ジャン・シメオン・シャルダン Jean Siméon Chardin

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こちらのページでは【画家の部屋|ジャン・


シメオン・シャルダン】ロココで静物画!?


風俗画!?
をお楽しみください

ジャン・シメオン・シャルダン


イラストポートレート(Syusuke Galleryより

ロココ美術ってどのあたり?

シャルダン

ロココ美術についてはブーシェが紹介しているので…

シャルダン
シャルダン

ではまとめてみましょう
ルネッサンスからの美術の移り変わりはこのように展開しています

美術の移り変わり

世紀を単位として記載しております
イラストポートをBold表記としております

(イタリア)ルネッサンス
14世紀〜16世紀
活躍した画家
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452-1519
・ミケランジェロ 1475-1564
・ラファエロ 1483-1520
1452-1519を生きたイタリア出身の画家はルネサンス期を代表する芸術家であり、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物とされ史上最高の画家の一人と評される。
バロック
16世紀〜18世紀
活躍した画家
・エル・グレコ 1541-1614
クロード・ロラン 1600-1682
・レンブラント・ファン・レイン 1606-1669
1600-1682を生きたバロック美術画家はそのほとんどの生涯をイタリアローマで過ごし数々の名作を残す。バロック美術の特徴である光の対比を見事に操る風景画でイタリアから発信されたバロック美術の中心人物となり、後のイギリスを中心としたロマン主義に影響を与えたとされる。
ロココ
18世紀
活躍した画家
・アントワーヌ・ヴァトー 1684-1721
フランソワ・ブーシェ 1703-1770
・ジャン・シメオン・シャルダン 1699-1779
・ジャン・オノレ・フラゴナール 1732-1806
1703-1770を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでコロロ美術をリードした画家は、国王首席画家となりフランス王立絵画彫刻アカデミー院長の要職を務めた。軽やかな色彩、緩やかな線、甘美な作品を数々残した。
写実主義
19世紀
活躍した画家
・カミーユ・コロー 1796-1875
・ジャン=フランソワ・ミレー 1814-1875
ギュスターヴ・クールベ 1819-1877
1819-1877を生きたフランス革命(加えて産業革命)によって終焉を迎えたロココ美術から現実に目を向けた社会意識の高まりにより、フランスを中心として写実主義が台頭、その写実主義を牽引した画家。当時歴史画は高貴なものを題材にする常識を出身地の村を題材にそこに生きる人々を忠実に写実した作品を数々発表。固定概念を覆す革新を巻き起こす。
新古典主義
18世紀〜19世紀
活躍した画家
・ジャック=ルイ・ダヴィッド 1748-1825
・ピエール=ポール・プリュードン 1758-1823
ドミニク・アングル 1780-1867
1780-1867を生きたロココ美術最盛期に登場した古典美術回帰を目指す新古典主義の象徴ダヴィットの後継者として託された画家、それ以前はイタリア留学時自由な表現を好むロマン主義に傾倒していたことから、その幅広い美術に関心が高かったことが伺える。
ロマン主義
18世紀〜19世紀
活躍した画家
・ウィリアム・ターナー 1775-1851
テオドール・ジェリコー 1791-1824
・ウジェーヌ・ドラクロワ 1798-1863
1791-1824を生きた産業革命、そしてフランス革命とヨーロッパに影響を及した二つの革命は絵画界にもロマン主義美術をもたらし、そのフランスにおけるロマン主義の先駆けとなった画家。軍事に関心が高かったとされ、1819年に発表したThe Raft of the Medusa (メデューズ号の筏)は現実に目を背けない話題画の先駆けとなる。事故により32歳にて早世。
印象派
19世紀
活躍した画家
・カミーユ・ピサロ 1830-1903
・クロード・モネ 1840-1926
ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919
1841-1919を生きた画家はモネ、ピサロと共に、忠実な写実主義が重視されていた時代に、印象派という新たなジャンルに挑む。このような時代であったので大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」発表当時は評価されていなかった。
ポスト(後期)印象派
19世紀
活躍した画家
・ポール・セザンヌ 1839-1906
ポール・ゴーガン 1848-1903
・フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890
1848-1903を生きた印象派の流れを汲み誕生した新印象派と後期印象派、その後期印象派とカテゴライズされる強力な個性を発揮した3巨匠、セザンヌ、ゴッホ、そしてゴーガン。その経歴は船乗り、サラリーマン、そしてピサロとの出会いで印象派に傾くも象徴主義を彷彿させる作品も手掛ける。文明に背を向けフランス領であったタヒチで新たな画家人を送る。
象徴主義
19世紀〜20世紀
活躍した画家
ギュスターヴ・モロー 1826-1898
・ダンテ・ガブリセル・ロセッティ 1828-1882 
・ジョン・エヴァレット・ミレー 1829-1896
・ピエール・ボナール 1867-1947
・オーブリー・ビアズリー 1872-1898
1826-1898を生きた時は印象派(前)台頭時代、光の中の温かみのあるタッチに背を向けて、古典回帰を彷彿させるような宗教的題材に丁寧な線と色彩で光を当てる作風を示し、理念や感情を表現した象徴主義を方向付けた。後にフォーヴィスムと呼ばれる野獣派を牽引するマティス、ルオーらを指導したことでも名を残している。
ヴュイヤール

次回は世紀末芸術美術を展開します

画家・新着偉人(It's New)は


こちらから

0033フランス共和国出身
1844-1910を生きた画家。通称"税関吏ルソー"はパリ市入市税関に勤めながら、独学で風俗画や空想的、幻想的な原生林風景画など独創的な才能を活かし絵を描いた。そのキャンパスに描く単純さ、明らかな構図を持ち合わせた素朴さをパブロ・ピカソはキュビズムに通じると高く評価したとされる。
【画家の部屋|アンリ・ルソー】素朴さの巨匠
0033フランス共和国出身
1798-1863を生きた画家。早世したジェリコーに影響を受け、ロマン主義を受け継いだ巨匠は、新古典主義を掲げ当時の絵画界の権力者アングルに挑み続ける。そしてギリシア独立戦争におけるオスマン帝国の弾圧を描いた「キオス島の虐殺」はヨーロッパ全土に影響をあたえ、ギリシヤ独立のきっかけとなったとされている。そして フランス7月革命をモチーフにした「民衆を導く自由の女神」はロマン主義最大の作品としていまでも人々を魅了し続けている。
【画家の部屋|ドラクロワ】ロマン主義の代表格
0049ドイツ連邦共和国出身
1577-1640を生きた画家。17世紀フランドルにおいてバロック様式を確立し、それはイタリア美術と肩を並べるほどの技術であったとされる。ミケランジェロ、ティツィアーノの作品から学び、イタリア留学時の盟友カラッチやカラバッジョらから影響を受け巨匠の階段を駆け上がった。帰国後はネーデルランド国における宮廷画家となり、工房を組織化し大規模な制作拠点を築いた。古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家、さらに七ヶ国語をあやつり、外交官としても活躍している。
【画家の部屋|ルーベンス】フランドル・バロックの巨匠
0033フランス共和国出身
1871-1958を生きた20世紀マティス、ピカソとならびフランスを代表する画家。ギュスターブ・モローに師事し、師の絵に加えて、感情豊かな象徴的要素を強調する新しい芸術手法に挑んだ巨匠。その性格は完全主義的であったとされている。
【画家の部屋|ジョルジュ・ルオー】モローに師事した完全主義
0034スペイン王国出身
1904-1989を生きた画家。ダダイスムとフロイトの深層心理学に傾倒した背景に、幻覚的、非合理的な世界を追求した表現で、絵画界に革新をもたらした商業美術分野でもその名を残している。
【画家の部屋|ダリ】シュルレアリスムの巨匠
0001アメリカ合衆国出身
1894-1978を生きた画家でありイラストレーター。サタデー・イヴニング・ポスト誌の表紙のイラストを1916年から1963年まで手がけた。晩年にはルック誌であらゆる社会問題を扱い再注目された。
【画家の部屋|ロックウェル】USA偉大なイラストレーター
0052メキシコ合衆国出身
1886-1957を生きた画家。メキシコ画壇四大巨匠の1人。パリでピカソ、ブラックらと知り合いキュビスムに傾倒した。帰国後、国民のための芸術として壁画運動を展開。神話、歴史、日々の暮らしなどを描きメキシコ革命を芸術分野から後押しを行った。 ※メキシコ画壇四大巨匠:オロスコ、シケイロス、タマヨ・リベラ
【画家の部屋|リベラ】壁画に込めたメキシコ絵画巨匠
0049ドイツ連邦共和国出身
1891-1976を生きた画家。第一次世界大戦を背景にあらゆる手法を用いてでも既存の芸術や文化を否定する「ダダイスム」運動に参加。幻想的で謎めいた形而上絵画に端を発したシュルレアリスムの一翼を担い、ジョアン・ミロらと共に中心的な活動を行う。その後第二次世界大戦下ではアメリカに亡命し、戦後フランスに帰化する。
【画家の部屋|エルンスト】シュルレアリスムで活躍
0007ロシア連邦出身
1866-1944を生きた画家。モネに影響を受け、ドイツ表現主義としての美術団体「青騎士」を組織し、抽象絵画の先駆となった。その抽象芸術を理論的に著した「点・線・面」を1926年に残している。1939年フランスに帰化。
【画家の部屋|カンディンスキー】抽象絵画の旗手
0044英国出身
1872-1898生きた画家でありイラストレーター。ホイッスラーや日本の浮世絵版画などに影響を受け独学で絵を学び、フランスに端を発したアール・ヌーボーにも同調し、独自の繊美スタイルを築いた。雑誌サヴォイの挿絵画家として注目を集め、オスカー・ワイルドの戯曲サロメの挿絵でその知名度は最高潮となる。
【画家の部屋|ビアズリー】アール・ヌーヴォーの若き天才
0033フランス共和国出身
1839-1906を生きた画家。ロマン主義、写実主義に影響を受け、印象主義の親方的存在のピサロの慕い、その後幾何学的な要素を取り入れた作風を示し、ポスト(後期)印象主義の道を歩んだ。この頃の作品はジョルジュブラックやパブロ・ピカソに大きな影響力を与え、キュビズム誕生のきっかけとなった。
【画家の部屋|セザンヌ】キュビズムの祖
0033フランス共和国出身
1882-1963を生きた画家。パブロ・ピカソと共にキュビズムを作り上げた。その作風は印象派からスタートし、その後マティスなどに影響を受け、フォーヴィズムに傾倒。そしてセザンヌの幾何学な立体表現を応用し、平面空間に立体を積み上げるキュビズムの道を歩んだ。
【画家の部屋|ブラック】ピカソと共に歩んだキュビズム
0033フランス共和国出身
1850-1891を生きた画家。印象派の作品からさらに独自の画風と取り入れ、筆触分割を細分化し点描を用いて新印象主義と評価される。そこに輪郭に明暗を強調することで立体感を醸成する作品に仕上げている。
【画家の部屋|スーラ】新印象主義の到来
0044英国出身
1828-1882を生きた画家であり詩人。第二次ラファエル前派から、作品の美しさのみを目指し描くフランスロマン主義文学より派生した思想を絵に取り入れ、唯美主義という新しいスタイルを確立した。
【画家の部屋|ロセッティ】女神の視線の先は誰?
0001アメリカ合衆国出身
1834-1903を生きた画家。活動はイギリスを拠点として、その頃ロセッティなどが進めていた唯美主義の一人でもある。その作風はジャポニスムを意識し、人物や風景画にクラシック音楽のタイトルを用い、絵の主題を特定できないような唯美主義を継承している。
【画家の部屋|ホイッスラー】アメリカ出身の唯美主義画家
0033フランス共和国出身
1864-1901を生きた画家。その筆は鋭い観察とデッサンでパリの風俗を描く。1890 年代には多色刷リトグラフ(石版画)を用いたポスター芸術分野において全盛期をもたらし活躍した。その作風は印象派画家のドガや浮世絵などのジャポニスムに影響を受けたとされる。
【画家の部屋|ロートレック】世間を魅了したポスター
0044英国出身
1757-1827を生きた画家であり詩人。自由を求めた独自の価値を追求したロマン主義の先駆者で、詩人でもあった洞察力で、独自の想像力溢れる創造神話の世界を描いた。それはアメリカ独立戦争やフランス革命の時代背景を受けて新時代の到来を予言させる作品を手がける。
【画家の部屋|ブレイク】詩人が描くロマン主義
0001アメリカ合衆国出身
1791-1872を生きた画家であり、発明家。絵画を学ぶために渡英。肖像画家として活躍し、1825年国立デザインアカデミーの創設に尽力した。また発明の分野では通信のために特有の符号の開発者の一人であり、後のモールス符号となる。電信通信の基礎を築いた。
【画家の部屋|モールス】肖像画家は発明家
0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1606-1669を生きた画家。ヨーロッパ絵画に新たな風俗画や風景画といった市民絵画を持ち込み、その全盛期を築く。独自の明暗法で人間の内面性や精神性を表現した。その作風はバロック的な構図と明暗の表現を用い、人間の深い精神性を描き出し、特に光と影の微妙な諧調で描かれている。肖像画、宗教画、風景画のほかに、エッチングや素描といったさまざまな作品を残している。また版画家としてもその名を響かせている。
【画家の部屋|レンブラント】エッチングの巨匠
0030ギリシャ共和国出身
1541-1614を生きた画家。大胆な構図と光沢のある色調を駆使して独自の宗教画を描き、ルネサンスとバロックの時代の橋渡しをおこなった。その劇的な構図、明暗構成、そして細長く様式化された人物像で描いている。最高傑作であるオルガス伯の埋葬(1588ごろ)は、地上の埋葬場面に並ぶリアルな肖像画群と、天上界やその住人たちの描写が見事に対比され、スペイン滞在時のグレコ宗教画の象徴となっている。ビザンティン様式のイコン画家との指摘もされている。
【画家の部屋|エル・グレコ】ギリシャ出身宗教画の巨匠
0044英国出身
1776-1837を生きた画家。自然をキアロスクーロ(明暗技法)で表現する風景画を描いた。古典的な風景画を用いながら、新鮮な色彩と光の表現によって、フランスの風景画家やドラクロワなどのフランス・ロマン派画家に影響を与えたイギリス人画家として高く評価されている。
【画家の部屋|コンスタブル】近代フランス画家に影響を与えた風景画
0039イタリア共和国出身
1697-1768を生きた画家。舞台画家の父の元で絵を学び、当時のヨーロッパの風習であったグランドツアーの主要目的地イタリアのアピールとして美しい景観の水の都ヴェネツィア風景画を英国人向けに描く。その後英国に滞在し、英国の風景画も手がけた。
【画家の部屋|カナレット】旅行パンフレットの祖?
0039イタリア共和国出身
1696-1770を生きた画家。18世紀、第2次ヴェネツィア派を牽引したイタリア美術の巨匠。北イタリアにおける軽快な作風でバロック美術の終焉を飾った。ヴェネト、ロンバルディアなどヨーロッパ各地に赴き大規模装飾作品に従事した。
【画家の部屋|ティエポロ】バロックの大取巨匠
0032ベルギー王国出身
1599-1641を生きた画家。ルーベンスから絵を学び、訪れた海洋国家ジェノヴァで研鑽を積み、その後渡英しチャールズ1世のもと宮廷画家として肖像画を多く手がけた。これにより、その後の英国における絵画界の礎となった。
【画家の部屋|ヴァン・ダイク】英国肖像画の礎
0034スペイン王国出身
1599-1660を生きた画家。風俗画からキャリアをスタートさせ、その後フェリペ4世の宮廷画家として写実性あふれる肖像画に取り組む。ベネチア派絵画の巨匠ティツィアーノに魅了され、ルーベンスとの交流から17世紀スペイン絵画の頂点を極める。
【画家の部屋|ベラスケス】17世紀スペイン絵画の最高峰
0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1628-1682を生きた画家。17世紀初頭スペインから独立を勝ち取り、国土を愛する気質が高まった。それに相まって国土の自然に目が向いた時代に風景画を叙情的に描いたロイスダール。そして西洋絵画史において風景画を確立し、ここから広がりをみせた。
【画家の部屋|ロイスダール】風景画を確立させた巨匠
0044英国出身
1724-1806を生きた画家。ほぼ独学で絵の道を進み,1740年代は肖像画を手掛けながら,解剖学に没頭し、その中でも馬の解剖に専念した。この結果を1766年馬の解剖学: The anatomy of the horseとして出版し名声を得た。ロマン主義画家としてライオンに襲われる馬のシリーズを描いている。
【画家の部屋|スタッブス】馬を描く巨匠
13東京都
1760-1849を生きた浮世絵師。幼い頃より絵描きを好み、役者絵の大家勝川春章に浮世絵を学び、その破門と相なる。その後美人画も手がけ、読本の挿絵を手掛け、その中でも曲亭馬琴の挿絵は人々を魅了した。その後70代で描き始めた風景版画「富嶽三十六景」が大ヒット、歌川広重と競い合い、富嶽百景を残す。
【画家の部屋|葛飾北斎】波絵の知名度は世界一
0039イタリア共和国出身
1555-1619を生きた画家。ボローニャで従兄弟の版画の名手アゴスティーノ、その弟でバロック絵画の端緒の一人アンニバーレの3人でボローニャの美術アカデミー(工房件画塾)を創設。ローマの古典主義、ヴェネツィア派を汲み、写生を重視し、新たな古典主義を一族で生み出した。
【画家の部屋|ルドヴィコ・カラッチ】一族で新たな古典主義をつくりました
0039イタリア共和国出身
1571-1610を生きた画家。イタリア静物画の始まりと名高い果物籠を、そして風俗画に見立てた聖マタイの召命を描きバロック美術の時代を告げる。ローマではカラヴァッジョの作品を模倣し、その画家たちはカラヴァッジェスキと呼ばれ明暗を強調した写実性溢れる風俗画が流行した。
【画家の部屋|カラヴァッジョ】バロック美術の時代を告げる
