モローに師事した完全主義

画家の部屋へようこそ


出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery画家の部屋painter
画家の部屋 Painter

画家の部屋Painterへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

13東京都
1929-2013を生きた小説家、評論家であり精神科医。慶應大学医学部卒業後、精神科医として臨床に携わる傍ら、1959(昭和34)年に文学界に「帽子を…」を発表し、その後「パパの贈り物(1965)」など、思想や社会問題に関する文筆活動を展開した。そして「お医者さん 医者と医療のあいだ(1970)」など、医療現場の内側から人間と社会を考察した作品を手がける。また、医師としては日本におけるアルコール依存症治療の先駆者でもあり、「アルコール中毒」専門施設を立ち上げたことでもその名を刻んでいる。ペンネームの「なだ いなだ」はスペイン語で「無と無(Nada y Nada)」の意味。本名は堀内秀(しげる)。
【文学の部屋|なだ いなだ】昭和時代編.178New!!
13東京都
1929-1989を生きた小説家。新聞社勤務や職業作家としての下積みを経て、戦後の混乱期に博打やアウトローを渡り歩き、独自の人生哲学と人間感を養う生活を送る。1961(昭和36)年、父との葛藤を描いた自伝的小説「黒い布」で、中央公論新人賞に輝き文壇にデビュー。その後、それまでの経験をもとに、庶民の哀歓やアウトローの世界を描いた作品を発表する。1969年に、阿佐田哲也のペンネームで麻雀小説「麻雀放浪記」を刊行以降、娯楽文学の新境地を開拓。特に配牌図を入れた「麻雀小説」のジャンルを確立した。色川名義では、「離婚(1978」や「生家へ(1979)」など、夫婦や家族を題材に、孤独や狂気といった人間の深層を繊細に、時にユーモアと哀愁を交えて描いた作品を多く残した。これまでの小説の枠にとらわれない、異彩を放つ文学家であった。
【文学の部屋|色川武大】昭和時代編.177
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery