ヨハン・シュトラウス2世
Johann Strauss II
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こちらのページでは【音楽家の部屋|シュトラウス2世】ワルツを手がけた作曲家③をお楽しみください
- 1. シュトラウス2世
イラストポートレート(Syusuke Galleryより ) - 2. ワルツって
- 2.1. ワルツの歴史
- 2.2. ワルツは不貞?
- 2.3. 1814年ウィーン会議
- 2.4. 連夜の舞踏会
- 2.5. 産声を上げたウィンナ・ワルツ
- 2.6. ウィンナ・ワルツの原点を作曲したウェーバー
- 2.7. ウェーバー作 Invitation to the Dance(舞踏への勧誘)
- 2.8. ランナーとシュトラウス1世へ
- 3. ワルツを手がけた作曲家③シュトラウス2世
- 3.1. 父はシュトラウス1世
- 3.2. 父シュトラウス1世とは犬猿の仲
- 3.3. 音楽家の道が拓ける
- 3.4. 父への挑戦状
- 3.5. デビュー
- 3.6. シュトラウス2世作 Sinngedichte
- 3.7. シュトラウス1世作 Loreley-Rhein-Klänge
- 3.8. 父の死
- 3.9. 兄を支えたシュトラウス(弟)
- 3.10. ウィンナ・ワルツ代表作品
- 3.11. シュトラウス2世作 An der schönen blauen Donau(1867)
- 3.12. シュトラウス2世作 Geschichten aus dem Wienerwald(1868)
- 3.13. シュトラウス2世作 Kaiser-Walzer(1889)
- 3.14. オペレッタへ
- 3.15. シュトラウス2世作 Die Fledermaus(1874)
- 3.16. シュトラウス2世作 Der Zigeunerbaron(1885)
- 3.17. 次回はシュトラウス(弟)
- 4. 音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから
- 5. 音楽家の部屋へようこそ
- 6. いらすとすてーしょん検索コーナー
シュトラウス2世
イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

オーストリア出身 1825-1899
ウィンナ・ワルツを芸術音楽として確立した巨匠
偉大な父の影響を受けながらも
その父の反対を押し切り音楽家に進んだ
その後ウィーンを二分する存在となった楽団は
親子でライバル関係となる
父の死後、両楽団は統合され名実ともにウィーンのワルツ界を圧巻
そしてワルツ王と称された
1863年父シュトラウス1世の提案によって創設された
宮廷舞踏会音楽監督にヨーゼフ1世より任命されている
「美しく青きドナウ」などの傑作ワルツや
ウィーン版オペレッタ「こうもり(1874)」
「ジプシー男爵(1885)」などでも
その才能と知名度を一層高め、世界的に愛される作品も生み出した

この特集でお届けしている作曲家はこちら↓
ワルツを手がけた作曲家
- カール・マリア・フォン・ウェーバー
- 1786-1826

- ヨーゼフ・ランナー
- 1801-1843

- ヨハン・シュトラウス1世
- 1804-1849

- ヨハン・シュトラウス2世
- 1825-1899

- ヨーゼフ・シュトラウス
- 1827-1870

ワルツって

全4回にわたるワルツ特集も折り返しの第3回目

シューちゃん、今回もよろしくお願いします

第1回はランナーさんを取り上げたよね
【音楽の部屋|ランナー】ワルツを手がけた作曲家①

そして前回はシュトラウス1世さんだった
【音楽の部屋|シュトラウス1世】ワルツを手がけた作曲家②

ここまで、ランナーさんとシュトラウス1世さんでウィンナ・ワルツを築いていく足跡をご紹介しました

ちなみに、今回のワルツ特集は"ウィンナ・ワルツ"に焦点を当てています

では恒例のワルツについて、もう一度振り返ってみよう
ワルツの歴史

では簡単にワルツの歴史についてシューちゃんとおさらいしましょう

ワルツ(英語:Waltz)!その起源は中世のドイツ語の動詞ワルツェン(ドイツ語:waltzen)に遡る

回るとか、回転するって意味でしたよね

このワルツェンを舞曲としてワルツという言葉が誕生したのは1780年ごろとされているよ
ワルツは不貞?