0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1528-1569を生きた画家。版画から油彩画と幅広い作品を残し、そのジャンルは宗教画から風俗画のはじまりとも言える農民や村の伝説(風習)、迷信などを描いた。奇抜な幻想に満ちた作品や教訓主題の作品を手がけた。画家一家を形成し、長男ピーテルは地獄のブリューゲル、次男ヤンは花のブリューゲルなどと呼ばれている。
【画家の部屋|ブリューゲル(父)】風俗油彩画の祖
0039イタリア共和国出身
1445-1510を生きた画家。キリスト、ギリシヤ、ローマ神話などの古代の神々を描くルネサンス初期の中心画家。フィレンツェを支配していたメディチ家の後押しを受け祝婚画を多く手がけ歴史に名を残した。
【画家の部屋|ボッティチェッリ】ルネサンス神話画の巨匠
0031ネーデルランド(オランダ)王国出身
1450-1516を生きた画家。宗教画以外は受け入れられていなかったと考えられる時代に、ファンタジーに溢れた写実性の高い特異な作品を残す。王侯貴族にとても人気があったとされる画家の1人であり、その存在はいまも謎に包まれている。
【画家の部屋|ヒエロニムス・ボス】15世紀のファンタジー画家
0032ベルギー王国出身
1395年ごろ-1441を生きた画家。15世紀ネーデルラントにおいて、兄フーベルトは都市を中心に、そして弟のヤンは宮廷を中心に美術活動を兄弟で行い、油彩画法の革新し完成に導く。ヤンは正確な自然観察で細密なタッチで写実的描写を得意とし、兄フーベルトとの合作ヘント祭壇画を皮切りにヨーロッパ各地へ油彩画の全盛時代を切り拓く原動力となった。
【画家の部屋|ヤン・ファン・エイク】油絵はここから始まった!?
0049ドイツ連邦共和国出身
1497-1543を生きた画家。ハンスの父はデューラー以前の画家で後期ゴシックで活躍し、その息子であるハンスは父の技法に加え写実性を高めた人物画を描き、その中でも肖像画を得意とした。デューラーとともにドイツ・ルネサンスを築く。
【画家の部屋|ホルバイン】ドイツにルネッサンスをもたらす息子
0049ドイツ連邦共和国出身
1471-1582を生きた画家。後期ゴシック美術だった当時のドイツ絵画に対してネーデルランド絵画とイタリアルネサンスを融合させ、油彩画、版画でこの地域にルネサンスの源流を築いた。
【画家の部屋|デューラー】ドイツ・ルネサンスの源流
0039イタリア共和国出身
1511-1574を生きた画家であり建築家、史家。フィレンツェで絵画を学び,折衷的なマニエリスムの画風でローマとフィレンツェで大規模な壁画や祭壇画を描いた。またメディチ家のコジモ1世の宮廷画家,建築監督としてパラッツォ・ヴェッキオの装飾事業とウフィツィ宮殿の造営を指揮した。美術史の分野では、14~16世紀にわたるイタリアの画家,彫刻家,建築家の伝記を集成した芸術家列伝(Le vite de' più eccellenti pittori, scultori e architettori 1550)を著す。素描(ディゼーニョ)の理論化したことでも名を残し、西洋初の公的な美術アカデミーを設立した。
【画家の部屋|ヴァザーリ】素描に価値を見出した巨匠
0039イタリア共和国出身
1400ごろ-1455を生きた画家。ドミニコ会修道院に入信し、敬虔な画僧として生涯を送り、フィレンツェを拠点にオルヴィエート,ローマで制作.ギベルティの影響を受けた。宗教的叙情と人間の感情表現を追求し甘美な色彩で多くのルネサンス的宗教画深い信仰にあふれた宗教画を描いた。代表作「受胎告知(1425)」はプラド美術館に、「聖母戴冠(1435)」はルーブル美術館に所蔵されている。
【画家の部屋|フラ・アンジェリコ】敬虔なルネサンス画僧
0039イタリア共和国出身
1401-1428を生きた画家。建築、彫刻を学び、写生を通じ自然を愛し絵画界にルネサンス様式をもたらした。そこに描かれた人物は解剖学的に正確であり、整合性のとれた明暗技法、線遠近法を用いた空間を表現している。20代で早世したが、その後のフラ・アンジェリコなどがマザッチョの作風をさらに継承していく。
【画家の部屋|マザッチョ】初期ルネサンスの巨匠
0039イタリア共和国出身
1518-1594を生きた画家。ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの色彩、ミケランジェロのデッサンを習得し、16世紀後半のヴェネツィア派を牽引した。その画風は劇的な構図とはっきりとした明暗を追究している。そして晩年にはマニエリスムの影響を受けた作品を手がけている。
【画家の部屋|ティントレット】マニエリスムの影響を受けたヴェネツィア派
0039イタリア共和国出身
1495-1540を生きた16世紀のマニエリスムの画家。新奇で個性的な画風が特徴。ローマや各地で活動した後に、1530年フランス王フランソワ1世によってフォンテーヌブローに招かれ、同宮殿の装飾事業をプリマティッチョとともに指揮した。
【画家の部屋|フィオレンティーノ】マニエリスム第一世代
0039イタリア共和国出身
1490ごろ-1576を生きた画家。ヴェネツィア派絵画創始者ベッリーニの晩年のころに、同門のジョルジョーネと共に絵を学び、ヴェネツィア派絵画の最盛期を築く。その豊かな色彩美を表現した筆はのちの油彩画家ルーベンスやベラスケスに影響を与えたとされる。ヴェネツィア派絵画の特質とも言える裸体女性像も多く手がけた。
【画家の部屋|ティツィアーノ】ヴェネツィア派絵画の巨匠
35山口県
1876-1963を生きた日本画家。小学校を首席卒業し軍人を志望するも病弱にて断念し、少年園という雑誌を読み画家を目指す。その後学費援助を受け上京し野口幽谷門下となる。1894(明治27)年、初めて美術協会に出品し賞を得る。その後1896(明治29)年に日本南画会の創立メンバーの一人となる。1907(明治40)年出品した秋塘真趣は宮中お買い上げとなった。戦後1958(昭和28)年に文化勲章、1960(昭和30)年には現在の日本南画院の創設メンバーの一人となった。
【画家の部屋|松林桂月】南画、東の巨匠
13東京都
1839-1892を生きた浮世絵師。1850(嘉永3)年に歌川国芳の門をたたく。1866(慶応2)年には兄弟子の落合芳幾との共作「英名二十八衆句」残酷絵シリーズで一躍脚光を浴びた。晩年は歴史画、美人画に加えて郵便報知新聞、絵入自由新聞、やまと新聞などの新聞挿絵を手掛けた。
【画家の部屋|月岡芳年】新たな時代の浮世絵を探る筆
26京都府
1837-1924を生きた絵師であり文人画家。国学、漢学、陽明学を学び西洋画以外の絵画技法を習得していたとされる。田能村直入らと日本南画協会を興し文人画の振興に尽力した。日本文人画における最後の代表画家とされている。
【画家の部屋|富岡鉄斎】最後の文人画巨匠
14神奈川県
1863-1913を生きた美術教育者。育った環境から幼い頃より英語、漢文を学び語学を習得。その後東京大学在学中にお雇い外国であったフェノロサに出会い通訳や翻訳など日本美術研究に携わる。その後政府の達しで欧米を視察、帰国後東京美術学校の創設に尽力し29歳にて初代校長に就任。横山大観、下村観山、菱田春草らを日本画家として育成。美術学校騒動で失脚するも日本美術発展のため活動した。
【画家の部屋|岡倉天心】近代美術を語るに外せない偉人
08茨城県
1868-1958を生きた日本画家。橋本雅邦に師事し東京美術学校(現東京藝術大学)第一期生として入学。 下山観山と共に日本美術院の中心画家として岡倉天心の厚い信頼のもと活躍。菱田春草と共にインドをはじめアメリカ、ヨーロッパの視察にて見識を高め、近代日本画の源流を築いた。1914(大正3)年、下山観山らと日本美術院の再興を果たす。
【画家の部屋|横山大観】ハタチから描き始めた日本画の巨匠
13東京都
1828-1894を生きた絵師であり日本洋画家。はじめ狩野派に絵を学び、その後独学で絵を習得。幕末から幕府洋学機関に入局し油画の研究を行なった。リアリズムこそ洋画の骨頂と捉えたその作風は、近代洋画の先駆者とされている。 明治天皇の肖像画も描いている。
【画家の部屋|高橋由一】日本初の油絵習得!?
26京都府
1864-1942を生きた日本画家。明治33年渡欧。円山四条派で活躍していた幸野楳嶺 に師事。これに渡欧で学んだ西洋画法をとりいれて独自の画風を確立。その後京都画壇の中心となり上村松園、西山翠嶂,土田麦僊らを育成した。 代表作の獅子は円山四条派の画技に加えてコロー,ターナーのセピア調の写生的作品に仕上げている。
【画家の部屋|竹内栖鳳】動物の匂いまでも描く
30和歌山県
1873-1930を生きた絵師であり日本画家。 狩野芳崖、橋本雅邦に師事し東京美術学校(現東京藝術大学)第一期生として入学。 横山大観と共に日本美術院の中心画家として岡倉天心の厚い信頼のもと活躍。その後1914(大正3)年、横山大観らと日本美術院の再興を果たした。
【画家の部屋|下村観山】誰もが認めた日本画
17石川県
1756(1749)-1839を生きた絵師。ほぼ独学で絵を学んだとされ京に上る。京都御所や金沢城の障壁画を制作に携わった。鳥獣,とくに虎を得意として独自の画風を確立し岸派として京画壇円山、四条派に一石を投じた。
【画家の部屋|岸駒】虎虎虎のGanku
26京都府
1652-1724を生きた絵師。父の仕事に付き添い江戸に出て、中橋狩野家(狩野安信)にて絵を学ぶ。岩佐又兵衛および菱川師宣の風俗画を好み、江戸庶民の粋な様を絵として残す。また松尾芭蕉らとの交流から俳諧にも通じていた。1698(元禄11)年島流しとなり約12年間三宅島へ流罪。この間に残した作品は島一蝶と呼ばれている。その後大赦にて江戸に戻り人気絵師英一蝶として数々の作品を手がけた。
【画家の部屋|英一蝶】江戸に愛された英派の祖
44大分県
1814-1907を生きた絵師であり日本画家。池大雅、与謝蕪村によって中国の画風南宗画に日本独自のアレンジを加えた南画(文人画)を継承した田能村竹田に絵を学び養子となる。美術教育の充実のため1878(明治11)年京都府知事に画学校設立陳情書を提出。京都府画学校(現京都市立芸術学校)を開校させた。1896年には富岡鉄斎らと日本南画協会を興し、内国絵画共進会などの審査員をつとめ、明治期の南画界の重鎮であった。
【画家の部屋|田能村直入】明治南画界の巨匠
13東京都
1747-1818を生きた浮世絵師であり江戸時代の西洋画家。当初狩野派に絵を学び、その浮世絵師にとなり美人画を手がける。その後1720(享保5)年蘭書の輸入が解禁と同時に挿絵に描かれた洋風画に江漢は傾倒。1783(天明3)年に銅版画を成功させた。本草学者平賀源内門下として前野良沢、大槻玄沢らとの交流により蘭学に精通していたと考えられている。
【画家の部屋|司馬江漢】銅版画を成功させた洋風画家
13東京都
1835-1908を生きた絵師であり日本画家。江戸幕府奥絵師木挽町家に兄弟子狩野芳崖と共に学ぶ。その後芳崖を認めたお雇い外国人フェノロサに雅邦もその才能を認められ、雅邦と同じく新日本画運動の中心人物となる。東京美術大学の初代日本画教授に内定していた雅邦の突然の訃報に際し、雅邦は芳崖を引き継ぎ同校での日本画の発展に情熱を注いだ。 教え子に大学では横山大観、私塾では川合玉堂など。
【画家の部屋|橋本雅邦】芳崖の後を継ぐ近代日本画
35山口県
1828-1888を生きた絵師であり日本画家。江戸幕府奥絵師木挽町家に学びその腕は門下一となる。明治維新後、不遇な時代を過ごしたが内国絵画共進会でお雇い外国人として来日していたフェノロサにその才能を見出され、新日本画運動の中心人物となる。岡倉天心、フェノロサが創立に尽力した東京美術大学の初代日本画教授に内定するも持病の悪化で他界。その後は木挽町家の同門橋本雅邦が芳崖を引き継ぎ日本画の発展に情熱を注いだ。
【画家の部屋|狩野芳崖】近代日本画の祖
48出生地不明
1743?-1806?を生きた浮世絵師。まず狩野派鳥山石燕に絵を学んだとされ、上野池之端で版元の鬼才の商人、蔦屋重三郎にその才能を見い出された。戯作の挿絵で話題を呼びその後、美人画に専心、美人画の天才と称される。上半身や顔だけを描く手法を取り入れた大首絵は歌麿の専売特許であった。
【画家の部屋|喜多川歌麿】江戸時代のグラビア絵師!?
13東京都
1797-1858を生きた浮世絵師。火消職から15歳で絵師との二足の草鞋を履く。初世歌川豊国に入門叶わずも歌川豊広門下に入る。天保4年ごろより東海道の宿場風景を描いた版元の名を冠す保永堂版「東海道五拾三次」で一躍名所絵の名手としての地位を確立。木曽街道六十九次や名所江戸百景などの風景版画を残した。
【画家の部屋|歌川広重】旅ブームでバズる名所絵
26京都府
1583-1638を生きた絵師。父(もしくは師)光吉とともに現、大阪ぬて土佐派画系の継承につとめ、土佐派を光吉より嗣ぐ。その後、息子の光起を伴い京都に移り土佐派復興につとめる。54帖総ての段を表した源氏物語画帖の絵は土佐光則の作と伝えられているが、その弟子たちによって完成されたとされている。 ※いらすとすてーしょんでは出生地を京都府とさせていただきます
【画家の部屋|土佐光則】土佐派再興に捧げた人生
13東京都
1798-1861を生きた浮世絵師。初世歌川豊国の門人となり水滸伝豪傑百八人之一箇の錦絵として役者絵シリーズが好評となり一躍、武者絵の国芳と称された。風景画、美人画、役者絵、花鳥画、武者絵、風刺画、戯画、版本の挿絵、肉筆画など作域は広範に活動。その中で天保の改革時に現した風刺画を描き日本における風刺画の第一人者とされている。門人に月岡芳年。
【画家の部屋|歌川国芳】武者絵の国芳
13東京都
1786-1865を生きた浮世絵師。初世歌川豊国の門人となり江戸化政期の美人画は粋な美意識を追求、そして役者絵は特に人気を博し役者絵の国貞と称された。草双紙(合巻)挿絵にも幅広く作品を残している。
【画家の部屋|歌川国貞】役者絵の国貞
13東京都
1769-1825を生きた浮世絵師。歌川豊春(1735-1814)の高弟となり、その豊春を祖とする江戸後期の浮世絵歌川派を確立した。1794(寛政6)年スタートの役者絵のシリーズ、役者舞台之姿絵で猪首猫背型を特徴とした人物画に印象の強い形と色彩によって実在感を強調する画風とし人気を博した。多くの門人を抱え国貞、国芳といった人気絵師を輩出した。
【画家の部屋|歌川豊国】役者絵はリタッチで大人気
26京都府
1752-1811を生きた絵師。与謝蕪村に俳諧や文人画を学び、その後円山派を創始した円山応挙の影響を受け、写生に開眼し軽妙洒脱な画風を創出。この新しい画風は師の応挙没後、さらに隆盛し、京都四条高倉を居としてた呉春をはじめ,呉春を頼る画家の多くが四条通りに集まっていたため,四条派と呼ばれるようになり、呉春はその四条派の祖と称される。
【画家の部屋|呉春】四条派の祖
28兵庫県
1754-1799を生きた絵師。山城淀藩の武士上杉和左衛門の子として生まれ、長沢氏を嗣いだとされる。その後、円山応挙に絵を学び高弟としてその才能を開花させたが、機知に富んだモチーフや奔放な筆墨使いによる作風は独創的で異彩を放った。46歳でその生涯を大阪で閉じたがその死は謎に包まれている。
【画家の部屋|長沢蘆雪】応挙師匠の真逆を貫く奇才
26京都府
1733-1795を生きた絵師。狩野探幽の流れをくむ鶴沢派、石田幽汀の門下となり、その後出会う西洋画に魅せられ写実に傾倒した。その新しい写実に溢れた画風は京都の商人の目にとまり発展。多くの門下生が加わり円山派が形成される。この円山派で学び呉春の形成した四条派と併せて円山四条派と呼称される。
【画家の部屋|円山応挙】円山派の祖
26京都府
1607-1650を生きた絵師。狩野孝信の次男で探幽の弟は、兄探幽の築いた奥絵師の木挽(竹川)町家初代となり、絵の作成、修理、鑑定、教育、後継者育成といった江戸幕府における画壇の中心的な役割を担った。
【画家の部屋|狩野尚信】奥絵師木挽町家初代
26京都府
1602-1674を生きた絵師。徳川政権樹立以降、それまで活動していた京から江戸に活動の拠点を移し江戸狩野を創始。狩野派を象徴す祖父でもあった永徳の大画様式から一転し、余白を生かした瀟洒で端正な新様式で江戸狩野様式を確立。それ以後の江戸狩野派の規範として受け継がれていく。また幕府の権力機構に相応して派の組織改革にの臨み、奥絵師を頂点に、表絵師、諸大名のお抱え絵師、町狩野と階層組織ををつくり、幕府内での狩野派の地位を不動のものとした。
【画家の部屋|狩野探幽】江戸狩野の祖
25滋賀県
1559-1635を生きた武士から転身した絵師。豊臣秀吉に仕え、狩野永徳門下に入り高弟として師の筆を受け継ぎ狩野派の後継者として活躍。徳川政権に入り不遇な時を過ごすも、宗家は江戸に移り京に残った山楽は京狩野の祖となる。
【画家の部屋|狩野山楽】京狩野の祖
26京都府
1519-1592を生きた漢画絵師。狩野派二代目狩野元信の三男は、兄 祐雪,秀頼の早世により家督を継承。1563(永禄6)年「涅槃図(大徳寺)」1566(永禄9)年に長男 永徳と共に制作した「山水図、虎豹猿図、四季花鳥図屛風(大徳寺聚光院)」を描いた。父 元信の筆を引き継ぎ、それをさらに平明化し,その作品は柔らく優しさを感じさせるタッチで描かれている。
【画家の部屋|狩野松栄】狩野永徳の父
33岡山県
1420-1506を生きた画僧。1430(永享2)年相国寺住持、春林周藤に禅を、天章周文に絵を師事。その後、水墨画の勉強のため渡明を熱望し周防国大内家を頼り山口に赴く。その甲斐あり遣明船で入明を果たし、大陸美術を学ぶ。帰国後は晩年まで水墨山水画に取り組み、日本美術史においてその名を刻んだ。
【画家の部屋|雪舟等楊】水墨山水画の祖
28兵庫県
1352-1431を生きた画僧。東福寺で修行を行い、安土桃山時代に全盛期を迎える宗元画をかなり早い時期に学んだとされる。道釈人物画を得意とした。また自画像を書いたとされ、日本における自画像のパイオニア的存在でもある。
【画家の部屋|吉山明兆】日本における自画像の祖?
0033フランス共和国出身
1863-1899を生きた、甘美なタッチに淡い光、屋外で描き、絵の具はキャンパス上で筆触分割を用い、日本美術の影響を受けた19世紀後半に登場した印象派。留学先の英国でロマン主義の風景画家ターナーらに倣い、その後第一回印象派展に参加。印象派風景画の代表画家となる。
【画家の部屋|アルフレッド・シスレー】印象派風景画の最高峰
0033フランス共和国出身
1832-1883を生きた、甘美なタッチに淡い光、屋外で描き、絵の具はキャンパス上で筆触分割を用い、日本美術の影響を受けた19世紀後半に登場した印象派。その印象派の原点を作り上げた。
【画家の部屋|エドゥアール・マネ】印象派の先駆者
0033フランス共和国出身
1868-1940を生きた、時は印象派(前)台頭時代、眼には見えない表現を目指した象徴主義美術。その中でポール・セリュジエ(1846-1927)のらと共にナビ派を結成。日常生活をモチーフにした繊細なタッチの作風を数多く残した。
