カール・フリードリヒ・ツェルター

Carl Friedrich Zelte

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こちらのページでは【音楽家の部屋|ツェルター

19c.ベルリン音楽の礎を築いた作曲家
をお楽しみください

ツェルター イラストポートレートSyusuke Galleryより )

ツェルターって

館長

今回はツェルターさんのイラストポートレートをお届けしました

音楽を学ぶ煉瓦職人

館長

ではツェルターさんは煉瓦職人のマイスターでありながら、音楽を独学で学ぶ二足の草鞋を履く生活を送っていました

ベルリン・ジングアカデミーに入団

館長

そのツェルターさんは1791年にC.F.C.Fasch(1736-1800)の創立した当時はアマチュア合唱団であったベルリン・ジングアカデミー に入団します

シューちゃん

23歳のころか…

館長

ツェルターさんはこの合唱団に音楽人生を見出したのかもしれません

シューちゃん

音楽にかける情熱を感じるね

館長

この合唱団の創設者であったC.F.C.Fasch(1736-1800)に師事し音楽を深く学びます

優れた歌唱力

館長

ツェルターさんは抜群の歌唱力で合唱団の中心人物へと成長されます

シューちゃん

C.F.C.Faschさんの厚い信頼も勝ち取ったみたいだね

館長

そのC.F.C.Faschさんが1800年に亡くなると、この合唱団をツェルターさんが受け継ぎました

シューちゃん

ツェルターさんの人柄もあったんだろうね

館長

人柄といえばツェルターさんは多くの友人や弟子にも恵まれたのですよね

親友ゲーテ

シューちゃん

その一人がゲーテさん

ゲーテ

1796年にとある出版社の方からツェルターを紹介いただいたのです

1749-1832を生きた文学家であり博物学者。ゲーテによって生み出された詩や戯曲は、多くの作曲家によって音楽化される。その中でもシューベルトは70曲を手がけた。またモーツァルトやベートーベンの音楽に強い関心を持ち、高く評価した。ゲーテ作品の中でも「ファウスト」は50作品以上がオペラとして作曲されているほど、絶大な人気戯曲となっている。
【音楽の部屋|ゲーテ】作曲家たちが愛した詩人
館長

確かお二人は1802年ごろ初めてお会いしているとお聞きしていましたが…

ゲーテ

ツェルターとは手紙のやり取りがそれまで主だったので…

シューちゃん

出版社の方が当初、間を取り持っていたんだと思う

ゲーテ

初めはそうでしたが、のちに直接ツェルターと文通が始まって…

ツェルター

1802年に初めてお会いするまで手紙だけでしたが、ゲーテ氏はわたしにとってかけがえのない友人になっていました

ゲーテ

お互いの友情は、わたしが他界するまで続いたのです

ツェルター

1000通まではいかなかったと思いますが…お互い近況を手紙で綴りました

館長

まさに無二の友だったのですね

シューちゃん

ゲーテさんもワイマール劇場(現:ドイツ国立劇場) の責任者をしていたから、お互いにいろいろ通じることもあったのかもね

館長

それからツェルターは、どんどんベルリンの音楽界に存在感を示していくのですよね

プロイセン芸術アカデミー会員

シューちゃん

王立音楽研究所創設

館長

そこで若手音楽家の育成をされるのですね

メンデルスゾーンらが弟子

シューちゃん

メンデルスゾーン(1809-1847)、マイアベーア(1791-1864)、ニコライ(1810-1849)など、19世紀の音楽シーンで活躍するメンバーを育成したよ

マイアベーア

ツェルター師匠のおかげで作曲家として認めれれるようになりました

1791-1864を生きた作曲家。アルブレヒツベルガー、クレメンティとの接点があったとされ、10歳のときには天才ピアニストと囁かれるほどの実力を兼ね備えていた。その後、サリエリ、ツェルターに音楽を学んだ。1831年初演された作品Robert le diable(悪魔のロベール)はグランド・オペラ史上3作品目に位置付けられ、フランス・オペラ界の頂点へと駆け上がる。その後も特にブルジョワジーの絶大な支持のもと活躍し莫大な富を得たことから、ワーグナー、スタンダール、シューマンなどから批判を浴びることも多々あったとされる。
【音楽の部屋|マイアベーア】仏グランドオペラの中心作曲家

2024年3月6日公開予定です

マタイ受難曲再演を企画

館長

その中で、メンデルスゾーンさんはツェルターの指導のもと、大バッハさんの「マタイ受難曲」を再演したのですよね!

シューちゃん

19世紀になると、J.S.Bachは過去の人になっていて時代遅れっていう風潮があったみたい

館長

その時期に「マタイ受難曲」を再演した結果は大成功!

館長

大バッハ派復活!なんて感じだったのでしょうか

シューちゃん

1829年に再演されて、バッハ・ルネサンスなんて当時の流行語のようになったのかもね

館長

ではツェルターさんの監督のもとメンデルスゾーンさんが再現した「マタイ受難曲」を現代版再演をみてみたいと思います

J.S.Bach作 Matthäus Passion

シューちゃん

ツェルターさんのバッハ愛を親友ゲーテが後押しして、そして愛弟子メンデルスゾーンさんがこの再現をした

館長

それまで大バッハといえば息子のエマヌエルとさえ評価されていた時代でしたが…

館長

この再演でJ.S.Bachの評価がトップギアに入った瞬間だったと感じます

シューちゃん

歴史はこうやって創られていく一つのエピソードかもね

館長

いかがでしたか?

館長

さて今回はカール・フリードリヒ・ツェルターを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

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37香川県
1888-1948を生きた小説家であり劇作家。京都帝国大学英文科在学中に、芥川龍之介らに勧誘され「新思潮」を創刊。1916(大正5)年に戯曲「屋上の狂人」などを発表する。卒業後、時事新報社の記者となり「無名作家の日記(1918)」などの短編小説を発表し新進作家の道を歩む。また、1917(大正6)年に発表した「父帰る」が1920(大正9)年に2世市川猿之助が演じ、劇作家としての一歩を歩んだ。1923(大正12)年には雑誌「文芸春秋」を創刊し出版業に進出し、 幅広く活躍。 1935(昭和10)年には、亡き友人・芥川龍之介と直木三十五の名を冠した「芥川賞」「直木賞」を創設し、戦後文学の制度的基盤を築いた。戦時中は映画会社「大映」の初代社長も務め、文化産業の発展にも寄与。戦後は公職追放の対象となり、復帰を果たせぬまま1948(昭和23)年に逝去。死後は「菊池寛賞」が創設され、文化功労者を顕彰する制度として現在も継続されている。本名は菊池寛(ひろし)。
【文学の部屋|菊池 寛】大正時代編.49New!!
22静岡県
1885-1945を生きた詩人、劇作家であり医学者。東京帝国大学医学科で皮膚科を専攻する傍ら、森鴎外の影響から医学と文学の両側面から活動を開始。与謝野鉄幹の「明星」に寄稿や、北原白秋らと「パンの会」を興し耽美派詩人として活躍。1909(明治42)年には「南蛮寺門前」、1911(明治44)年には「和泉屋染物店」を発表し、詩作にとどまらず戯曲でも注目を集めた。加えて、美術史やキリシタン史の研究でも深い造詣を示した。医学者としては、顔面の褐青色のあざである太田母斑の研究で業績を残し、東京帝国大学教授を歴任。文学と医学、芸術と科学を横断した知性の持ち主であった。本名は太田正雄。
【文学の部屋|木下杢太郎】大正時代編.48
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館長

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