そのワルツを禁止するような動きもあったのですよね?

うん、ペアが抱き合うように踊ることが不道徳とか、不潔とされていた時代もあったんだ
1814年ウィーン会議

その転換を迎えたのが1814年に開催されたウィーン会議

ウィーン会議は1814~15年にかけて開催された国際会議ですよね

そう、フランス革命とナポレオン戦争の終結後にヨーロッパ各国のあり方を決めることを目指した国際会議だったよね

ヨーロッパの国や地域の代表が参加し臨んだ議論は平行線

でも毎晩のように繰り広げられた懇親会は大盛り上がりだった!って歴史で学んだ方も多いのでは!?
連夜の舞踏会

もうお気づきと思いますが、その懇親会に採用されたのがワルツでした

そうだったよね

そしてウィーン会議を皮肉った見出しがこれだったよね

「Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas」

訳すると「会議は舞踏会ばかりで先には進まない」

この「舞踏会ばかり」、これがワルツでしたよね

これを契機にウィーン会議に参加した代表者が自身の国や地域にワルツを持って帰ったことから、ヨーロッパ全土に広がったんだった
産声を上げたウィンナ・ワルツ

このことから"ウィーン会議のワルツ"これがウィンナ・ワルツでした

そしていち早くこのワルツをピアノ曲に取り入れたのが…
ウィンナ・ワルツの原点を作曲したウェーバー

カレーのCMのために作曲したわけではありませんよ!
【音楽の部屋|ウェーバー】独ロマン派・国民的オペラ作曲家

ウェーバーさんのページでも紹介しているこのピアノ曲はウィンナ・ワルツの原点とも言える作品なんだ
ウェーバー作 Invitation to the Dance(舞踏への勧誘)

副題は「ピアノフォルテのための素晴らしいロンド」

そしてウェーバーさんの妻キャロラインに捧げた曲としても有名です

舞踏会で男性が巧みに女性をダンスを誘い、可憐に踊った後、何事もなかったかのように別の道を歩むカップルの物語をイメージしました
ランナーとシュトラウス1世へ

そしてこの曲を元にウィンナ・ワルツに磨きをかけたのが…

ランナーさんとシュトラウス1世さんでしたよね!
ワルツを手がけた作曲家③シュトラウス2世

そして今回は「ワルツを手がけた作曲家」の第3回目

シュトラウス2世さんにご登場いただきます
父はシュトラウス1世

わたしの父はご存知、シュトラウス1世でした

ここでおさらいしておきましょう

シュトラウス2世さんのお父様はシュトラウス1世、そしてシュトラウス2世さんの弟さんはシュトラウスと呼ばれています

次回に登場予定だよね

ぜひわたしのイラストポートレートページにもお越しください
【音楽の部屋|シュトラウス(弟)】ワルツを手がけた作曲家④

ではシュトラウス2世さんについてだね
父シュトラウス1世とは犬猿の仲

父シュトラウス1世はわたしが音楽家になることを拒絶していました

お父様シュトラウス1世さんは、そしてシュトラウス2世さんの音楽の才能を一番理解していたはずなのですけどね…

まわりには、音楽家という職業は不安定だから…などと言っていたみたいですけれど…
音楽家の道が拓ける

でもわたしは父に背いて音楽家の道を選びました

お父様が家を出て行ったことが幸いしたんだよね

恥ずかしい限りですが、母が父に見切りをつけて追い出したのです

そのことでシュトラウス2世さんは音楽が思う存分できるようなったんだ

父に邪魔をされることも多々ありましたが、音楽をしっかり学ぶことができたのです

その頃、シュトラウス1世さんとウィンナ・ワルツを牽引していたランナーさんが亡くなって事実上シュトラウス1世さん一辺倒の時代になっていました
【音楽の部屋|ランナー】ワルツを手がけた作曲家①
父への挑戦状