【画家の部屋|エドゥアール・ヴュイヤール】私も象徴主義ナビ派
0044英国出身
1829-1896を生きた、時は印象派(前)台頭時代、光の中の温かみあるタッチに背を向けラファエロ以前のイタリア初期絵画へ古典回帰を目指した象徴主義(ラファエロ前派)を示した一人。その作風は写実生と高貴に満ちている。
【画家の部屋|ジョン・エヴァレット・ミレー】英国のミレーは象徴主義
0033フランス共和国出身
1867-1947を生きた、時は19世紀も写実主義台頭時代、眼には見えない表現を目指した象徴主義美術。その中でもポール・セリュジエ(1846-1927)のらと共にナビ派を結成。光の中の温かみのあるタッチではなく、色彩に重みを持つ方向を示した象徴主義の一つの派とした作風を残した。日本美術の中でも浮世絵に大きな影響を受けた一人でもある。
【画家の部屋|ピエール・ボナール】象徴主義ナビ派の豊かな色彩
0033フランス共和国出身
1848-1903を生きた印象派の流れを汲み誕生した新印象派と後期印象派、その後期印象派とカテゴライズされる強力な個性を発揮した3巨匠、セザンヌ、ゴッホ、そしてゴーガン。その経歴は船乗り、サラリーマン、そしてピサロとの出会いで印象派に傾くも象徴主義を彷彿させる作品も手掛ける。文明に背を向けフランス領であったタヒチで新たな画家人を送る。
【画家の部屋|ゴーガン】ポスト(後期)印象派3大巨匠の一人
0033フランス共和国出身
1826-1898を生きた時は印象派(前)台頭時代、光の中の温かみのあるタッチに背を向けて、古典回帰を彷彿させるような宗教的題材に丁寧な線と色彩で光を当てる作風を示し、理念や感情を表現した象徴主義を方向付けた。後にフォーヴィスムと呼ばれる野獣派を牽引するマティス、ルオーらを指導したことでも名を残している。
【画家の部屋|ギュスターヴ・モロー】野獣派を育てた象徴主義の巨匠
0033フランス共和国出身
1732-1806を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでロココ美術のトリを飾った画家は、風景画で脚光を浴びイタリア、そしてオランダ画家との共鳴を得た。その後風俗画にシフトすると、画壇からは遠ざかりフランス革命を契機にロココ美術と画家としての人生に終焉が訪れる。
【画家の部屋|ジャン・オノレ・フラゴナール】ロココの大トリ
0033フランス共和国出身
1684-1721を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでロココ美術の最盛期に活躍した画家は、The Embarkation for Cythera(シテールの乗船)でフランス王立絵画彫刻アカデミー会員、その後Maître des fêtes galantes(雅宴画家)として一躍注目を集め、フランス絵画の父として称されている。
【画家の部屋|アントワーヌ・ヴァトー】ロココ雅宴画巨匠
0033フランス共和国出身
1808-1879を生きたフランス革命(加えて産業革命)によって終焉を迎えたロココ美術から現実に目を向けた社会意識の高まりにより、フランスを中心として写実主義が台頭、その写実主義を牽引した画家はリトグラム(石版画)のスキルを身につけ、その後風刺画の人気作家となり、パリの日常をありのままに伝える。版画のみならず彫刻、絵画(油絵)を残すも生前に発表されるものは少なく後世に評価された画家の一人。
【画家の部屋|オノレ・ドーミエ】人気風刺画家は今では美の巨匠
0033フランス共和国出身
1819-1877を生きたフランス革命(加えて産業革命)によって終焉を迎えたロココ美術から現実に目を向けた社会意識の高まりにより、フランスを中心として写実主義が台頭、その写実主義を牽引した画家。当時歴史画は高貴なものを題材にする常識を出身地の村を題材にそこに生きる人々を忠実に写実した作品を数々発表。固定概念を覆す革新を巻き起こす。
【画家の部屋|ギュスターヴ・クールベ】固定概念を変えたモチーフ
0033フランス共和国出身
1791-1824を生きた産業革命、そしてフランス革命とヨーロッパに影響を及した二つの革命は絵画界にもロマン主義美術をもたらし、そのフランスにおけるロマン主義の先駆けとなった画家。軍事に関心が高かったとされ、1819年に発表したThe Raft of the Medusa (メデューズ号の筏)は現実に目を背けない話題画の先駆けとなる。事故により32歳にて早世。
【画家の部屋|テオドール・ジェリコー】馬を愛したロマン主義
0033フランス共和国出身
1780-1867を生きたロココ美術最盛期に登場した古典美術回帰を目指す新古典主義の象徴ダヴィットの後継者として託された画家、それ以前はイタリア留学時自由な表現を好むロマン主義に傾倒していたことから、その幅広い美術に関心が高かったことが伺える。
【画家の部屋|ドミニク・アングル】新古典主義の後継者
0033フランス共和国出身
1703-1770を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでコロロ美術をリードした画家は、国王首席画家となりフランス王立絵画彫刻アカデミー院長の要職を務めた。軽やかな色彩、緩やかな線、甘美な作品を数々残した。
【画家の部屋|フランソワ・ブーシェ】ロココ美術の巨匠
0033フランス共和国出身
1600-1682を生きたバロック美術画家はそのほとんどの生涯をイタリアローマで過ごし数々の名作を残す。バロック美術の特徴である光の対比を見事に操る風景画でイタリアから発信されたバロック美術の中心人物となり、後のイギリスを中心としたロマン主義に影響を与えたとされる。
【画家の部屋|クロード・ロラン】バロック光の明暗使いの申し子
0043オーストリア共和国出身
1862-1918を生きた画家は古典・伝統を重んじる1868年創設されたオーストリア最古の芸術家団体オーストリア芸術家連盟より、新たなスタイルを求め分ウィーン分離派団体を立ち上げ初代理事長として活躍。現在もオーストリアを代表する芸術家三団体の一つ。
【画家の部屋|グスタフ・クリムト】シーレの良き理解者
0043オーストリア共和国出身
1890-1918を生きた画家はウィーン出身先輩画家ダスタフ・クリムトにその才能を見出され、共にウィーン分離派を形成し数々の作品を発表。スペイン風邪により28歳で早世。 オーストリアアートコレクターであるルドルフ・レオポルドは1950年代にシーレ、クリムトらの作品を主に収集し、現在レオポルド美術館には最大のシーレ作品コレクションを誇っています。
【画家の部屋|エゴン・シーレ】素描の天才は超個性派
26京都府
1888-1955を生きた京都府出身の画家は時は昭和初期、洋画界の一時代を築いた二人の天才画壇、梅原龍三郎と安井曾太郎。具象画の登竜門「安井賞展」の生みの親でありデッサンの神様のそのスタイルは「安井様式」独自の表現方法を確立した。
【画家の部屋|安井曾太郎】素描の天才・デッサンの神様
27大阪府
1898-1928を生きた大阪府出身、30歳と早逝した日本洋画家は大阪で育ち、東京で学び、そしてフランスパリでその才能を開花させる。大阪中之島美術館にはその佐伯画伯の作品を数多く所蔵、そして東京新宿にはアトリエ記念館があります。 2023年生誕125を迎えるにあたり、東京、大阪で特別展が開催されます。
【画家の部屋|佐伯祐三 Yuzo Saeki】日本洋画家界の若大将
20長野県
1897-1987を生きた長野県出身の洋画家は父親の意とは反し、進学した慶應義塾大学を中退し日本洋画界の巨匠、藤島武二に師事し、その後父親の親交のあった島崎藤村のすすめで渡仏を果たす。シリーズ化した浅間山や白鷺(姫路)城をモチーフとした作品群は小山敬三の代名詞となる。
【画家の部屋|小山敬三 Keizo Koyama】小諸が誇る浅間山に魅せられた洋画家の巨匠
13東京都
1894-1935を生きた東京都出身の日本画家は40歳と早逝した日本画家は二十代前半で横山大観、小林古径といった日本画界の巨匠の目に止まり古来の日本画技法を基軸として、最新の技法を取り入れ日本画壇に新しい息吹を吹き込む。東京渋谷の山種美術館は速水画伯の最大コレクションを誇り、最高傑作と名高い「炎舞」を鑑賞できます。
【画家の部屋|速水御舟 Gyoshū Hayami】細密描写の日本画巨匠
15新潟県
1883-1957を生きた新潟県出身の日本画家は日本画における線を追求し続けた画壇であり、日本画における新古典主義のジャンルを同年代の安田靱彦、前田青邨ら(院展三羽烏)と共に先輩格としてリードした。特に師の梶田半古で学んだ兄弟弟子前田青邨とは歴史画分野でその名を轟かす。
【画家の部屋| 小林古径】院展の三羽烏の一人
13東京都
1884-1978を生きた東京都出身の日本画家は古来の大和絵技法を世襲し、それをさらに発展させ、小林古径、前田青邨と並び称される新古典主義日本画の時代を築いた。
【画家の部屋|安田靫彦】院展の三羽烏の一人
0033フランス共和国出身
1840-1926を生きた画家の代表作「印象・日の出」を出展し印象派のジャンルを切り拓く。晩年の大作「睡蓮」は白内障の手術を乗り越えて制作。
【画家の部屋|Claude Monet クロード・モネ】約250作品!?ジヴェルニー自宅の睡蓮を描く・印象派シリーズ⑤
0033フランス共和国出身
1834-1917を生きた画家はバレエを愛しオペラ座の舞台裏の作品を多く手掛ける。クロード・モネとの親交から印象派展に数々の作品を発表していることから印象派に位置付けられている。
【画家の部屋|Edgar Degas エドガー・ドガ】この透明感、この脈動感、ホントは写実主義なんじゃないの!?・印象派シリーズ④
0001アメリカ合衆国出身
1844-1926を生きた画家は、渡欧し数々の美術館で絵画を独学し学ぶ。そしてカミーユ・ピサロに師事し、ドガとの親交も相待って印象派展に出品し、アメリカに印象派を広める。
【画家の部屋|Mary Cassatt メアリー・カサット】印象派三代貴婦人の一人は女性を最も輝かせる作風・印象派シリーズ③
0045デンマーク王国出身
1830-1903を生きた画家はクロード・モネらと共に印象派を立ち上げ長老の立場からグループの父親的存在に、その後後期印象派と呼ばれるジャンルを開拓し、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらに影響力を与える。
【画家の部屋|Camille Pissarro カミーユ・ピサロ】全8度の印象派展をコンプリートした父親的存在・印象派シリーズ②
0033フランス共和国出身
1841-1919を生きた画家はモネ、ピサロと共に、忠実な写実主義が重視されていた時代に、印象派という新たなジャンルに挑む。このような時代であったので大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」発表当時は評価されていなかった。
【画家の部屋|ルノワール】畑の中のダンスホール「 Bal du moulin de la Galette」を描きました
26京都府
1875-1949を生きた京都府出身の日本画家は明治の女性が画家を志すなど、世間で認められる時代ではなかったが、母仲子は松園の画家としての才能を理解し支え続けた。1948年女性初めての文化勲章を受章。息子に日本画家の上村松篁。
【画家の部屋|上村松園】西の美人画家代表

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1881-1942を生きた経営者であり実業家。早稲田大学在学中に後藤新平の書生となり、その後根津嘉一郎に認められ鉄道事業経営で手腕を発揮した。ロンドン視察後の1920(大正9)年に東京地下鉄道(現、東京メトロ)を創立。1927(昭和2)年上野-浅草間を開通させた。その後、五島慶太との経営権争いで失脚したエピソードを残している。
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1880-1943を生きた経営者であり実業家。1906(明治39)年に倉敷紡績社長に就任し、労働環境の改善に努める。1926(大正15)年には倉敷絹織(現、クラレ)を設立し、国産レーヨンの製造販売を開始。中国合同銀行(現、中国銀行)や中国水力電気会社(現、中国電力)の設立にも関わり、地域経済の発展に力を注いだ。また、倉敷中央病院や日本初の西洋美術館である大原美術館を設立者としてもその名を馳せている。
【経営者の部屋|大原孫三郎】大正時代編.4

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