ジャコモ・マイアベーア

Giacomo Meyerbeer

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|マイアベーア

仏グランドオペラの中心作曲家
をお楽しみください

マイアベーアイラストポートレートSyusuke Galleryより )

マイアベーアって

館長

今回はマイアベーアさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

マイアベーアさんは幼少期から天才ピアニストと囁かれるほどの実力の持ち主だったそうです

ピアノをクレメンティに学ぶ

シューちゃん

そのピアノはピアニストの先駆者クレメンティに学んだみたい

1752-1832を生きた作曲家でありピアニスト。幼少から楽才を認められロンドンで英才教育を受け、世界で最初のピアニストとしてその名を馳せる。1781年ウィーンでモーツァルトと競演し、そのピアノ表現力は人々を魅了したとされている。そして簡潔かつスケールの大きいソナタは後のベートーヴェンに影響を与えた。イギリスでピアノ製造業や楽譜出版にも携わり、後進の育成にも携わった。ピアノ・ソナタやトリオなど70曲以上を作曲。晩年の著したGradus ad Parnassum(1826年)は演奏技法の基本を成す教本として今日でも高い評価がなされている。
【音楽の部屋|クレメンティ】世界最初の名ピアニスト
館長

これはシューちゃん、ご紹介ありがとうございます

館長

クレメンティさんは1790年代にピアノの製造メーカーを設立して、精力的に実演指導を行なっていたみたいでした

シューちゃん

ちょうどその頃、ピアノの普及でベルリンを訪れたクレメンティさんにピアノを習ったんだろうね

館長

マイアベーアさんのご家庭はとても裕福だったので、ピアノの購入も問題なかったのでしょう

シューちゃん

そう考えればマイアベーアさんは上客中の上客だったんだろうね

館長

でも、きっとクレメンティさんはマイアベーアさんの才能を見抜いておられたと思いますよ

シューちゃん

確かにね!その後9歳でマイアベーアさんはモーツァルトさんのピアノ協奏曲をこなしていたんだから!

館長

このことが、天才ピアニスト・マイアベーアとなったのですね

ツェルターに音楽を学ぶ

シューちゃん

それからマイアベーアさんはツェルターさんに音楽を学ぶ

1758-1832を生きた作曲家であり音楽教育者。煉瓦職人として働きながら音楽を独学し、後の師となるC.F.C.Fasch(1736-1800)の創立したアマチュア合唱団ベルリン・ジングアカデミーに入団、そこで研鑽を積み、その後引き継ぐ。その努力が実り、画家、彫刻家、建築家などの著名な芸術家が集うプロイセン(現:ベルリン)芸術アカデミーの会員となり、現在のベルリン芸術大学宗教音楽研究所の前身となる王立音楽研究所を設立したことでもその名を刻む。そこでの音楽教育活動で多くの音楽家を育てる。また30年以上の、詩人Goethe(1749-1832)とは親友であり、よき理解者であった。
【音楽の部屋|ツェルター】19c.ベルリン音楽の礎を築いた作曲家
館長

ベルリンの音楽とその教育活動で名を馳せていたツェルターさんにも認められていたということですね

シューちゃん

うん!

シューちゃん

そしてマイアベーアさんはウィーンへ行き…

ウィーンでサリエリにも学ぶ

館長

わたしのところでもマイアベーアは学びました

1750-1825を生きたイタリア出身のウィーン宮廷楽長は師であり親代わりの当時の宮廷楽長ガスマンに学び、その後ベートーヴェン、シューベルトといった世界的な音楽家を育てる音楽教育家としても名を残した。
【音楽の部屋|アントニオ・サリエリ】知られざる天才イタリア作曲家
館長

マイアベーアさんは他にも幼少期にアルブレヒツベルガーさんとの接点もあったとされる記録もあります

1736-1809を生きた古典派音楽の作曲家であり音楽教育者は親交のあった交響曲の父フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの依頼によりベートーヴェンの師となる。音楽を理論的思考で捉えていることから、ハイドンは作曲のベストティーチャーと称える。
【音楽の部屋|アルブレヒツベルガー】ベートーベンの師はベストティーチャー
シューちゃん

