カール・ヴィルヘルム・シェーレ





Carl Wilhelm Scheele(1742-1786)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは シェーレ 18世紀に

活躍した世界の化学者②
をお楽しみください

シェーレ
イラストポートレート Syusuke Galleryより

18世紀の化学

館長

いらすとすてーしょんでは化学の部屋より18世紀に活躍した世界の化学者と題してイラストポートレートをお届けします

(参考)18世紀に活躍した世界の化学者たち

(参考)19世紀に活躍した世界の化学者たち

館長

さて今回はシェーレをお届けします

酸素の発見者の一人

シューちゃん

シェーレはどんな化学者だったの?

館長

シェーレは、前回のプリーストリーと同じく酸素の存在を発見していた一人であり、多くの元素や化合物を発見を行った化学者でした

1733-1804を生きた化学者であり、バリウムやマンガンなどの元素や多くの化合物を発見し報告した。また、酸素ガスについて「Chemical Treatise on Air and Fire」という論文を1777年に著したが、プリーストリーより2年遅かったため、酸素の初発見者とは認められていない。しかし、シェーレはプリーストリーより数年前に酸素の存在を確認していた。
【化学の部屋|プリーストリー】18世紀に活躍した世界の化学者①
シューちゃん

プリーストリーと同じく酸素を発見していたのだね

館長

シェーレは、プリーストリーより先に酸素の存在を認めていたそうです

シューちゃん

と言うことは、酸素の発見者はシェーレだったの?

館長

シェーレの酸素についての記述は1777年にChemical Treatise on Air and Fireとして発行されたのです

シューちゃん

う~ん、確かプリーストリーの論文は1775年だったのでは?

館長

そうなのです…シューちゃん
シェーレはすでに酸素について1770年代初頭には確認していたそうです

館長

そしてその酵素についての論文は、1775年には完成していたそうなのですが…

館長

発行されたのは1777年でした

シューちゃん

研究の世界は、いろいろありそうだけど、これじゃあシェーレがあまりにも可哀想だ

館長

確かに…でもね、シューちゃんこの酸素についてはどうもこれ以前にもその存在を理解していた人がいたとの報告もあるそうなのです

シューちゃん

なんだか、よくわからなくなってきたぞ…

館長

化学史への招待という書籍(化学史学会)によれば何人か確認されているみたいなのです
※化学史への招待(2019)株式会社オーム社発行

シューちゃん

そうなると、だれが酸素を発見したのかわからなくなってくるよなぁ

館長

そこが歴史を紐解く面白さなのかもしれませんね

シューちゃん

でも当事者はそんな悠長なこと言ってられないとおもうけどばぁ…

館長

あらら、シューちゃん
それは、もっともなご意見と思います

元素、有機・無機酸を数多く発見

館長

でもね、シューちゃん
シェーレはこの酸素に加えて多くの発見を行った化学者でもあるのです

シューちゃん

どんな発見を?

館長

マンガンなどの元素、クエン酸などの有機酸、フッ化水素酸などの無機酸など、数多くの発見をおこなったのが、このシェーレなのです

シューちゃん

酸素だけでなく、多くの業績があるのだね

次回はブラック

館長

さて、18世紀に活躍した世界の化学者②シェーレは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは化学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん
館長

