トルビョルン・ベリマン





Torbern Bergman(1735-1784)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは ベリマン 18世紀に活躍した

世界の化学者④
をお楽しみください

ベリマン
イラストポートレート Syusuke Galleryより

18世紀の化学

館長

いらすとすてーしょんでは化学の部屋より18世紀に活躍した世界の化学者と題してイラストポートレートをお届けします

(参考)18世紀に活躍した世界の化学者たち

(参考)19世紀に活躍した世界の化学者たち

館長

さて今回はベリマンをお届けします

シェーレの指導教授

シューちゃん

ベリマンはどんな化学者だったの?

館長

ベリマンはスウェーデン最古の大学であるウプサラ大学 の教授として鉱物や化学の研究を行っていました

館長

そのウプサラ大学で前々回登場のシェーレの指導教授としてその名を響かせています

1742-1786を生きた化学者であり、バリウムやマンガンなどの元素や数多くの化合物を発見し報告した。また酸素ガスにおいて、1777年Chemical Treatise on Air and Fireとして著したがプリーストリーより2年遅れたため、発見者となっていない。プリーストリーより数年前にその酸素の存在を確認していたという。
【化学の部屋|シェーレ】18世紀に活躍した世界の化学者②
シューちゃん

シェーレはベリマンから学んでいたのかぁ

館長

シューちゃんの言う通り、シェーレはベリマンより当時最新の学問を学び、ベリマンはそのシェーレの実力の最大の理解者と考えられています

シューちゃん

と、いうことはシェーレが酸素の発見に名を刻んだのもベリマンの存在が大きかったのだね

館長

そう考えられていますが…

シューちゃん

いますが…、ってどういう意味なの??

館長

シェーレがChemical Treatise on Air and Fireという酸素の発見につながる論文を1775年にベリマン教授に提出していたらしいのです

館長

しかしご多忙のベリマンはこの論文の推敲が遅れて…

シューちゃん

だからプリーストリーより遅れること2年後の1777年になってしまったってこと

館長

そのように考えられているそうです

シューちゃん

それにはシェーレもやるせないなぁ

館長

もう一つの話題がこの二人にはあるんですよ

シューちゃん

どんな話?

館長

ベリマンはシェーレに大学のポストと用意していたのです

シューちゃん

それはベリマンはシェーレの実力を認めていたからこそだよね

館長

しかしシェーレはその大学のポストには見向きもせず…

シューちゃん

大学のポストは名誉なのでは??

館長

大学という選択肢よりは、研究に没頭したかったようです

館長

そして自宅兼実験室で多くの元素や化合物を発見していったのです

シューちゃん

なにはともあれ、ベリマンの存在がシェーレの化学者としての人生の布石だったのだね

館長

それを抜きにしてもベリマンの功績は鉱物と化学研究の分野で名を残し、各国のアカデミーに選ばれるほどの実力を兼ね揃えた化学者でした

次回はプルースト

館長

さて、18世紀に活躍した世界の化学者④ベリマンは如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは化学の歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん
館長

プルーストは定比例の法則を発見した化学者です

館長

ぜひプルーストのイラストポートレートページにもお越しください

18世紀に活躍した世界の化学者たち

2024-06-060033フランス共和国出身

【化学の部屋|ラヴォアジエ】18世紀に活躍した世界の化学者⑥

2024-05-280033フランス共和国出身

【化学の部屋|プルースト】18世紀に活躍した世界の化学者⑤

2024-05-260033フランス共和国出身

【化学の部屋|ブラック】18世紀に活躍した世界の化学者③

2024-05-250049ドイツ連邦共和国出身

【化学の部屋|シェーレ】18世紀に活躍した世界の化学者②

2024-05-240044英国出身

【化学の部屋|プリーストリー】18世紀に活躍した世界の化学者①

化学・新着偉人(It's New)はこちらから

26京都府
1864-1936を生きた化学者。帝国大学理科大学化学科を卒業後、ドイツライプツィヒ大学でオストワルド教授の下で研究を行い、帰国後、東京帝国大学教授となる。その後1908(明治41)年、昆布の出汁からグルタミン酸ナトリウムを単離し、甘味、酸味、塩味、苦味に次ぐ第五の味覚として「うま味」の成分であることを発見。その翌年には鈴木三郎助により「味の素」として商品化された。
【化学の部屋|池田菊苗】日本の化学者 明治時代編.1
0046スウェーデン王国出身
1903-1982を生きた化学者であり生化学者。酵素とその補酵素がどのように結合し、酵素の触媒作用を活性化させるかというメカニズムの研究を行う。特に肝臓におけるアルコール代謝の鍵となる酵素に関する研究で、生体内の酸化還元反応を触媒する酵素群のメカニズムを解明し、生化学の基礎を築いた。これらの功績により1955年ノーベル医学・生理学賞を受賞した。
【化学の部屋|テオレル】20世紀に活躍した世界の化学者XXX
0046スウェーデン王国出身
1859-1927を生きた化学者であり物理学者。 電解質溶液の性質を説明する電気的解離の理論(電離説)を解明し、この功績により1903年ノーベル化学賞を受賞。また化学反応速度が温度によってどのように変化するかを定量的に表すアレニウス式を考案。これに基づき化石燃料の燃焼によって大気中の二酸化炭素濃度が増加すると、地球の平均気温が上昇するということを世界で初めて指摘した一人でもある。 アレーニウスと表記されることもあります。
【化学の部屋|アレニウス】20世紀に活躍した世界の化学者XXⅨ
0043オーストリア共和国出身
1865-1929を生きた化学者。コロイド溶液に強い光を投射することで散乱する光(チンダル散乱光)を観察できるウルトラマイクロスコープを開発したことで、これまで直接観察が困難であったコロイド粒子の存在を可視化し、その性質や挙動の詳細な研究を行った。このことから1925年ノーベル化学賞を受賞した。
【化学の部屋|ジグモンディ】20世紀に活躍した世界の化学者XXⅧ

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13東京都
1929-2013を生きた小説家、評論家であり精神科医。慶應大学医学部卒業後、精神科医として臨床に携わる傍ら、1959(昭和34)年に文学界に「帽子を…」を発表し、その後「パパの贈り物(1965)」など、思想や社会問題に関する文筆活動を展開した。そして「お医者さん 医者と医療のあいだ(1970)」など、医療現場の内側から人間と社会を考察した作品を手がける。また、医師としては日本におけるアルコール依存症治療の先駆者でもあり、「アルコール中毒」専門施設を立ち上げたことでもその名を刻んでいる。ペンネームの「なだ いなだ」はスペイン語で「無と無(Nada y Nada)」の意味。本名は堀内秀(しげる)。
【文学の部屋|なだ いなだ】昭和時代編.178New!!
13東京都
1929-1989を生きた小説家。新聞社勤務や職業作家としての下積みを経て、戦後の混乱期に博打やアウトローを渡り歩き、独自の人生哲学と人間感を養う生活を送る。1961(昭和36)年、父との葛藤を描いた自伝的小説「黒い布」で、中央公論新人賞に輝き文壇にデビュー。その後、それまでの経験をもとに、庶民の哀歓やアウトローの世界を描いた作品を発表する。1969年に、阿佐田哲也のペンネームで麻雀小説「麻雀放浪記」を刊行以降、娯楽文学の新境地を開拓。特に配牌図を入れた「麻雀小説」のジャンルを確立した。色川名義では、「離婚(1978」や「生家へ(1979)」など、夫婦や家族を題材に、孤独や狂気といった人間の深層を繊細に、時にユーモアと哀愁を交えて描いた作品を多く残した。これまでの小説の枠にとらわれない、異彩を放つ文学家であった。
【文学の部屋|色川武大】昭和時代編.177
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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