カール・マリア・フォン・ウェーバー

Carl Maria von Weber

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|ウェーバー

独ロマン派・国民的オペラ作曲家
をお楽しみください

ウェーバー イラストポートレートSyusuke Galleryより )

ウェーバーって

館長

今回はウェーバーさんのイラストポートレートをお届けしました

ジングシュピール

館長

そのウェーバーさんといえばジングシュピール形式の「魔弾の射手」でしょうか

シューちゃん

ジングシュピールは歌芝居と訳せるかな

館長

歌とセリフが見事に組み合わされた作品ですよね

シューちゃん

そのジングシュピールの最高峰といえばこのお方のこの作品

モーツァルト

わたしのこの作品でよろしかったですか?

モーツァルト作 The Magic Flute

シューちゃん

1791年ウィーンで上演され、大絶賛の作品となった

館長

そしてこの作品に影響を受けたウェーバーさんが30年の時を経て作曲したのが「魔弾の射手」です

ウェーバー作 Der Freischütz

シューちゃん

1821年ベルリンで初演され、ドイツ国民歌劇の火蓋がここに落とされるぐらいのインパクトのある作品だった

館長

そう考えると、歴史は繰り返されますね…

館長

ウェーバーさんはモーツァルトさんの「魔笛」に影響を受けて作曲したのが「魔弾の射手」

館長

そしてウェーバーさんの「魔弾の射手」に影響を受けたのが9歳のワーグナーでした

シューちゃん

そのワーグナーさんにつながるこの続きの話はもう少し待っていてね!

ワーグナー登場

ワーグナー

わたしのイラストポートレートページの更新を待っていますよ

1813-1883を生きた歌劇王の異名を持ち19世紀ヨーロッパ全土を魅了した作曲家。その一度聞いたら虜になる作曲はまさに天才。その天才的な音楽家は自身の生活よりも犬を愛した動物好きの一面も。
【音楽の部屋|リヒャルト・ワーグナー】天才歌劇作曲家を癒したのは犬だった!?
館長

失礼しました
ただいま誠意作成中ですので、今しばらくおまちください

シューちゃん

どのようにモーツァルト→ウェーバー→ワーグナーにつながるのか待ちきれない!

館長

シューちゃんがわたしにプレッシャーをかけてどうするのですか!?

シューちゃん

さて話を戻して…

シューちゃん

ウェーバーさんドイツの国民の誰もが知っている文化や伝統を物語を採用

シューちゃん

そしてジングシュピール形式で見事に「魔弾の射手」を完成させたんだ

館長

そして、ドイツ国民的歌劇の樹立となって

館長

ドイツ・オペラは新たな時代へと向かう作品となったのですね

シューちゃん

そしてウェーバーさんはドイツ・ロマン派を牽引する

シューちゃん

そのウェーバーさんはピアノ曲や協奏曲も手掛けている

館長

ウェーバーさんは稀代のピアニストとしての名を馳せていますよね

シューちゃん

ではウェーバーさんはピアノ曲「Invitation to the Dance」を聴いてみよう

ウェーバー作 Invitation to the Dance

シューちゃん

この舞踏への勧誘(Invitation to the Dance)、副題は「ピアノフォルテのための素晴らしいロンド」ってついてる

館長

妻に捧げた曲としても有名ですよね

シューちゃん

そしてね、この曲はウィンナ・ワルツの原点とも言われているよ

館長

ウィンナ・ワルツですか!

館長

ぜひワルツの話題はヨーゼフ・ランナーさんのページをご参照ください (2024年3月20日公開予定)

1801-1843を生きた作曲家。ヨハン・シュトラウス1世と共にウィンナ・ワルツの発展に大きな影響を与えウィーンの音楽史にその名を刻む。1822年に兄アントンと弟ヨハネスのドラハネク兄弟と共に三重奏団を結成し、第一ヴァイオリンとして活動。1823年シュトラウス1世(ヴィオラ)が加わりカルテットを形成した後、ランナーオーケストラとなる。その後オーストリアを代表する管弦楽団となり舞曲を中心に活動を展開した。その後シュトラウス1世が独自の楽団を組むと、彼らの間でライバル関係が芽生えることで、さらにウィンナ・ワルツが発展することになる。
【音楽の部屋|ランナー】ワルツを手がけた作曲家①
シューちゃん

そして、この曲って懐かしいって思う日本の方も多いかも?

館長

もしかして…このCMのことですか!?

1993年ハウス食品ザ・カリーCM

館長

中村紘子さん が出演されていたこのCMの音楽は、たしかにウェーバーさんの舞踏への勧誘でしたね

シューちゃん

「うん!名作!」

シューちゃん

このフレーズ、当時は分からなかったけど…

シューちゃん

いま考えるとルー、そして曲の両方にかかっている言葉だって思った

館長

当時のプロデューサーの器量が伺えますね

シューちゃん

次はウェーバーさんの「Konzertstück in F minor」を聴いてみよう
※この曲はピアノとオーケストラのためのコンツェルトシュテュックとして書かれています

ウェーバー作 Konzertstück in F minor

シューちゃん

一楽章の協奏曲に新しい風を吹き込んだウェーバーさん

館長

では、いらすとすてーしょん風にKonzertstück in F minorのプログラムを綴ってみたいと思います

Ⅰ Larghetto affetuoso
娘が独りバルコニーに座り、城から見渡せる遠くの景色に思いを馳せています。娘の騎士は戦いへ行ってしまった。それから長い年月が経ち、多くの戦いが続いている。彼はまだ生きているのか?そして再び会えるのか?
1786-1826を生きた作曲家であり、ピアノの名手そして指揮棒を用いた近代的指揮法の先駆者の一人とされる。モーツァルトの「魔笛」の影響を受け、ジングシュピール(歌芝居)形式を用いて「魔弾の射手」を作曲し、ドイツ国民歌劇およびロマン派オペラの創始者となる。そしてこの作品は後のワーグナーへと受け継がれる。ピアノ曲や協奏曲も手掛けており「Invitation to the Dance」や「Konzertstück in F minor」はその代表作となっている。
Ⅱ Allegro passionato
娘の豊かな想像力が掻き立てる。彼は傷つき、戦場に取り残されている姿が映し出される。娘は彼のそばに飛んでいって彼と共に最期を迎えたいと考え気を失う。ああ!遠くで何が響いている?太陽の下で遠くで輝いているのは何?それは私たちに近づいてくる。
1786-1826を生きた作曲家であり、ピアノの名手そして指揮棒を用いた近代的指揮法の先駆者の一人とされる。モーツァルトの「魔笛」の影響を受け、ジングシュピール(歌芝居)形式を用いて「魔弾の射手」を作曲し、ドイツ国民歌劇およびロマン派オペラの創始者となる。そしてこの作品は後のワーグナーへと受け継がれる。ピアノ曲や協奏曲も手掛けており「Invitation to the Dance」や「Konzertstück in F minor」はその代表作となっている。
Ⅲ Tempo di marcia
騎士たちが、十字軍の旗を掲げて歓声を浴びながらやってくる。そして…そこに、その中に、彼がいる!娘は彼の腕に飛び込み身を任せる。愛の勝利。
1786-1826を生きた作曲家であり、ピアノの名手そして指揮棒を用いた近代的指揮法の先駆者の一人とされる。モーツァルトの「魔笛」の影響を受け、ジングシュピール(歌芝居)形式を用いて「魔弾の射手」を作曲し、ドイツ国民歌劇およびロマン派オペラの創始者となる。そしてこの作品は後のワーグナーへと受け継がれる。ピアノ曲や協奏曲も手掛けており「Invitation to the Dance」や「Konzertstück in F minor」はその代表作となっている。
Ⅳ Presto giocoso
永遠の喜びが沸き立つ!森羅万象が愛の歌を歌い、幾重もの声で勝利を宣言。
1786-1826を生きた作曲家であり、ピアノの名手そして指揮棒を用いた近代的指揮法の先駆者の一人とされる。モーツァルトの「魔笛」の影響を受け、ジングシュピール(歌芝居)形式を用いて「魔弾の射手」を作曲し、ドイツ国民歌劇およびロマン派オペラの創始者となる。そしてこの作品は後のワーグナーへと受け継がれる。ピアノ曲や協奏曲も手掛けており「Invitation to the Dance」や「Konzertstück in F minor」はその代表作となっている。
館長

いかがでしたか?

館長

1楽章のKonzertstück in F minorに、それぞれのプログラムの日本語解釈を入れてみました

館長

この解釈と共にKonzertstück in F minorをお聴きいただくと、またその音楽が新たな世界を導くように感じます

館長

さて今回はカール・マリア・フォン・ウェーバーを取り上げさせていただきました

シューちゃん

そうだ!館長!

シューちゃん

ウェーバーさんといえば指揮棒の話題もあったよね!

館長

失念しておりました!ウェーバーさんは指揮棒を使って初めて指揮をとったと記憶されてるのですよね!

シューちゃん

以前、いらすとすてーしょんでは、シュポーアさんも指揮棒を初めて使ったと紹介していたけど…

館長

きっと、そのころそんなアイディアが生まれやすい時期だったのかもしれません

1784-1859を生きた作曲家でありヴァイオリニスト。幼少期からヴァイオリンの才能を認められ、15歳ごろにはすでに宮廷楽団で活躍し、その才能を更に開花させる機会を得る。その後楽団長などを歴任し、アン・デア・ウィーン劇場の指揮者となる。この時を契機にベートーベンと信頼関係が生まれ、そのベートーベン亡き後の音楽界の中心人物となった。 ヴァイオリンのチンレスト(顎当て)、そして指揮をする際に棒を用いたこと先駆者でもあった。 自伝としてSelbstbiographieを著している。
【音楽の部屋|シュポーア】独バイオリニストの最高峰
館長

シュポーアさんのページで指揮棒についてお話ししているので、お時間あればぜひお立ち寄りくださいね

館長

ではそろそろこの辺で!

館長

引き続きいらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
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13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
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1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
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26京都府
885-930を生きた政治家(第60代天皇)。父・宇多天皇の譲位を受け、わずか13歳で即位。父が築いた「知性と実力」を重んじる政治姿勢を継承し、摂政・関白を置かずに自ら政務を司る「延喜の治(えんぎのち)」を展開した。平安時代の政治と文化の成熟を象徴する名君として知られる。治世では、日本最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の編纂を命じるなど、国風文化を大きく発展させた。一方で、宇多天皇時代からの重臣・菅原道真をめぐる政争(昌泰の変)では、結果的に道真を失脚させることとなり、この決定は醍醐天皇に深い心の傷を残したと伝わる。晩年には、天変地異や疫病が相次いだことから、道真の怨霊を恐れたという逸話も残されている。その治世は、平安文化が最も洗練された「光」の絶頂期であると同時に、怨霊信仰という「影」が歴史に色濃く刻まれた時代でもあった。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
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