今度は二酸化炭素を発見したブラックです

館長

ぜひブラックのイラストポートレートページにもお越しください

18世紀に活躍した世界の化学者たち

2024-06-060033フランス共和国出身

【化学の部屋|ラヴォアジエ】18世紀に活躍した世界の化学者⑥

2024-05-280033フランス共和国出身

【化学の部屋|プルースト】18世紀に活躍した世界の化学者⑤

2024-05-270046スウェーデン王国出身

【化学の部屋|ベリマン】18世紀に活躍した世界の化学者④

2024-05-260033フランス共和国出身

【化学の部屋|ブラック】18世紀に活躍した世界の化学者③

2024-05-240044英国出身

【化学の部屋|プリーストリー】18世紀に活躍した世界の化学者①

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26京都府
1864-1936を生きた化学者。帝国大学理科大学化学科を卒業後、ドイツライプツィヒ大学でオストワルド教授の下で研究を行い、帰国後、東京帝国大学教授となる。その後1908(明治41)年、昆布の出汁からグルタミン酸ナトリウムを単離し、甘味、酸味、塩味、苦味に次ぐ第五の味覚として「うま味」の成分であることを発見。その翌年には鈴木三郎助により「味の素」として商品化された。
【化学の部屋|池田菊苗】日本の化学者 明治時代編.1
0046スウェーデン王国出身
1903-1982を生きた化学者であり生化学者。酵素とその補酵素がどのように結合し、酵素の触媒作用を活性化させるかというメカニズムの研究を行う。特に肝臓におけるアルコール代謝の鍵となる酵素に関する研究で、生体内の酸化還元反応を触媒する酵素群のメカニズムを解明し、生化学の基礎を築いた。これらの功績により1955年ノーベル医学・生理学賞を受賞した。
【化学の部屋|テオレル】20世紀に活躍した世界の化学者XXX
0046スウェーデン王国出身
1859-1927を生きた化学者であり物理学者。 電解質溶液の性質を説明する電気的解離の理論(電離説)を解明し、この功績により1903年ノーベル化学賞を受賞。また化学反応速度が温度によってどのように変化するかを定量的に表すアレニウス式を考案。これに基づき化石燃料の燃焼によって大気中の二酸化炭素濃度が増加すると、地球の平均気温が上昇するということを世界で初めて指摘した一人でもある。 アレーニウスと表記されることもあります。
【化学の部屋|アレニウス】20世紀に活躍した世界の化学者XXⅨ
0043オーストリア共和国出身
1865-1929を生きた化学者。コロイド溶液に強い光を投射することで散乱する光(チンダル散乱光)を観察できるウルトラマイクロスコープを開発したことで、これまで直接観察が困難であったコロイド粒子の存在を可視化し、その性質や挙動の詳細な研究を行った。このことから1925年ノーベル化学賞を受賞した。
【化学の部屋|ジグモンディ】20世紀に活躍した世界の化学者XXⅧ

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13東京都
1918-1980を生きた小説家。早稲田第一高等学院在学中に短編集「崩壊(1937)」を刊行し、文学活動を開始するも中退。戦下の満州に従軍し、帰国後は同盟通信社記者となる。戦後は貧困生活の中で創作を続け、1954(昭和29)年に短編集「終身未決囚」で第31回直木賞を受賞。以後、「四万人の目撃者(1958)」などを発表し、松本清張とともに、戦後の推理小説ブームを牽引する。1970(昭和45)年「早稲田文学」の第7次編集長に就任し、若手作家の育成にも尽力。晩年は東京空襲の記録活動にも関わり、文学を通じて戦争体験と社会の矛盾を鋭く追求する作品を手がけた。
【文学の部屋|有馬頼義】昭和時代編.123New!!
40福岡県
1918-1979を生きた小説家でありフランス文学者。東京帝国大学文学部仏文科卒業後、加藤周一や中村真一郎らと文学グループ「マチネ・ポエティク」を結成する。戦後、堀辰雄の勧めで短編集「塔(1948)」を発表する。1954(昭和29)年の長編「草の花」で作家としての地位を確立し、以後「廃市(1950)」「死の島(1966~1972)」など、死と愛、記憶と孤独を主題とする詩的かつ哲学的な作品を多く手がけた。推理小説やSFの分野でも才能を発揮し、推理小説は加田伶太郎の名で執筆、また船田学の名でSF映画「モスラ」の原作となった「発光妖精とモスラ(1961)」を中村真一郎、堀田善衛と共著した。
【文学の部屋|福永武彦】昭和時代編.122
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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