父の思うようには行かせない!と強い決意をもって18歳の時、父に挑戦状を叩きつけたのです

父にここでも邪魔されながらも、運良くわたしと契約してくれる企業が見つかったのは幸いでした
デビュー

デビューは華やかだったのだよね

新曲を携えた甲斐もあったのか、おかげさまで大成功でした

シュトラウス2世の記念すべき1作品目がこちらです
シュトラウス2世作 Sinngedichte

そんな親子関係でもコンサートを締めくくる一曲には父シュトラウス1世さんの人気曲を演奏したらしい
シュトラウス1世作 Loreley-Rhein-Klänge

シュトラウス1世さんウィンナ・ワルツの代表作品を演奏されたとは…よくお出来になられた息子さんです
父の死

その後、政治の混乱期そして父シュトラウス1世さんがこの世を1849年に去ると…

シュトラウス1世さんの楽団を自身の楽団を統合して、シュトラウス楽団として活動を行うのですよね

シュトラウス2世さんの率いる楽団は大人気になった

その一方で、シュトラウス2世さんは体調を壊してします…
兄を支えたシュトラウス(弟)

この時、兄シュトラウス2世さんを支えたのが弟シュトラウスさんということですか!
【音楽の部屋|シュトラウス(弟)】ワルツを手がけた作曲家④

その通り!シュトラウス2世さんの体調不良をきっかけに、シュトラウス楽団は兄弟で切り盛りすることになったんだ

そしてシュトラウス楽団は超一流楽団となる
ウィンナ・ワルツ代表作品

その頃に作曲されシュトラウス2世さんのウィンナ・ワルツ代表作品と言えばこの作品でしょうか
シュトラウス2世作 An der schönen blauen Donau(1867)

やっぱり「美しく青きドナウ」なんだろうね

このワルツは、日本でも大人気だよね

音楽評論家の間ではシュトラウス2世さんの三大ワルツを称される作品があるそうで…
シュトラウス2世作 Geschichten aus dem Wienerwald(1868)
シュトラウス2世作 Kaiser-Walzer(1889)

これら三作品が三大ワルツなんです

まぁ、特に日本で人気あるのは「美しく青きドナウ」かなぁ
オペレッタへ

あと、シュトラウス2世さんというとオペレッタ作品もあるよね

周囲に勧めらてオペレッタへ作曲をシフトしていきました

オペレッタ、それは19世紀に人気を博した喜歌劇と言われる分野でオペラより手軽で軽快な様式をさしています

そしてシュトラウス2世さんの作曲活動はオペレッタ中心になったんだよね

では作品をみてみましょう

この「こうもり」という作品でウィーン・オペレッタは幕を開けたと言ってもいいぐらいの作品

そしてこれも傑作といわれる「ジプシー男爵」

このようにウィーンの19世紀の音楽シーンに欠かせない存在となったシュトラウス2世さん

それは、ヨーロッパ各地をはじめアメリカでも大人気の作曲家だったんだから凄いよね

ウィンナ・ワルツはランナーさんとシュトラウス1世さんによって発展し…

シュトラウス2世さんがさらに輝きを持たせたっていう感じなんだろう

兄弟で手を取り合ってというところも素敵ですよね
次回はシュトラウス(弟)

そのシュトラウス2世さんの弟、シュトラウスさんが次回登場予定だね

シューちゃん、今回もありがとうございました

シューちゃんの告知通り、次回はシュトラウスさんを取り上げます(2024年3月22日公開予定)
【音楽の部屋|シュトラウス(弟)】ワルツを手がけた作曲家④

いかがでしたか?

ウィーン会議の舞踏会でワルツが産声をあげて…

その曲の原点は独ロマン派・国民的オペラ作曲家であったウェーバーさんの舞踏への勧誘に始まり

ランナーさん、シュトラウス1世さんによってウィンナ・ワルツは開花する

そのウィンナ・ワルツはシュトラウス2世さんによって、これまでの踊るためのワルツを、鑑賞するためのワルツへ導かれました

さて今回はヨハン・シュトラウス2世 をワルツを手がけた作曲家の視点から取り上げさせていただきました

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

これからもご紹介していきます

どうぞお楽しみに!
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