そう考えるとマイアベーアさんは名だたる作曲家に師事していたんだ

館長

そしてウィーン、ドイツで活動を行い…

1824年パリ

シューちゃん

1824年にその姿はパリにあったんだよね

館長

そこで上演されたのがこの作品でした

マイアベーア作 Robert le diable

シューちゃん

フランス、グランド・オペラ史上3作品目となるこの作品

館長

グランド・オペラについてはオベールさんのページで紹介していますので、お時間ございましたらお立ち寄りください

1782-1871を生きた作曲家。ケルビーニ(1760-1842)に師事し、その後オペラ・コミックの分野でフランスオペラ界を牽引。そしてパリ・オペラ座での、フランス初となるグランド・オペラ作品の草分けとなるLa Muette de Portici(1828)を作曲した。1842年には国立音楽院院長をつとめていた師ケルビーニの引退にともないその職を継ぎ、フランス音楽界で活躍した。
【音楽の部屋|オベール】オペラコミックのプリンス
シューちゃん

この作品で、パリはもちろんヨーロッパ全土にマイアベーアさんの名が響き渡る

館長

その後もLes Huguenots、Le prophète、L'Africaineでグランド・オペラで人々を圧巻させました

マイアベーア作 Les Huguenots

マイアベーア作 Le prophète

マイアベーア作 L'Africaine

シューちゃん

そしてグランドオペラ=マイアベーアという方程式を確立した

館長

マイアベーアさんは飛ぶ鳥を落とす勢いだったのでしょうね

批判と戦う

シューちゃん

そんなマイアベーアさんだったけど、批判もされるんだ

シューちゃん

ほんとか、どうかはわからないけど…

シューちゃん

ワーグナーさんやシューマンさん…

シューちゃん

そしてスタンダールさんといった文学家まで…

館長

いつの時代も、同じようなことはありますよね…

館長

信仰の影響もあったみたいですけど…

館長

答えはきっと作品を観る観客の反応にあるのだと思います

館長

いかがでしたか?

館長

さて今回はジャコモ・マイアベーアを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

音楽家の部屋へようこそ


出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery音楽家の部屋Musicologist
音楽家の部屋 Musicologist

音楽家の部屋Musicologistへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

25滋賀県
1296-1373を生きた武士。近江国(現在の滋賀県)を本拠とする名門・佐々木氏に生まれ、出家して「道誉」と号した。既存の権威や形式にとらわれず、派手な振る舞いや贅沢を好む姿から、「婆娑羅」と呼ばれた異色の武将である。倒幕期には足利尊氏と行動を共にし、後醍醐天皇のもとで戦ったが、特定の理念や忠誠に身を捧げることはなかった。建武の新政が始まると、公家主導の政治が武士の現実とかけ離れていることを早くから見抜き、尊氏の離反に際しては、ためらうことなく武家政権の側に立つ。以後は尊氏の側近として、いわゆる「知恵袋」の役割を担い、室町幕府の政治と文化の基礎づくりに深く関わった。その生き方は、天皇の理想にも、公家の秩序にも縛られない「第三の立場」を貫いたものであった。戦場では勇猛に戦い、政治の場では冷静に情勢を読み、同時に茶の湯や連歌を愛好して新しい文化を育てた。その姿は、理想に殉じて散った護良親王や、利害を基準に動いた赤松則村とは異なる。動乱そのものを楽しむかのように生き抜いた佐々木道誉は、南北朝という不安定な時代が生み出した、最も現実的で柔軟な武士像を体現した人物であった。
【政治の部屋|佐々木道誉】南北朝時代編.3New!!
28兵庫県
1277-1350を生きた武士。播磨国(現在の兵庫県)の在地勢力として育ち、出家して「円心」と号した。後醍醐天皇の討幕計画に呼応し、いち早く挙兵。播磨を拠点に京都への補給路を遮断するなど、巧みな軍事戦略で幕府軍を苦しめ、鎌倉幕府滅亡の立役者の一人となった。建武の新政が始まると、その功績から播磨守護に任じられる。しかし、恩賞を巡る混乱の中でわずか数カ月でその職を解かれ、公家主導の政治に強い不満を抱くようになる。この「地方武士の軽視」が決定打となり、やがて同じく新政に背を向けた足利尊氏と合流。九州から東上する尊氏を支え、湊川の戦いなどで南朝軍を圧倒した。その生涯は、天皇の理想が地方武士の武力によって成し遂げられながらも、両者の利害の乖離によって決裂していく過程そのものである。情熱で立ち上がり、冷徹な現実判断で生き残りを図ったその姿は、建武の新政を瓦解させた「武士の論理」を雄弁に物語っている。
【政治の部屋|赤松則村(円心)】南北朝時代編.2
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

「いらすとすてーしょん」は5年目を迎えました。今年も、皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery